自分解体新書 - 18 -

自分解体新書 ~目次~

■ 指

指がカッサカサだ。

それが原因でスマホの操作も反応が鈍い。

そもそも脳の動きも鈍化し、神経伝達物質の絶対量も減少しているものと思われ、思ったように指が動かないのも事実であるが、それ以上に指の保湿性が損なわれて現在のタッチパネルの性能では感知できないのが現状だ。

スマホの操作はもとより、コンビニやファストフード店のレジで電子マネーの種類を選択するタッチパネルも反応してくれないのも常で、何度も指に息を吹きかけたり、人差し指がダメならと親指や中指を試したり、右手がダメなら左手はどうだとか試行錯誤しても反応しないのに、それを見かねた若い店員さんが代わって触れると一瞬にして認識するのだから情けないことこのうえない。

回転寿司で注文するタッチパネルも反応は鈍く、ついついタッチパネルをグリグリと力を入れて押してみたり、おしぼりで指を湿らせてから触れてみるなどの工夫が必要で、そんな面倒なことをするくらいならカウンターに座って店員さんに口頭で注文したほうが遥かに確実で早かったりする。

少し前の独り言にも書いたように、最近は 『hulu』 というネットのサービスを利用して海外ドラマを見ているのだが、見るドラマを選択したり早送りや巻き戻し、一時停止などはすべてタブレットで操作し、それをテレビに接続して大画面で見るようにしている。

食事の後片付けをしたり、トイレに行く際には一時停止するが、それも一発では反応してくれず、なかなか止められずにいる間にどんどんドラマは進んでしまう。

やっと一時停止できて少し巻き戻そうとしても、これがまたなかなか反応してくれず、数十秒で良いところを 5分も 10分も巻き戻ってしまって仕方なくまた同じシーンを見たりしている。

■ 手 その2

指と同じように手も保湿性を失い、油分も不足していることからハンドクリームが必需品になってしまった。

とくに手を洗った後はカサつきがひどく、食事の際に食器を持つ手がすべる。

味噌汁を飲もうとお椀を持つと、すべって落としそうになるので恐くて仕方なく、熱い味噌汁が体にかかったらどうしようと妙な緊迫感を覚えながら食事をしなければならない。

そこで今となっては食卓の前に座り、食べ始める前に 『お買い物日記』 担当者と二人でハンドクリームを塗るのが習慣となっているが、結果的にそれが良かったようで 『お買い物日記』 担当者は冬の手荒れから開放されることになった。

■ 大腸

2月17日に受けた大腸がん検査の結果に問題はなく、複数個の小さな良性ポリープが見つかった程度だったのは喜ばしい限りだが、生命保険の見直しを迫られる事になってしまった。

というのも、加入していた生命保険はガンになったら以降は保険料を支払わなくて良いという内容で、同種の保険に加入していた 『お買い物日記』 担当者は数年前の子宮体がんの発症で適用となって現在は支払う必要がなくなっている。

大腸がん検査で命に関わらない程度の小さな超初期段階のがん細胞でも見つかってくれたなら、自分も以降は支払わなくて良いので昨年末から保険屋さんと検討していた契約内容の見直しを放置していたのである。

しかし幸か不幸かがん細胞が見つからなかったので、次の誕生日を過ぎると月々の保険料がドンと高くなってしまう契約を見直し、年齢によって掛け金が変動しないタイプの契約に切り替えることになった。

死ぬまで一定額というメリットはあるものの、例えガンになっても払い続けなければならない内容なので、末期がんで寝たきりになっても毎月の支払はしなければならないという血も涙もない契約になってしまったのは仕方がない。

■ 肛門

その大腸がん検査で悪性腫瘍は見つからなかったものの、肛門近くに複数のポリープが見つかり、それは痔であるとのことだった。

まだ発症はしていないものの、痔主であることが分かった今、次回の通院で以前に処方してもらったことがある便を柔らかくする薬を出してもらおうと考えている。

独り言やこの雑感で過去に何度も書いているように、子供の頃から男のくせに便秘体質である自分はその通例に反することなく便が硬い。

そのため何度かに一度は肛門が切れて血がにじむということをくり返しているので、このままでは本格的な痔になってしまうのではないかと素人ながらに心配したりしているのである。

内科の先生は大腸がん検査をしてくれた先生と同じであり、どうせ肛門から腹の中まで見られたのだから、腹を割って話してみようかと思っているところだ。

それぞれの春

新年度になって職場や学校の人間関係が変わり、アパートなどの入所者も入れ替わる。

以前の雑感に書いたように、お客さんである会社に勤めていた人は3月いっぱいで退職した。

個人的には嫌いでもなく、悪く思ったこともないのだが、社員同士はギスギスしていたので彼の退職によって職場環境が改善されるのであれば悪いことではない。

近所のアパートは空室になったり新しい人が入居したりと忙しい。

いつも駐車場に止まっていた車には 『お買い物日記』 担当者がお気に入りのヌイグルミが乗せられていたのだが、この春、忽然と姿を消してしまったのでアパートに住んでいた住人が引越してしまったのだろう。

