やっと地デジ化

昨日の独り言にも書いたように、ついに、とうとう地デジ対応液晶テレビを購入した訳であるが、思えばここに至るまでに丸四年の歳月を要したことになる。

今は更新をやめてしまったが、以前は欲しい物をリスト化して優先順位をつける 『納得!買っとく?メモっとく』 というページを作成していた。

そこにテレビが登場したのが 2006年11月17日だが、それから多くの月日が流れたものだ。

今回、購入するに至った理由はアナログ放送の終了まで一年を切ったことと、エコポイントが 12月から半減されることが大きい。

それでも 11月中に買えば良いと鷹揚に構えていたのだが、こちらに引っ越して来てから何度か利用している家電量販から会員割引の案内が来たので行ってみることにした。

セール期間を通して限定 5台の大型液晶テレビとブルーレイレコーダーが目玉であり、通常では考えられない価格が提示されている。

それが手に入るのであれば仕事を中断して朝一番で行ってみる価値があると判断し、当日は開店時間前に店に行くと決定したが、いくら何でもセール開始日は金曜日という平日であり、仕事をしている人も多いだろうから早くから並んでいる人などいないだろうと目論んだ。

そして当日、気合を入れて開店時刻 10分前に店に行くと入り口付近には長蛇の列。

みんな何を求めて並んでいるのか分からないが、たった 5台のテレビやレコーダーが目当てだとすると、どう考えても入手不可能だと思われる。

一瞬は諦めて帰ろうかと思ったが、せっかく来たことだし価格調査だけでもしておいてイザとなったらネット通販で購入すれば良いと思い直して列の最後尾に並んだ。

すると、列を整理している店員さんが
「限定品のテレビは完売で~す」
と叫び、
「ブルーレイはまだ在庫がありま~す」
と続け、
「テレビ以外をお求めの方は右に、限定品を購入される方は左の二列でお並びくださ~い」
と案内している。

並んでいる人の間にどよめきが起こり、しぶしぶながら右に移動するひとが大勢いた。

どうしようかと考えたが、超特価限定品のブルーレイだけでも買えたら良いと思い、そのまま左の列に並んで店内に入るとカウンターにいた店員さんに
「整理券はお持ちですか?」
と尋ねられたので慌てて外で列の整理をしていた店員さんのところに行って
「整理券が必要だと言われたんですけど」
と問い詰めると
「いえ、大丈夫ですよ」
と言いながら店内に案内され、ブルーレイが積まれている場所で
「あ、最後の一台ですね」
と言いながら製品と交換できる券を渡してくれた。

最後の一台を手に入れられるなど、なんとラッキーなことかと喜び、その店員さんに
「テレビは完売ですもんねぇ」
と尋ねると
「20V型は完売ですけど 46V型はまだあります」
と言われた。

こんなラッキーなことがあって良いのかと喜び勇んでテレビ売り場に急ぎ、そこに居た店員さんに
「限定品のテレビがほしいんですけど」
と言うと
「すでに完売してしまいました」
という答え。

「たった今、まだあるって言われたんですけど」
と食い下がると店内無線で何やら話し、
「最後の一台があるそうです!」
と言って早足でテレビが置いてある場所まで移動し、何とか確保するに至ったのである。

テレビもブルーレイも最後の一台。

外で案内していた店員さんが
「20V型は完売です」
と言わず
「テレビは完売」
と言ったため、並ぶのを諦めた人が大勢いたに違いない。

その小さなミスによって我が家に幸運が転がり込んで来た訳であるが、実はこのような経験は初めてではない。

その昔、テレビゲームの 『ドラゴンクエスト』 が大人気となり、学校を休んでまで行列に参加して手に入れようとしたり、手に入れられなかった人が強奪するなどという事件まで起こって社会現象とまで言われた時期があった。

その中でも一番の人気を博し、出荷量の不足から初日の入手は極めて困難と言われた第三作を買おうと玩具店の列に並んでいたのだが、入荷量は配送されてからでなければ分からず、並んでいる人のどこまでが手に入れられるのかも分からない状況だった。

