五郎くんの話

2/20 の独り言に書いたように、朝の散歩の帰り道で先週の雑感に書いた犬の五郎くんと会った。 最後の階段を上りきったところで、お母さんに連れられた五郎くんがトコトコやってきたのである。 飼主と 『お買物日記』 担当者は顔見知りらしく、朝の挨拶を終わらせると犬の名前を確認した。

「この犬の名前は五郎くんっていうんですよね?」 と尋ねると、どうして知っているのか不思議そうな顔をしながらも 「そうですよ」 と答えた。 そう、近所に引っ越してきた黒くて大きな犬は 2002年の 6月にステーキのような大きな舌でベロンベロンと足をなめた五郎くんに間違いなかったのである。

当時のことを話すと、確かに以前は JR の線路の反対側で暮らしており、五郎くんを連れてこちら側まで散歩に来ていたこと、そして家を建ててこちら側に引っ越してきたことなどを教えてくれた。 『お買物日記』 担当者と飼主が話をしている間、退屈になったのか五郎くんが側によってきて自分の足に体を擦りつけてくる。

それもスリスリなどというものではなく、ゴリゴリと体を押し付けるように甘えてくるのである。 以前の独り言に 『犬の意思を尊重し、こちらから手を出さない』 と書いたが、そこまでされては我慢できない。 こちらも負けないような力を込めて両手で五郎くんの首筋をゴリゴリと撫でてやった。 すると五郎くんは気持が良かったのか、うっとりと目を細めてされるがままになっていた。

彼は家族全員から愛されているようで、お母さんだけではなく、お父さんと散歩していることもあるし、たぶん息子さんなのだろうが、若い男性と散歩していることもある。 何度か見かけてはいるのだが、いつも先を歩いていたりして近くで遭遇したことがなかった。 今回はたまたま出くわして話をすることができたのだが、五郎くんは相変わらず人懐っこい犬なのである。

五郎くんが引っ越してきた家には広めの庭があり、その中を自由に歩いたり、ダラ~ンと日向ぼっこしたりして過ごしていることもある。 普段は家の中で飼われているのだが、お母さんが掃除機をかけるときは家から追い出されるようで、家の中からブオ~ンと音がしている間、五郎くんはつまらなそうな顔をして玄関の近くに座っている。

ある日、その家の前を通りかかると五郎くんが少し怒ったような顔をして座っていた。 その時、雨がパラパラと降り出してきた。 中からお母さんが 「家に入りなさい」 と五郎くんを呼んだが、耳をピクピクさせているくせに聞こえないふりをして無視している。 玄関からお母さんが 「ほら雨が降ってきたから」 と迎えに出てきても 「ふん」 と横を向いていたのである。

きっと掃除の時間に追い出されたのが気に入らず、ふてくされていたのだろうが、子供みたいに拗ねている五郎くんを見て思わず笑ってしまった。

その庭の柵越しにお母さんが近所の方と世間話をしているとき、横に座って会話に参加しようとしている姿も見たことがある。 お母さんが話せばお母さんの顔を見て、近所の方が話せばそちらの方を見る。 会話中、五郎くんは二人の顔を交互に見ているのだが、話している内容が分かるのだろうか。

『お買物日記』 担当者が家を訪ねて行った時、玄関のチャイムを押すと家の人より先に五郎くんが出てきたというし、隣の家で飼われているキャンキャンとうるさいバカ犬軍団が大騒ぎを始めると、「なんだなんだ」 といった風に慌てて家から出てきて心配そうに隣家を見たりしている。

そんな人間味あふれる五郎くんは、先週の雑感に書いた近所で飼われていたのだが、天寿を全うしてしまった犬と毎日顔を会わせる位置関係にあった。 姿が見えなくなったことも理解しているだろうし、もう二度と会えないことも理解しているかもしれない。 大きな体の割に甘えん坊な五郎くんのことだから、きっと寂しく思っていることだろう。

五郎くんはこれからも元気に暮らし、自分たちに笑いを提供していただきたいものである。

犬や猫のいる風景 2007初春

このタイトルの雑感を最後に書いたのは、2005年 9月のことだ。 在宅勤務になってから朝の散歩が日課となり、犬や猫のことは折に触れて 『管理人の独り言』 に書いているので、雑感に書くほどネタがないのも確かだが、単に忘れていたというのも確かな事実である。

先日の独り言に 『お買物日記』 担当者も書いていたが、ご近所で飼われていた犬が天寿を全うした。 16年も飼われていたそうで、飼主さんも寂しいだろうが大往生と言えるだろう。 その犬と最初に出会ったのは大阪に引っ越してきたばかりの頃だ。 まだ室内の片付けをしている最中で、必要になったものを近所の金物屋さんまで買いに行く途中だった。

道を歩いていると、すぐそばで ドッカ~ン!という凄まじい音が鳴り響き、 『お買物日記』 担当者と二人揃って 「どっひゃ~!」 と飛び上がらんばかりに驚いた。 恐る恐る音のした方を見ると、鉄板でできた囲いの上から犬が顔を出している。 どうやら嗅ぎ慣れない匂いが近づいてきたので出所を確かめたく、2m 近くある囲いに飛びつき、前足で体を支えて覗いているらしい。