その車の持ち主は女性で、休日は必ず車がなかったのでそれほど遠くない実家に帰っているか彼氏の家にでも行っているのだろうと勝手に話していたのだが、その彼女がアパートを出たということは親と同居を始めたか、彼氏と結婚したのではないかと、これまた勝手に想像したりしているところだ。

この春も新一年生が誕生した。

体が小さくランドセルがやけに大きく見える小学一年生は、まだ話す内容も幼く友達同士の会話を耳にしても何を言っているのかさっぱり分からない。

それでも互いに笑ったりうなずいたりしているので会話は成り立っているものと思われるが、あの不思議な言語を理解できるのだから親や教師は偉大だ。

この町では交通安全のため蛍光の黄色をしたランドセルのカバーが企業の善意によって小学一年生に配布されるのだが、まだ真新しいので蛍光色が目に眩しい。

子どもたちに乱暴に扱われ、少し色あせて痛みが進んだ去年のカバーをはずし、二年生になった子どもたちはすっかり上級生気分で、グループ登校の際には新一年生の手を引いたりしている。

その小学校を卒業し、中学に進んだ子どもたちは制服姿となって少し大人びて見える。

すぐに身長が伸びるので大きめのサイズなものだから、まだ制服に着られている感がないでもないが、すぐに大人っぽい骨格になることだろう。

中学生、高校生の通学風景を見て気づいたのだが、最近は学生帽というものがなくなったらしく、誰一人として校章つきの黒い帽子をかぶっていない。

いったいいつ頃から学生帽がなくなったのか気になって調べてみたところ、1990年代初めごろから髪型の自由化が始まったことと、制服が詰め襟からブレザーに変わる学校が増えたため、徐々に着帽を義務付ける学校が減少し、今となっては全国的にもごく少数になったとのことだ。

昔は髪の長さからズボンの裾幅、詰め襟のカラーの高さや丈の長さまで細かく規定されていたものだが、今は子どもたちの自由、人権が優先されるようになったのだろう。

以前、ワンプが住んでいた隣の家はずっと空き家になっていた。

もと住人であるワンプのお母さんの話しによると、別の町に暮らす家主さんがリタイヤして帰って来るらしいとのことだった。

春になって急に業者が内装工事を始めたので、いよいよ帰ってくるのだと思っていたら工事の終了と同時に 『貸家』 の看板が設置され、あっという間に入居者が決まった。

今月の初めに引越し作業が始まって久々に窓に明かり灯り、少しずつ荷物が増えていった。

どうやら近くから引っ越してきているらしく、業者ではなく自分たちで少しずつ荷物を運び、掃除をしながら徐々に居住空間を整えているようだ。

そして約 20日間が過ぎ、もう引越し作業も終わったものと思われるが、隣に越してきた人はまだ挨拶に来ない。

今の時代、都会であれば引越しの挨拶をしない人の方が多いだろうが、この田舎町、さらアパートではなく一軒家に住むとなれば昔から言われる 『向こう三軒両隣』 くらいには挨拶する人が大多数なのだが、まだ一切の会話がないため名前はおろか、家族構成も正確には分からないままである。

家を出て一年になったとなりの店マユちゃんだが、美容師になる道を諦めて今はネイルアートの勉強中だ。

専門学校か講座に通っているのか、この 4月に試験があるとのことで、数日前に帰省して親である妹ちゃんや、伯父であるお兄ちゃんを相手に爪を磨いたりアートしたりと練習して行ったものと思われる。

美容師とは違ってネイルは座り仕事なので、マユちゃんのガラスのようなもろい腰への負担も軽いだろうから技術を身につけて天職となることを願う。

そして、いつの日かとなりの店の一部をネイルコーナーにしてマユちゃんが帰って来てくれたら嬉しいではないか。

今年は去年と比較して新一年生の数が少ないように思う。

そして、四つ角のうち黒柴リュウくんが立つ角を通る新一年生は一人しかいないようだとお母さんが言っていた。

さらに不幸なことに、いつもおやつをくれる女の子は親の転勤でいなくなってしまったらしいので、リュウくんにとっては死活問題と言っても過言ではない。

この頃はさらに太り気味になってきたのでダイエットには良い機会かもしれないが。

真性雑感 第九版

真性雑感 ~目次~

先週に続いて本当の意味での雑感になるが、内容も先週からの続きが多いのは、どうにも納得できないことが多いからだ。

■ STAP細胞

まだ騒動が収まらないどころか泥沼の様相を呈してきた感が否めない本件だが、先週の雑感に書いたように、有りもしない STAP細胞を生み出したなどと大嘘をついても何も得するものがない以上、やはり小保方氏は作製できた、作製できるのだと信じたい。

