この季節、天気の良い日は花見をしながらの昼食というのがここ数年の定番となっており、ソメイヨシノから始まって昨日の八重桜までずっと楽しんできたが、いよいよシーズンも終わりだろう。

芝生に敷物を広げ、ボ~っと桜とツツジを見ながら弁当を食べていると足元からアリがよじ登ってきたので払いのけ、落ちて敷物の上を歩きまわるアリをつかまえて遠くに放ったりしていた。

実は数日前に別の場所で花見をしながら食事をしていた時もアリの奇襲を受けた。

顔に何かが当たったと思ったら弁当の中をアリが歩き回っていた。

きっと木の上から落ちてきたのだと思われるが、その理由が分からない。

足を踏み外して木から落ちる間抜けなアリなど見たことも聞いたこともない。

だとすれば何らかの意思を持って木の上から飛び降りたのだろうか。

それは食べ物に目がくらんだからであって、高所の恐怖より食欲がまさり、弁当めがけて決死のダイブとなったのかも知れない。

潔癖症ではないのかと思えるほど衛生面に過敏な現代人であればアリが歩きまわった弁当など捨ててしまうかもしれないが、子供の頃から自然の中で育ち、野生の木の実やヒマワリの種などをボリボリと食べ、草や土を触った手でお菓子をわしづかみにして食べていた自分にとっては気にすることでもないので、米粒の上のアリをつかまえて遠くに飛ばし、そのまま食べ続けた。

それでもめげずにアリはやって来て足の上などを歩き回る。

子供の頃であればプチッとつぶしてやるところだが、大人になるとなぜか殺生をためらうようになり、アリが来るたびに手で払いのけたり手のひらに乗せて遠くに投げ捨てたりするのが鬱陶しいとは思うものの、殺してしまうという選択肢はない。

食事の邪魔さえしなければ良いのであって、息の根を止めてやりたくなるほどの憎しみも怒りもないのである。

家の周りにもアリが歩いていたり、たまには家の中に侵入してきて部屋の中をウロウロしたりしているが、そんな時も殺さずにつかまえて窓から外に追い出すようにしており、なるべく殺生しないようにしている。

子供は残酷な生き物であるから、何も被害を受けていないのにただ歩いているアリを足で踏み潰したり、巣穴に水を入れて慌てふためくアリを悪魔のように見つめていたり、爆竹で巣穴ごと吹き飛ばしたりして遊んでいたが、大人になった今は残酷なことをしようとは思わない。

ただ単に家の中に侵入してきたり食べ物の上を歩かなければ良いのであって、身の回りのアリを根こそぎ退治してやろうなどとは思わない。

ある程度の駆除までは妥協するにせよ、根こそぎ駆除する必要はあるのか。

そういう点から考えると、アリの巣コロリとかは必要なのか。

窓とか玄関などに塗ったり噴霧して虫の侵入を阻止することができる薬品があれば良いのだが、蚊とかハエに効果があるものはあってもアリにも有効なものがあるのか分からない。

足や腕でモゾモゾ動き回られるのは鬱陶しいが、そもそもアリは害虫なのだろうか。

もちろんシロアリなどを放っておくと家が朽ち果てるので問題だが、普通の黒い働きアリなどは他の虫の死骸を片付けてくれたりするので、むしろ役に立っているような気がする。

そんなこんなで食事中に現れたアリを見て、子供の頃を思い出したり殺生の必要性を考えたりしながらボ~っとした時間を過ごした金曜の午後なのであった。

記憶 Memory-10

過去の記憶

少子化が進んだことと、最近の子供は塾通いで忙しいことと、家の中で遊ぶ子供が増えたことなどが重なりあって近所で遊ぶ子供の姿と声が消えてしまった。

自分が子供の頃は習字やそろばん、柔道や剣道といった、いわゆるお稽古事というのはあったが学習塾などというものは存在すらせず、放課後のグラウンドや近所の公園、広場や草むらには多くの友達がいて遊ぶのに苦労しなかったものである。

