大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!

雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

トップページ
2006年 9月

大人買い 大人買い

  先週の雑感を書いていて思ったのだが、子供の頃に強いられた禁欲の反動なのか、大人買い (おとながい) する人が最近になって特に多いような気がする。 おまけがメインなんだかチョコレートがメインなんだか分からない食玩 (しょくがん) もしかりで、おまけのコレクターが希望するものを手に入れるために、お菓子を梱包している箱ごと購入したりする。

  ペプシコーラのおまけが欲しくてケースごと購入したりもするし、シールを集めるためにビックリマンチョコを箱単位で買ったりもする。 コミック化された漫画を全巻一気に購入してみたり、好きな DVD を一気に購入したりするのも大人買いの一種だ。DVD BOX などと称し、特典までつけて全巻セットになった商品まであるが、それは大人買いする人が少なくなく、一定の需要が見込めるため成立する商売だろう。

  以前に勤めていた会社では、年の差 5歳くらいの範囲での同年代ばかり。 その大半が独身という環境だった。 さらに一人暮らしも少なく家に金を入れないという、ふとどき者ばかりだったので自分で稼いだ金は自分のためだけに使えるという奴らばかりだ。

  ある者は高級自転車を乗り回し、部品などの購入に湯水のように金を使う。 バリバリの部品で構成された自転車で通勤し、仕事を終えると疾風のように去って行く。 ある日、その自慢の自転車で帰宅しようとしたところ、何者かにサドルを盗まれていたこともあった。 ヒロシのネタの 「俺のサドルがありません!」 状態である。 それでも翌日にはロック付きの新品のサドルが取り付けられていた。

  ある者はスノーボードのウェアから板までフルセットを揃えて週末のたびに山に出かける。 そしてある者はラジコンにはまり、上級者でもないくせに操縦の難しいヘリコプターの機器を買い揃え、2-3回のフライトで墜落させて一瞬にしてゴミと化したりしていた。

  今はそれぞれに家庭を持ち、奥さんから小遣いをもらって生活しているのだろうから、若き日の独身貴族だからこそ成せる技だったということか。

  そんな奴らと週末に海で遊ぶことになり、数台の車に乗り込んで海岸に向った。 途中、現地で花火をしようということになり、小さな町の小さな店に立ち寄った。 品揃えは多くないものの、それなりに楽しめそうな花火が綺麗に並べて売られている。

  あれやこれやと物色していたのだが、選ぶのが面倒になったので店のカゴを床に置き、陳列している台の上から砂でもすくうようにドサドサとカゴに落として在庫の大半を買い占めるような状況になってきた。 ふと気が付くと小学生くらいの男の子と女の子のきょうだいが手をつなぎ、呆然としながらこちらを見ている。

  お兄ちゃんである男の子の手には百円玉が何枚か握られていた。 どうやら二人でお小遣いをもらって花火を買いに来たらしい。 せっかく楽しみにしていたのに目の前でどんどん花火がなくなっていくのを見せつけられ、発する言葉さえ失っていたのだろう。

  その後、その子たちがションボリしながら帰宅したのか、店の中で泣き出したのか定かではないが、心の中で 「ごめんね」 と謝りつつ、大人になりきれないくせに大人買いをした一団は、海に向って疾走して行ったのであった。

2006 / 09 / 30 (土) ¦ 固定リンク

二つの財布 二つの財布

  子供の頃は欲しい物を買うのに誰もが苦労したはずだ。 自分の場合は過去の雑感に何度も書いている通り、あまり物欲というものがなかったらしく、何かを買って欲しいと親にねだったことは皆無に近いらしい。 百貨店や大型スーパーのお菓子売場や玩具売場で床に転がって泣きわめいている子供をたまに見かけるが、そういう行動をしなかったことだけが唯一親から誉められたことだ。

  その他の面では散々迷惑をかけたので、そんな点だけだけでも楽をさせたのは僅かながらの親孝行ということか。 欲しい物がなかった訳ではない。 仮面ライダーやウルトラマンに関連する玩具が欲しくてたまらなかった時期もある。 しかし、それらのもので遊ぶのかと問われれば、朝早くに家を出て日が沈むまで帰宅せず、外で遊んでばかりいた野生児には必要なさそうだ。

  それをなんとなく理解しているので泣いたり叫んだりしてまで欲しいと主張しなかったのだろう。 本当に欲しい物だけを年に数回しか 「買って」 と言わなかったので、逆に却下されることも少なかったように思う。 結果、何でもかんでも手に入れられる訳ではないが、どうしても欲しい物は文句も言われずに入手できるという、まことに円滑な親子関係が成立していた。