記者会見が開かれた当日の独り言にも書いたが、論文の正確性がどうのこうのというより、STAP細胞が存在するか否かが鍵だと思われるので、小保方氏が提出していない実験ノート、彼女の頭の中にあるレシピを頼りにどこかの施設で作製してもらえば良いのではないだろうか。

そこで成功すれば論文を取り下げず、追加の完璧な論文を発表すれば良いことだと思われるので、マスコミが小保方氏のプライバシーや過去まで掘り下げて人格を否定するような報道など全くの不必要だし内容に価値などない。

どんなに変わり者であろうと、たとえいい加減な性格であろうと、本当に STAP細胞を作製できるのかだけが重要であって彼女がどんな人物であろうと何ら関係がないだろう。

今、一番注視すべきは彼女の粗探しではなく、技術の流出、国益だ。

このままマスコミの総攻撃に遭い、理研からも否定され、居場所を失った彼女を韓国や中国の企業が救い、そこで STAP細胞の作製技術が確立され、それにまつわるすべての関連技術、関連特許を抑えられでもしたら一大事になる。

ここは慎重に、論点を論文が正確かどうかということや、彼女がどんな人物かなどいう低次元なことから STAP細胞の存在の有無に絞り込むべきだろう。

くだらない争いや低俗な興味より国益を優先せよ。

■ 消費増税後

3月 31日と比較して 4月 1日の客足が鈍いという実に当たり前なことを伝えるバカなマスコミのことを書いた先週からの続きになるが、同じような報道は今でも続いており、百貨店の売り上げ上が前年同月比で 20%も落ち込んだとか、テレビの売り上げ台数が前年比で 30%も落ち込んだとか大騒ぎしている。

年度末、新年度と言えば異動の時期であり、新しく社会人になったり大学生になったりした人、人事異動で転勤する人が新生活を始める。

だいたいは 3月中に引越してしまうだろうが、新生活を開始して初めて必要になったり気づいたりすることもあって 4月になってからも一定の消費があるのが例年だろうが、今年は消費税が引き上げになる前にすべて買い揃えた人が多いだろうから 4月の消費が落ち込むのは当然だ。

また、3月中にあれだけ長期保存可能な食料品や日用品を買い漁ったのだから 4月の消費が落ち込むのも当然だし、家電だってあれほど買ったのだから翌月も買うアホはいなくて当然だろう。

3月のビールの出荷数は 30%以上の伸びで、今世紀最大とも言われてるのは増税前に買いだめをしてほしいという夫の切なる願いを妻が許可したためであろうから、4月になれば驚異的な下落を示すものと思われる。

買いだめというのは、当分の間は購入する必要をなくす行為である訳だから在庫が切れるまでの数カ月は消費が落ち込み、販売店の売り上げが落ちるのは自然の流れであるにも関わらず、どうしてマスコミはヒステリックにギャーギャーと大騒ぎするのだろう。

ほら消費が伸び悩んだ、ほら売り上げが落ちた、それ見たことか消費増税は失策だったと騒ぎ立てたいのか、消費者意識を誘導して本当に不景気にしたいのか、再度デフレ・スパイラルに戻したいのか。

■ TTP

農家、畜産農家を守るのは分かる。

国の自給率が下がることを良いとは思わない。

しかし・・・、が、しかしである。

コスト意識のない生産者が作る高いものをなぜ国民は買わなければならないのか。

そもそも米や小麦、豆類などを主食としている国や地域は、それが最も安価に入手できるから主食となった訳であり、その主食たる米をなぜ、何ゆえに高価格帯のまま維持することを国の政策としなければならないのだろう。

農家も保護されるのにすっかり慣れてしまい、経営の効率化、コスト削減などはまったく意識せず、一般の企業が目指す 『より安く、より高品質な商品をお届けする』 などというスローガンとはまったく無縁だ。

そもそも販売価格のみで我々消費者が米を入手できている訳ではない。

需給調整での米価格の高止まり、778%の関税による輸入米価格の高止まりなどによって消費者は 60キロ 9000円で買える米を 1万 5000円で購入させられている。

さらに減反政策に参加する全農家への戸別所得補償で税金を投入したりしていることから、価格と税で二重の負担を負わされているのが現状だ。

それで膨らんだ金額に対して 8%の消費税がかかる訳だから三重の負担と言っても過言ではないだろう。

一気に市場開放せよとまでは言わないが、近隣農家が集まって共同経営して大規模化するなり、異業種企業の農業参入規制をもっと緩和して稲作も可能なようにするなりして、まずは国内の米を安価に生産できるようにしてはどうか。