そして、そんな子供たちを見ている大人も必ずおり、誰かが怪我をすればどこからともなく現れて薬を塗ってくれたりしたものだ。

自分の子も他人の子もなく同じように可愛がり、同じように叱りつけたリしていた。

そんな時代に育った自分は近所に大勢の友達がおり、その数だけ母親や父親がいるのも同然だったので、いろいろな場所で可愛がられたり叱られたりする。

悪さをすれば他人の親にだろうと尻を叩かれたし、頭にげんこつをもらったりしたが、自分が悪いと分かっていたので親にも言わなかったし、たとえ言ったところで
「おまえが悪いからだっ!」
と言われ、他人の親と自分の親から二重に叱られる羽目になり、見事に墓穴を掘る結果となってしまっていた。

同級生はもちろん、上級生も下級生もなく一緒に遊び、友達の家にあがりこんでおやつを食べさせてもらったりすることなど日常茶飯事だった。

そんな中、国道沿いの一軒家に住む老夫婦が自分とどういう関係だったのか今も分からない。

玄関に金網のかごが置いてあり、その中でリスを飼っていたので、それを見たくて遊びに行っていたのかもしれないが、その家には同じ年代の子供はおらず、お爺さんとお婆さんが二人で暮らしていたように思う。

田舎の家であり、のどかだった当時は玄関に鍵などかかっておらず、好き勝手に出入りしても叱られたり文句を言われたりしなかった。

その家にはしょっちゅう遊びに行って勝手に部屋に上がり込んだりしていたが、老夫婦はニコニコしながら
「おや、来たのかい」
と言ってジュースを飲ませてくれたりおやつを食べさせたりしてくれた。

同じ年代の子供がいないので家の中には遊ぶものもないし、老夫婦と会話が弾むはずもないのだが、勝手に家の中をウロウロしたり巣の中からなかなか出てこないリスをジーっと見たりして、飽きると帰るということを繰り返していたはずだ。

その家の数軒先に新婚さんの住む家があり、新婚さんゆえに同じ年代の子供などいるはずもないのだが、その家にもかなりの頻度で遊びに行ってはお菓子を食べさせてもらったりしていた。

そして自宅の裏にも新婚さんが暮らしており、そこにもよく遊びに行っては何か食べさせてもらっていた。

子供の頃、親は
「この子は食が細く、あまり食べないので体が弱い」
と心配していたものだ。

しかし、実のところは、いろいろな家でたらふくおやつを食べていたので、晩ご飯など入るすき間が胃袋になかったというのが実情だった。

そして、その事実を親は今でも知らなかったりするのである。

閉塞感

この日本に漂う閉塞感はなんだろう。

国民の誰もが明るい未来を想像できない。

将来の年金制度はどうなってしまうのか。

この国の社会保障制度はどうなってしまうのだろう。

今の教育制度のままだと国際競争力のある人材は育たない。

今の制度のままだと地方の疲弊は進むばかり。

このままだと日本そのものが競争力を失い、資金が流入しなくなる。

世界市場を相手にしている大企業は日本に本社を置く必要性を失い海外移転。

日本から輸出するものがなくなり、貿易赤字国に転落。

輸入大国になるも、肝心の輸入資金が枯渇して買い付け不能に。

資源の調達を国内に頼るも、すでに第一次産業である農林業、漁業、鉱業が崩壊し、著しく自給率が低下しているため食料もエネルギーも不足。

生きるための奪い合い、略奪や強奪が横行し犯罪率が悪化。

弱肉強食、腕力だけがものをいう時代が訪れ、警察や司法が無力化。

法秩序をもたず世界常識の範疇にない国へ・・・。

悪夢のような未来像だが、誰も否定したり一笑に付したりできないくらいのリアリティを持っているのではないかと思う。

何かが変わらければ暗黒の未来へのカウントダウンは止まらない。

変わらなければいけないのは日本人そのものであり、今までとは違う意識で国を率いるリーダーを選ばなければいけないのだと思う。

つまり、今の政治を変えなければ、官僚システムを変えなければ奈落の底に落ちるのを止めることはできないのではないだろうか。

民主党幹部はこれから先も一年は政権を維持し、来年夏に衆参同時選挙を実施したい考えなのだそうだが、このままの状態で政権を維持できると思っていること自体が無能な証拠だ。

