2002年 5月
デジタルな社会 デジタルな社会
2週続けてデジタルの話になってしまうが、典型的なデジタル機器である PCの進化は凄まじい。日に日に性能が良くなり価格も安くなるものだから購入や買い替えのタイミングが難しく、なかなか決断できないものである。グズグズしていると次期製品が発表になり、当然のことながら現行製品より性能が向上している。その製品の発売を待って・・・と繰返しているといつまでたっても踏ん切りがつかない。
コンピュータ業界には ”ムーアの法則” というものがある。それは 「インテル入っている」 でお馴染みのインテルという会社を創ったメンバーの一人であるゴードン・ムーア博士が唱えた法則で、「半導体の性能と集積は、18カ月ごとに 2倍になる」 というものだ。「もうそろそろ限界だ」 と常に不安視されながらもムーア博士が法則を唱えた 1965年から現在に至るまでその通りになっている。
PCに組み込まれているハードディスク(記憶装置)の容量もどんどん大きくなり、価格はどんどん安くなっている。10年前、20MB(メガバイト)のハードディスクは 20万円と高価なものだったが、今では 120GB(ギガバイト)のハードディスクが 2万円程度で売られている。記憶できる容量が約 6,000倍になっているのに価格は 1/10になっているわけだ。
こうやって PCで使われる部品の性能が向上し、価格も安くなっていくのだから当然の結果として PC本体の性能もどんどん向上して価格は安くなってくるのである。”ムーアの法則” が崩れない限り、これから先も性能向上が進むわけなので PCの買い時などというのは無いに等しい。つまりは ”いつ買ってもいっしょ” なので現状の PCに満足できなくなった時に買い換えれば良いのである。
さて先週の雑感で 「コンピュータに毒されてはいけない」 と書いたが、実社会ではすでに毒された人々が現れている。”毒” ではないが、メール交換やチャットで知り合った人と結婚した人もいる。ひと昔前にバーチャルリアリティ(Virtual Reality(仮想現実))という言葉が流行ったが、まさにデジタルな ”仮想” 空間で知り合った人が結婚という ”現実” に至ったわけだ。
そんなおめでたい話はめったにあることではなく、現実には犯罪絡みの ”毒” に犯される場合が多い。出会い系サイトで知り合った人と会って殺されてしまった事件やネットオークションや通販での詐欺事件などである。その他にもネット上で個人情報を不正に取得しようとする奴もいればダイヤルQ2や国際電話に不正に接続して利益を得ようとするサイトもある。
そのようなサイトはだいたいがアダルト系のサイトで 「無修正の画像や動画が見られる」 という甘い罠にひっかかって、閲覧するための専用プログラムをダウンロードしてしまうと、それは画像や動画を見るためのプログラムではなくダイヤルQ2や国際電話に接続するためのものだったりするのである。鼻の下を伸ばしながら 「でへへぇ」 とアダルトサイトの中をウロウロしていると NTTなどから巨額の請求が来てビックリする事態になるので ”あやしい” プログラムはダウンロードしないことである。
本人の意思とは無関係に ”あやしい” プログラムを送りつけてくるウィルス被害も後をたたない。ウィルスに感染すると最悪の場合は OS(Windowsなど)そのものが正常動作しなくなったり、ハードディスクの中の情報が破壊されたりするので注意が必要だ。eメールにファイルが添付されていたら差出人が 「添付しましたよ〜ん」 と宣言していない限りは開かないのが吉である。
添付ファイルではなくメールそのものを開いただけ、またはホームページを見ただけで PCの動作が怪しくなるワームというものも存在するのでこれも注意が必要だが、どこのホームページを見てはいけないのか、どのメールを開いてはいけないのかなど特定し、その情報を得ることは不可能なのでブラウザ(IEなど)やメーラ(Outlookなど)を更新しておく必要がある。OSが Windowsシリーズで IEや Outlookを使用している人はマイクロソフト社のセキュリティ情報のページを見て必要な対応策を施しておくことをお勧めする。
