自分解体新書 - 5 -

自分解体新書 ~目次~

■ 鼻毛

北海道のような空気のきれいな土地に住み始めたのと時期を同じくしてタバコをやめたのが原因なのか、鼻毛が伸びなくなったように思う。

もちろん毛根などは生きているので少しずつは伸びるのだが、大阪で暮らし、タバコを吸っている頃より明らかに伸びるのが遅くなった。

鼻毛という奴は、寝ている間に伸びるものなのか、それともクシャミをするとボッと一気に伸びるものなのか、とにかく気を付けていても知らぬ間に伸びて鼻の穴からチロッと姿を現したりし、人様にぶざまな姿をさらしたのではないかとドキドキさせてくれたりするものである。

その生育の遅くなった鼻毛にも白い毛が混じり、老化をつくづくと思い知らされたりする訳だが、もしかすると白い鼻毛が知らぬ間に伸びて、鼻の穴からチロッと姿をのぞかせても目立たず、人に見つからないのではないかと期待しないでもない。

■ つむじ

つむじが二つあると、つむじ曲がり、放浪癖がある、浮気性、意地悪、やんちゃ、気性が荒い、気難しい、関西圏では、わるさでゴンタでイチビリなどと、散々な言われようでるが、自分の場合は何とつむじが三つもあったりする。

頭頂部に二つ、デコとの境目ギリギリに一つ。

つむじが二つでさえ、ろくな事は言われないのに三つもあるとなれば超つむじ曲がり、大泥棒、超浮気性でハーレム状態となりそうなものだが、実のところは大泥棒にもなれなければ、一夫一婦制を堅持する小心者だ。

つむじ曲がりだったり気性が荒かったりするかもしれないが、普通の人と大差ない程度であって、それがもとで大きな混乱を招いたことも身を滅ぼしたこともない。

広く言われていることが、どれくらい当たっているのか統計学的、行動学的に調べていただきたいものである。

■ ヒゲ

今さら変化があるはずもなく、相変わらずヒゲは濃くならずにポヨポヨと生える程度だ。

鼻の下も薄く、口の横にいくにしたがって少し濃く、そこで途切れてアゴに生えているだけで、泥棒ヒゲのように口の周りを一周しない。

頬にも生えないのでモミアゲとつながらず、イチローのようにも FRBバーナンキ議長のようにもなれなかったりする。

毎日剃るほどは伸びてくれないので、2-3日に一度の割で 5分ほど口の周りとアゴをジョリジョリすれば終わりだ。

楽なことこの上ないが、ヒゲをファッションとして楽しむことができない。

松本人志のように、ちょっと無精ヒゲに見えるような雑な感じのヒゲ面になってみたい気もするが、それは夢のまた夢、絶対にかなわぬことだったりするのである。

マサルノコト scene 29

マサルノコト目次

若い頃はとにかく酒を呑んだ。

以前から何度も書いている通り、子供の頃から真面目一本だったマサルは大人になってからもタバコやバクチには無縁だったが、酒だけはよく呑んだ。

自分もそうだが酒に飲まれることはなく、かなり量が進んでも乱れず言語明瞭で、人からは飲み方が足りないと言われることもしばしばであり、滅多なことでは記憶をなくしたりしないタイプなのはマサルも同じだった。

マサルが遊びにきても、帰省して田舎で会っても常に酒を酌み交わし、朝方まで盛り上がったものである。

自分の住む町にマサルが遊びに来た際、家族のように接してもらっていた行きつけの焼き鳥屋で一升ずつ日本酒を呑んだこともあった。

夫婦で切り盛りしている店の一角にある小上がりは、普段は使用されずに夫婦の荷物置場になっているのだが、落ち着いて呑みたいと座敷に上がりこんで料理に舌鼓を打ちながら酒を流し込む。

ひとしきり話をして会話が途切れたところでふと見ると、将棋盤と駒のセットがあった。

マサルも自分も将棋の駒の動かし方くらいは知っているが、そんなに詳しい訳でも本将棋が好きな訳でもなく、おまけに乱れないとは言え酒に酔った状態でまともに指せるはずもないので、子供の頃を懐かしんで将棋崩しなどをやりはじめた。

知っての通り、将棋崩しというのは盤の中央に駒を積み、音を立てずに端まで移動させた駒を自分のものとして、どちらがたくさん取れるのかを競うものだ。

二人とも酔っているので細かな作業をするのが難しく、おまけに酒で三半規管がマヒしかかっているので少しくらいの音がしても聞こえやしない。

まともな勝負などできる状態ではないが、これも酔った勢いなのか、互いにブツブツと文句を言いながら何度も何度も勝負を続け、時間の経過と共に酒も進むので、どんどん判定があいまいになってくるという訳の分からないことになった。