そもそも民主党に政治を任せようとした時点で国民の意識は変わった。

いや、変わったからこそ自民党や官僚に国の命運をかけることはできないと判断し、脱官僚をかかげた民主党を選んだ。

変われなかったのは国民ではなく政治家のほうである。

ならば再び選択するしかないが、現状のままでは民主党政権だろうと自民党政権だろうと大差なく、日本が変われるとは思えない。

だから大阪の橋下市長が率いる維新の会が注目を集めるのだろう。

彼の政治手法や人柄、思想がどうであっても構わず、ただ現状のシステムを破壊さえしてくれたらそれで良いのではないだろうか。

その後の再構築で誤った方向に向かいそうになったら民主的プロセスで再び指導者を選択すれば良いのだから。

そのためには維新の会に力をつけてもらう必要がある。

だとすれば、選挙を急ぐより民主党幹部の思惑どおりに来年の夏まで時間をかけ、維新の会内部も国民の意識も熟成するのを待ったほうが良い。

多少は独裁的で強引なくらい力強く方向性を示すことができるリーダーが必要とされている。

橋下氏を全面的に応援している訳ではないので、できることなら小泉進次郎、河野太郎、渡辺喜美あたりも力をつけて、現状の日本のシステム破壊に一役買ってほしいと願っているが。

デジタル化の波 Signal-12

デジタル化の波 ~目次~

デジタルデバイドとはパソコンやインターネットなどの情報技術を使いこなせる人と使いこなせない人の間に生じる待遇や貧富、機会の格差のことで、情報格差とも言われる。

現在は就職活動もデジタルが中心で、ネットが使えなければ採用情報すら得ることができず、企業の情報や評判、仕事内容や職場の雰囲気も計り知ることができない時代になっており、新卒はもちろん転職を希望する人にもパソコンやネットに関する一定の知識が求められる。

最近ではテレビやラジオのプレゼントもネット経由での募集が多くなり、以前のようにハガキでの応募は皆無に近くなってきた。

募集する側も何千通、何万通というハガキが送られてくると、個人情報の保護が厳しく求められる昨今では管理するのも廃棄するのも手間がかかるので、一瞬にして削除可能なデジタルデータが便利だろう。

おまけにクイズに回答して応募するような形式であれば、クセ字、悪筆、乱筆または達筆すぎて解読困難な文字と格闘する必要がなく、答えの当たり外れも容易に分類可能なデジタルデータが好まれるのは当然のことだ。

したがって、これから先もデジタルが中心となってハガキで応募するようなアナログな方法はなくなっていくだろうから、デジタル機器やネットを使えなくては参加資格がないのも同然ということになる。

デジタルテレビの双方向機能を使ってクイズに参加したりプレゼントに応募する番組も少しずつ増えているが、我が母のように新しい機能になど一切の興味がなく単なるテレビとしてしか使っていない人には無縁のこととなってしまう。

ネットを利用して通販で買い物をできる人であれば、どんなに辺ぴな僻地に住んでいようとも欲しい物を手に入れることができるが、それができない人がどうしても欲しい物を手に入れたければ相当な労力と資金を使い、遠くまで行って買い求めなければならない。

もっと身近な話題で言えば、大型店の多くが導入しているポイント制や電子マネーを利用するのもデジタル化の流れに乗らなければ特典を得るのが難しくなっている。

例えばイオングループのデジタルスタンプ、『イオンかざすサービス』 は携帯電話やスマートフォンでネットを利用し、おさいふケータイや電子マネーに関する多少の知識がなければ利用不可能なサービスだ。

このサービスは毎週異なる商品の割引サービスを受けられたり、集めたスタンプを電子マネーであるWAONポイントに交換できたりする。

ただでさえ電子マネーを使うとポイントがたまるのに、スタンプまでポイントに交換でき、対象商品は割安に購入できるという倹約家にとって嬉しい限りのサービスなのだが、それもこれも利用できるのは電子機器を使い、ネット接続してアプリをダウンロードできる人でなければならない。

実に小さなことではあるが、これも立派なデジタルデバイドであり、待遇や機会の格差が生じていることになる。

今は新聞折込チラシではなく、お得な情報をネット配信している店も増えているので、それを閲覧できなければ、いつ、どこで、どのようなセールが行われているのか、何がお買い得なのかという情報すら手に入れることができなくなってきている。

時代はますます進み、変革し、使える人と使えない人の情報格差はこれからも広がっていく一方だと思われる。

年齢とともに新しいものに対する食いつきは悪くなっているものの、まだ少しずつでも新しいものに慣れていっている我が家は、何とか時代に取り残されずについて行けているが、それをいつまで続けられるかに関してはあまり自信がないかも知れない。