  同級生の中には欲しい物を手に入れるため、あれやこれやと作戦を練っている子もいた。 冬休みのクリスマスに希望するものを手に入れようと、必死になって二学期の成績を上げようとする者、毎月のお小遣いをコツコツと貯め込む者、必死になって家事の手伝いをするものなど様々だ。 中学や高校生になると新聞配達やら何やらのアルバイトに精を出してバイト料を貯蓄し、ギターやオートバイを購入する者もいた。

  現代のように甘やかされ、親からチヤホヤされる環境になかった当時の子供たちは、それぞれに努力して欲しい物を手に入れていた訳である。 親と祖父母、二つの財布を持つと言われる現在の子供は身の回に欲しいと思ったものがゴロゴロと溢れ、何の不満もなく過ごしてるのだろうか。 それとも一般的には我慢することを躾 (しつけ) られている子の方が多いのだろうか。

  何でも欲しい物が手に入るという状況は、将来に良い影響を及ぼさないような気がしてならない。 やはり少しは我慢するとか、計画的にお金を使って自分の欲しい物は自分で買うとかを教えるべきではないかと思う。 それでなければ、ある年齢に達したときに自分の要求どおりにならなかった場合の対処法が身につかないのではないだろうか。

  子供に二つの財布があり、消費に回されている現状が、今の景気を下支えしている側面も少なくないだろうが、将来を考えると子供に贅沢をさせ、何でも買い与えるのは控えておいた方が良いように思う。 将来、自制が効かず、欲求が爆発してしまう大人を蔓延させないためにも、今は我慢という二文字を教えておくべきだろう。

  そうでなければ我慢を知らず、欲求を満たすために突飛な行動にでる若者が増殖するに違いない。 すでに、その兆候は現れているのだから。

2006 / 09 / 23 (土) ¦ 固定リンク

マサルノコト scene 8 マサルノコト scene 8

  マサルは超雨男である。 『マサルノコト scene 5』 に書いたように、遠くから我家まで頻繁に遊びに来ていたのだが、マサルが来るたびに天気が優れない。 最高で曇り空、だいたいはグズグズした空模様。 ひどい時には、マサルが近づいてくると空に暗雲がたれこめ、落雷が轟き、ゴールデンウイークだというのにバラバラと直径 1cm はあろうかという雹 (ひょう) が降ってきたことさえある。

  当時勤めていた会社の仲間にもマサルが雨男だということが広く知れ渡り、連休の前などは 「友達は来る?」 などと質問を受ける。 「来るって言ってたよ」 と答えようものなら 「お願いだから来ないように言ってくれない?」 と手を合わせてお願いされる。 事情を聞くと、連休中に外出するので雨が降ると困るのだと言いだす始末だ。

  そんな事情でマサルに断りを入れるのも何なので、放っておくと連休中は案の上の雨である。 休み明けには 「どうして断わってくれなかった」 と恨みのこもった抗議を受けることになる。 そんなことを言われてもマサルが来ると必ず雨が降ると確定している訳でもなく、天気が悪かったのはマサルのせいではないだろうと反論するのだが、誰かが統計をとったところ、悪天候の確率は 70%に達するという。

  薄々はマサルが雨男であるような気がしてはいたが、マサルが来た際に天気が良くない確率がそんなに高いとは認識していなかった。 そのことを本人に伝えると、心外だと言わんばかりに機嫌の悪い声で文句を言っていたが、悪天候になる確率を教えてやると、「そう言えば晴れた日にお前と会った記憶がない」 と真剣に悩み始めた。

  人間というものは、自分のことを客観的に見つめ直し、その状況を正確にわきまえた方がよろしい。 この際だからマサルも自分が雨男であることを認めるべきである。 「人間、諦めが肝心だ」 と言って聞かせ、渋々ながらも雨男であることを認めさせた。 最初はテンションが下がっていたものの、ある時期から気持が吹っ切れたようで、開き直りにも近い状態となった。

  「昨日は出張で○○まで行ったけど、やっぱり雨でよ〜」 などと自慢の電話をかけてくる。 仕事のため、とある島ままでフェリーで行き、とんでもない悪天候になって船が欠航したため 2日間ほど足止めをくって島から帰って来れなかったなどという自慢話を聞いたのも一度や二度ではない。 とにかく各地で 『嵐を呼ぶ男』 は絶大なるパワーを発揮していたのである。

