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2001年 5月

盲導犬 盲導犬

 子供の頃に実家で飼っていた犬はとんでもない「バカ犬」だった。もちろん、血統書などない雑種だったのだが、雑種にだって賢い犬はいるし血統書付きの犬にも賢くないヤツもいる。どこかに優れた点でもあれば良かったのだが、雑種かつ、バカ犬だったので目も当てられない。

 知らない人が近づくと「ワンワンワン!」と吠えるので番犬の役は果たしているのだろうと思っていたが、よくよく見てみると尻尾をちぎれんばかりに振って愛想を振りまいている。餌をやる時に何度「おすわり!」と言っても従ったためしがない。器に餌を入れたとたんに口を突っ込んでガツガツ食べ始める。「まて!」と言いながら取り上げようとしようものなら飼主に向って「グルルルル」と威嚇してくる。

 おやつを手に持って食べさせようとして指まで食べられそうになったことも一度や二度ではない。食い意地が張っているというか、意地汚いというか食べ物に関しては飼主すら信用していないようだった。

 小学生の頃だったが、そのバカ犬を散歩させていたある日、目の前をネコが横切った。最初は首をかしげて見ていたのだが、突然ものすごい勢いでネコを追い始めた。その馬鹿力に小学生の体格では勝てるはずもなく、「わぁー!」と言いながら引っ張られていってしまった。

 勢いにまかせてグイグイ引っ張られても、逃げられないように紐を手首に巻きつけていたのが災いし、手を離すことができない。スピードについて行けず結局は転んでしまったのだが、バカ犬はおかまいなしに前進を続ける。いたいけな少年はズルズルと引きずられて太ももには無数の擦り傷ができてしまった。

 そんなバカ犬であったが、一応は家族の一員であり情も移っているから悪ガキに石を投げつけられたりしているのを目撃すると無性に腹が立った。どんなに駄犬であっても飼主にとっては可愛いところもあったりするのである。

 そのバカ犬と 13年間暮らしたある年の冬、餌をやろうと器を手にした。いつもなら待てと言っても待っていられないのに犬小屋の中は「しーん」としている。脱走壁のある犬だったので「またか」と思ったのだが、小屋の出入り口から鼻先が見えている。

 どうしたのかと覗いてみると目を閉じて動く気配がない。寝ているのかと思い声をかけてもピクリとも動かない。体をさわってみると冬の気温よりも冷たくなってしまっている。凍っていたのか死後硬直だったのか解らないが体がカチカチになっていて鎖を引いても小屋から出すことができなかった。

 どうしようもないくらいにバカな犬だったが、その時はとても悲しかった。それから何ヶ月かは同じような犬を見るだけで色々な事を思い出すのだが、バカだったことよりも良かった面だけが強調されていたような気がする。

 あれほどのバカ犬でさえ死んでしまうとダメージが大きいのであるから、人生のパートナー、一心同体となっている盲導犬と別れることはとても辛いことだと想像できる。TVで定年を向えた盲導犬と別れるシーンを見たことがあるが、飼主(と言うよりパートナー)も犬もとても悲しい顔をしていた。

 以前、JR大阪駅で盲導犬とそのパートナーを目撃したことがある。たまたまホームから地下鉄御堂筋線まで同じルートを通ったので、その二人(一人と一匹)が前を歩いていたのだが、驚くことに健常者の歩行と遜色ない速度で歩いている。通勤客が大勢いるにも関わらず、ぶつかる事なく歩いているし、階段も普通に降りている。遠巻きに見ると単に犬を連れて歩いている人にしか見えない。

 まさに飼主(パートナー)と一心同体で”目”の代役を果たしている。お互いに絶対的な信頼関係があるのであろう。その光景を見ていて、なぜか賢い盲導犬とはかけ離れた昔飼っていた”あの”バカ犬を思い出してしまった。

 いつか必ずその飼主(パートナー)と盲導犬は別れなければならない日が来る。それは悲しいことではあるが、飼主(パートナー)の身の安全を考えると高齢になって能力が低下した盲導犬に”目”の役割をいつまでもさせておくことはできない。

 「すごいなー」「えらいなー」と思うと同時に、お互いを信頼しきっている関係が永遠ではないことを思い、複雑な気持ちでその後姿を目で追っていた。

2001 / 05 / 27 (日) ¦ 固定リンク

いっちろ〜 いっちろ〜

 日本プロ野球の TV中継視聴率が下降線の一途をたどっているらしい。サッカー、K-1、ゴルフなどなど、ファン層は違えど趣味や興味が多様化した結果だと想像できる。

 時代は異なるが、昔は「相撲」、「プロレス」、「プロ野球」が絶大な人気を誇っていたと聞く。それぞれには「大鵬」「力道山」「巨人」という人気者(チーム)が存在し、みんなが TVの前に釘づけになって応援していたのであろう。

 「絶大な人気」と言っても、他のスポーツ中継がなかったため、それしか見るものがなかったとも言える。現在のように様々なスポーツが TV中継されるようになると、よほどのスポーツ好きでない限りすべてを見ることは難しい。

