今年最後の雑感だ。 毎年思うことではあるが、本当に一年が経つのは早い。 例年であれば 28日くらいに最後の雑感を書いているが、今年は暦の都合で 25日になってしまったので余計に早く感じるのかもしれない。 今年も政治、社会、個人的にいろいろあったものである。
1月に発生した鳥インフルエンザ問題はズルズルと後を引き、今になってタマゴの価格が高騰するなどの影響を残している。 つい先日には鳥の処分作業をしていた人から鳥インフルエンザの陽性反応もでている。 あの業者は本当に困ったことをしてくれたものだ。 私利私欲のために報告を怠り、社会に大きな影響を与えてしまった罪は重い。
その鳥インフルエンザに端を発し、BSE(狂牛病)問題でアメリカ産牛肉の輸入禁止だったり、ブロッコリーなどの産地偽装やらと ”食” の安全性に不安を覚える一年でもあった。 吉野家を代表とする牛丼チェーン店から肝心の牛丼が姿を消したまま今年が終わろうとしている。 アメリカ大統領選の直前には畜産業界からの支持をとりつけるために日本側に歩み寄りの姿勢を見せたアメリカ政府だが、ブッシュ氏の再選が決定すると再び強硬姿勢に戻ってしまい、現在も輸入再会のメドはたっていない。
ヤフーBB を筆頭に個人情報の流出も目立った一年だった。 自分のようなコンピュータ業界の人間はネットの脆弱性を理解しているので、よほど信頼のおけるサイトでしか個人情報を登録しないし、クレジットカードでの買い物もしないが、これだけネットが普及したのだから気軽にどこかのサイトの会員登録などで個人情報を入力する人も多いだろう。
個人情報保護法の整備も遅ればせながら進んできたことでもあるので、企業の対応も是正されるに違いないが、システムを複雑にすると利便性が低下するし、開発費、更新費用も多額になってしまう。 重要な情報の流出を回避するには、使われる側のシステムよりも使う側の人間の教育を徹底すべきだろう。 どんなに立派なシステムを構築しても、それを使う人間に悪意があれば情報は漏洩してしまう。
”オレオレ詐欺” あらため ”振り込め詐欺” も変な意味で流行した一年だった。 交通事故などを装い、家族をパニックに陥らせてお金を振り込ませる。 警察役、弁護士役なども登場させるという手の込んだ犯罪だ。 さらに問題なのは銀行口座を売買する奴がいることでもある。 身分の証明が必要な口座を他人から手に入れるので犯人グループの解明を困難にしているが、そんな犯罪組織は一刻も早く一網打尽にしていただきたいものである。
仕事仲間が故郷に住む友人に電話をした時、声が似ていたので電話に出たのが父上だったことに気づかずに 「あ〜オレオレ」 と言ったところ、「その手に乗るか!」 と、もの凄い勢いで電話を切られてしまったらしい。 本人は 「耳が痛くなりました」 と悲しそうな顔をしていたが、そういう家庭は詐欺被害に遭わずに済むであろうから、むしろ安心である。
何と言っても今年は天変地異が多発した年でもあった。 観測史上 2番目の暑さだった夏、何度も日本を通り過ぎ、深い爪痕を残していった台風、そして中越地震。 命を失ってしまった人、家族を失ってしまった人、家を失ってしまった人。 そんな不幸にみまわれた人たちにもクリスマスや年末年始がやってくる。 決して楽しめるはずなどないが、何とか気持ちの整理をしていただきたいものである。
そして、個人的には通勤生活から在宅勤務生活になったのが一番の変化だ。 すぐに技術書が手に入らないなど、多少の不便は感じつつも今の生活に満足している。
昨年末の雑感に 『 来年末の雑感には 「良い一年だった」 と記せるよう、努力する』 と記しているが、残念ながら今現在も努力は実っていない。 しかし、精神的に安定し、充実感もあるので少しだけ 「良い一年だった」 とは言えそうだ。
来年は、もっと充実した一年になるように努力しなければならないことを肝に銘じつつ、今年の雑感を終えようと思う。
世のオバチャン達は元気である。ホテルのレストランで 2,000円も 3,000円もするランチを食べ、ヨン様を追いかけて日本国内はもちろん韓国にまで足を運ぶ。 その間も世のお父さん達は満員電車に揺られて通勤し、リストラに怯えながら仕事に励み、500円以下の昼食を時間に追われながら口に押し込み、神経と体力をすり減らしながら頑張っているのだろう。
