デジタル化の波 Signal-6

デジタル化の波 ~目次~

やっとデジタル薄型テレビを購入し、その能力を堪能している訳だが、あまりにも機能が多すぎてすべてを理解するに至ってはいない。

まずはデータを受信して地域のニュースを見てみたりイベントの情報を得たりしているが、これがなかなか便利である。

出不精なのでイベントがあっても出かけることはないが、何が行われているのか知っておいて損はない。

さらに便利に使っているのは天気予報。

もうNHKローカル局の天気予報を見逃したとしても困らない。

いつでも数時間先の予報まで表示しているし、週間天気予報だって見られる。

おまけに我が町の現在の気温まで分かるとあっては、テレビ番組としての天気予報など必要ないと感じてしまうほどだ。

今までもパソコンがあり、ネットでいつでも天気や気温など確認できたが、わざわざテレビの前からパソコンに移動しなければならなかったので少々面倒を感じていたところにこの機能である。

テレビ局と双方向にデータのやり取りができるため、クイズに参加したり視聴者プレゼントなどにテレビ画面から応募できたりもするのが凄い。

ただし、あまりクイズ番組も見なくなってしまったし、バラエティも何もかも見る番組が極端に減っているのでプレゼントそのものをやっているのかどうかも分からないのが難点だ。

テレビとブルーレイやDVDもデジタル制御されているのでリモコンひとつで様々な操作ができる。

ブルーレイが見たい場合もテレビ画面から操作すれば自動的に電源が入ったり再生、早送りなどの操作も可能だ。

我家の場合はずっと海外ドラマのDVDを観る日々が続いているので、この機能の恩恵を存分に受けている。

2008年の8月に購入した HDD/DVD レコーダと、今回の BDレコーダを合わせると 4番組が同時に録画可能なので年末年始の特番の録画に頭を悩ますこともなく、画質にこだわらなければ何百時間でも録画できるので番組を選ぶ必要もない。

そんな状況になったにも関わらず、すでにテレビに興味を無くしてしまい、録画してまで見たい番組がそれほど無いものと思われるのが実に悲しいところだ。

いつかテレビ業界も我に返り、初心に返り、原点に帰り、楽しい番組作りをして頂ければと願ってやまない。

そして最近の家電はネットワーク対応になっており、LAN接続すればネット回線を利用して様々なことができる。

パソコンで見ているWebページをそのまま閲覧することもできるし、掲示板やブログへの書き込みだって可能だ。

ただし、文字入力はリモコンボタンを使って携帯電話の文字入力と同様の操作をしなければならないので面倒である。

やはりキーボードに慣れているのでそちらの方が圧倒的に使いやすい。

そのネットワーク経由で様々な映像配信サービスを受けることも可能で、まるでレンタルビデオのように好きな時間に好きな映画を楽しむことができる。

タイトル数はそれほど多くなく、配信料が 1作品300円前後なのでリアルの世界のレンタルビデオにかなわないが、店がない過疎地などではかなり優良なサービスになり得るだろうし、利用者と事業者が増えて競争が激化すれば価格も下がってコンテンツも充実してくることだろう。

我家の場合は義兄から借りている大量の海外ドラマがあるし、撮るだけ撮って見ていない映画も数十本はあるので当分の間は映像配信サービスを利用することはないものと思われる。

さて、我が家のデジタル化は進み、様々なサービスや機能に触れてみたものの、ここまで書いてきたように有りがたみを実感できるシーンはそれほど多くはない。

実は今まで、テレビ本体のBS受信機に難があり、毎晩決まった番組を見る際にはテレビを外部入力にし、ビデオセレクターのスイッチを切り替え、ビデオデッキの電源を入れ、そこでBSのチャンネルを選択するという面倒な操作が必要だった。

テレビを買い換えて最も喜んでいるのは、その操作から解放され、リモコンボタンひとつで目的が達せられるという、実にアナログな部分だったりするのであった。

自分解体新書 - 3 -

自分解体新書 ~目次~

■ 目

この雑感や管理人の独り言で、ことあるごとに触れているが、視力の低下は加速度的に進んでいるようであり、昨年末に購入したメガネの使用頻度も比例して増えているのが現状だ。

14日の独り言に書いたようにパソコンに向かう時もメガネをかけた方がハッキリと画面を見ることができるのは事実だが、焦点をあわせる必要があるらしく、少し目に負担がかかっているようで疲れやすい。

