闘いの終焉

2月13日、医師の口からガン細胞の転移がないことが告げられた。

半年間に及ぶ病魔との闘いに終りがきた瞬間だ。

お買い物日記』 担当者と二人、いままでで一番深いため息をついた。

あまり深くは触れていなかったが、その始まりは深く、そして重いものだった。

病気が発覚してから治療を終えるまで、『お買い物日記』 担当者はどれくらい泣いただろう。

長くは生きられないと思い込んでしまった絶望の涙。

その恐怖に負けそうな苦しみの涙。

人生が終わってしまうかもしれない悲しみの涙。

手術だけでガン細胞を取りきれず、治療が必要だと知って流した涙。

女性の象徴である髪が抜け落ちてしまって流した涙。

退院できた時、完治したと分かった時、入院中にお世話になった看護師さんに挨拶に行った時。

要所要所で流れた涙はペットボトル 2本分くらいになったかもしれない。

病気のことを知らされた去年の夏。

ガンの疑いがあるというより、ほぼガンであろうという医師のみたて。

それからやっと落ち着くことができた先週の土曜日までを一気に駆け抜けた気分だ。

今回のことでつくづく良かった感じたことが何点かある。

一点目は自分は一人暮らしの経験が長く、炊事、洗濯など家事がさほど苦にならなかったこと。

『お買い物日記』 担当者の病気仲間の話では、それぞれの旦那さんは何かと苦労している。

ちゃんと毎日炊事をしているか、証拠写真を撮って携帯電話のメールで報告することを義務付けられたりして必死に頑張っている人もいた。

二点目は自分がサラリーマンではなかったこと。

最初は知り合いもおらず、心細そうにしている 『お買い物日記』 担当者を毎日見舞うこともできたし、洗濯物だなんだと世話をしてやることもできた。

これが勤め人だとそうはいかず、病気をした本人が苦労するか、親戚縁者の世話になってものすごく気を使うことになってしまっただろう。

三点目はしっかりと生命保険に加入していたこと。

かなりの長期間かつ高額な医療費になるので国(社保庁)の高額療養費制度を受けられるが、それでも保険金を得られるのは精神的にも大きく安心できる。

保険に関しては 『お買い物日記』 担当者にすべてを一任しているので偉そうにはいえないが、やはり良い保険を選び、良い担当者に付いてもらったほうが良い。

こちらはあくまでもお客さんなので、気が合い、仕事のできるしっかりした担当者にめぐり会うまで安易に契約しないことだ。

病院で携帯電話が使えるエリアに座っていると、日に何度も保険会社に電話し、もの凄い剣幕でまくし立てている人がいた。

きっとうまく連絡がつかなかったり、保険の手続きがスムーズに進まなかったり、しまいには保険金が出るか出ないかで大もめにもめていたのだろう。

その点、我が家では数回の E-mail 送受信、一度の電話による直接会話だけで手続きはスムーズに進行した。

誰しも入院してまでストレスを感じたり神経をすり減らしたり、もめ事を起こしたくなく、治療や療養に専念したいものである。

そういう意味からも保険には加入すべきだと思うし、しっかりした担当者を見つけるべきだと思う。

そして最後に、やはり病院(医師)に恵まれたこと。

いくら最新の設備が整っていようと、腕が良いと評判であっても、長期入院と治療をする場合は医師と患者、病院と患者の相性が大切だ。

『お買い物日記』 担当者の場合、もちろん治療には副作用もともなうので辛かったと思うが、病院に行くこと自体、入院すること自体は苦にしておらず、むしろ仲間もできて楽しく過ごすことができたのではないかと思う。

看護師さんも良い人ばかりで嫌な人などおらず、担当医は沈着冷静、淡々としたなかにも人情味のある人だった。

今は昔と違い、複数の医者に診断してもらうセカンド・オピニオンも定着してきているので、複数の病院で診てもらい、自分と相性の良い病院、医師を見つけるのも重要なのではないだろうか。