このようにバーチャルな空間で発生する問題や現実社会で発生する問題だけではなく、バーチャル(仮想)とリアル(現実)の区別ができなくなってしまう人もいる。格闘ゲームといわれる対戦型の TVゲームがあり、ゲームの中のバーチャルな空間で対戦相手を殴ったり蹴ったりと、まさに格闘して相手を倒すのが目的なのだ。そのゲームの中では派手な ”技” が繰り広げられるのだが、それを現実で試して相手を死なせてしまう事件も発生している。
相手をどの程度の強さで殴ったら怪我をさせてしまうのか、どの程度攻撃すれば死なせてしまうのかが分かっていないのだろう。実際にゲームの中の技を試したのであれば、やはり注意が必要なのかもしれないが、事件がおこるたびにゲームを問題視する風潮もいかがなものかと思う。そもそも現代っ子は子供の頃から塾通いなどで忙しくて昔の子供のように泥だらけになって遊ぶことを知らない。
子供同士が元気に遊び、時にはケンカもしていろいろな事を学習していく。どの程度の強さで殴れば相手が怪我をするのか、殴られるとどれほど痛いのかも知らずに育った子供がゲームの中で派手に殴りあうのだから感覚も分からずに現実の世界で実践してしまうのだろう。そういう意味からゲームだけが問題なのではなく、現実の世界にも問題が多いような気がしてならない。
今やインターネット先進国となった韓国ではもっと深刻な問題も発生している。掲示板でイジメにあい、自殺してしまった人。インターネットゲーム(インターネットを利用して複数の人が参加するゲーム)の中で使いものにならないアイテム(道具)を高額で買わされた人が、売りつけた奴の身元を教えろとゲームを運用している会社に空気銃を乱射しながら侵入したり、ゲームの世界で知り合った人が(ゲームの世界の中で)殺されたため、殺された相手を ”現実の世界” で殺してしまったりということが起こっている。
20年以上前に TV(ビデオ)の中の世界と現実の世界が区別できなくなってしまうという SF映画があったが、SFではなく現実にそういうことが起こっているのである。しかし、それとてゲームやインターネットが諸悪の根源なのではないと思う。ネット上には善人ばかりいるわけではないので他人の言うことを真に受けたり、他人が操るゲームのキャラクタを人間と同一視するような利用者がいることが問題なのである。
ネットの中で起こっていることはネットだけのこと、現実は現実のことと切り替えられることができない人はネットを利用すべきでない。そういう一部の人がいるからインターネットの世界が誤解されてしまうのである。インターネットは道具にすぎないのだからそれを ”薬” にするのも ”毒” にするのもやはり使う側の問題なのである。
2002 / 05 / 26 (日) ¦ 固定リンク
デジタルな生活 デジタルな生活
今は何でもデジタルに置き換えられアナログ機器を目にする事が少なくなってきた。レコードは CDに置き換わり、携帯電話も出始めのころはアナログ通信だったのだが、今ではほぼ 100%がデジタル通信に置き換わっている。今こうして利用している PCだって典型的なデジタル機器なわけである。
そもそも 「デジタルとはなんぞや」 というと、量とか強さとか速さといったものを数字で表すことを 「デジタル化する」 ということが多い。身近なところでは長針、短針、秒針で時間を表現しているものがアナログ時計、時分秒を数字で表現しているものがデジタル時計というわけだ。
デジタル時計で時間を表す場合は数字でハッキリと○○時と表示されるが、アナログ時計で時間を表す短針は微妙な位置を指している。例えば 3時であっても分が進むと短針は文字盤の 3時と 4時の間の微妙な位置を指すことになる。ところがデジタル時計では今が何分であろうと時間は 3時のままである。
このように白黒ハッキリしているのがデジタルの特徴で、Yes か No、有りや無しやを 0か 1かで判断している。その 「0か 1か」 という情報ひとつが 1ビットと呼ばれ、それが 8桁つまりは 8ビットで 1バイトという単位になる。そしてそのバイトが 1,000(正確には 1,024)集まるとキロバイトに、次にはメガバイト、さらにギガバイトとなっていく。 ここで細かく説明している場合ではないのでこの辺でやめておくが、とにかくデジタルとは 0か 1の世界なのである。
