してはいけないこと

『してはいけないことは、できてはいけない』

これは、コンピュータ業界でよく言われることである。

ソフトウェアには不具合がつきものであり、それを完全に払拭することなど不可能に近いことで、どんなに動作検証をしたとしても世に流通して広く使われるようになると、思いもよらぬ手順で操作をする人が現れて検証では発見できなかった不具合が表面化することは多い。

そこで利用者から怒りのクレームがサポートセンターに寄せられたりするのであるが、その際に
「そういう操作はしないでください」
などと言えないのは当たり前だ。

一定の手順で問題が発生するのであれば、そいう操作ができない仕組みを施さなければならないのである。

ソフトウェアをインストールする際に使用許諾に同意するか否かの質問があり、[ 同意する ] というボタンをクリックしなければ先に進めないという手法は広く採用されているが、それと同じことで Bという作業をしてから Aを実行して不具合が発生するのであれば、Aが終わらない限り Bの作業ができてはいけない。

一社に限らず日本製品全体の品質まで問われる事態になりかねないトヨタ車の世界的なリコール問題にしてもそうで、自動車の床に敷くフロアマットが原因でアクセルが戻らなくなるとしても、トヨタは利用者に対して
「フロアマットは敷かないでください」
などと言えるはずもないだろう。

『してはいけないことは、できてはいけない』 という仕組みは、メカニックやソフトウェアであれば組み入れることが可能だが、現実社会ではなかなか難しい。

これから季節が進んで暑い時期になると水の事故なども増えてくると思われるが、毎年のように子供が 『立ち入り禁止』 区域に入って幼い命を失う事故があり、そのたびに管理者責任を問われたりもするが、『入ってはいけない所へは、入れてはいけない』 と要求するのは無理ではなかろうか。

立ち入ってはいけないのではなくて、立ち入れないようにすれば良いのは分かっていても、それが屋内であればドアに厳重な施錠をするなどの対策が可能だが、野外で広い土地ともなれば現実的には困難である。

危険区域を塀で囲もうが、有刺鉄線で取り囲もうが、子供などと言うのは好奇心の塊であるがゆえに、どんな手を使ってでも中に入ろうとするものだ。

塀は乗り越えるわ、有刺鉄線のすき間を狙うわと、大人が想像できないことをしでかす。

普通、大人であれば塀があれば入ってほしくないから塀があるのだと理解するし、その塀を乗り越えるなどというのはちょっとした犯罪者気分にならなければ実行できないものであるが、子供に対してそういう大人の常識は通用しない。

ちょっとした突起物でもあれば足をかけて塀をよじ登るだろうし、大人には小さく見える穴でもくぐり抜けてしまうので、莫大な予算を投じて危険区域を立派な塀で囲いでもしない限りは子供の侵入を防ぐのは無理だろう。

自殺の名所で自殺するなというのは難しく、『自殺してはいけないのなら、自殺できてはいけない』 と当てはめるのは無理がある。

包丁で人を切ってはいけないのだから、切れてはならない。

麻薬を使用してはいけないのだから、使用できてはならない。

人を殺してはいけないのだから、殺せてはならない。

授業中に騒いではいけないのだから、騒げてはならない。

電子レンジに猫を入れてはいけないのだから、入ってはならない。

・・・。

どれこもれも不可能なことばかりであり、しつけや教育の問題である。

最近では何でもかんでも管理者責任、製造責任などが問われるが、余程の欠陥を除き、使い方でなんとかなるものなら工夫して使えば良いし、自分のしつけや教育が悪いくせに、その責任を学校や管理者に押し付けるのはやめてもらえないだろうか。

このままだと世の中は、工夫することも考えることもできないバカばっかりになってしまう。

デジタル化の波 Signal-2

デジタル化の波 ~目次~

デジタル化の波は想像以上の大きさで、想像以上の速度で全世界を飲み込もうとしており、もはや人類はその勢力から逃れることなど不可能になってしまった。

電話の音声信号は携帯にとどまらず、固定電話もすでにデジタル化されており、気づかぬうちに必要のない周波数が削れられた状態の声を聞いたり送ったりしている。

来年の 7月にはテレビもアナログ放送が終了してデジタル化される。

今は地方によって放送内容が異なるテレビ番組もデジタル化によってネットの回線に乗せられる訳だから、大阪ローカルの番組を北海道で観たり、その逆だって理論上は可能な訳である。

それを実現するには高性能なサーバーと太い回線が必要になるなど、それなりの投資が必要になってしまうので予算の少ない地方局には難しいかも知れないが、基地局、中継局を建設するよりは遥かに低コストであるため、いずれはそういう時代となって北海道でもサンテレビが見られる日が来るかも知れない。