時は冬、寒さに耐えながら並んでいると列の中ほどで何やらもめ事が起こり、舌戦から肉弾戦へと発展して大喧嘩が始まった。

すると中から店主が現れ、
「お前らみたいな奴には売ってやらん!とっとと帰れ!!」
と一喝し、暴れていた十数人が列から離れた。

そして店が開けられ、入荷した数だけ整理券が列の最初から手渡されると、なんと自分に最後の一枚が渡され、店主が
「良かったねぇ~」
と満面の笑みで言い、後続の人たちに
「これで最後で~す、これ以上は並んでも買えませ~ん」
と大声で叫んだ。

どういう訳か、こういう事に関しては妙に運が良いのである。

この運がもっと人生とか仕事に役立てば良いのだが、なかなかそうはいかないものだ。

とりあえず4年越しの目的であったデジタルテレビを手に入れることはできた。

あとは11月中旬に配送されるのを待つだけである。

デジタル化の波 Signal-5

デジタル化の波 ~目次~

いろいろなシーンで深く静かに広がっているデジタル技術だが、クレジットカード、電子マネーもそれの最たるものである。

昔は衣料品、バッグやアクセサリーなどの専門店、ちょっと格式のあるレストラン、ホテルくらいしか利用できなかったクレジットカードも、今や地方が地盤のスーパー、薬局、しまいには新聞の購読から公共料金まで決済が可能となり、100円単位の小額決済まで可能になったことから利用範囲は大きな広がりをみせている。

また、ネット通販の利用が増えたこともクレジットカードの利用率向上に関係しているだろう。

我家の場合、以前は 『いつもニコニコ現金払い』 をモットーにしており、クレジットカードを持っていたが、海外旅行で使う程度で普段は財布の厚みを増しているだけの邪魔な物でしかなかった。

ちょっと値の張る洋服を購入するときも現金で支払い、家電製品など大きな買い物をするときですら必要な金額を用意して現金で支払っていた。

カードを使うと現実感に乏しいため、金銭感覚が麻痺してしまって無駄な買い物が増えそうで怖かったのが一点と、カードローンの支払いに困って生活に破綻をきたす人や、借金地獄におちいる人のことなどをテレビで見て、意志の弱い自分がカードなど使うようになったら同じ道をたどってしまうのではないかという恐怖があったのでカード利用に二の足を踏んでいたのである。

そして、『お買い物日記』 担当者も同じくカード利用に消極的だったので我が家では長らくカードよりも現金が幅を利かせていた。

ところが今では買い物の多くでクレジットカードを使うようになった。

そのきっかけは 2008年2月、大阪から北海道への転居を決め、さまざま支払いにカードを使ったことだろう。

引越しにかかる運送関連の支払い、他界した義兄が闘病していた病院近くに借りたマンスリーマンションの支払い、居を移したことによって不足している様々生活物資の調達費、冷蔵庫など家電製品の購入、新型パソコンの購入、その他もろもろの支払いなど、銀行に行って現金を引き出すヒマもないくらいバタバタしていたこともあって可能な限りカード決済にして難局を乗り切った。

また、『お買い物日記』 担当者が大きな病気をしたときの入院費、治療費、入院に必要な品々の購入費、そして看病する自分の生活費など、ありとあらゆる場面でカードを利用し、抵抗感が薄れていったこともある。

そして、話しを聞くと長兄夫妻が実に賢くカードを利用しており、使い方によっては得になることを教えられたことも大きい。

それからというもの、カード利用で得られるポイントが 2倍になる日を選んで買い物をしたり、公共料金からネット関連の支払い、電車などの交通費、新聞代や処方せん薬局での支払いにいたるまで、何でもかんでもカードを利用するようになった。

近所で利用頻度の高いスーパーは3軒ともカードが使えるし、ドラッグストアや家電量販店はもちろん使える。

そんなこんなでカード使いまくりという状況にはなったが、ローン地獄におちいることは避けたいという思いに変化はないので、すべて一回払いにして破綻から身を守ることだけは忘れていない。

