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2001年 4月

ひきこもり ひきこもり

 「ひきこもり」という言葉を最近になってよく耳にするようになったが、「ひきこもり」と表現するようになったのはいつからなのだろうか。

 心を完全に開くことなどできるはずがない。親、兄弟、親友、友人にでさえも自分のすべてをさらけ出すことは難しい。それでも、人はそれぞれ対人関係を築いているわけだが「ひきこもり」と分類されてしまう人たちは最低限の対人関係さえも拒絶してしまっているのであろう。学生時代にも登校せずに、ついには卒業まで顔を見ることができなかった同級生もいる。

 昔を思い起こせば、成績も良くなく、決して勉強が好きではなかったが、学校に行くのは好きだった。授業を真面目に受ける気などさらさらなかったが、友達と会えることだけが楽しみで登校していた。学校へは勉強しに行くよりも、遊びに行くという感覚で通っていたものである。

 同級生には嫌いなヤツもいたが、それ以上に好きなヤツ、気の合うヤツが多くいた。勉強一筋で頑張っているヤツも、不良と呼ばれているヤツも一緒になって遊んだりしていたので、政治家のような派閥もなく学生生活を楽しんでいた。

 風邪などで学校を休むと、自分がいない間に「ものすごく楽しいことが起こったらどうしよう」と不安にさえ思ったものだ。先生からは「本校始まって以来の”悪”」とか「衆悪の根源」と罵られたが、何も気にせず登校して友人達と遊び、笑い、同じ時代を共有した。

 中学生の頃、全国的に”風疹”が流行した。流行に鈍感だったせいか、級友が次々に休み、クラスの人数が減っていくのを「大変だな〜」と静観していた。一時は学級閉鎖の一歩手前までいったが、さすがの風疹も若い力に屈したようで、発症する人数よりも復帰組の人数が上まったため平穏な日々に戻りつつあった。

 猛威をふるった風疹も終息に向ったある日、朝から寒気がしていた。「少しからだがだるいな」とは思っていたが、とくに気にも止めずに登校し、いつも通りに友達と遊び、授業中は寝ていた。

 ところが、お昼近くになると”寒気”を通りこして、体がポカポカし、気分が妙に”ハイ”になってきたのである。なにをするにもフワフワした感覚で、楽しい気分で過ごしていた。極楽だった休み時間も終わり、授業が始まってすぐに担任の教師が「おまえ酒でも飲んでいるのか?」と聞いてきた。

 当然、酒など飲んでいないのだが、顔が異様に赤くなっているらしい。近寄ってきて顔を覗き込んだ担任は、あきれたように「こりゃ風疹だな。すぐ帰れ」と言った。本人としては気分も悪くなく、むしろ”ハイ”になっているものだから「イヤだ」と言って机にしがみついていたが、「他の人にうつったらどうするんだ!」と無理やり教室を追い出されてしまった。

 しかたないので外には出たが、帰る気にはなれないので教室の窓から中を覗いていた。級友がこちらに気付き、クスクス笑ったり、ノートに「早く帰れ!」と大きく書いて見せたりしていたのだが、教師が気付き、イヌを追い払うように手で「シッシッ」とされてしまった。

 フワフワした気分のまま帰宅すると、玄関を掃除していた母親が「学校をさぼったな!」と言いながらホウキを振り回し、「学校にもどれ!」と怒っている。自分としても、学校の方が楽しいので再び戻り、窓から顔を出したり廊下を行進したりしていたら教師が鬼のような顔で出てきてつまみ出されてしまった。

 その後 4-5日は高熱で動けなくなり、休むことになってしまったが、一人で寝ていてもつまらないので、早く学校に行きたくてたまらなかった。問題の多い生徒でもあったが、今のように自分の部屋に「ひきこもり」、学校にも行かない生徒より少しはましだったのではないかと自分を慰めているのである。

