デジタル化の波 Signal-7

デジタル化の波 ~目次~

音も映像もデジタル化が進み、アナログの持つ温かみが失われつつあると嘆く向きもあるが、今回の大震災でデジタル化の恩恵をつくずく感じることができたのも事実だ。

第一に被災地の状況が、ごく短時間のうちに全国に伝わる。

もちろん、物理的に人が移動して現地の映像を撮影したり音を録音するのはアナログ的作業なので、その体制が整うまでは一定の時間が必要だった。

しかし、準備さえ整ってしまえばハイビジョンの鮮明な映像、生々しい声が届けられるのはデジタル化されたデータが衛星を経由してテレビ局に送信されるからだ。

過去には日付が変わる頃に締切りを迎えていた新聞の原稿も、今は電子写植となったのでデジタルデータがそのまま印刷可能となり、深夜まで編集作業をすることができる。

おまけに記者は情報を新聞社に届ける必要がなくなった。

過去には取材を終えて社に帰り、写真を現像して手書きのメモから記事を起こすというアナログな作業を必要としたが、今では現地で対応できる。

ICレコーダーに録音した記者会見の内容を音声認識ソフトでザクっとデジタル文書化し、それに修正を加えて推敲ソフトで誤字脱字がないかチェックすれば原稿のできあがりで、デジタルデータとなっている写真と共にネット経由で送信すれば完了だ。

テレビ報道では様々な人が撮影した津波に襲われる様子が放映されているが、それもデジタル化が進んだ結果として誰でも容易に動画撮影することができるようになったからだろう。

8ミリの時代、ビデオテープの時代では、これだけ多くの映像は残らなかったに違いなく、小さなムービーカメラ、携帯電話の動画撮影機能があればこその恩恵である。

地震発生時の様子をとらえたテレビ局内の映像、設置カメラによる外の映像、コンビニなど店内の様子が録画されているのもデジタル化のおかげで、映像圧縮技術と大容量ハードディスクドライブ(HDD)の力が大きい。

過去はビデオテープの交換が必要となり、一度に2時間とか3時間しか記録することができず、防犯カメラや定点カメラの映像を何日分も保存しておくことなど不可能だった。

今はHDDに 10日分でも 20日分でも映像を残しておくことができるし、一定期間を過ぎた部分に上書きすることも可能なので物理的に壊れるか、停電にでもならない限りは録画状態のまま放置しておける。

実に便利な世の中になったものだ。

そして、もうひとつ痛感したのは生体認証システムの必要性だ。

災害で通帳、印鑑、キャッシュカードはおろか、クレジットカードまで失い、銀行から現金を引き出すことすらできずに困っている人が多い。

郵便局も含めた各行は本人確認さえできれば 10万円まで、20万円まで預金を引き出せる措置をとっているが、免許証、保険証、パスポートや住基カードなど、身分を証明書するものすら持っていない人が多いだろう。

そこで役立つのが生体認証システムで、目の虹彩、指紋、静脈、人相などで本人確認することができる。

一時期、キャッシュカードの偽造が横行した際に東京三菱銀行を筆頭に ATMへの搭載が進められたが、その後に犯罪が振り込め詐欺にシフトしてしまったことと、カードを再発行するたびに生体情報を登録しなければいけないという煩雑さから普及にブレーキがかかってしまった。

しかし、今回の件を機に認証システムの低価格化、普及スピードが加速することを望む。

たとえ通帳や印鑑、身分証明証、カードがなくても自分の体が役割を果たすことができる。

こちらに越してきてから取引している銀行は生体認証システムを持っているが、面倒なことと必要性を感じなかったことから登録していない。

しかし、万が一に備えて登録しておくべきだろうと 『お買い物日記』 担当者と話しあったりしているところである。

プロフェッショナル

やはり餅は餅屋、本当のプロというのは凄いものである。

少し前の独り言に書いたように、最近は仕事中にスカパーの音楽専門チャンネルの音だけを聴いていることが多い。

好むと好まざるとに関わらず、一方的に曲を押し付けられる感も否めないが、同じ曲を繰り返し聴いているより飽きないし、なかなか良い具合ではある。

流行している K-POPの少女時代や KARAの曲を毎日のように聴かされるのも何ではあるが、なかなか良くできたメロディーだと感心させられてしまう部分も多い。

一昔前まで韓国の音楽といえば日本の曲をそのまま頂いちゃった系のものだったり、アメリカの曲をキムチ味にアレンジしてみました系のものが大半を占めていたが、国内だけではなく日本市場、アジア市場までも見据えた曲作りができるプロが育ってきたのだろう。