クレジットカードと併せて急速に普及しているのが電子マネーで、イオン系のワオンやクイックペイ、大阪であれば ICOCA、東京であれば Suicaなど、使える場所がどんどん増えている。

この街で JR系のカード利用はないが、ワオンやクイックペイは便利に使わせてもらっている。

雑誌の購入からファストフードでの食事まで使えるところは全て電子マネーだ。

最近まで利用頻度の高いコンビニは現金のみだったが、ついにクイックペイが使えるようになったので、普段の生活では現金を持つ必要がなくなってきた。

これで定期的に通院している病院での支払い、百円均一の店がクレジットか電子マネーを導入してくれたなら、まったく現金を持つ必要がなくなる。

加速度的に進むデジタル技術が基板となって急速な広がりを見せる電子マネー。

あと数年もすると、子供への小遣いも携帯電話の電子マネーにチャージするのが普通になり、近所のたばこ屋さんから八百屋さんに魚屋さん、おばあちゃんが店番しているような学校近くの小さな雑貨屋さんにまでカード決済が導入され、この世から現金が消えるかも知れない。

そうなった時、街頭に立つ共同募金など成り立たなくなってしまうのだろうか。

路上ライブやパフォーマーで金を得るのは困難になるのだろうか。

善意を期待して座っているホームレスはどうなるのか。

神社などのお賽銭は・・・。

そう考えると現金の流通がなくなることはないのだろうか。

自分解体新書 - 2 -

自分解体新書 ~目次~

■ 脳

脳のシワの数は確実に減っているか、うっすらボンヤリしてきているのではないだろうかという不安に襲われることが多くなった。

物忘れは加速度的にひどくなっている。

過去に何度も書いているが、芸能人の名前など聞いたそばから忘れいく。

AKB48のメンバーの名前など一人も分からない。

モーニング娘。もすっかり入れ替わってしまって誰が誰だかさっぱり分からない。

若い女優、グラビアアイドル、俳優、モデルなどさっぱりだ。

最近の子で知っているのは佐々木希とJOYくらいなものか。

カタカナなんぞ最初から覚える気もないのでK-POPや韓流スターなどチンプンカンプンである。

いつも独り言に書いているように最近は海外ドラマばかり見ているが、実のところ 20話近くまで進んでやっと役名を覚えているような有様だ。

しばらく違うドラマを見てから過去のドラマの新シリーズに戻ったりすると、すっかり役名を忘れていて思い出すのに 2-3話を要したりする。

携帯電話の普及も影響しているのだろうが、電話番号も覚えられなくなった。

いや、メモリーしておけば済むので最初から覚える努力をしなくなったという言うべきか。

昔は友達 10数人分くらいの電話番号くらい記憶していたし、その他に仕事の取引先の番号だって数件分は記憶していた。

それが今となっては自宅の電話番号すらなかなか覚えられない。

引越して2年以上過ぎた今になって、やっとインプットすることができたが、それまでにどれだけ頭が空っぽになったことか。

その、やっと記憶した自宅の電話、仕事で使っている電話番号、実家、叔母の電話番号・・・、今現在、脳に刻まれているのはこの 4つの番号くらいなものだ。

お買い物日記』 担当者の携帯番号はおろか、自分の携帯番号すら何番だか分からないという、実に恐ろしい状態に陥ったりしているのである。

■ まぶた

何だか少しずつ二重が大きくなってきたような気がする。

実は左右の大きさが異なり、左まぶたの二重の方が大きい。

ずいぶん以前のことになるが、目がかゆくてこすっていたら三本目の線ができてしまい、日が経つと今までの線が消えて新たにできた線による二重まぶたが形成されてしまったのである。