今でさえ美味しくて安心・安全な日本米は高価でもシンガポール、北京では飛ぶように売れているのだから、安価に作れるようになれば消費者層が拡大し、裕福層だけではなく一般消費者にまで需要は拡大するだろう。

とにかく、現状維持のまま 50年、100年と続けられるはずがないのだから、子の代、孫の代になっても農業が続けられるようにするかどうかは現役農家の人の意識にかかっている。

市場開放された時、国民が国産米に見向きもしなくなるようでは互いに不幸だ。

真性雑感 第八版

真性雑感 ~目次~

■ STAP細胞

先々週に書いた雑感の続きのようになってしまうが、今週初めの 1日、理化学研究所の調査委員会は小保方氏単独による研究不正があったと発表したが、それが事実だとするならば自分の常識の範囲から完全にずれた次元に小保方氏が存在することになる。

研究者であれば不正がバレバレの論文を発表すれば自分の地位を脅かすどころか失墜してしまうことは簡単に想像できるだろうし、世界の物笑いになることも、理化学研究所に迷惑をかけることも、日本の科学技術レベルが疑われることも、不正が簡単に見破られることも、STAP細胞が論文どおりには作り出せないことも容易に想像できるだろう。

それなのに、あえて不正をし、嘘をつき、世間をだますことを人は簡単にするだろうか。

決してそんなはずはないと自分は考えてしまうので、きっと STAP細胞は作り出せたのだろうし、論文も本人が主張しているように不鮮明な画像より綺麗な画像を使いたかったのかもしれないし、勘違いや手違いがあって論文に不備があるものの、その内容に間違いはないと信じたい。

人は意味のないことなどするはずがないので、この世に存在するはずもない STAP細胞を作り出せたなどと荒唐無稽な話しを主張するはずもないと願っている。

過去に何度も同様のことを考え、幾度と無く裏切られ、人は自分の思う常識とはかけ離れたことをすると思い知らされてはいるのだが・・・。

■ 消費増税前夜

同じく週の初めのニュースは消費税率が引き上げられる直前に消費者が奔走する姿を映し出していた。

そして翌日、マスコミは客足もまばらな店、ヒマそうなガソリンスタンドを取材し、客数が激減していて駆け込み需要の反動減が懸念されるなどとぬかす。

前日にしこたま買い物をしたのだから次の日にも買い物に行く人は少ないだろうし、前日に満タンにした車に給油する人もいないのは当然のことなのに、それをもって反動減などと大げさに騒ぐマスコミはどうかしている。

そもそも増税前の駆け込み需要もマスコミが 「いよいよ増税」、「来週から増税」、「明日から増税」 と煽動し、人々の焦燥感を増幅させた結果によるところが大きいのではないかと思う。

大騒ぎして事を大きくし、あたかも消費者心理による行動であるかのように報道するなど正にマッチポンプの典型ではないだろうか。

■ 調査捕鯨

日本の調査捕鯨は国際法に違反するとして、オランダの国際司法裁判は中止を命じた。

そのニュースが駆け巡った時のマスコミの反応はお粗末極まるもので、鯨料理を出す店に行って 「商売が成り立たなくなる」 と言う経営者の窮状を伝えたり、店の客が 「もう食べられなくなる」 などと言うインタビューを流す始末だ。

あくまでも調査捕鯨だと世界に向かって主張しているのに、国内では売ることができない、買うことができない、食べることができないなどと騒いでいる姿ばかり追うとは何ごとぞ。

今の時代、メディアの流す映像や文章はあっという間に世界にネット経由で伝播することくらい誰にでも分かることだ。

建前上は調査捕鯨と銘打って世界に理解を求めているのだから、それが禁止されたら学術的にどのような影響があるのかを問題視すべきであって、子供の頃から食べてきたものがなくなってしまうと嘆くオッサンの姿を映しだしてどうする。

こんなことをしているのだから、世界からの批難を浴び、建前でしかない調査捕鯨を禁じられても仕方ないだろう。

■ 津波注意報

以前までは津波注意報がでると、危険だと警告されているのにも関わらず海岸近くまで行って定点カメラに手を振る不届き者がいた。

先日発生したチリ沖地震によって日本でも津波注意報が発令されたが、今回は各地の定点カメラに映し出される景色に不届き者の姿はない。

津波がどれほど恐ろしいものか、どれほど速く駆け上がり、どれほどの勢いで地上の物を飲み込んでいくかを 3年前の東日本大震災で目の当たりにし、多くのことを学んだ影響か。

さすがにあれだけの経験をした後では海に行って津波が来るのを見ようなどというアホはいなくなったようだが、いずれまた大災害のことは人々の記憶から消えるだろう。

この恐ろしさ、この悲惨さを語り継がなければいけないとは思うが、それを風化させずに教訓とするのは難しいのかも知れない。