デジタル・デバイド(情報格差)という言葉を耳にすることが多くなったが、これは PCやインターネットなどのデジタル技術を使いこなせるか使いこなせないか、あるいは普及しているか普及していないか、という意味(問題)である。確かに我家でも PCやインターネットなしの生活など考えられなくなってきた。解らないことを調べたり、知りたい情報を得ようとするときに必ずお世話になる。
身内が飛行機で移動しているときも無事に離陸したか、目的地には無事着陸したかなど、空港が運営している Webページを見ていると 10分毎に情報が送られてくるのでリアルタイムに状況を把握することができる。もう目的地から 「無事に着いたよ〜ん」 とか電話しなくても良いのである。
普段とは違うものを食べようと思えば料理の作り方やレシピなど山ほど入手することができるし、何か買おうと思えば商品の特徴や性能を自宅に居ながらいくらでも入手できるので、ゆっくりと比較検討することができる。自身でホームページを持っていることもあり、さらには電話回線もプロバイダの契約も定額制になっているので今では PCの電源を切ることがなくなってしまった。24時間いつでも使用できるので、ちょっとした調べものでもすぐにインターネットを利用してしまうのである。
海外で暮らす身内とも e-mailで簡単に連絡することができる。以前は連絡手段が電話か手紙しかなかったので、急ぎの連絡の場合には時差の関係から夜中まで起きて ”現地の朝” を待ってから電話するなどの努力が必要だったが、今ではちゃちゃっと文書を作成して、ほいっと送信しておけばそれで済む。まことに便利な世の中になったものである。
こうやって PCが使えたりネット接続の環境があると知りたい情報を簡単に入手できたり、遠く離れた人と容易かつ安価に連絡したりすることができる。そうなると PCが使えなかったりネット接続の環境が整っていない人や地域とは大きな差ができてしまう。そういった違いによって生活の質に大きな差が生まれる問題をデジタル・デバイドと呼ぶのであるが、日本では iモードを代表とする携帯電話によるネット接続が発達しているので大きな個人差や地域差には至らずに済んでいるようだ。
これからは本人が好むと好まざるとに関わらず、デジタル化の波はますます大きくなり、それに飲み込まれていくことになるのだろう。レコードが CDに、通話がアナログからデジタルに、ビデオが DVDに置き換わり、今では写真までもデジタルカメラで撮影する時代になった。そして総務省の主導で TVすらもデジタル化する計画が進められている。
現在は TVの電波はアナログで発信されているが、それをデジタル波に変えようというものだ。難しい話は抜きにして、我々の生活にどのような影響があるのかと言うと、今ある TVが使えないということである。計画では 2006年末までに放送を開始し、2011年で今のアナログ放送を打ち切るということなので、アナログの TVが使用可能なのはあと 9年と 6カ月程度となる。
実験段階でデジタル波にノイズが乗ってしまったり、設備投資に莫大な費用がかかるなどの問題もあり、計画どおり進む保証はないので一概には言えない部分もあるが、電化製品を 「10年は使いたい!」 と思っている人は今が買い替え時なのかもしれない。今 TVを買って、10年ほどしたらデジタル式の TVに買い換えるのである。
なにはともあれ、デジタル化の波は広くそして確実に我々の生活に入り込んできているわけなのだが、人間はそれに毒されないように気をつけなければならないと思う。コンピュータ症候群という言葉あるが、今では長時間 PCを操作することによる目の疲れ、頭痛・肩こり・めまい、そして、ひどくなると吐き気まで起こることを指すようになった。
しかし、10年ほど前に指摘されていたコンピュータ症候群とは先に説明した 0か 1かしか無い世界に長時間浸ることによって結果を早く、しかも Yesか Noかでしか求められなくなってしまうことを指していた。事実、コンピュータ業界に身を置いて 20年にもなる自分にもその傾向が表れているような気がする。どんなに時代が進もうと、どんなにデジタル化が進もうとも 0か 1かだけで世の中が成り立っているわけではないということをもう一度考えてみる必要があるのかもしれない。