妙な見え方をしているのは以前と変わらず、ある一定の距離だけが見づらいだけで遠くの景色とかは相変わらず裸眼でハッキリ見えている。

100メートル以上離れると道路標識や信号機、歩いている人が男性か女性か、散歩させている犬の種類は何かまで識別可能だし、遠くの山にある建物、道を走る車、木々に葉は有りや無しやも見えているのが不思議でならない。

散歩をする際、試しにメガネをして家を出たことがあるが、極端に視界が広がったりクリアになったりすることはなかった。

いったいどういう状態になってしまったのだろう。

老眼の状況も進み、読書の際の本と目の距離はどんどん離れていっている。

相変わらず布団に入ってからも本を読んでおり、その際には腕を伸ばして距離を保たなければならないが、それは日を追うごとに遠く離さなければいけなくなっていて、そろそろ腕の長さも限界に達しようかという状態であるのに加え、冬を間近にして手が鬼のように冷たい。

そろそろ就寝前の読書をやめるか、枕元に老眼鏡を常備しなければいけないお年頃になってしまったのだろうか。

■ 耳

聴覚はそれなりに衰えてきており、年齢によって聞こえる周波数が異なるのを利用したモスキート音も、歳相応の範囲しか聴き取ることができない。

若者がたむろするのを防ぐためにコンビニの駐車場などで音を発生させている場合もあるようだが、そんな中でも平気でスタスタ歩ける自分が嬉しいやら悲しいやらだ。

キーンという甲高い神経に障る音に耐えられないから若者は退散するのだろうが、この歳になるとキーンのキの字も聞こえない。

テレビでその音を流していたのだが、10歳までにしか聞こえない音は隣にいた中学生くらいの子にも聞こえないという実に興味深い結果で、確実に年齢によって聞き取れる周波数がことなることが証明されたことになる。

ちょっと若い気がしていた自分も確実に対象年齢の周波数になるまで聞こえなかったので少しガッカリだったが、『お買い物日記』 担当者は対象年齢の音ですらギリギリ聞こえる程度だったらしく、横でションボリしていた。

先食い

先月末に購入したデジタル家電が昨日の午後に納品された。

これでやっとデジタル生活の仲間入りである。

来月からエコポイントが半減されるので、我が家と同じように慌てて家電を購入する人が多いらしく、メーカーがフル生産しても供給が追いつかずに納品まで一カ月待ちという製品も多いらしい。

配達に来てくれたお兄ちゃんの話しによると、今年の猛暑に音を上げ、もし来年も暑かったら耐えられないという理由で北海道だというのにエアコンを購入する人が多く、もう雪がちらつくこの季節になっても取り付け工事のために飛び回っているという。

温暖化がどう影響するか分からないが、今年のような猛暑は 40年に一度らしいので、次に耐えられない暑さが襲ってくるまでに購入したエアコンは使い物にならなくなっていると思うのだが。

デジタル薄型テレビは前年同月比 4.6倍、エアコンが 3倍、時期はずれとなった冷蔵庫ですら 40%増という売れ行きだ。

しかし、エコポ半減となる来月以降、また、エコポが終わる来年 4月以降に襲ってくる反動は並大抵のことではないものと思われる。

来年 7月にアナログ放送が終了することもあり、エコポ効果も加わってテレビを筆頭に需要の先食いが起こっているに過ぎず、それはエコカー補助金の効果で自動車販売台数が驚異的に伸びたのと同様に一過性の現象に過ぎない。

業界としては売上減に対処すべく方策を検討中らしいが歯止めをかけるのは無理だろう。

家電など、よほどの新しもの好き以外は10年は使い続けるものと思われるので、これから先 10年間はメーカーにとって冬の時代が訪れるに違いない。

それがテレビ、エアコン、冷蔵庫にまで及ぶのだから事態は深刻だ。

省エネ化、薄型軽量化が極限まで進み、3Dにまで技術が及んでしまったので、これから先はテレビに劇的進化が起こるはずもなく経年劣化による故障以外は買い替え需要は望めないだろう。

同じく省エネ化が進み、熱交換率も高まり、フィルター自動掃除機能が付き、空気清浄、除湿・加湿機能まで備わったエアコンにこれから革命的進化が望まれない以上は買い替え以外に需要は望めない。

そして、それは冷蔵庫にも同様のことが言える。

景気浮揚のきっかけさえつかめずにいる日本、消費者の目が肥えて中途半端な技術革新には目を向けない日本、そして贅沢を望まなくなった日本で家電を売るのは並大抵のことではない。