ラジオも少しずつデジタル化が進んでおり、ネットラジオの中継も少しずつ進んでいるので北海道でも地方局の放送が聞ける日が来るかも知れない。

以前の独り言に書いたように FM802が聴きたいのだが、現在試験運用されているネットラジオは地域限定でしかないし、実用化に至ったとしても北海道では聴けない可能性が高い。

全国配信するのに何の障害があるのか分からないが、技術的に難しいことではないので是非とも全国から聴けるようにしていただきたいと切に願っている。

テレビにしてもラジオにしても、地方価格で CMを流せば全国で視聴されるのでスポンサーは喜ぶだろうし、公共の電波に乗ることに変わりはないのだからタレントの出演料、音楽や映像の著作権料だって変わらないと思われるので、全国配信に大きな障害あるとは思えないのだが。

そうなれば実質上の縄張りがなくなり、北海道のテレビ局やラジオ局は東京や大阪の番組を相手に視聴率で戦わなければならないのだから辛くなりはするだろう。

しかし、そこで特色を出して生き残りを図ればこそ、今の漫然とした体質から脱却できるのではないだろうか。

今はどのチャンネルを見ても同じようなタレントを起用した同じような番組ばかりなので、見ていてつまらないどころか腹立たしさすら覚えてしまうので、すっかりテレビ離れが進んでしまった。

厳しい戦いを生き残るには強烈な個性だったり専門性を引き出す必要に迫られるため、CS放送のように朝から晩までニュースを放送しているチャンネルとか、映画ばっかり流しているチャンネル、スポーツ、料理、経済に特化したチャンネル、朝から晩まで通販しているチャンネルなど現れるかもしれない。

そうなればますます地方局が不利になりそうだが、北海道であれば日本ハムファイターズの試合や選手の情報しか放送しない番組を全国に向けて放送するとか、北海道の食材を使った料理番組を流すとかの方法もあるだろうし、北海道の品を通販する番組を朝から晩まで放送したって良いだろう。

豊北は東北で関東は関東なりの、関西は関西、九州は九州なりの料理番組だって通販番組だって可能だろう。

第一、日本は縦長の国なので、東京を中心に春が旬の料理を紹介されても北海道じゃまだ鍋をつついている場合だってあるのである。

夏バテ防止の食材とか、暑いときに涼し気な料理とか言われても北海道は必要ないくらい涼しいのである。

また、地元で話題になっている楽曲だとかタレントなどもあることだろうから、それを全国に配信すれば良いだろう。

大阪に暮らしているとき、やはり北海道のことが気になって話題に飢えていたし、北海道に帰ってくれば大阪の今が気になる。

そんな時、その地方に特化したテレビやラジオが簡単に視聴できたらどんなに良いことだろうと思うのだが、そんな需要はないのだろうか。

真の意味での雑感 2

■ 毒入り餃子事件

日本は中国に遠慮して、中国は日本を小馬鹿にして、なんとなく幕引きかと思われていた事件が一気に進展したが、結果的には茶番でしかなく、中国当局のでっち上げでしかないのではないかとの疑いが濃厚な内容が発表され、中国製品に対する信頼を回復するどころか、やっぱり加工品は口にしたくないという負のイメージだけが残る結果となってしまったように思う。

むしろ中国産の生鮮食品であれば日本側で農薬の濃度とか安全性に関しての検査が行われているので少しは安心だが、加工されてパッケージングされたものに対しては警戒心を抱いてしまい、購入すらしたくないという人も多いだろう。

中国サイドで何があり、何を考えているのか分からないが、すべてのことを包み隠さず公表した方が今後のビジネスの発展に大きく寄与するものであろうと思われる。

■ 経済評論家

そもそも中国製品が大量になだれ込んで来るのも価格競争が激しく、安くなければ買ってもらえないという強迫観念が売り手側にあるからだろう。

現在の日本はデフレであり、冷え込んだ消費者心理がどうたらこうたらと経済評論家やテレビに出演しているコメンテーターは偉そうに語り、何とかして理論に当てはめようとするが、そもそも偉い学者さんが真剣に考えるほど消費者は複雑な思考パターンで行動しておらず、景気などと言うものは “気” という字がつくくらいで、何となくの雰囲気だったり気分的な問題なのである。

節約疲れから少しだけリッチな気分を味わいたくなるとか付加価値の高い物に対しては財布のひもも緩むとか言っているが、そんな面倒な話しでもなかろう。

スーパーで売っているウインナーソーセージやフランクフルトであれば、たとえ 10円でも 5円でも安いものを選んで買うだろうが、祭りの出店とかでは単にそれを焼いてマスタードやケチャップをつけただけなのに一本 300円でも買ってしまう。

