大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

トップページ
2006年11月

マサルノコト scene 9 マサルノコト scene 9

scene        

  以前に務めていた会社で仕事をしていると、受付の女性がとっても嫌そうな顔をして 「変なものが送られてきました」 と荷物を持ってきた。 まるで汚いものでも持つかのように、親指と人差し指でつままれた物体を受け取ると、それは血まみれのレスラーが表紙を飾るプロレス雑誌の束だった。

  ページが開かないように、背表紙以外はガムテープで固定されている。 そして、その雑誌に直接送り状が貼り付けられ、宅配便によって自分のところまで運ばれてきた訳だ。 送り主を見ると、そこにはマサルの名が記されている。 奴のことだから古雑誌を処分するついでに 「嫌がらせのつもりで送ってきたのだろうか」 などと真意を測りかねながら開封すると、そこには 1本のビデオテープが入っていた。

  まるでスパイ映画のように雑誌の中をビデオテープの大きさにくり抜き、ピッタリと収まるかたちでテープが入っている。 底の部分に手紙が入っており、そこには 「○月○日放送の映画を録画してくれ」 と書かれていた。 当時マサルの住んでいたアパートでは衛星放送が受信できなかったのである。 単にそれだけのことなのに、普通に荷物を送るのはつまらなかったらしく、わざわざ手の込んだやりかたで発送してきたらしい。

  もちろん帰宅後すぐに電話して 「くだらないことをするなー!」 と文句を言い、女性社員がどれだけ嫌な顔をしており、それによって自分まで変な目で見られることを伝えたのだが、「会社でのお前の立場をなくしてやる」 なんてことを言う。 「それだけはやめてくれ」 とすがってみたが、「むふふふ」 という不敵な笑いを残して電話が切れた。

  数週間後、受付の女性が 「また何か届きました」 と手に洗濯用の洗剤の箱を持ってやってきた。 前回の荷物の件が周りに知れ渡っていたため、今度は何事かと人がワラワラと寄ってくる。 今度は 『酵素パワーのトップ』 の箱に直接送り状が貼られており、その送り主には見るもおぞましいマサル名が記されていた。

  恐る恐る開封すると、中には普通に洗剤が入っている。 何のために洗剤を送ってきたのか、またまた真意を測りかねていたのだが、その箱が妙に軽いことに気が付いた。 嫌〜な予感がして調べてみると、箱の中に仕切りをつくり、中にビデオテープが収められていた。 わざわざ工作までして箱にテープを入れ、その上に仕切りを作って上の部分にだけ洗剤を入れて送ってきたのだ。

  もちろん帰宅後すぐに電話して 「二度とこんなことはしないように」 と言い渡したのだが、前回と同様に 「むふふふ」 という不敵な笑いを残して電話が切れた。 それからも手を変え品を変えて次々に変な荷物が送られてくるが、用と言えば 「○月○日放送の映画を録画してくれ」 というものばかりである。 会社でも、すっかり変な荷物が届けられることが有名になってしまい、次はどんな手口で送られてくるのか楽しみにする奴まで現れる始末だ。

  そしてある日、会社に会議用の机を梱包する 180cm x 120cm ほどの巨大な段ボール箱が送られてきた。 ちょうど会議用の机を手配していたこともあり、みんなのいる前で開封しようと思って運ぼうとすると、箱のサイズに見合わず鬼のように軽い。 もの凄〜く嫌〜な予感がして送り主を確認すると、そこにはマサルの名。

  なんと、巨大な箱の片隅に小さな仕切りを作ってビデオテープを収め、箱が変形しないように、所々に支柱まで作成してある手の込んだもので送ってきたのである。 周りの奴らはゲラゲラ笑うし、受付の女性からは冷たい目で見られる散々な思いをすることになってしまった。

  もちろん帰宅後すぐに電話して 「いい加減にしろー!」 と怒鳴ってやると、「あほー!規格外の荷物を送るのにどれだけ送料を払ったと思ってるんだー!」 と完全に逆ギレ状態である。 それからも荷物が送られてくるたびにマサルからではないかと怯え、マサルが衛星放送を受信できるようになるまで心安らぐことがない日々が続いたのであった。

2006 / 11 / 25 (土) ¦ 固定リンク

コストパフォーマンス コストパフォーマンス

  ダイエーの経営再建は遅々として進まない印象を覚えるが、「商品の値段は生産者が決めるのではなく消費者が決める」 と言い、価格破壊を進めて圧倒的な支持を受けた創業者である中内氏の功績は大きい。

  事実、この十数年の間にメーカーが勝手に決める 『定価』 という概念がなくなり、オープンプライスが広まった。 残っているのは 『希望小売価格』 という、「できれば、この価格で買ってほしいな〜」 という消極的な価格表示だけだ。

  我々消費者にとって嬉しい限りだが、一部の小売店からは 「一応は定価を決めてほしい」 という声が根強く残っているという。 なぜならば、定価がなければ 「2割引」 とか 「半額」 と宣伝できないからからだ。 店によっては 「通常価格から 2割引」 などとチラシに掲載して工夫しているが、その通常価格が嘘だったりして問題になる場合もある。 普段から 200円で売っているくせに、チラシには 「通常価格 250円の 2割引」 と書いて、結局 200円で売るという、低レベルの詐欺みたいな手口だ。