日本では音楽産業の低迷が続いているが、その K-POPと秋元康が率いる AKB48プロジェクト(4KB48、SKE48、NMB48、SDN48)だけは元気がよろしい。

スカパーを聴いていても AKB48関連の曲が実に多い。

しかし、単なる流行、オタク向けアイドルといった偏重や偏見を抜きに AKB48の歌の詩を見てみると、やっぱりプロが創ったものは違うと感心してしまう。

日本の音楽シーンにはジャリタレに毛の生えた程度のアーティスト気取りが横行しているが、まともに詩を書けず、少女漫画の主人公が書く日記みたいなものばかりなのでオッサン、オバチャンには共感できる内容ではない。

たとえば今のシーンズは卒業をテーマにした曲も多く、AKB48も 『桜の木になろう』 をリリースしているが、その詩の世界は奥が深く、校庭に咲く桜の木が視点となっている。

そして、大雑把に言えばその桜の木が心の、そして人生の目印となるという内容だ。

桜の木になろう』(©秋元康/横健介/AKB48)

この卒業をモチーフにした場合、アーティスト気取りの中途半端な芸能人は愛だの恋だの、別れだのと脇腹が痒くなるような詩になるか、とにかく頑張れ人生に負けるなといったメッセージ・ソングになるのがオチだろう。

そんな程度の歌が乱発されるのだから CDだって売れるはずはなく、たとえ単価の安いダウンロードだって数が伸びるはずがないものと思われる。

心に届きもせず、響きもしない詩など聞く価値もない。

日本人も感性が豊かになり、過去とは比べものにならないくらいメロディアスな曲を作れるようになったのは認めるが、詩の内容が幼すぎる感は否めないので、やはりその道のプロフェッショナルに作詞を依頼すべきではないだろうか。

音楽業界もアーティスをを甘やかさず、もっと厳しい目で評価し、育てていくべきだと思う。

東北地方太平洋沖地震

とてつもない規模の地震が発生してしまった。

呑気に雑感など書いている場合ではないのである。

この町も海沿いにあり、海岸近くの地域には避難勧告がでていたほどだ。

今回の地震は阪神淡路大震災の180倍の規模。

それだけではなく、10メートルを超える津波、連鎖する大型地震。

現代日本社会が初めて直面する 『巨大複合型災害』 になってしまった。

地方によって呼び名は異なるようだが、過去の経験から緊急時に食糧や飲料水を支援する協定を結んだスーパーやコンビニも迅速に対応し、システムは機能しているようだ。

地震国なので経験値が高いということもあるだろうが、国民性によるところも大きいだろう。

地震直後、棚から商品が散乱したコンビニで買い物する人たちの姿が映し出されていたが、棚に残った商品から自分が必要な分だけ買い物かごに入れ、きちんとレジに並んでいる。

ここで暴動や略奪がおこったり、他人のことを考えずに食糧などを買い占める人はいない。

さすが日本人。

今回の災害に関しては世界も見守っているものと思われ、そういう日本の国民性をも見ることになるだろう。

まだ余震などが続くものと思われるが、冷静な行動が求められるところだ。

災害の規模、範囲はとてつもなく大型、広域であるため、まだまだ被害の全容は把握できていないが、災してしまった方々のご無事をお祈りするとともに、不幸にして命を落としてしてしまった方々のご冥福をお祈りしたい。