 最近では野球をしている子供も見かけなくなってしまった。小学生などは野球よりもサッカーをして遊ぶことが多いらしい。自分が子供の頃は、あたりが暗くなるまで野球をしている仲間や学校が休みの日曜日でさえ野球をするために集まってくる仲間がいた。

 近所の小学校を見てみると、学校が終わった後や休日に野球をしている子供がいない。野球少年だけではなく校庭に”子供”そのものがいない。みんな塾通いをしているのか、家で勉強をしているのか、土ぼこりの中で遊んでいる子供を見かけることがなくなってしまって少し寂しい気がしている。勉強も大切かもしれないが、仲間と遊ぶことだってとても大切だと思うのだが・・・。

 プロ野球に話をもどすと、日本のプロ野球への興味が薄れていく中、アメリカの野球「ベースボール」への関心は高まっている。野茂のメジャー進出をきっかけに次々と日本のプロ野球選手がメジャー入りし、その活躍が TVで紹介されている。

 今まで野球(ベースボール)に興味がなかった主婦層にまで浸透し、「セーブ」はどういう条件で記録されるのかなどという質問が TV局に寄せられるようになったそうだ。これも野茂や佐々木効果だと思われる。NHKの BSで中継される大リーグ中継も視聴率が上向いているらしい。

 TVやラジオのニュースでも試合の途中経過を伝えることが多くなった。今もっとも多く聞くのは「イチロー」の名前である。今日(01/05/19)現在で 23試合連続安打(ヒット)を記録している。職場の仲間と話していたのだが、なぜあんなにヒットを打つことができるのだろう?我々とは身体能力が違うのであろうが、その違いはどこからくるのだろうか。

 もちろん、本人の努力による部分も大きいのであろうが、元来から備わっているセンスが絶対的なのであろうと思う。凡人がイチローと同じトレーニングや努力をしても同じ結果になるはずがない。身体の能力や動体視力など天性のものがあるに違いないと思うのである。

 伝えられるところによると、父親からスパルタ的教育を受けたらしい。まるで昔のアニメ「巨人の星」に出てくる一徹、飛雄馬みたいだ。イチロー本人は野球が好きで好きでしようがなかった訳でもでないらしい。

 「好きこそ物の上手」というが、好きではないことで一流であるからこそ、プロフェッショナルに徹する事ができるのかもしれない。大好きなこと=趣味の延長でやっていると「甘え」や「おごり」が出てしまうことがある。趣味の延長ではなく、職業としてプロ野球を選択した(できた)ことがイチローにとっての幸運だったのかもしれない。

 人には見せない努力も、辛いトレーニングも職業として選択し、生きる道と決めたからこそ続けられるのではないだろうか。

 イチローだけではなく、野茂、新庄、その他の日本人メジャーリーガーの活躍よって「サンシン」や「サヨナラ(ホームランやヒット)」が共通語になりつつある。今後もベースボールの本場アメリカで日本人が活躍してほしいと思う反面、みんながメジャーを目指し、日本のプロ野球が衰退してしまうのではないかと、ちょっと心配している今日この頃である。

2001 / 05 / 20 (日) ¦ 固定リンク

リサイクル リサイクル

 以前の雑感でも触れたが、先月からリサイクル法が施行された。地球環境を考えるとゴミを放置しても、単純に投棄してもいけないのは当たり前のことなので、引き取ってもらうのにお金がかかるのは当然のことなのかもしれない。

 しかし、新聞・雑誌などの古紙を引き取ってもらう時にはお金などをもらう事ができる。一方では収入になり、一方では支出になってしまうのには少しだけ矛盾を感じてしまう。”リサイクル”することに変わりはないわけなのに、どうしてなのだろう?

 同じリサイクルでもペットボトル、アルミ缶などは無料でリサイクルできるわけだし、なぜ家電(それも一部)だけは有料になるのかを明確に説明してもらわなければ、積極的にお金を出す人などいないのではないだろうか。これでは不法投棄が増えてしまうのではないかと心配になってしまう。

 最近は中古市場が元気なので余計な心配なのかもしれないが・・・。

 BOOK OFFを代表とする古本、中古のゴルフ洋品店、ベビー用品、ゲーム・ソフト、パソコン、家財道具から高級ブランド品まで、ありとあらゆるものの中古品(USED)が販売されており、どの店も順調に業績を伸ばしているらしい。

 それらもリサイクルの一環であり、ゴミを減らすのに役立っていると思う。一昔前は自分の使ったものを売ることにも、他人が使っていたものを買うことにも抵抗があったように思うのだが、抵抗感なく売り買いできるようになったことは、とても良いことだと感じている。

 仕事の関係で偶然にもリサイクル関連の話を聞いた。一つは、最近のパチンコ台で使われている液晶(画面)のリサイクルである。

 今はまったくやらなくなってしまったので知らなかったのだが、最近のパチンコは流行り廃れが激しく、数ヶ月サイクルで”台”が入れ替わるらしい。新しい”台”に取って代わられた古い”台”は廃棄される運命にある。しかし、2-3ヶ月しか使われていない液晶を廃棄してしまうのは「もったいない」ということで、”台”を解体し、液晶をきれいにして台湾などに輸出している業者がいる。