そして、気づけば空になった一升びんが二本、畳の上に転がっていたという訳である。

それが若さのピークであり、それからは体力も下り坂を転げ落ちるように減退してしまったので、朝まで呑み続けるパワーもなく、酔いが回るのも早くなり、酒の量は増えるどころか減っていくという誠に経済的な体になった。

マサルと最後に酒を呑んだのは、もう10年以上も前のことだろうか。

いや、もしかすると15年以上前になるかもしれない。

ここ数年間は電話ですらまともに話しをしていないが、この歳になって酒を酌み交わしたらどうなってしまうのだろう。

もしかすると、小一時間もすれば料理で腹が満たされ、日本酒でも飲もうものならすぐにベロベロになってしまい、ろくに会話が成立しないかも知れない。

依存症

禁煙して 1000日を越えた。

タバコを止める気などさらさらなく、10年以上前の雑感にも書いているように人類最後の喫煙者になるつもりでいたのだが、2008年の7月に前言を撤回し、禁煙を開始してみると自分でも驚くくらいピタリと止められたのである。

もちろん、少なからずニコチンに依存していたので多少の辛さはあった。

一人で禁煙を始めたら挫折していたかも知れない。

極端にイライラすることもなかったが、何十年も習慣になっていたことは簡単に止められるはずもなく、食事の後、風呂上り、起床時、そして仕事が一段落した瞬間には無性にタバコが吸いたくなったものだ。

この家に越してきてから換気扇の下で吸っており、タバコも灰皿もその場所に置いたままにしていたので、ついフラフラと近寄って行っては自分が禁煙中だったことをハタと思い出す。

もう吸ってしまおうかと挫折しかかったのは数える程度で、だいたいはスゴスゴと席に戻り、ポコポコとキーボード打っていた。

止めようと思ったのは大病を患ったことが発覚した 『お買い物日記』 担当者の禁煙で、それなりに大きなインパクトのあるできごとがきっかけとなっていたし、それからの入院生活、それに合わせて宿泊施設での寝泊りと、朝から晩まで病院内で過ごすという非日常的な生活が禁煙の辛さを忘れさせてくれたのが成功の要因かもしれない。

去年の10月から税が大幅にアップし、2倍近い価格にタバコが値上がりした際、多くの人が禁煙に挑戦したが、今でも続いているのは 2割以下だという。

そろそろ再出荷となるが、震災の影響で一カ月近くタバコの供給がストップしていたので再び禁煙に挑戦した人もいるだろうが、果たしてどれくらいが成功に至るだろうか。

禁煙は、それほど難しいものであるのに一度で成功することができたのだから、その幸運を素直に喜ぶべきだろう。

そして、タバコ程度のものですら止めるのが難しいのだから、性欲、食欲と同様に本能の一部になってしまう麻薬への依存を断ち切るのは並大抵のことではない。

とにかく、腹がへったとか、眠いとかと同等のレベルでクスリが欲しくなり、食べなければ、眠らなくては生きられないのと同じようにクスリなしでは生きられなくなってしまうらしく、逮捕されても何度でも再犯を繰り返してしまう。

よく言われるように、二度と止められなくなるくらいなら最初から手を出さないのが吉であり、覚せい剤にまでエスカレートしないよう、大麻やマリファナ、非合法のドラッグにも手を出さないということが本当に重要だ。

アルコール依存症というのもあるが、自分の場合は依存率は高くないものと思われる。

酒の力を借りるのは、何日も眠れなかったり高ぶった神経を落ち着かせるくらいなもので、何かの行動をおこすために酒の力を借りることはない。

また、連休とあらば 7日間でも 10日間でも晩酌するが、平日に酒を呑むことは滅多にない。

もしも何らかの病気で医者から酒を止められたら明日からでも苦労せずに止められるだろう。

自分は男であるし、『お買い物日記』 担当者も大きな興味はないようだが、女性の中には完全に化粧に依存している人がいる。

もっと綺麗に、もっと美しく、もっと美白に、もっとシミを目立たなく、もっとシワを目立たなく・・・と、どんどん厚塗りになっていく。

中には原型をとどめない特殊メイクでも施したのではないかと思える人もいる。

それが一定の年齢以上であれば理解できなくもないし、化粧もせずに外出するなどもってのほかと言いたくなる人もいるのは確かだが、中学生や高校生であれば話は違う。

ところが芸能人の影響なのだろうが、今はどこからどう見ても子供顔なのに目の周りを真っ黒にして真っ赤な唇をした女の子が多い。

若い頃はそれだけで十分であり、隠すべきシワもシミもないのにベタベタと化粧をしなければ人前に出られないなどというのは、自己による歪んだ美意識に他ならないだろう。

それぞれ美意識が異なるため一概には言えないが、若い子の化粧は自己の欲求を満たすためだけだと思われるので、どんどんエスカレートする前に依存症から脱却し、一定の年齢になるまで厚塗りは控えたほうがよろしいのではないかとオジサンは思ったりしている。