男尊女卑が良いことだとは思わない。 仕事では男性も女性も平等に評価されて賃金格差もなくすべきだと思っている。 しかし、家庭では父権を保つべきではないだろうか。 明治、大正や昭和初期までのころのように 「妻は夫に仕えつつ〜」 などという時代ではないが、せめて子供の前では良妻賢母である ”演技” だけでもすべきではないだろうか。学校で教師の言うことを聞かない子供、訳の分からない犯罪に走る若者を見ていてつくづくそう思う。
母は子供の前でも平気で父をののしり、小言を言い、小馬鹿にした態度をとる。 最近はとくに子供と友達感覚でいられるのが嬉しいのか、母子そろって父の悪口を言い合う。 子供に満足な躾 (しつけ) もせずに溺愛し、学校に躾まで強要するくせに教師がゲンコツでもしようものなら 「体罰だ」 と言って騒ぎ出す。 そんなことで子供がまともに成長するはずがない。
昔であれば母が子を叱っても言うことをきかない時は、「お父さんに言うよ」 という一言は効果があったが、普段から子の前で父を馬鹿にしていれば何の効果も期待できない。 父の威厳がなくなり、子供まで馬鹿にしているから教育や躾などできるはずがない。 親 (PTA) の発言力が強まるにつれて教師の威厳も崩壊しつつあるのだから、集団生活や社会を学ぶこともできない。
社会が悪い、学校教育が悪いと文句を言う前に最低限の躾くらいは家庭ですべきだろうし、父は、そして先生は恐いという意識を植え込まなければいけないだろう。 あまやかして育て、父を軽んじ、教師の威厳まで奪ったのであれば誰が子供を躾て教育するのだろう。 家庭でも親の言うことを聞かず、学校でも教師の言うことを聞かない子供の将来はどうなってしまうのか。
家庭で暴力をふるったり教師に暴行を加えたりする子は親や先生が恐いものなどと思っていない。 そのように躾られたり教育されたりしていないのだと思う。 子供は人間として未成熟なものであり、完成していないものだということを強く認識すべきである。 従って、怪我をしない程度であれば多少の鉄拳制裁があっても、それを ”暴力” などという言葉で括らず、教育だと受け止めた方がよろしい。
まともに子供を教育したければ、子の前で父を愚弄するようなことを止め、父は偉く、そして恐いものだということを幼いうちに潜在意識に刷り込んでおいた方が良いと思う。 そうしておけば父が実際に叱らなくても 「お父さんに言うよ」 という呪文が効果を発揮するだろう。
そして、間違っても親を殺したり、訳の分からない犯罪に走る子供をこれ以上は育てないでいただきたいし、自分のことを棚に上げて学校や社会を批判することをやめていただきたいものである。
今週、拉致被害者である曽我さん一家が全員そろって佐渡の地を踏むことができた。 曽我さんとその家族は 2002年10月15日、24年ぶりに帰国した 5人の中で最も複雑な事情を抱えていたため、他の人たちより安住の地に落ち着くのが遅れてしまったが、年を越す前に解決して本当に良かったと思う。
曽我さんご本人のコメントにもあったように、家族に会いたい一心で北に帰ってしまおうと思ったこともあっただろうが、家族の再会を信じて不安に耐えながら待ち続けただけに喜びも一入だろう。 いろいろな困難もあったが、結果的に希望どおりに家族と再会して日本で暮らせるようになったのだから、これからは家族仲良く過ごしていただきたいものである。
日本政府や外務省の対応が遅いとか、北に対しておよび腰であるとかの批判は、拉致被害者家族からも国民からも挙がっているが、自分は良くやったと思っている。 北はジェンキンス氏を出国させたくなかっただろうし、逆に曽我さんを連れ戻すつもりもあっただろう。 ややこしい国を相手に交渉を続け、出国させるまでには大変な努力が必要だったと思う。
ジェンキンス氏がアメリカ軍に対して犯した罪が、どう裁かれるかについても日本政府は交渉してくれたのであろう。 司法取引があったにせよ 30日間の拘留で落着したのはアメリカの日本に対する最大限の配慮だったのではないだろうか。
被害者家族や曽我さんが願っていたことを実現した政府や外務省の功績は大きいと思う。 確かに拉致問題を何十年も放っておいた責任は問われなければならないが、今回の件に関しては十分な働きをしてくれたと評価して良いのではないだろうか。 「家族に会いたい」 「日本で一緒に暮らしたい」 「夫の罪は問わないで欲しい」 と口で言うのは簡単だ。
