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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

肩こり 肩こり

 肩こりに関しては母親の遺伝子を完璧に受け継いでしまったようだ。父親(故人)が肩がこったと言うのを聞いたことがない。それぞれの良いところだけを選択して受け継げたら問題はないのだが、この件に関しては「神のみぞ知る」訳で、本人にとっては望ましくないものを確実に受け継いでしまったようだ。

 母親の「肩こり」と「白髪(しらが)」、父親の「ものぐさ」と「酒好き」が混在しているものだから決して人に自慢できる DNAではないのである。

 白髪があることが恥ずかしい年齢でもないが、同年代と比較しても圧倒的に多い。父親の酒好きを目の当たりにしているのだから、少しは自粛すべき酒も「明日から」「来月から」「来年から」と先延ばしにしてしまう遺伝子を受け継いだため、いまだに毎日かかさずに飲んでしまっている。今のところ体に異常を感じることはないので「まあ、いいや」と思っているのだが、肩こりの遺伝子だけは「まあ、いいや」と言ってすむ問題ではない。

 子供の頃、肩こりに悩む母親が「お小遣い」をエサにマッサージを要求してきた。その策略にまんまと引っかかってしまい、汗を流しながら必死に肩を揉むのだが、その肩は岩のように硬く、すぐに手が疲れてしう。短時間のマッサージに満足できない母親の要求を満たすため、うつ伏せの背中に乗って足で踏んだり、コブシでゴリゴリしたりしていたのである。

 その頃は「肩こり」がどのような症状なのかを理解することができなかったが、ある年齢を境に突如として「肩こり」を実感できるようになった。肩や首がパンパンに張って頭の芯が痛い。ひどくなると吐き気がしてきて食欲もなくなってしまう。それ以来、「肩こり」との闘いは現在にいたるまで続いている。はじめの頃は肩をブンブン回したり、首をグルグル回していれば良かったのだが、その程度では治らなくなってしまった。

 その辛さに耐えきれずに整骨医に通いはじめた。当初は週に一度程度で回復していたのだが、だんだん満足の度合いが低くなってきたため、カイロプラクティックだの中国鍼などを片っ端から試してみた。それらにも満足できずに近代的な設備を整えたマッサージに通い、電気をビリビリされたり、ベッドに組み込まれたローラーでゴリゴリされたりと「肩こり」解消のために色々と試してみたのである。

 満足するまでには至らなかったが気休め程度にはなっていた。しかし、大阪に転勤になってしまったため”顔なじみ”のマッサージがなくなってしまった。「肩こり」の辛さに耐え切れずに「タウンページ」で近所のマッサージを探し、週に一度のペースで通う事になったのだが、1時間で 5000円の出費になる。お買物日記担当者も「肩こり」がひどいため、二人で通うと毎週 1万円となり、一か月で 5万円にもなってしまう。

 財政的にも継続することが困難となり、我慢の日が続いたのだが耐え切れなくなると泣きながらマッサージを受けたりしていたのである。

 「肩こり」が辛くなったある日、体を左右に曲げたり首を曲げたりしていると”こり”がほぐれていくことに気がついた。「これは!」と思い、色々な方向に体や首を曲げて「肩こり」が解消する”体操”を始めた。試行錯誤の結果、”ヨガ”にも似た自己流の「肩こり解消体操」をあみだすことができ、それからというもの改良に改良を重ねて今では少々の「肩こり」はすぐに直すことができるようになった。

 一時期は休むことなく毎日「肩こり解消体操」を続け、辛かった日々に別れを告げることができていた。最近は地獄の苦しみから開放されたため毎日はやらなくなってしまったが、少しでも辛くなってくると再開するようにしている。

 お金と時間を無駄にしなくても「その気になれば何とかなるものだ」と満足しつつ、辛くなった日には黙々と自己流の「肩こり解消体操」をする日々が続いているのである。

2001 / 04 / 15 (日) ¦ 固定リンク


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