とくに威嚇する訳でもなく、吠える訳でもなく、「誰だ?」 という雰囲気でこちらを見ている姿が可愛く、とりあえずは 「こんにちは」 と挨拶しておいた。 驚かされたのはその一回だけだが、たまに遠くから ドッカ~ン!という音が聞こえてきていたので、知らない誰かが通るたびに囲いの上から覗いていたのだろう。

それは犬が若い頃の話で、晩年は囲いの上まで飛び上がる元気もなかったのか、地面と囲いの鉄板がある 15cm くらいの隙間から鼻と目だけを出して外の様子を見ていた。 その姿もまた可愛らしく、血統書などない雑種の犬だったが、近所で飼われている犬の中でも好きな奴だったのである。

その犬も居なくなってしまい、少し寂しい思いをしているが、もう一匹気になっている犬がいる。 それは独り言にも何度か書いた空き地の犬である。 昨年末から散歩をしていても、その姿を見ることがなくなってしまった。 犬がつながれていた柱には、まだ鎖が残っているものの、何日も地面に置かれた鎖の形が変わらないことがある。

昼間でも外に出ているのであれば、鎖の状態にも何らかの変化はあるはずで、その形が変わらないということは何日も外に出ていないということである。 少し体調を崩している程度であれば良いのだが、老犬なので今も生存しているのか気になって仕方がない。

2002年の 6月に書いた犬の五郎くんは数年前に近所に引っ越してきた。 ネームプレートに書いてあった 『○○五郎』 の○○の部分、つまり苗字が同じ家が建築され、その家に大きな黒い犬がいる。 その苗字と言い、その姿と言い、間違いなく五郎くんだと思われるのだが、まだ飼主さんに犬の名前を聞いたことがないので確証はない。 いつか確認したいと思っているところである。

1/25 の独り言に書いた窓辺の猫の件。 窓ぎわにテレビが配置されてしまったので見ることができないのではないかと危惧していたが、2日前の朝の散歩でテレビの上に座って外を眺めている白猫の姿を確認できた。 どうやら猫にとって、さほど障害物にならないようだ。 いつかキジトラの猫と二匹揃ったところを見てみたいものである。

そして、いつも喧嘩に負けて帰ってくる猫は相変わらず家から締め出され、寂しそうな顔をして玄関にたたずんでいる。 いつものことなので、早く帰宅したら良いのに遊ぶのに夢中になって遅くなってしまうのだろう。 玄関にある曇りガラスに顔をつけるようにして家の中を見ており、人の影が見えたら必死に鳴いて入れてもらおうとしているらしい。

ここ数年の間、空き地だった場所に多くの家が建ち、犬や猫の数も嬉しいくらいに増えている。 生き物は、いつか死んでしまうのが悲しいところだが、生きている間は色々なことをして、これからも目を楽しませてもらいたいと思ったりしている春の始まりである。

先見の明

かなり以前の雑感で非常事態に備えた防災グッズの選定などしてみたが、案の定と言うか何と言うか、考えただけで何も準備していないのが現状だ。 『お買物日記』 担当者が多少は準備をしてくれているようだが、それがどこに置いてあるのかさえ知らない有様なので、いざという時に何の役にも立たないかもしれず、やはり着の身着のままでボ~っとしている可能性が高い。

昨夜の独り言に書いたように、このまま地球温暖化が続けば映画 『デイ・アフター・トゥモロー』 と同じになってしまうのではないかと本気で心配している。 大まかなストーリーは地球温暖化によって南極や北極の氷が融け、温度差のなくなった海水の潮流が止まり・・・なんじゃかんじゃとあって世界各地が前例のない異常気象に見舞われる。

巨大ハリケーンや、大津波が各地を襲い、大嵐の中央ではあらゆるものを凍結させるマイナス 100度のスーパー・フリーズ現象が発生して地球は 1万年前の氷河期になる。 書いているだけでも恐ろしいが、実際に映画ほどの急激さはないものの映画と同じ理論で、今後 10年単位で平均気温が 4度低下する恐れがあるとの見解を発表した科学者もいるので SF だと笑ってもいられない。

地震や異常気象などの天変地異だけではなく、北の将軍様が日本に核を打ち込んでくる可能性だってあるし、言われている新型インフルエンザが発生して世の中の機能が麻痺し、食料の調達が困難になったりライフラインが止まる可能性だってある。 そんな危うい状態なのだから、やはり防災グッズくらいは揃えておくのが先見の明というものではないだろうか。

総務省消防庁の Web ページに最低限のグッズが紹介されているが、新型インフルエンザが発生した場合は病院も患者であふれて治療もままならない状態になることが予想されるため、脱水症状になったときに必要な栄養素を補給できる粉末ポカリスエットなど、スポーツドリンク系のものや、点滴が受けられない事態に備えてブドウ糖を摂取できる果物の缶詰なども用意しておいた方が良いらしい。