アメリカやヨーロッパでは韓国勢にシェアを奪われた日本メーカー、中国やインド、ベトナムなどのアジア圏では存在感を示せずにいる日本メーカ、行き着く先は衰退しかないのではないか。

エコカー減税は続いていても、補助金が打ち切りになった自動車業界も辛い。

以前は 3年とか 5年周期で車を買い換えていた日本人も、特に若者にとって車を持つことがステータスではなくなったこともあり、その周期はどんどん延びて今や 10年など珍しいことではなくなった。

家電と同様に今後 10年は冬の時代が訪れるだろう。

家電とは異なり、今は技術的優位性を保って世界で販売台数が増え続けている日本車メーカーだが、それがいつまで続くのかは疑問だ。

あと10年もすれば電気自動車が一大産業として立ち上がることだろう。

その時、今のパソコンと同様にメーカーがメーカーである必要はない。

エンジンが汎用品のモーターに代わり、ガソリンタンクが汎用品の電池に置き換わるので心臓部は重要な意味を持たなくなる。

つまり、部品さえ調達すれば誰でも車を組み立てられることになる。

これからの 10年、日本という小さな市場には多すぎる家電メーカー、自動車メーカーは一気に淘汰が進み、生き残れるのは 1社か 2社になるかも知れない。

感謝の気持ち

この歳になって急に善人になった訳でも宗教に目覚めた訳でもないのだが、やはり感謝の気持ちというのは大切であると思うし、それを相手に伝えると双方が軽い幸せを感じることができるという点において、重要とは言わないまでもちょっとした心のふれあいがあって良いものだと思う。

それというのも今朝のこと、近所のスーパーで買いたいものが安売りになっていたので 『お買い物日記』 担当者と出かけたところ、店内には食欲をそそる美味しそうな香りが立ち込めており、そのスーパーの一角で販売されている産地直送の野菜を作っている農家の主婦が、いつも買ってもらっていることを感謝して豚汁を無料で振舞っていた。

遠慮なくそれを頂いたところ実に美味しく、感謝の気持ちを込めて
「ごちそうさまでした」
と挨拶してその場を去った。

その方たちの作る野菜は毎朝届けられる新鮮なもので、さらにしっかりと野菜本来の味がするとても美味しいものであるにも関わらず、一般に流通しているものより割安で売られている誠にありがたい作物であって、むしろ消費者であるこちらこそ感謝すべきものだ。

それなのに、その作物をふんだんに使ったものまで食べさせてもらったのでは頭が上がらないではないか。

こうやって互いに感謝すれば悪い感情など持つはずもなく、むしろ互いに小さな幸せを感じることができる。

大袈裟な感謝ではなくても、何かしてもらって嬉しいと感じれば素直に
「ありがとう」
と言えば良いのであるが、言い慣れない人は照れくさいやら恥ずかしいやらで、そのたった一言が口から出ないものらしい。

我家の場合は 『親しき仲にも礼儀あり』 を心得て、礼を言うのが日常となっている。

立っているついでに何かを取ってもらったとき、コーヒーやお茶を入れてもらったとき、手の届かない背中を掻いてもらったとき、どんなささいなことでも
「ありがとう」
と言うし、
「ありがとう」
と言ってもらっている。

夏の暑い時に食事を作ってくれてありがとう、水の冷たい冬に食事を作ってくれてありがとうと普通に礼を言うし、『お買い物日記』 担当者が偏頭痛などで寝込んでいるときに食事の用意をすればありがとうと言ってもらえるのが我が家の日常会話だ。

自分がリクエストした料理を作ってくれればありがとうと言うし、たまに作れば
「美味しいの作ってくれてありがとう」
と言ってもらえる。

我家の場合は財布はひとつなので何を買うにも金の出所は一緒なのだが、CDやゲームなど自分のものを買ってもらったとき、靴や洋服など 『お買い物日記』 担当者のものを買ったときは互いにありがとうと礼を言う。

いつも 『ありがとう』 の五文字を口に出しているので、言うことに恥ずかしさも照れくささも何の抵抗感もない。

互いに感謝を口に出すので諍いもおこらない。

仕事で何かを頼んだら、それがコピー取り程度のことであっても、相手が部下や新人であってもやってもらったことに対して
「ありがとう」
と言ってきたし、それで職場の雰囲気が良くなりこそすれ、悪くなったことなど一度もない。

何の苦労もせず、金もかけずに暮しが平和になるのだから感謝して損はない。

昔は喧嘩ばかりして、ろくに話もしなかった母親だが、子供の頃から口に出して礼を言うようにしつけてもらったことに対してだけは感謝しなければならないだろう。