  ある日、マサルは我家に遊びに来ていた。 夜になって腹も減ってきたので近所の居酒屋まで行くことにした。 道を歩いていると、やっぱり空はどんよりとし、ポツポツと雨も落ちてきている。 「やっぱりな〜お前のパワーはすごいな〜」 などと言いながら居酒屋で腹一杯になるまで食事をし、気分が良くなるまで酒を飲んだ。

  帰り道、店を出るときには止んでいた雨が再び降りだし、ポツポツと頬をぬらし始めた。 「どうやら雨はお前をぬらしたいらしいな」 などと言いながら歩いていると、酔ったマサルが大声で 「どうせなら中途半端に降っていないで思いっきり降れ!」 と叫んだ。 すると恐ろしいことに、それから 1分も経過しないうちに雨足が強まり、鬼のような勢いの土砂ぶりになった。

  ずぶぬれになって家に帰り、「お前は自分のパワーを分かっていない!」 「余計なことをして土砂ぶりにするな!」 などと訳の分からない説教をしながら濡れた服を着替える。 マサルは少しションボリしながら 「俺だってまさか大雨になると思わなかったしよ〜」 と弁解していた。

  会社でその話をすると、みんなは 「恐ろしや、恐ろしや」 とざわめき始め、オロオロとうろたえている。 それ以降、マサルは 『レインマン』 と呼ばれ、恐るべき雨男として長く語り継がれることになったのであった。

2006 / 09 / 16 (土) ¦ 固定リンク

公平負担 公平負担

  NHK の番組を観ていると、受信料の支払いに関する案内をしており、そこで 『家族割引』 なるものを紹介していた。 内容は 「親元を離れて暮らす学生や単身赴任の方を対象に、口座振替等の受信料額の 33%相当を割引く制度」 なのだそうだ。 昨年来の不祥事続きで受信料の不払いが広がったので慌てて対策を講じたものと思われるが、開始が今年の 12月からというのが腹立たしい。

  それもこれも競争がないからだろう。 携帯電話の家族割引などは他社との競争もあって申し込んだらすぐに対応してくれるが、NHK は 8月から受付を開始しているのにも関わらず適用は 12月からだ。 支払いを拒否する人が増える中、そんな悠長なことをしていて良いのだろうか。

  第一、受信料の支払いが法で定められた義務であるかのように言う集金人にも腹が立つ。 若い頃、一人暮らしをしていたアパートに集金人がやってきた。 痩せていて小さな声で話すヤギのようなオッサンだったが、自分は 「観ていない」 の一点張りで支払いを拒否していた。 事実、その頃はパチンコやマージャンに忙しく、ほとんど家に居なかったし、居たとしても NHK など観ることはなかったのである。

  そのヤギのようなオッサンは消え入るような声で 「次は他の者をよこしますから」 と捨て台詞を残して帰って行き、数日後に現れたのは体格も良く、目つきの鋭いオッサンだった。 受信料の支払いは法律で定められた国民の義務であるかのように大きな声でまくし立てる。 気の弱い人であれば、びびって金を払うことだろう。 そんな程度では怖がらない自分は 「俺が法律を犯しているなら警察を呼んで来い!」 と言って追い返してやった。

  実際にそれは法制化されていないし、義務ではない。 それなのに少し強面 (こわもて) のオッサンを連れてきて強制的に支払わせようとするのは 「消防法で定められたから消化器を買え」 という悪徳商売と大差ないではないか。 番組を観ているのであれば支払いもするが、当時は本当に観ていなかったのである。 屋根にアンテナがあり、テレビがあれば集金の対象となるのはおかしい。

  あまりに腹が立ったので、テレビのチューニングを手動で変更し、本当に NHK を受信できない状態にしてやった。 次に集金人が来たときに、実際に受信していないことを見せてやると、「こまりますよ。受信してください」 などとぬかす。ますます押し売りをする悪徳業者と変わらなくなってきた。「うるさい!俺の勝手だ!」 と追い返したが、どうにも腹の虫が治まらなかった。

  今は自分がオッサンになり、NHK を観る時間が長くなったので受信料を支払っているが、それでも腹の立つことが多い。 まずは衛星放送の受信料だ。 勝手に放送を始めておいて、料金を支払えとは何事か。 誰が放送してくれと言った。 今のマンションには衛星放送受信のアンテナが設置されている。 テレビには勝手に BS チューナーが内蔵されている。 しかし、勝手に電波を流して料金を支払えとは。