最近は眼精疲労もひどくなり、パソコン画面を見続けて夕方になると目がショボショボしてくるが、そんな時に鏡を見ると右目に三本目の線が出現していることが多い。

左まぶたと同様のプロセスをたどり、二重が大きくなって左右のバランスがとれるのであれば文句はないが、たまに左目にも新たな線、つまり第四の線が現れていることもある。

もし右目の二重が大きくなっても左目がさらに先を行けば、いつまで経っても左右非対称な状態が続くではないか。

まあ、この歳になると二重が大きかろうと小さかろうとバランスが悪かろうと気にする必要もなく、どうでも良いことではあったりするのではあるが。

それよりも心配しなければならないのは、まぶたが引力に負けてたれ下がることだ。

知り合いのお爺さんはまぶたが垂れ下がり、開閉する筋力も衰えたことから視界が狭くなりすぎ、手術でまぶたを切除していた。

そうならないようにするにはどうすれば良いのか。

まつ毛に重いものでもぶら下げて目をパチパチして鍛えるのか。

ネットで検索してみると、まばたきを自然ではなく、わざと何度もするというのがあったが、効果の程はいかがなものか。

とにかく目の周りにメスが入るなどということは、想像しただけで全身の力が抜けてスライムみたくなるので何としてでも避けたいものだ。

いざとなったらまぶたを持ち上げたままデコからセロテープで止めておけば良いかも知れないが。

自分解体新書 - 1 -

自分解体新書 ~目次~

■ 毛髪

白髪化は順調に進んでいる。

いや、この場合は順調ではない方が好ましいのだが、本人の意思を無視してニョキニョキと白髪が姿を現す。

やはり季節要因だったのか、今は抜け毛の量が減っているものの、夏のはじめはシャンプーのたびにモッサリと毛が抜け落ち、それの 80%は黒髪だったのだが、独り言にも書いたように生えてくる髪は白い毛ばかりだ。

これも独り言に書いたが、実の母や血のつながった叔母にまで
「去年はグレーで良かったけど今年は真っ白になった」
などと言われる始末だ。

実を言うと若い頃は白髪が増えることを望んでいた。

今は見るも無残に老け込んでいるが、当時はどちらかと言えば童顔で、年相応に見られたことがなく、仕事で人と会って商談などしていても年齢と役職に見合わぬ風貌なのが気になっていた。

少し白髪も生え始め、それが日を追うごとに頭部全体に広がり始めた頃、ロマンスグレーと呼ばれる色調か、ひと思いに白髪になってしまった方が貫禄があるように見られるのではないかと思っていたのである。

確かにそう思い、白髪化を望んだ自分がいるのは事実だ。

しかし、いくら何でも、誰がこれほどの勢いで白くなれと言った。

今は少しでも黒髪が維持されるよう望んでいるが、本人の意志は完全に無視され、浴室の排水口には黒い毛が渦を巻いて別れの挨拶をしてくれている。

■ 眉毛

高齢になると眉毛にも白い毛が混じっている人もいるが、今のところその兆候はないようだ。

ただし、毛の量をなんとか維持している頭と異なり、若い頃と比較て眉毛は薄くなってきたように思う。

ちょっとヤンチャをしていた頃はご多分にもれず眉を剃ったりしていたが、今はそんなことをしなくても薄く細くなってしまった。

たまに精力の衰えを象徴する極太のオッサン眉毛が鬼のような速度で伸びてくるが、そんな目障りで老化の象徴のような毛は有無を言わさずバッサリと切り捨ててやっている。

■ まつ毛

2007年の10月を最後に、あれから白い毛は生えてこない。

どうやら白くなった毛は毛根から抜け落ちてしまったようだ。

数ミリしかなく、たった一本の白い毛だったが、眼球のすぐ近くにあるため常に視界に入り、妙に気になる存在だった。

右目のさらに右端で光が乱反射し、気になって仕方ないのだが抜いてしまうのは気が引けるという微妙な立場を有する白い奴なのである。

過去を調べてみると、白い毛が生えたのは 2003年、2007年と 4年周期になっているので、その4年後である来年、2011年に再び姿を現すかも知れないと少し期待したりしているところだ。

上述の毛髪と同様に毛が白くなるのは銅ミネラルの不足も一因らしいが、子供の頃から貧血気味だったことを考え合わせると自分は銅ミネラルを吸収しにくい体質であり、それと加齢が加わって一気に白髪化が進んだのではないだろうか。