2002 / 05 / 19 (日) ¦ 固定リンク
嗚呼日本人3 嗚呼日本人3
ワールドカップまで 20日を切り、いよいよ秒読みの段階に入ってきた。サッカーファン、試合会場やキャンプ誘致先を含む関係者の間では、さぞかし盛り上がっているに違いない。もちろん放映権が絡んでいる TV局なども準備に余念がないところなのであろうが、逆(マイナス)の意味で警備に当る人たちや警察関連も緊張が高まってきているに違いない。
大阪は阪神が好調で、そちらに気を取られているせいなのか大きな盛り上がりを見せていないような気がする。実は自分もそれほどサッカーに興味がある訳ではないので TV各局が 「ワールドカップまであとテ療欄�!」 などとムードを盛り上げようとしているのを見ても 「ふ〜ん」 と思う程度なのである。
確かにワールドカップが自国で開催されるのは数十年に一度しかないことなので、生きている間に二度とはお目にかかれない行事なのであろうが、サッカーという競技そのものに魅力を感じないのでイマイチ気分が盛り上がらない。同じように感じている人はきっと大勢いると想像できるが、いざ大会が始まると、そこは日本人の ”悲しい性” で ”にわかサッカーファン” が巷にあふれ出すのであろう。
普段はサッカーのことなど話もしないのに誰々のアシストが良かっただの悪かっただのと、さも詳しいように語り出す奴が湧いて出てくるに違いない。まあ、日本人である以上、日本のチームが勝ち進んでくれた方が嬉しいし、試合がある以上は結果も気にするのであろうが、始まるのを心待ちにしているのとは程遠い。それどころか、あの耳障りな実況を聞かされると思うと逆に憂鬱になってしまうくらいなのだ。
以前の雑感にも書いたが、サッカーに限らずスポーツの中継はいつからあんなに騒がしいものになったのだろう。あまにもウルサイので TVの音を消して中継を観たくなるほどだ。オリンピックの中継を観ていても頭の悪そうな解説者までが 「やった〜!」 とか叫んでいる。どこぞの ”おやじ” が茶の間で晩酌をしながら TVを観ているのと変わらないではないか。
それはさておき、自分が何故サッカーに興味が持てないのかと考えてみたところ、サッカーに限らず時間制の競技にはあまり関心がないことに気がついた。バスケットボール、アイスホッケーなどなど、ゲームの終わりが時間で区切られているスポーツにはあまり関心がない。ボーリングであれば 10フレームで終わり、ゴルフであれば 18番ホール、野球であれば 9回までと決まっている。
それらのスポーツは過去にブームになったことからも日本人の体質や気質に合っているのかもしれない。回数やステージに制限があり、その中で相手とどのように戦うのかを観るのが好きなのだろう。サッカーなどは ”時間” という制限があるものの、状況がどうであれ時間になれば 「ハイ、終わり」 「勝ったのはコッチ」 という感じなので味気がないような気がする。
時間に関係なく 「次が最後の攻撃」 とか 「ここで点を入れられたら終わり」、「このパットを入れれば優勝」 などと勝敗の結論がハッキリしている方が観ていても緊張感がある。野球であれば 4点差、5点差があっても最終回で逆転することはある程度可能だが、サッカーの場合は 4点も 5点も差があり、それを残り時間 10分で逆転するのは不可能に近い。
したがって試合終了近くに、今は勝っているけど逆転されるかもしれない。逆に負けているけど逆転できるかもしれないという醍醐味が得られないように思う。サッカーファンに石を投げられそうだが、個人的には嫌いではないにせよ、そんなこんなの理由からイマイチ没頭できないのだろうと分析している。
勝敗の結論がハッキリしているにも関わらずバレーボールは好きになれない。「先に何点入れた方が勝ち」 と決まっていて、大きな点差があっても逆転が可能であるから、上述した分析の結果から言っても好きになって当然のスポーツなのであるが、これは数あるスポーツの中で唯一 ”嫌い” なスポーツなのだ。特に競技そのものが嫌いなわけではなく、中継と観客が嫌いなのである。