記憶 Memory-06

過去の記憶

小さいころの記憶として、何度かの祭りの記憶が残っている。

生まれ育った町は当時活気に溢れていた。

日本海側とオホーツク海側、双方からほぼ中央に位置し、周りを山に囲まれていたので林業も盛んで、近くには小さいながらも炭鉱があり、酪農も盛んで乳製品を製造する雪印の工場などもあったため、水産物、材木、石炭、乳製品を輸送するための鉄道網が発達し、近郊の町から町へと集配する要となっていた。

そのため人口は増加の一途をたどり、子どもの数も少子高齢化の現在では信じられないほど多く、一学年 7クラスで 1クラスは 50人以上という状態だ。

町全体にエネルギーが満ちているので祭りも賑やかで、夏祭りのほかに、さっぽろ雪まつりを模して雪像を何基も作成した冬祭りも開催されていた。

その規模はなかなかなもので、一日では回りきれないほど出店や屋台が並び、路上は人で溢れ、迷子のアナウンスが引っ切りなしに流れるほど人で賑わったものである。

街の活気も祭りの規模も大きかった幼き日、神輿の後に獅子舞が連なって進むのを沿道で見ていると、同じような年頃の子供達が獅子舞に頭をカプッとかじられ、鬼のような形相で泣きわめいていた。

父親にか母親にか忘れてしまったが、「獅子舞にかじってもらうと頭が良くなるんだよ」 と教えられたので獅子舞が近づくのをドキドキしながら待っていた。

確かにちょっと怖かったが、頭を食べられてしまう訳でもなく、カプッとされた子どもの頭から血が流れ出ている訳でもないので一大事には至らないと子どもながらに判断していたように思う。

獅子舞が通り過ぎた後は、多くの子どもが泣き叫ぶ地獄絵図のようになっていたが、自分は早くカプッとしてもらいたくてニコニコしながら待っていたのではなかろうか。

いよいよ目の前に獅子の顔が迫ってきたときも、怖がるどころか真正面から凝視していたため、パカッと開いた口の中にオッサンの顔があるのがハッキリ見えた。

それまでニコニコして待っていたものの、獅子の中にオッサンの頭部があるのを見たとたん、どこかの誰かが頭を食いちぎられ、獅子が丸飲みしたものが見えたのだと思って気絶しそうになったのを覚えている。

獅子が去ったあとに 「これで賢くなるね」 などと親に話しかけられたが気もそぞろ、目には獅子の腹の中にあったオッサンの生首が焼き付いている。

それからしばらくは放心状態のままヨタヨタと親の後を歩き、さきほど見たおぞましい光景を親に伝えようとしたところで恐怖心がよみがえり、その時になってやっと涙がでてきた。

親としても獅子は架空の生き物で中に人が入って動いているとは説明しにくかったのか、オッサンの顔があったことを涙ながらに必死に訴えかけても 「気のせいだ」 の一点張りで、なにも認めようとしない。

それからしばらくの間、獅子の腹の中で不気味にニヤリと笑うオッサンの顔が頭から離れず、トラウマとなってしまったのは言うまでもない。

もう一つの祭りの思い出として、互い違いになった傾斜をカプセル入りの薬を大きくしたような物体がカタカタと下っていく、どうということもない玩具に目が釘付けになり、ずっと立ち止まって見ていた記憶だ。

幼少の頃からあれがほしい、これがほしいと駄々をこねることがなかったと聞いているが、その時も父親から 「ほしいのか?」 と聞かれるまで見入っていたという。

「どうせすぐに飽きるんだから」 と言われて諦め、大人しく先に進むのだが出店では同じようなものがアチラコチラで売られているので、その玩具を目にするたびに足を止めてジーッと見つめる。

そんなにほしいのならと、買ってもらったその玩具は完成品が売られているものではなく、その物体が転がり落ちる傾斜した台を組み立てなければならなかった。

帰宅してすぐ両親は食事の支度やら何やらを始めてしまったので組み立ては後回しになったらしいのだが、いざ食事の準備が整ってふと見ると、幼い自分がカタカタと物体が転がるのを見てニコニコしているので腰を抜かさんばかりに驚いたという話しだ。

母親は不器用なので組み立ててやるはずがなく、父親も一切手を触れていないと言う。

残る可能性はまだ幼稚園にも行っていない子どもが一人で組み立てて勝手に遊んでいるという信じがたい状況だが、両親ともに手を貸していないので、それが事実なのであろう。

説明書など読めるはずもないので、祭り会場で凝視し、記憶した完成形を基に手探り状態で組み立てたに違いない。

その記憶はハッキリ残っているし、母親は今でも何かの折にその話を持ち出すので母子ともに強いインパクトを持って覚えているのだろうと思う。