とにかく我が家における病気との闘いは終わった。

一度発症してしまった以上、また、遺伝学的にも新たなガンを発症するリスクは残念ながら普通の人より高い。

それでも早期発見、早期治療をすれば現代におけるガンは不治の病ではないことを身を持って知った。

もし万が一にでも発症することがあったとしても、その都度やっつけてやれば良い。

これからも定期的な検査を怠らず、真面目に病院通いさせようと思う。

任命責任

もう KO 寸前でフラフラと足がもつれながら、やっとの思いでかろうじて立っている麻生政権。

本来であればセコンドについている身内がしっかりとアドバイスしたり支えたりしなければならないのに、それが酔っ払いときたもんだ。

中川昭一財務・金融担当相がヘロヘロ状態で記者会見して全世界に醜態をさらした件で引責辞任に追い込まれ、麻生総理の任命責任が問われている。

すでに顔を見るのも腹立たしい麻生総理をかばう気など毛頭ない。

しかし、本音を言えば 「酒癖悪いの知ってたけど、あそこまでアホだとは思わんかった」 ってとこだろう。

実際に酒癖の悪い奴はいる。

酒に酔って海に落ち、危なく命を落としそうになった奴。

普段は紳士を気取っているくせに酒が入るとドSの本性むき出しに女子社員をいじめる奴。

下ネタ連呼で周りから完全に引かれる奴。

記憶をなくす奴。

自分が一定以上の酒を飲むと記憶がなくなることを知っていて、それを言い訳にする馬鹿もいた。

酒の勢いで散々悪態をついて、途中までそれを自覚しているくせに知らぬ存ぜぬ記憶がないと逃げまくる。

しかしその男、与えられた以上の仕事はできる。

したがって、仕事の重要な位置を占めるポジションを与えてやりたい。

ちょっとドキドキしながらも
「責任ある仕事を自覚せよ」
と言い渡して任に着かせる。

その仕事ぶりを見て
「なかなか張り切ってやっておるわい」
と目を細めているとクライアントとの酒の席で醜態さらして大問題。

身内に酒癖が悪いのを見せることはあっても、自分もそれを自覚しているのだから大事な場面では酒を飲まないとか、一定量でやめておくとか大人な対応ができて当然であって、そういう行動をとるものだとこちらだって期待している。

いや、期待というよりも、それはあまりにも当然のことだ。

人間としてできない方がおかしい。

任命責任を問われても、一般常識がない人物だとは思わなかったのだから仕方がないだろう。

いや、国の命運を左右するほど重要なポストには 1%でもヤバい可能性がある人物を就けてはいけないと思われるので、やっぱり任命した責任は負うべきか。

いろいろな波乱と笑いを振りまいてくれた本件ではあるが、G7が開催されていたローマがあるイタリアのメディアの記事は洒落ていた。

「ここイタリアには、眠気覚ましにいいエスプレッソ・コーヒーがある」

“で” と “が” で大違い

日本語は難しいもので、ほんの少しの言い回しや言葉の使い方、選び方で相手に与える影響が大きく異なったり、良い印象を与えたり逆に悪かったり、時には伝わる意味まで異なってしまう場合があるので注意が必要だ。

アメリカ大統領に就任したオバマ氏の演説が好評を博し、関連本が発売されたり英語の教材として取り上げられたりしているが、これは日本の総理大臣にこそ勉強して頂きたいものであり、見習って頂きたいものであり、言葉の持つ力と言うのは極めて重大であって、逆に言えばマイナス効果というのも時によって計り知れない場合があるので注意が必要だと認識していただきたい。

我々庶民においても注意を必要とする場合がある。

仮に取引先のお偉いさんと会食の場なんぞ設けられたと仮定する。

相手にとっては行きつけの店であってもこっちにとっては初めての店。

何が美味しいのか何がお薦めなのかも分からない。

相手より高額なものを注文する訳にもいかず、かと言ってあまり低額なのも何である。

ここで陥りやすい間違いは、相手が注文したものに合わせて
「私もそれでいいです」
などと言ってしまうこと。

「それでいい」 とは何だ 「それで」 とは!?