  それはさておき、リンゴの消費量が低下の一途をたどっているらしい。 リンゴ農園の人は 「売れない」 「安くしか出荷できない」 と嘆いているが、それは消費者がリンゴに価値を見いださないからだろう。 栄養価など高いのだろうが、残念ながら魅力を感じることができないのは自分だけだろうか。

  同じような形状をしたものであっても、梨であれば秋を感じることができて食べてみる気にもなるが、リンゴは年中売っているので季節感などあったものではない。 栗も秋を感じることができるし、ミカンと言えば冬にコタツでミカンである。 スイカは夏だし、イチゴは春と冬。 やっぱり季節ごとの味わいというものがある。

  同じく一年を通じて売っているものにバナナがあるが、これはコストパフォーマンスに優れる。 栄養価ももちろんだが、簡単に皮がむけ、片手で持ってモグモグと食べられるし、一本が腹に入れるちょうど良い量である。 そして 200〜300円も出せば鬼のような量が買える。 それと比較してリンゴは 1個で 150円もするではないか。 生産者は 「安くしか売れない」 と言うが、グラム当たりでは高すぎるように思う。

  高い果物であっても何らかの付加価値があれば良い。 たとえばメロンなどは安いものもあるが、数千円も一万円もする品種だってある。 それでも売れるのは、その価値を消費者が認めているからだろう。 葡萄 (ぶどう) だって高くたって売れるし、やはり季節になると食べておきたい果物だ。

  残念ながらリンゴに対しては、そこまでの価値を見いだすことができない。 どれだけ育てるのが大変なのかという苦労も分からないではないが、やはりリンゴの価格がもっと安くならなければ消費が増えることはないように思う。

2006 / 11 / 18 (土) ¦ 固定リンク

死という概念 死という概念

  イジメを苦にした自殺が続いている。 今日(11/11)付けの自殺予告もあり、関係各所は緊迫した状態が続いた。 報道番組を見ていると、いわゆる識者と呼ばれる人たちが 「死を選ぶくらいなら勇気をもって問題に立ち向かえ」 とか 「学校に行かないのも一つの選択肢」 などと言っているが、自殺の理由がイジメだけではない場合は説得力を持たない。

  第一、偉そうなオッサンやオバハンが言うほど事は簡単ではないし、若い子の思考が単純でもない。 ある程度の経験を経た大人は、それが自分のことであっても問題の大きさを客観的に見つめることが可能だが、人生経験の少ない若い子にはそれができるはずがない。 たとえ恋愛のことであれ、対人関係のことであれ、彼女、彼たちの現在における心の 100%を占めてしまうことがある。

  大人から見れば時が解決してくれると思われるような小さなことであっても、それが解決しない限り一歩も前に進めず、時間すら止まっている感覚に襲われるものだ。 そして、さらに悪いことに、ある一時期、死というものがとても美しく思えることがある。 普段から死にたいと思っている訳でも死に憧れている訳でもなく、とても抽象的な感覚ではあるが、それが美しく思えてしまう。

  たとえば映画やテレビドラマ、漫画でも何でも主人公や、その周りにいる登場人物が死ぬような場面などを見た場合や、アーティストや芸能人が若くして亡くなってしまった場合、漠然とではあるが自分が死んだ場合のことを思い、それがドラマチックであればあるほど美しく、とても意味があることのように感じてしまう。

  そこにイジメや家族の問題、恋愛問題などの要素が加われば一気に背中を押された気持になってしまうことだろう。 そして、相手に対してどれだけのダメージを与えることになるのかも十分に考慮しており、家族や友達が悲しむことも理解している。 「自殺して悲しむのは親」 とか 「周りの友達も悲しむから」 などと言って自殺を思いとどまらせようとするが、その言葉は抑止力にならない。

  なぜなら死を選ぶ若い人は周りの人に悲しんでもらいたいと思っているはずだ。 自分が不幸のどん底にあるドラマの主人公であるような負の意味でのヒロイズムがあり、その死によって周りが悲しめば悲しむほど、死というものがより美しい意味をなし、最後の自己表現であると錯覚してしまう。

  普段はあまり断定的な書き方をしないのだが、この件に関してはどうして知った風な書き方をするのかと言えば、中学二年くらいから高校一年くらいまでの約三年間、自分も死を美しいものと考えていたからである。 そして、周りにも少なからず同じような考えの持ち主がいた。 したがって、全員ではないにせよ相当数の若い子が、一定の期間は同じような思考を持つものと思われる。

  当時の自分はイジメを受けていた訳でもないので、結局は背中を押されずに済んだが、その一時期に自分にとっての大きな問題が発生すれば、自殺を選択した危険性は十分にあったと想像できる。 不良だった当時は自分が醜い大人になる前にこの世に別れを告げたいと考えていたし、命の大切さを十分には理解していなかった。