さりとてこの歳になってから慌ててミネラル補給を試みても、すでに手遅れなのは人から言われなくても十分に自覚していたりするのであった。

秋の味覚

食欲の秋である。

夏に食欲がなくなる訳でもなく、年がら年中腹を空かせているので秋になったからと言って特別なことなどないはずではあるのだが、やはり美味しい食材が出回るこの季節になると普段の数倍ほど腹の虫が騒ぎ出す。

大阪で過ごした 13年と 5カ月間、最初の 2-3年は夏バテし、食事もノドを通らなかった。

かろうじて体が受け付けるのは冷たい麺類。

来る日も来る日もソウメン、ウドンを食べていると今度は味に飽きてしまう。

薬味を変えてみたり、食べ方を変えてみたりしてみたが、とうとう麺の味そのものを体が拒否するようになってくる。

仕方無しにご飯を無理やり口に運ぶのだが、なかなかノドを通らない。

味噌汁で流し込むようにしていたが、驚くことに味噌汁でさえ飲み込むのが嫌になり、ついには何を食べたら良いものやら分からない状態に至る。

色々と試してみた結果、不思議なことに赤だしだけは抵抗なく飲めることが判明し、インスタントではなく赤味噌を購入して毎食の味噌汁を赤だしにして乗り切った夏もあった。

ある年からテレビの影響で毎日摂取する食べ物が少しずつ増え、その中のどれが効いているのか分からないが、夏バテを一切しなくなった。

どんなに暑い日が続き、冷房の空気が嫌いで除湿機能だけを利用して 34度前後の室内で生活しようと、滝のように汗が流れて眠れぬ夜を過ごそうと、時間になるとキッチリ腹が減ってモリモリ食べられる。

食べたそばから食物が熱エネルギーに変換されるのか、食事中は余計にダラダラと汗が流れ、食べ終わる頃にはサウナに 30分間くらい入っていたような状態になるが、それでも美味しく食べられ食欲減退とは無縁の生活を 10年ほど続けていた。

それでもやはり、暑さが過ぎて秋の気配が漂い、ジメジメとした空気から爽やかな風吹く季節を迎えると、それまで以上に食べ物が美味しく感じられたのは事実だ。

北海道で暮らしていた頃は本場でなかったことと、若かったこともあって興味を持たなかった食材も、大阪での生活で人に教えられたりして楽しみとなったものがある。

その一つは栗で、知り合いの方から毎年立派な丹波栗をいただき、美味しく食べていたので北に帰った今も秋になると無性に栗ご飯が食べたくなる。

こちらでは高級食材店にでも行かない限り立派な栗など一般に流通していないが、天津甘栗程度の大きさの栗であれば店で売られていることもある。

しかし、その流通量は極めて少なく、限られた店に限られた期間しか売っていない。

いつもこの時期になると買い逃してはならじと折り込みチラシに目を光らせ、虎視眈々と栗を狙っていたりする。

以前は流通網がそれほど発達していなかったこともあり、北海道の秋と言えば秋刀魚に秋鮭、ジャガイモにカボチャ、落葉きのこというのが定番だった。

それらすべては大人にとって嬉しい食材かも知れないが、子供の頃や若い頃は格別のありがたみを感じるものでは決してなく、むしろ地味な食べ物であって食卓にのぼっても喜ぶものではなかった。

しかし、今となってはそんな食材が美味しく、目の前に並ぶと嬉しくてたまらない。

先月はいただきものが多く、独り言にも書いたように冷蔵庫に入りきらないほど秋の味覚が充実していた。

その後に実家から送られてきたのはカボチャ大2個、ジャガイモ3kg、タマネギ3kg。

まだ一つ目のカボチャを食べきれずにいるところだが、今日の午前中に開催されていたイベントに顔を出し、先着順にもらえるズッシリしたものを受け取って中を見ると、カボチャが1個と 2kgはあろうかというジャガイモ、そしてニンジン数本。

二人で参加したので当然すべてが ×2だ・・・。

そんな訳で、我が家の食材はますます充実し、当分は食うに困らぬ生活ができそうである。