被害者支援という観点からは願いをかなえるように努力するのは当然だが、それが政府の責任ではなかったはずだ。 第一にジェンキンス氏は日本国民ではない。 第二に彼は拉致されたのではなく、自ら進んで北に亡命した人である。 拉致されたのではない以上、救出には当たらない。 そして、犯した罪を軽減してあげられるかどうかはアメリカの判断であり、日本は判断する立場にない。
そういう状況でありながらも北やアメリカと交渉を続け、家族会や曽我さんの希望 (要求) に限りなく近い状態で決着したのだから、その功績は誉められるべきだと思う。 これだけ面倒な交渉、手続きをしたのだから時間がかかって当然だとも思う。 いつもは政治家や役人など好きではないが、今回だけは心から拍手を送りたい。
田中真紀子氏が外務省を伏魔殿 (ふくまでん) と表現して批判の矢面に立たされた際には国会にまで呼び出された外務省だが、今回の件に対しては 「良くやったでしょ」 とか 「苦労したんだよ」 などとアピールもせず、裏方に徹している。 困った人々を助け、「あっしには関わりのねーことで・・・」 と静かに立ち去る 『木枯し紋次郎』 のようである。
曽我さんの件に関しては一件落着ではあるが、数十人とも数百人とも言われている拉致被害者救出は始まったばかりだ。 これからも 「対応が遅い」 とか 「子供の使い」 などという批判を浴びることもあるだろうが、事件の全面解決に向けて頑張っていただきたいと心から願っている。
昨日のニュースで新潟県中越地震の被害者救出、復興、ボランティア(食事の炊き出し)などに従事していた自衛隊が活動を終える内容を伝えていた。 北海道、千葉県、群馬県など各地の隊員が集結して、1日 3食の食事を被災者に配り、約 9万 5000食を提供してきたとのことだ。
去り行く自衛隊員に皆がお礼を言い、子供達が手を振る。 中には涙を流しながら深々と頭を下げている人もいた。 自衛隊員は凛とした態度で敬礼をしながら、ゆっくりと車を進めて去って行く。 何とも言いようのない清々しい気分で画面を見ながら、静かに、そして深く感動していた。
自衛隊は名称こそ異なれ軍隊そのものであり、憲法で戦争を放棄している日本には必要のない組織だと主張する団体や政党もあるが、自分はやはり必要な組織だと思う。 戦争は自国が他国を攻めるだけではなく、他国から攻められることだってある。 話せば理解し合える相手ばかりではない。 その際に自衛する能力を持たないのは問題が大きすぎると考えるからだ。
70年代の安保闘争や学生運動が盛んだった時期に、バリケード封鎖された大学に自衛隊を派遣して封鎖解除させよという意見と、自衛隊出動などもってのほかという意見が対立した。 結果、機動隊だけの力で問題は解決したが、仮に自衛隊が出動していても中国の天安門事件のように、デモ学生に対して無差別に発砲し、多数の死傷者をだす悲劇にはならなかったはずである。
その点においては軍隊と自衛隊の性格の違いは明確になっているように思う。 学生に向けての発砲など世論が許さないだろうし、世論がなくとも自衛隊は発砲などすることはなかったはずだ。 生活を脅かす ”敵” から市民、国民を守るという観点からは出動しても良かったのではないかと思うが、当時はイデオロギー (社会思想) がそれを許さなかった。
自衛隊廃止論は根強く残っているものの、今は必要と感じている人が多いのではないかと思う。 確かに災害時に活動するだけの組織としては莫大な経費を要し、救出訓練などは実施していないだろうから効率や手際も悪いかもしれない。 しかし、同時に外敵から身を守る役割も担っているのだから経費も必要となるだろう。 その点も含めて国民の理解は得られつつあるのではないかと思う。
自衛隊に向けられる目が大きく変化したのは、阪神淡路大震災がきっかけだったのではないだろうか。 あの災害が発生した際、一部の団体は自衛隊の派遣に反対した。 右とか左とかに傾倒した思想の持ち主ではなくても快く思っていなかった人もいたかもしれない。 しかし、自衛隊の果たした成果は決して小さくはなかったはずである。
その事実が自衛隊に対するイデオロギーを変化させ、今回の新潟県中越地震では出動要請が割とスムーズに行われたのだと思う。 自分は無宗教でノンポリ (nonpolitical の略) であるかもしれないが、軍隊であるとか無いとかの議論以前に自衛隊は必要だと思っている。
反対意見も数多くあるだろうが、この雑感は今流行のブログではないので、反対意見を書き込むこともできなければ、受け付けをする気もないのであしからず。