2011年大阪の旅 -3-

2011年大阪の旅 -2-

大阪滞在三日目。

いよいよ大阪最後の日となったが、ホテルのチェックアウトは 12:00までとゆっくりできるし、飛行機の出発も 16:05と時間にかなり余裕がある。

そこで、大阪の観光でもしようかと思ったが、バスで通天閣まで行ってガイドさんの説明を聞いて戻ってくるというプランだと時間が足りない。

もちろん USJに行って遊ぶ時間も吉本新喜劇を見る時間もない。

そこで、JR大阪駅近辺で時間をつぶそうと、梅田スカイビル最上部の空中庭園に行ってみるか、HEP FIVEの観覧車にでも乗ってみるかと思案したところ、若者向けの商業施設である HEP FIVEであれば、朝から混雑していることもなかろうという結論に至り、ブラブラと地下を歩いて行ってみることにした。

大阪に十数年も暮らしていて、HEP FIVEには足を踏み入れたこともなかったのでたどり着くまで少し迷ってしまったが、何とか 10:00くらいには建物の入口に立つことができた。

ところが案内板を見てみると、すべての営業開始が 11:00となっている。

若者は朝早くから行動しないだろうという読みは当たっていたが、その施設まで朝が遅いというところまでは考えが及ばなかった。

カフェにでも入って 11:00の開店を待とうかとも思ったが、それから観覧車に乗ったりして遊んだ場合、チェックアウト時間である 12:00までにホテル帰ることができるか微妙なところだ。

そうなったら今から空中庭園のある梅田スカイビルまで移動して、庭園を散策してホテルに戻る時間があるのかも微妙な感じになってくる。

しばし考え、目の前にあった 『水野真紀のMaki’s魔法のレストラン』 でも紹介されたという店で焼きドーナッツを購入し、とぼとぼと歩きながらホテルに戻った。

それからは、ホテルでボ~っとしていても仕方がないと、さっさとチェックアウトして関空に向かう。

どやらそれが良かったようで、となりのお店ワンプの住む反対隣りのお宅用のおみやげなどを、ゆっくりと時間をかけて見ることができたし、ぼてじゅうでお好み焼きを食べることもできたし、喫茶店に入ってじっくりコーヒーを飲むこともできた。

ぼてじゅうでは隣の席に外国人カップルが座り、ベラベラと英語で会話をしていたので日本語のメニューが分かるのか心配したが、注文をとりにきた店員さんに女性のほうが日本語でオーダーしていた。

おまけに出てきたお好み焼きをコテで切り分け、見事な手つきで箸を使っていたのでなかなかの日本通らしく、余計な心配をして損をした気分になってしまったではないか。

心配された天気も回復して雲の間から青空がのぞき、新千歳空港の雪もあがって離着陸とも問題なさそうだ。

ここでも晴れ男は幸運に恵まれた訳である。

途中で気流が乱れることもなく、順調に飛行できたため予定時刻より少し早く到着したことが幸いし、あきらめていた早い時間の電車に乗ることもできた。

しかし、金曜の夜ということもあって電車はえらい混みようであり、デッキにまで人が溢れている。

これから一時間以上、疲れてはいるが立って帰らなければいけないと覚悟を決めたが、次の到着駅で目の前の座席にいた母娘が降りていったのですぐに座ることができるという幸運にも恵まれたのである。

今住んでいる町に到着したのは 21:00少し前で、昼食をして以降、何も食べていないので途中のコンビニで何か買おうという目論見と、北海道のわりに寒くもなく、風も穏やかだったので駅から自宅まで歩いて帰ることにしたのだが、帰り道の商店街では道路の両側をロウソクで照らす 『キャンドルの小径』 というイベントが開催されていた。

その中をキャスター付きのカバンをコロコロ引いてゆっくり歩きながら帰宅できたのも幸運だ。

今回の旅は本当に幸運続きで、大きなトラブルもなく目的を達成し、会いたい人に会って来ることができた。

またいつか、何年後になるかは分からないが、大阪を訪れることが出来ればと思う。

それまで皆さん元気にしておられることを心から願いつつ。