2001 / 04 / 22 (日) ¦ 固定リンク

肩こり 肩こり

 肩こりに関しては母親の遺伝子を完璧に受け継いでしまったようだ。父親(故人)が肩がこったと言うのを聞いたことがない。それぞれの良いところだけを選択して受け継げたら問題はないのだが、この件に関しては「神のみぞ知る」訳で、本人にとっては望ましくないものを確実に受け継いでしまったようだ。

 母親の「肩こり」と「白髪(しらが)」、父親の「ものぐさ」と「酒好き」が混在しているものだから決して人に自慢できる DNAではないのである。

 白髪があることが恥ずかしい年齢でもないが、同年代と比較しても圧倒的に多い。父親の酒好きを目の当たりにしているのだから、少しは自粛すべき酒も「明日から」「来月から」「来年から」と先延ばしにしてしまう遺伝子を受け継いだため、いまだに毎日かかさずに飲んでしまっている。今のところ体に異常を感じることはないので「まあ、いいや」と思っているのだが、肩こりの遺伝子だけは「まあ、いいや」と言ってすむ問題ではない。

 子供の頃、肩こりに悩む母親が「お小遣い」をエサにマッサージを要求してきた。その策略にまんまと引っかかってしまい、汗を流しながら必死に肩を揉むのだが、その肩は岩のように硬く、すぐに手が疲れてしう。短時間のマッサージに満足できない母親の要求を満たすため、うつ伏せの背中に乗って足で踏んだり、コブシでゴリゴリしたりしていたのである。

 その頃は「肩こり」がどのような症状なのかを理解することができなかったが、ある年齢を境に突如として「肩こり」を実感できるようになった。肩や首がパンパンに張って頭の芯が痛い。ひどくなると吐き気がしてきて食欲もなくなってしまう。それ以来、「肩こり」との闘いは現在にいたるまで続いている。はじめの頃は肩をブンブン回したり、首をグルグル回していれば良かったのだが、その程度では治らなくなってしまった。

 その辛さに耐えきれずに整骨医に通いはじめた。当初は週に一度程度で回復していたのだが、だんだん満足の度合いが低くなってきたため、カイロプラクティックだの中国鍼などを片っ端から試してみた。それらにも満足できずに近代的な設備を整えたマッサージに通い、電気をビリビリされたり、ベッドに組み込まれたローラーでゴリゴリされたりと「肩こり」解消のために色々と試してみたのである。

 満足するまでには至らなかったが気休め程度にはなっていた。しかし、大阪に転勤になってしまったため”顔なじみ”のマッサージがなくなってしまった。「肩こり」の辛さに耐え切れずに「タウンページ」で近所のマッサージを探し、週に一度のペースで通う事になったのだが、1時間で 5000円の出費になる。お買物日記担当者も「肩こり」がひどいため、二人で通うと毎週 1万円となり、一か月で 5万円にもなってしまう。

 財政的にも継続することが困難となり、我慢の日が続いたのだが耐え切れなくなると泣きながらマッサージを受けたりしていたのである。

 「肩こり」が辛くなったある日、体を左右に曲げたり首を曲げたりしていると”こり”がほぐれていくことに気がついた。「これは!」と思い、色々な方向に体や首を曲げて「肩こり」が解消する”体操”を始めた。試行錯誤の結果、”ヨガ”にも似た自己流の「肩こり解消体操」をあみだすことができ、それからというもの改良に改良を重ねて今では少々の「肩こり」はすぐに直すことができるようになった。

 一時期は休むことなく毎日「肩こり解消体操」を続け、辛かった日々に別れを告げることができていた。最近は地獄の苦しみから開放されたため毎日はやらなくなってしまったが、少しでも辛くなってくると再開するようにしている。

 お金と時間を無駄にしなくても「その気になれば何とかなるものだ」と満足しつつ、辛くなった日には黙々と自己流の「肩こり解消体操」をする日々が続いているのである。

2001 / 04 / 15 (日) ¦ 固定リンク

限度 限度

 ものには限度というものがあり、何ごとも度が過ぎるとよくないのである。

 分かってはいるのだが、タバコを吸いすぎてしまうことがよくある。典型的なのはパチンコ、マージャンをしていた頃で、いつもは 1日 20本程度なのに 30本も 40本も吸ってしまう。吸いすぎているため、これ以上吸っても美味しくないのが分かっていても、ついつい火をつけてしまうのである。