考えるのが面倒だから 「それでいい」 のか、どれもこれもパッとしない料理だから適当に 「それでいい」 と答えているのか。

相手と同じものを食べたい、美味しそうだから自分もそれを食べたい。

そう思っているのなら、そんな時は
「私もそれ “が” いいです」
が正解だろう。

もっと言えば
「私も同じものが食べたいです」
であり、「それ “で”」 と 「それ “が”」 では大違いなのである。

テレビ、映画、漫画、何でも良いのだが、恋愛ドラマ系のセリフも同様だ。

「君はそのままでいい」
などと言った日には、もう諦めてどうでもよくなっているのかと受け止められかねなく、一歩間違えると百年の恋も一気に冷め、一瞬にして奈落の底に叩き落される危険性をはらんでいる。

相手に変わらずにいてほしいことを表現、伝えたいのであれば
「君はそのまま “が” いい」
が正解であろう。

ことほど左様に “で” と “が” では大違いな場合があるが、大多数の人にとって
「君はそのままがいい」
などというくっさいセリフを吐くシーンなど、そうそう訪れるものではないので気に留める必要もないのかもしれない。

輿論と世論

輿論 (よろん) と世論 (せろん) は似て非なるものである。 単なる世論調査でしかないくせに、ことのほか重要なデータであるかのように取り上げるマスコミは問題だ。 また、世論(せろん)は 【よろん】 とも読めるが故に混同されやすいのも事実ではある。

人々が考えて回答したものを集約した公的意見が 『輿論(よろん)』 であり、世の中のムードや好き嫌いのようなボンヤリしたものが『世論(せろん)』 であるにも関わらず、世論調査の結果が国民の声や意志であるかのように判断するのは危険だろう。

あくまでも世の中の雰囲気でしかない世論が国政に影響を与えるような重要な問題を尋ねる調査で簡単に使われているのもどうかと思う。 一般人は政治のことを深く考え、理解し、確固たる信念を持ち、自分の意見として回答している訳ではないだろう。

自民党がアホだとか民主党は幼稚だとか、麻生太郎がバカだとか小沢一郎の顔が怖いとか雰囲気や好き嫌いだけで回答しているのが大多数だと思われるし、そもそも世論調査では実施する側に有利な回答が導き出されやすく、誘導された結果が出て利用されやすい。

以前は対面調査で調査員と回答者が実際に会い、30分くらいかけて実施していたので、真面目に答えているのかも目を見れば判断できたし、回答する側も考える時間があったが、今は電話調査が主流になり、面倒だから早く切りたいという意識も働き、深く考えずに答えることが多いものと思われる。 かなり以前のことになるが TBS系の地方テレビ局から世論調査の電話を受けた自分もそうだった。

それはまだ橋本龍太郎総理大臣のときだったが、消費税率を 3%から 5%に引き上げたことによってバブル景気崩壊後、緩やかに回復軌道に乗りつつあった日本経済の足を引っ張る結果になったこともあって相当な批判を浴びていた時期であったことと、当時は政治に対してそれほどの興味を持っていなかったこともあって、世の中の流れに沿って橋龍批判をした記憶がある。

それも最初はちょっと真剣に答えていたのだが、質問項目が多くて面倒になってしまい、深く考えもせずに回答して早く電話を切ろうとしたのも事実であり、そうだったのは自分だけではないと十分に推測されることから、やっぱりそれは世論でしかなく、決して輿論などという高尚なものではないだろう。

これから益々ネットが普及し、そこで世論調査が行われる機会も増えるものと思われるが、そうなれば益々ボンヤリとした雰囲気だけの結果になるのではないだろうか。 無機質な文字データが並び、「はい」 「いいえ」 のラジオボタンが並んだ画面の前で人が真剣に考え、血の通った意見を導き出せるとは思えないし、そもそも 「はい」 「いいえ」 は決して意見ではないし、回答とすら呼べないようにも思う。

小泉首相が好きとか嫌いとかに関わらず郵政民営化は必要だと思っていたので政策を支持していた。 消費税なくしては今の日本は語れず、国は財政破綻を来たしていただろうから竹下首相があそこまで悪く言われる必要があっただろうか。 過去において、世論と自分の考えが同じ時期もあれば異なる時期もあった。

しかし、麻生首相に関しては褒めるべきところ、良いところが顕微鏡で探しても見つからないので、支持率を含めた世論調査の結果は、むしろ輿論に近いのかもしれないと思ったりしている。