さらには解熱剤、氷枕や保冷剤なども必要で、嘔吐物などを処理するための使い捨てゴム手袋などもあると便利なんだそうだ。 さらにさらに、カセット式のガスコンロ、非常用の食料などなど、ここまでくると非常持ち出し用というには大荷物になってしまう。 脱出というより引っ越しに近い感じだ。

それでも人からウィルスを貰わないため、逆に人にウィルスを感染させないためには家に閉じこもる必要があるので、買い物などしなくて済むように 1週間とか 10日くらいは生きられる分の食料などを備蓄すべきなのだという。

まったく話しは変わるが、以前に勤めていた会社では何万人が使用しているアプリケーションを開発していた。 市販品ではなかったため隠れたベストセラーと呼ばれ、世の人々のお役に立っていた訳だが、そのアプリケーションの新バージョンを開発しているときに検討したのが 2000年問題だ。 当時は 2000年になると日付を正確に認識できず、誤動作を引き起こすと騒がれていた。

それはまだ 1992年で、今後 8年間も使用される可能性があるとは思えなかったが、念のためと先見の明で対処しておこうということになったのである。 しかし、パソコン自体や他のアプリケーションが問題で不具合が発生する可能性もあり、自力で解決するのは困難というより不可能だという結論に達した。

そこで出た案が 1999年でアプリケーションの動作を強制的に停止させるというものだ。 当時はノストラダムスの大予言で 1999年の 7の月に人類が滅亡すると言われていたので、7月31日をもって全ての動作を停止するプログラムを入れようと話しが盛り上がったものだ。 結局は 2000年になると 「正常動作しない場合がある」 旨のメッセージを表示することになったが、その処理を入れておいて良かったと思う。

MS-DOS で動作するアプリケーションであったにも関わらず、そして Windows が広く普及したのにも関わらず、2000年を過ぎても多くの人が使っていたらしい。 そして多くの人が表示されるメッセージを鬱陶しく思っていたらしいが、何の予告もなく不具合が発生するよりマシである。

やはり 『備えあれば憂いなし』 ということで、食料の備蓄と最低限の防災グッズは準備しておくようにしなければと思ったりしているところである。

ブランド価値

早いもので、この雑感を書き出してから 6年以上が経過した。 最初の雑感は雪印の件について書いているが、約 6年の時を経て大きなブランドである不二家という名前の傷が深くなっている。 どうやら、あの時の教訓が生かされてないようだ。

結局、雪印は事実上の解体となってしまい、当時のブランド力は見る影もない。 問題が発生し、それを隠蔽する体質が明るみに出ると一瞬にして信頼を失ってしまう怖さがそこにある。 長年の実績があるパロマにしても、三菱自動車にしても同じだ。

松下のように製品の欠陥を公表し、「最後の一台まで探し出す」 と宣言してテレビ、新聞などあらゆるメディアを使って回収を呼びかけ、逆にブランド価値を高める結果となった場合とは大違いである。 ただし、体力的にそこまでの予算を使うことができない会社もある訳だから、全メディアを駆使するまでは望まなくても、事実の公表くらいは速やかにしていただきたいものだ。

それにしても一大ブランドを築き、それが全国に流通するというのは怖いものだ。 これが地元で有名な洋菓子屋さんであれば、たとえ食中毒が発生しても周りの住民が買うのをひかえ、必要なら他の店で商品を購入すれば済む話しだが、全国規模ともなるとそうはいかない。 一箇所の工場で作られたものが広い地域に配送されるので被害が拡大してしまう。

扱う分野こそ異なれど、番組という名の商品 (あるある) の欠陥で、ブランド価値を大きく損ねたフジ系列 (関西テレビ) も状況は同じだ。 番組 (商品) のチェック (品質管理) 体制が整っていなかった点においても類似性が高い。 一気に膿 (ウミ) を出そうとせずに、小出しにするところも共通しているし、それは、パロマや三菱自動車にも通ずる。

以前から言われていることではあるが、人間が携わっている以上は問題が発生するものである。 問題が起こらないようにするに越したことはないが、それよりも重要なのは後の処理である。 松下のようにいち早く公表し、その後の対応に万全を期すれば信頼が損なわれることはない。 自分の仕事もそうだが、事後処理を迅速にすることを心に命じておかなければなるまい。

それにしても思うのだが、最近の日本人は賞味期限とか消費期限とかの情報に頼りすぎなのではないだろうか。 昔は少々古くなった食べ物でも臭いを確認して 「まだいける」 とか 「やめておこう」 とか判断していたものである。 判断を誤って食べてしまっても、お腹をこわすくらいなもので生死に関わる訳ではない。 今のままでは免疫も抵抗力も失われてしまい、少々傷んだものを食べただけで命を落とす人が現れるかもしれない。

自分の場合は、水銀だの発ガン性物質だの、徐々に体内に蓄積されるものの方が怖い。 食べ物に異物が混入しているのは気持悪いが、少し古い材料で作られていようが賞味期限が切れていようが、食べたって死にやしないのだから神経質になりすぎることはないと思っている。

バレンタイン商戦も絶望的でブランドの再構築を急ぐ不二家だが、もし商品が再出荷されたなら、とりあえずは売り上げに協力してあげようかと考えたりしている今日この頃である。