 輸出された液晶はモバイル系の最新機種として蘇えり、再び日本に上陸しているとの事だ。過去の常識であれば「再生品だとぉ〜!」と思ってしまうところだが、結果的に安く手に入るのであれば「それも良し」と受け入れられるようになった。

 もう一つは「これぞ究極のリサイクル!」と言いたくなるような話である。歯医者から出る廃液を処理する会社があるらしいのだが、そのシステムが見事なのだ。

 歯医者の排水には、もちろん薬品なども含まれているわけであり、そのまま下水に流すことはできない。そこで、それを処理する業者の登場となる。排水を引き取り、それをろ過する際に当然のことながらゴミが出るのだが、そのゴミの中には歯の詰め物に使われる”金”や”銀”が含まれている。

 最近の電子機器の中で使われている”基盤”にも高価な金属が含まれているが、それの比ではないくらいに高い比重で含まれているらしいのだ。金鉱を掘り当てるよりも、砂金を探すよりも、ものすごい確立で”金”を得られるのだから割のいい商売である。

 さらに業者の抜け目の無いところは、分別した”金”や”銀”などの金属でアクセサリーを作り、廃液の回収先である歯医者の”奥さん”に販売している。元ある姿に戻すわけではないが、元あったところに戻すという点では「まさに究極のリサイクル」と、えらく感心してしまった。

 なにはともあれ、完全循環型のリサイクルが今後も広がっていくことに期待したいと思うような、ありがた〜い話を聞くことができたと思っている。

2001 / 05 / 13 (日) ¦ 固定リンク

先送り 先送り

 諸般の事情により先週は雑感を休んでしまった。休んでいる間に小泉新政権が誕生した訳だが、各調査機関がまとめた支持率を見てみると平均して 80%程度と、驚異的に高い評価を得ているようだ。

 ここは一つ、公約どおりに財政再建や構造改革を優先的に進めていただきたいものだと思う。今までの政治家は問題を先送りにし、自分の任期中は”ことなかれ主義”に徹していたため経済の立ち直りが遅れ、10年以上の不況が続いている。

 しかし、問題を先送りにするのは日本人の特徴なのかもしれない。政治家に限らず、金融業界、ゼネコンなども「そのうちに、何とかなる」と思って来たため、さらに不況の長期化を招いているような気がする。

 世の中には手を下さずに”何とかなる”問題と”どうにもならない”問題があるが、どんな問題でも早期解決を目指すことが解決の近道なのではないだろうかと考えてしまう。諫早湾の水門に関しても 1年後に結論を出すのではなく、とにかく開けてみるか、最高水準の”頭脳”や”コンピュータ”を動員して一刻も早く最善の方法を検討すべきではないだろうか。

 ・・・などと、偉そうな意見を書き連ねているが、自分自身も嫌な事は後回しにすることがよくあるし、「そのうちに何とかなる」と無理にでも楽観的に考えてしまうことがある。テレビなどで問題が提起されると、その時には「う〜ん」と考え込むが、解決法が見つからないと「まぁいいや」とか「後でよく考えよう」とか思ってしまう。

 地球温暖化、砂漠化、オゾン層の破壊など地球規模での自然破壊が問題視されていると、「そりゃ大変だ」と思うが、個人だけの努力で解決できるわけがなかろうと半分は開き直ってしまう。

 伝え聞くところによると、石油はあと 40年程度で枯渇してしまうらしい。同じく「そりゃ大変だ」と思っているが、40年後に自分は生きているかもわからないので「まぁいいや」という結論に達してしまうし、代替エネルギーを”誰かが”開発してくれるに違いないとノンキに考えてしまう。

 こういうダラ〜っとした考え方がいけないのだ!と反省したりもするのだが、追い詰められた感覚がないため、ついつい先送りしてしまう。

 こういう考え方を優先してしまうため、手遅れになってしまうこともある。日本では”トキ”がそれの代表例だと思う。

 ニッポニア・ニッポン(Nipponia nippon)という学名を持つほど”日本的”な鳥であったトキが事実上絶滅(純血なし)してしまった。マスコミなどで騒がれたのは最後の 2羽になってからだと記憶している。

 なぜ、最後の 2羽になって大騒ぎするのだろう。せめて 100羽でも生存している時に「絶滅しそうだ!」と大騒ぎしていれば、違った展開になっていたと想像できる。ギリギリになってから大騒ぎしてもすでに手遅れな訳で・・・。この調子でいくと、石油に代表されるエネルギー問題にしても同じ結果になるのでないだろうか。

 経済や政治、自民党が危機的状態になって誕生した小泉政権に関する報道を見ていて、余計なことまで考えてしまうゴールデン・ウイークになってしまった。

2001 / 05 / 06 (日) ¦ 固定リンク

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