スーパーで売っているイカは特売の日に目の色を変えて購入するのに、海の家とかでそれに醤油をつけて香ばしく焼き上げれば 500円でも買ってしまう。

消費者などと言うのはそんなものであり、小難しいことなど考えていないものである。

■ 民主党

割と寛容な目で政権交代を実現した民主党を見守っていたが、それもそろそろ限界近しだ。

ただし、目立ったマイナス点は郵政問題で国民新党の亀井静香氏の持論に押し切られた点と、沖縄米軍基地移転問題でフラフラしている点くらいなもので、それ以外の政策に関しては財源の不安こそあれど、それほどネガティブなイメージはない。

政治とカネの問題も取りざたされてるが、そんなものは自民党でも国民新党でも、つい最近になって発足したジジイ集団、たちあがれ日本だって同じことであり、それが決定的な負のイメージにはなっていない。

様々な改革や何やらと立派にやっていることも多いのに、マイナスに評価されるものに限って目立つ話題だったりするのは民主党の不運か。

それにしても、軸足が定まらずウロウロしている感が否めないは最大の問題であって、そんな危なっかしい船長の指差す先に日本丸という船に乗って進みたくないというのが今の心境だ。

この夏の参院選、このままだと民主党が単独過半数を確保するのは極めて困難だろう。

今のような状態が続けば、渡辺の喜美ちゃん率いる、みんなの党が大躍進して無視できない勢力となり、いずれも過半数を確保できない民主党と自民党から熱烈な、そして切羽詰った連立へのラブコールを送られることになるに違いない。

さて、頭を使うのも疲れたことだし、腰を落ち着けて酒を呑むことにするか。

低レベルな自慢話

過去の雑感にも自慢話が好きではないことは書いたが、それでもまだ自身のことや実績を誇る程度であれば、部分的に感心したり尊敬できたりもするので多少はマシというものであったりすれど、最近は子供じみていてアホみたいな自慢が多いので開いた口がふさがらない・・・いや、逆に閉口してしまうことが多くて困る。

「知り合いに IT企業の社長がいる」 という奴。

「・・・はぁ!?・・・で!?・・・だから!?」 と色んなセリフは頭に浮かぶものの、それはすべて疑問符でしかなく、会話の続けようがない。

知り合いに IT企業の社長がいるのは分かったが、その社長がどうしたという話しでもなく、その会社がどうだという話しでもなく、
「知り合いに IT企業の社長がいるんですよ」
の続きを話さずに、そこで言葉を切って 「フフン」 とせせら笑う感じでこちらを見ている。

何と答えて良いものやら、頭の中には様々な大きさで色とりどりの ?マークがボヨンボヨンしているのだけなので口から出るのは
「はぁ・・・」
というため息にも似た声。

「知り合いが起業してIPOを実現した」 という奴。

その会社に出資していたとか、未公開株でも貰っていて上場益を得られたというなら
「先見の明がありますね~」
とか
「大金を手にされたんでしょうね~」
などとお世辞のひとつも言いようがあるが、話しはそこに及ばず、
「知り合いが作った会社が株式公開したんですよ」
の続きがある訳ではなく、そこで 「ムフフン」 とふんぞり返っている。

その本人の功績でもなければ何でもない話を聞かされて、どうリアクションしたら良いのか分からず、口から出るのは
「ほぉ・・・」
という差し障りのない無機質な返事。

その他にも
「どこそこの市議会議員は知り合い」
とか、
「なんかいう国会議員と食事をしたことがある」
など、そいつの耳を引っ張って引きずり回し、メガホンを持って
「だからどぉーしたぁああああ!」
と今まで出したことがないくらいの大声で叫んでやりたくなる内容ばかりだ。

小学生が
「ウルトラマンは強いんだぞ」
とか
「うちの母ちゃんは美人なんだぞ」
とか
「お姉ちゃんは東大生だぞ」
などと自分以外の自慢にもならない話しをしているのと大差ない。

精神年齢が低いまま外見だけ無残に老けこみ、自慢の “自” に何の意味があるのかも理解できず、なぜか他人の功績を披露して優越感にひたるという変わった人種が存在するのである。

人に妙な話しを聞かせるヒマがあれば、その素晴らしい友達と仲良くなるか利用するかして自分も何かすれば良いだろうし、コネクションを伝って政治家にでも華麗に転身すれば良いだろう。

とにかく、リアクションに困るような会話はやめていただきますよう、お願い申し上げますと心から言っておきたい。