  しかし、それは一時期だけのことであり、今は健康を気遣い、適度な運動もして栄養を考えた食事も摂り、長生きを目論む立派なオッサンに ”成長” した。 当時は嫌で仕方のなかった醜い大人となった今でも、少しでも先に進もうともがき苦しんだりもしている。

  若い子を自殺から救う手段は、大人目線からの助言でも励ましの言葉でもなく、逃げ場のない思考の呪縛から開放してあげることだと思う。 つまり、いち早く子供の変化をとらえてイジメなどの問題を抱えているようであれば、学校に相談するとか言葉だけで励ますなどという小手先の手段を選ばす、家族全員が生活を捨てる覚悟で遠い土地に引っ越してしまうなどの荒療治が必要だ。

  そこで 「仕事があるから・・・」 などと親が躊躇しているようでは子供の救える命も救えない。

2006 / 11 / 11 (土) ¦ 固定リンク

オバチャン・パワー オバチャン・パワー

  最近になって英語教育が盛んになってきたので将来的には解消されることだろうが、日本人は役に立たない英語を教えられてきたこともあり、どうしても英語圏の人とのコミュニケーションが苦手だ。 外国人に話し掛けられると極度の緊張状態に陥るし、海外旅行前など必要最低限の会話だけでも身に付けようと必死になって本などを読み漁る。

  それでも、そんな努力をする日本人は偉いと思うし、可愛いものである。 よそ様の国にお邪魔するのだから、相手の国に少しでも合わせようとする奥ゆかしさが感じられるではないか。 その点、アメリカ人は日本に来ても堂々と英語で話し掛けてくる。 英語が苦手なこちらが、しどろもどろになっていると、さも英語が話せないことが信じられないという素振りである。

  日本人が外国に行った場合は、客分としての立場をわきまえているというのに、他国におじゃましているという立場を理解してない。 確かにヨーロッパ圏はもちろん、同じアジアであるホンコンやシンガポールなど英会話に支障のない国はあるが、日本の場合は母国語すら満足に話せない人が多いのだから英語までペラペラと話すことはできないのである。

  それでも客分という立場に関わらず、堂々と日本語で通そうとする人たちも日本人の中には存在する。 それが恐れるかな関西のオバチャンたちだ。

  以前ラスベガスに行ったとき、夜のカジノで一人優雅にスロットマシーンで遊んでいると、ドヤドヤと日本人の団体が現れたと思ったら、ワーワーギャーギャー言いながらポーカーやら何やらを始めた。 大声で機関銃のように喋りまくるオバチャンたちの言語は、あきらかに関西弁だ。 不思議なもので、そんな喧騒の中に身を置くと華麗で優雅なカジノではなく、『賭博場』 という表現がピッタリに思えてくる。

  周りのアメリカ人たちも何事かと少し驚いていたが、声の主がオバチャンたちだと分かると 「プッ」 と吹き出し、オバチャンたちを指差してニヤニヤしている。 何だかとっても恥ずかしくなり、「私は彼女たちと同じ民族ではありません」 という態度でスロットマシーンを回し続けていた。

  すると、遠くにあるスロットマシーンから 「ギャー!」 という絶叫が場内に響き渡る。 何事かとそちらを見ると、25セント用のマシーンで ”良い目” が揃い、チャラチャラとコインが出ている程度のことだった。 周りから失笑されているとも知らず、怖いもの知らずのオバチャンたちのボルテージは高まるばかりだ。

  コインがなくなったので両替に向うと、そこにはオバチャン軍団がひしめいていた。 両替をしてくれるカウンターに 「バン!」 と 100ドル札を置き、鼻息も荒く 「これ 1ドル硬貨に換えてください!」 というバリバリの日本語。 カウンターに座るお兄ちゃんが青い目を ”白黒” させながら困った顔をしている。

  英語で何かを伝えていたが、オバチャンたちは聞く耳を持たず、「そこにあるやんか」 「その 1ドルに換えてくれたらいいんや!」 と攻撃の手を緩めない。 スッタモンダの挙句、1ドル硬貨を手にしたオバチャンたちは 「これから本番の大勝負や!」 と言いながらドスドスと立ち去って行ったが、残されたお兄ちゃんは疲れ果てて魂の抜け殻みたいになっていた。

  そのカウンターに向うと、お兄ちゃんは 「また日本人が来た!」 と体をビクッとさせて緊張する。 気の弱い日本人である自分は、「Please exchange it for one dollar.」 と小声でお願いする。 お兄ちゃんは少しほっとした顔になり、へたくそな発音なのにも関わらず、こちらの意図を汲み取って 1ドル硬貨を渡してくれた。 そしてニッコリ笑いながら 「Good luck」 と言ってくれる。

  とりあえずは 「thank you」 と言い残して ”戦場” に戻ったが、あちらこちらから聞こえるオバチャンたちの大声にパワーを吸い取られ、散々な結果だけを残してスゴスゴと部屋に退散することになってしまったラスベガスの夜なのであった。

2006 / 11 / 04 (土) ¦ 固定リンク

△ページのトップへ

Powerd by Bloq