国際試合の場合、双方とも ”はなはだしい” ほど日本の応援しかしない。日本に点が入ると会場は 「キャ〜!」 とか 「ギャ〜!」 とかいう黄色い声に包まれる。逆に相手国が点を入れると会場は 「し〜ん」 と静まり返り 「う〜」 という溜息とも唸り声ともつかぬ ”音” が充満する。応援のため遠路はるばる足を運んで来たその国の人だけが僅かに 「パチパチ」 と拍手をする程度である。声援まではしないにせよ、せめて拍手くらいはするべきではないだろうか。
観客もそうならば、中継をしているアナウンサー、解説者までが同じように日本寄りの発言しかしない。日本に点が入ると絶叫し、相手が点を入れると 「あ〜今のスパイクには高さもスピードもありましたね〜」 「ええ、そうですね〜」 と、おざなりな事しか言わない。そんな会場の雰囲気や中継が世界各国で放映されていると思うと顔から火が出るほど恥ずかしくなってしまう。
試合に勝つと観客はお祭り騒ぎになり、中継も絶叫と共に 「よかった、よかった」 と連呼するくせに、負けたとなると葬式の会場のような暗さが漂ってしまう。会場から沸き起こる拍手は勝った相手国を称えるものではなく、負けた日本に対して 「負けちゃったけど、よく頑張ったね」 という労いの拍手が圧倒的に多いと思われる。中継も同じで相手国を誉めることはなく、「いやぁ〜日本も頑張りましたね〜」 「そーですね〜この悔しさをバネに・・・」 などと言っている。
日本人には対戦相手を尊敬したり称えたりする心が不足しているように思えてならないのだが、それが凝縮した形で典型的に表れるのがバレーボールの試合のような気がする。もうすぐ始まるワールドカップでは、そんな ”みっともない” 姿をさらしてほしくないと願うばかりである。日本は空港使用料、宿泊費、食費などの物価が他国と比べて異常に高いので、海外からの応援客はそれほど多くならないと思われる。
圧倒的な人数の差で日本しか応援しないような観客を見せられ、騒がしいだけの実況を聞かされたならば、興味がないどころかサッカーそのものが嫌いになってしまうかもしれない。
2002 / 05 / 12 (日) ¦ 固定リンク
体質 体質
ゴールデンウィーク真っ只中なのであるが、こうして雑感を書いているわけだから当然のことながら旅行に出かけるわけでもなく、人ごみが嫌いなので USJなどレジャー施設に向かうわけでもなく家でボ〜っとしているのである。
連休に限らず休みとなると ”外出せずにはいられない派”、休みの日は ”どこにも行きたくない派” に分かれると思うが、家庭内に両派があるとトラブルが生じやすいのかもしれない。結果的にはどちらかの希望をかなえるために、どちらかが我慢をするわけだから多少なりともストレスを抱えることになる。我家の場合は ”どこにも行きたくない派” しか居ないため健康的ではないにせよ丸く治まっている。
こんなことを体質とは言わないが休みとあらば積極的に外出し、体を動かす行動的な人を見ると 「がんばるな〜」 と単純に思ってしまう。しかし ”外出せずにはいられない派” はそれでストレスを発散し、気分もリフレッシュしているのであろうから別に頑張っているわけではないのだろう。連休の中でも今日は端午の節句、いわゆる ”子供の日” だが、子供の頃から変わらないのがそういった性分と ”体質” である。
まずは敏感肌とでも言うのか、着るものでも使用されている繊維によっては体が痒くなってしまうものがある。綿だの麻だのは大丈夫なので体質を補うためにお金がかかるということもないが、男のくせに肌が弱いというのもなんだか情けない。Tシャツでも首の後ろに縫いこんであるタグは取ってしまわないとチクチクして嫌なのである。我慢していれば慣れそうなものだが、実際にタグが当る部分の皮膚が赤くなってしまうのだ。
ヒゲを剃った後もそのまま放っておくと皮膚が赤くなり痒くなってくるので 「情けないな〜」 と思いつつペタペタとクリーム塗って肌の弱さを補っている。散髪に行くと首(うなじ)をカミソリで剃られるのだが、それが大変なのである。最初は痒いくらいで済んでいるが、服の襟が当ると痛痒くなってくる。皮膚は赤くなりしまいにはプツプツと発疹ができてしまう。
当然 Yシャツの硬い襟をその部分に当てることなどもってのほかであるから、散髪は土曜日のできるだけ早い時間に済ませ、その日と翌日曜日は襟無しの服を着てクリームを塗りたくって過ごす。月曜日になるとかなり落ち着いているので Yシャツが着られるというわけだ。それでも多少は痒くなるので散髪に行ってから 4-5日はクリームのお世話になっている。