  テレビのメーカーがチューナーを内蔵し、アパートやマンションにはアンテナが設置されるのだから NHK は 『スカパー』 や 『WOWOW』 などのように 「受信してください」 と営業する必要がない。 世の中が勝手に受信できる状態にしてくれるのだから、後は 「金を払え」 と言うだけだ。 超ウルトラ殿様商売である。 人件費も営業経費もかからないのだから、受信料は 500円くらいで十分だろう。

  今後はデジタル放送で双方向通信が可能になるのだから、技術的には各家庭が受信した時間を把握できるはずだ。 したがって、受信料は従量制、つまり、視聴した時間分だけ料金を徴収する方式に変えたらどうだろう。 そして、まるで官僚組織のように 30以上もの関連団体を作って金を回し合っている体制を改めて組織のスリム化、合理化を進め、受信料を低く抑える努力をしたらどうだろう。

  今のままでは公平負担の原則に沿っていないような気がしてならない。

2006 / 09 / 09 (土) ¦ 固定リンク

予知能力 予知能力

  人に話すと気味悪がられるので大きな声では言えないが、実は自分には予知能力があるらしい。 それに初めて気付いたのは小学生の頃だった。 放課後、数人の友達と教室で雑談をしていたときに、友達のカバンが机から落ちそうになっているのが見えた。 慌てて走って行き、落下するカバンを受け止めたのだが、その走っている最中にカバンが落下し始めたのである。

  つまり、同じ映像を二度見たことになる。 実際には走っている最中にカバンがグラッとなって落下し始めた訳であるから、カバンが落ちそうになってから走った訳ではない。 友達は 「すげー反射神経だ」 と驚いていたが、自分の身に起こったことが現実離れしていたので、カバンが落ちる映像を見たことを言えなかった。

  大人になってからも現象は続く。 パチンコ屋で通路を歩いているとき、通り過ぎようとしていたパチンコ台で 7 が揃い、大当たりしているのが見えた。 心の中で (いいな〜) とつぶやきながら通り過ぎると、その台に座っていた人が 「よっしゃー!」 と叫ぶ。 何かと思ったら、7 が揃って喜んでいるところだった。 自分は少し早くそれを見てしまった訳である。

  ゲームを作る会社に勤めていたとき、マージャンゲームの動作検証作業をしていた。 自分の作業が一段落したので他の人の作業を見ていたのだが、マージャンに詳しくない同僚が次にどの牌(はい : トランプのカードのようなもの) を捨てるべきか悩んでいる。 自分の目に入っているのはテンパイ (あと一手でアガリの状態) したかたちで、アガリ直前の映像だ。

  「う〜ん」 と悩み続けている同僚に 「七萬 (ちーまん) を切ったら (捨てたら) 九萬でツモだよ」 と助言したが、同僚はポカ〜ンとしている。 聞き取れなかったのかと思い、もう一度同じことを言うと、「こいつは何を言っているのだ」 という怪訝そうな顔をしながらも助言どおりに七萬を捨てた。 すると次にツモッって (伏せてある牌を持ってくる) きたのは九萬で、見事にアガリになった。

  自分はそのとき、例の現象で先に映像を見ていることに気付いていなかった。 同僚は気味が悪そうにこちらを見ながら 「どうして分かった?」 と聞いてくる。 そこでハッと気が付き、「いや、その、適当に言っただけ」 などと、ゴニョゴニョ言ってごまかしたが、不思議そうな目でこちらを見ていた。

  今でも 『お買物日記』 担当者と 「そう言えば最近○○を見ないね」 などと芸能人の話をすると直後にテレビに映ったりすることがあるし、急に頭に浮かんだ曲が直後に流れ出すこともある。 次に放映されるテレビ CM が事前に分かったりすることも多い。

  いろいろと書いてきたが、共通するのは全て無意識に映像が見えたり頭に浮かんだりするだけであって、超能力者のように見る気になって見られるものではない。 そして見えるは数秒後に起こることであって、数分、数時間、ましてや数日後のことなど見えたことがない。 つまりは何の役にも立たない無駄な予知能力である。

  数分後のことが分かるのであれば競馬や競輪で大儲けできるだろうし、数日後のことが分かるのであれば株で大儲けできる。 人生に悩んでいる人に間違いのないアドバイスだってできるだろうし、世界平和に役立てる事だってできるかもしれない。

  しかし見えるのが数秒後のことであって、しかも見る方法が自分でも分からないとあっては、本当に何の役にも立たない無駄なものでしかなかったりするのである。

2006 / 09 / 02 (土) ¦ 固定リンク

△ページのトップへ

Powerd by Bloq