廃棄処理

これは母親の
「ここにお菓子があるから良かったら食べてね」
という一言に端を発する長い長い戦いの記録である。

8月27日からの帰省では、母親が白内障の手術を受けるため数日間の入院が必要だったので、実家で 『お買い物日記』 担当者と二人で過ごすという、初めての経験が待っていた。

冒頭のセリフは、病院に向かう直前に母親がキッチンにある戸棚を指さして言ったものだ。

病院に行って入院手続きを済ませ、叔母の家で昼を御馳走になってからブラブラと買い物をしたり懐かしい風景を見ながら長い時間をかけて歩いて帰宅し、その疲労感と多少の空腹感から先に聞いていたお菓子でも食べようかと 『お買い物日記』 担当者が戸棚を開けて中を物色すると、とんでもないものが次から次へと姿を現した。

それは、とうの昔に賞味期限の切れたお菓子の数々である。

確かにまだ切れていない物もあるので食べろと言った母親に悪気はないのだろうが、そのまま見なかったことにすることができないほど古いものまで混在しているではないか。

そこで 『お買い物日記』 担当者がはたと気づいた。
「そういえば冷蔵庫でもかなり古いものを見た」

そして、自分もはたと気がついた。
「そういえば冷凍庫で毎年同じものを見かける」

恐る恐る冷蔵庫、冷凍庫を確認すると、驚くほど古い物が奥の奥に押し込められていた。

翌日、病室で賞味期限の切れたものは捨てると母親に伝えたところ、
「うん、いいよ」
と軽く言ってくれる。

捨てられて困るものはないかと尋ねても
「ない」
とキッパリ言い切る始末だ。

それならばと、病院を早目に出て棚の菓子類、冷蔵庫、冷凍庫の食品、キッチン下に収納されている調味料類を徹底的に調べ、賞味期限が過ぎているものの廃棄作業を開始した。

どうやったらこんなに詰め込めるのかと思うほど冷蔵庫の中は食品であふれかえっており、古いものを選別しているとあっという間に大きなゴミ袋 5個にもなってしまったことに戸惑う。

足腰も弱り、体力もなくなった母親が、ずっしりと重いゴミを 5個も 6個も集積所まで持っていけるはずがない。

自分たちが帰るのは月曜日、ゴミ収集日は火曜なのである。

このゴミを捨てるために実家への滞在を一日長くしようかと思わないでもなかったが、これから先を考えるとまだまだ数は増えそうであるし、一般家庭から排出されるゴミの量をはるかに超えるものと予想されるため、家庭ごみを回収してくれる業者はないものかと調べてみると、電話帳には数件の業者が名を連ねていた。

問い合わせてみると一般家庭のゴミも収集可能だが、分別されていることが条件とのことで、分別されていない場合は業者側で作業するので別途料金が発生するということだ。

それならばと、すでに 5袋になったゴミを最初から分別し直し、以降のゴミもプラスチック、ビン、カン、可燃ゴミ、布や金属の埋め立てゴミ、そして生ゴミと細かく分別することにした。

冷蔵庫からは 20世紀に賞味期限が切れ、それから十数年が経過した骨董品に近いものや、得体の知れないドロドロした物体が保存された容器、原型が何だったのか判別不能なほど干からびたものが次々に現れては我々の度肝を抜いてくれる。

別の戸棚からは 136人が虫歯になりそうなほど大量の砂糖、68人の口から火が吹き出しそうな量の唐辛子、74人分はありそうなインスタントのお吸い物、茶碗 186杯分は赤飯が作れそうなアズキの缶詰、723人前以上の煮物が作れそうなだしの素、1019丁の冷奴に使えそうな花かつお、一生使えそうなだけの化学調味料など、老人の一人暮らしとは思えない量が出てきた。

まだ缶切りを必要する時代に作られ、中が膨張して天地が膨らんで開けるのに危険をともなうフルーツの缶詰も大量に見つかって途方に暮れる。

それらを一つ一つ開封し、中は生ゴミ、容器もそれぞれ分別するものだから時間の経過とともに握力を失い、疲労もピークに達してしまった。

作業を中断し、晩御飯を食べて酒を飲み、ドロのように眠る。

翌日も廃棄処理は続く。

53人くらいの子供が喜びそうなあめ玉、41人前はありそうな素麺、29人前くらいのうどん、すでに固形化しているインスタントコーヒーやクリープ、553人分くらいのお茶漬けのもと、325人くらいの年寄りが喜びそうな日本茶、油焼けしてしまって食べることのできない冷凍された肉や魚など、まだまだ出てくるが日が落ち始めたので二日目も終了。

三日目、退院してきた母親に必要か否かを尋ねつつ作業は続く。

何かに使うだろうと保管されていた空きビンやお菓子のカン、もやは何人前になるのか想像もつかないくらい大量な乾燥わかめ、干し椎茸、再び登場したかつお節やだしの素などを開封しては中を生ゴミ、容器を分別という作業を延々と続ける。

途中、前日の作業で捨てるか迷ったラッキョウを母親に見せると
「ああ、それササキさんからもらったの」
と言う。

「ササキさん?・・・」
「あのササキさん?」
「斜め向かいに住んでいたササキさん?」
「むかし良くしてくれたササキさん?」

・・・そのササキさんが娘に引き取られて引っ越し、遠く離れた町で病に伏せ、それがもとで亡くなってしまってからすでに何年も経っている。

「どうしてそんな古いもんを取っておくんだぁ!」
と言うと、
「あることすら忘れてた」
などと平然と言ってのける母親だ。

これでもかというくらい徹底的に棚の中を調べ、怪しい食べ物はすべて廃棄処理したところで少し休憩し、最後に古くなって色が変わってしまった保存容器なども少量だけ残してすべて廃棄処分にした。

最後は力尽きて 5袋ほど分別作業を諦めたが、それを含めると実に総数 26袋、軽トラだと荷台が一杯になってしまうほどのゴミが実家から排出されたのである。

これが、帰宅した翌日になっても疲れがとれず、ボロボロになっていた要因であり、全容だ。

もう二度と残り物を冷凍してはいけない、食べないものは捨てる、おすそ分けをいただいても食べられなかったら捨てる、大袋のものは買わず割高でも小袋のものを買うようにと母親に言い渡して来たが、果たして守っているだろうか。

白内障は両目の手術が必要だが、今回の手術は右目だけだ。

実は来週、12日の金曜日に左目の手術がある。

それに付き添うため 10日から 15日まで再び実家に帰ることにしているのだが、その際に冷蔵庫や戸棚をチェックし、もし食べもしないものが保管されていたらどうしようかと、一抹の不安を抱いたりしているところだ。