もう 10年以上前のことだが某社(あえて名を秘す)のシャンプーを使ってひどい目にあったことがある。TVなどでも大々的に CMを展開していたその商品は新発売ということもあり、他のものより安く売っていた。某社はブランド的にも超有名企業だったので何の疑いもなく購入し、嬉々として使ってみたのだが、髪を洗って一時間もすると異変が生じ始めた。
まるで一カ月以上も髪を洗っていない人のように ”フケ” のようなものが頭皮から吹き出てきて真っ白になっている。なにが起こったのか理解できずに ”あたふた” していると猛烈な痒みが襲ってきた。「これはシャンプーの仕業に違いない」 と思ってすぐに今まで使っていたシャンプーを買いに走り、風呂場に飛び込んだ。しかし、ただれてしまった頭皮は元に戻らなかった。
徐々に回復したものの、季節の変わり目や乾燥した日が続く冬には症状が再発していた。2-3年前にやっと完治したので結果的に 7-8年もの間ずっと ”フケ” のようなものと痒みに悩まされたわけだ。そのにっくきシャンプーは鳴り物入りで登場したわりにはすぐに市場から姿を消したので同じようなトラブルによる苦情が多かったのかもしれない。
アルコールに強かったり弱かったりするのも体質なのだろうか。自分はどちらかと言えば ”強い” 方に分類されるので ”弱い” 人のことがよく分からないのだが、知り合いに ”特種” とでも言うべき能力の持ち主がいる。彼女は体質的にアルコールに敏感で、”本みりん” でさえしっかり加熱してアルコール分を飛ばさなければ酔ってしまうほどなのである。
ある日、市内の別の場所にある事務所に行くと、その彼女が真っ赤な顔をしてヘラヘラ笑っている。どうしたのかと聞くと昼に食べた ”そば” の麺つゆに入っている ”みりん” で酔ったらしいのだ。目が据わってしまっていて、ちょっとしたことにもケラケラ笑い、昼間っからすっかり出来あがっているのである。その事件以来、お昼に食べるものにも気を使わなければいけなくなったらしい。
彼女の体質は、どこまで少量のアルコールに反応するのか実験をしたことがある。会社の宴会の席でグラスに少量のアルコール(たしかビール)を入れてオレンジジュースで薄めたものと、100%オレンジジュースのものを用意し、どちらにアルコールが入っているかを当ててもらった。少しずつアルコールの量を減らしながら実験を重ねた結果、ストローから落ちる 2滴のアルコールまで識別可能ということが分かった。 その特種能力は実生活において何の役にも立たないが、とにかくすごい能力なのである。
三つ子の魂百までというくらいなので、性格や体質は持って生まれたからには一生変わることはないと思っていた。ところが最近になって食のアレルギーを克服したのである。子供の頃から牡蠣(カキ)を食べるとジンマシンが出ていた。牡蠣そのものでなくても、牡蠣フライを揚げた油を使いまわして作られた物でさえ食べると体が痒くなっていたのである。
もともと牡蠣が好きだったのでジンマシンが出ることに気が付いたときはショックだった。好きものが食べられないのはとても悲しいものである。人が美味しそうに食べているのを横目でじ〜っと見ながら悔しい思いをしていたのだが、ある時牡蠣が入っているのを気付かずに料理を食べてしまったのにジンマシンが出なかった。何の治療も努力もしていないのに治ることってあるのだろうかと不思議に思いつつも 「好きな牡蠣が食べられるのなら」 と、挑戦してみることにした。
何かあってはいけないと、念のため休日の前の日に食べてみたところ、その日も翌日もジンマシンは出てこない。何が起こったのかわからないが、とにかく牡蠣アレルギーを克服したのである。今でも生のままだと多少の危険を伴うが、加熱したものであれば全然平気で食べることができるようになった。時期になれば鍋にグラタンにと美味しさを堪能している。
変わらないと思っていた体質も何かのきっかけで変わるものらしいが、どうせだったらこのひねくれた性格やズボラな性格が治ってくれれば良いのにと思っている今日このごろなのである。
2002 / 05 / 05 (日) ¦ 固定リンク