 タバコそのものより、マージャンなどもやり過ぎはよくない。徹夜で 10時間以上続けたり、4日も 5日も続けていると、寝ようとして目を閉じてもマージャン牌が見えてしまう。そういう時に限って高い役がテンパイしているものだから興奮して寝られなくなってしまったりする。

 一時期TVゲームの「テトリス」ばかりやっていた頃も同様で、目を閉じると次から次にブロックが降ってくる。また、そういう時に限って自分に都合のいいブロックが降ってくるもので、いつまでたってもゲームが終わらない。積み上げられたビデオテープの山を見ても「あの隙間を埋めたら消えるのに」などと考えてしまう。

 酒の飲みすぎもよくない。体に悪いということもあるが、人に迷惑をかけてしまうからだ。幸か不幸か深酒をしても、多少の自制心は残っているのと、記憶をなくしたことがことがないため、絡んだり暴力をふるったりして迷惑をかけたことはないし、仕事上の付き合いの席でも失敗した事はない(・・・と思う)。声が大きくなり、嫌がられたりしているのかもしれないが、たぶんその程度だと思っている。

 食べすぎもよくないのだが、つい腹が割れそうになるくらい食べてしまう。普段はそれほど食べる方ではない。朝は茶わんに半分程度、昼、夜も茶わん一杯で満足している。食べ過ぎてしまうのは”麺類”の場合で、2.5人前は一気に食べてしまう。”満腹信号”が脳に伝わる前に食べてしまうものだから、食後しばらくの間は動けなくなってしまうことがよくある。

 暴飲暴食やタバコの吸いすぎは健康上も良くないのは頭では分かっていても、”欲”には勝てないようである。適度な運動は健康のためになるが、運動だってやり過ぎは良くないのである。たまに、運動のしすぎで亡くなったり、救急車で運ばれる人がいるが、「なぜそうなってしまうんだろう」と不思議に思う。そうなる前にやめることができないのだろうか。

 いろいろと度が過ぎると良くないことはあるが、自分の意志では避けられないこともある。かなり前の話になるが、大きな会館の厨房でバイトしていたことがる。普段はその会館の職員の昼食や夕食を作っているだけなのだが、会合などがあると何百人分もの食事を用意することになる。

 ある日の会合は参加者 500人で、昼食は天丼だった。天丼には天ぷらが 7品必要になるため、500人前ということは 3500個の天ぷらを揚げなくてはならない。前日に仕込みはしてあるため、当日はただひたすら天ぷらを揚げることになる。午前 4時から作業を開始し、昼に間に合わせることになった。丼にご飯をよそう係、盛り付けする係、丼汁をかける係、天ぷらを揚げる係、などなどを決めていく。その時は不幸にも天ぷらを揚げる係に任命されてしまった。

 天ぷらの衣の準備などを済ませ、実際に揚げ始めたのは 5時頃だったと思うが、3500個すべてを揚げ終えたのは 11時ごろだった。6時間もの間、ひたすら天ぷらを揚げ続けるのは地獄のようだ。悪い事に季節は夏。厨房の温度は 40度を超え、火の近くはそれ以上になる。その温度と油の匂いで気分が悪くなり、何度も倒れそうになった。

 それでもなんとか 500人前の天丼は完成させるこができた。時間もお昼になったため、厨房内で”まかない食”を食べる事になったが、とても喉を通る状態ではなかった。一段落し、夕食の作業に取り掛かろうとメニューを確認するとそこには「とんかつ」と書かれてあった。

・・・悪夢のようなその日から 2、3日は、食事をとることができなかったのは言うまでもない。

2001 / 04 / 08 (日) ¦ 固定リンク

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