2006年12月
2006 年の終わりに 2006 年の終わりに
いよいよ明日で今年も終わりである。
過去の雑感から、指にタコができるほど何度も何度もキーを打ち続けている文章ではあるが、加齢とともに時間の経過が早く感じられ、一年など 「あっ!」 と言う間に過ぎてしまう。 それはもう加速度的であり、「誰か助けてー!!」 と富士山の頂上から日本中に届く声で叫びたい気分だ。
不思議なもので、一年が短く感じる割には世の中で起こったことが遠い昔に感じることがある。 あれだけ世間を騒がせたライブドアの元社長である堀江氏が逮捕されたのは今年 1月 23日のことだが、すでに数年が経過しているような錯覚に陥る。
民主党、永田議員が端緒となった偽メール問題で国会が騒然となったり、トリノオリンピックで荒川静香選手が金メダルを獲得し、日本中が 「イナバウワー!」 と叫んだのは 2月のことだ。 イナバウワーは、まだ新しい感じがするが、偽メール問題など遠い過去のような気がしてならない。
一般の人は興味が薄いだろうが、3月 31日でニフティのパソコン通信サービスが終了した件に関しては感慨深いものがある。 すでに知らない人の方が多いと思うが、ニフティと言う狭い世界の中に様々な会議室と呼ばれる場所があり、会員が議題に対して 「あーでもない、こーでもない」 と意見を書き込む内容であり、利用者の絶対数は違えど現代における掲示板の集積場所である 『
2ちゃんねる』 のような世界だった。
当時から、その仮想空間内でやり玉にあげられる人がいたり、訳の分からない意見を書き込んで周りから総攻撃を受けたりする人がいたが、現在の掲示板より一定の秩序が保たれていた。 それは匿名であっても会員制であったため、「死ね」 だとか 「ウザイ」 だのという過激な書き込みが抑制されていたからだろう。
そういう意味では今年流行した
mixi(ミクシィ) に近いかもしれない。 しかし、mixi も最近は 2ちゃんねる化が進み、かなり荒んだ世界になりつつあるようだ。 会員数が少ないうちは秩序が保たれているだろうが、それが膨大な数になると様々な人が入り込み、暗黙の了解も含めた秩序というものが乱されるのも当然だ。
久々に注目された IT 企業の株式公開で、投資家が mixi 株をこぞって購入したが、個人的には決して明るい未来だと思えない。 すでに脱会者が増え始め、会員登録しているものの利用していないユーザも数多くいる。 そして、SNS (ソーシャルネットワーキングサービス) の本家であるアメリカが続々と日本でサービスを開始しようとしている。
さらには SNS より爆発的な人気になりつつある 『
セカンドライフ』 の日本上陸も近い。 常に進化を続け、多様化するネットの世界で高業績をあげ続けることは困難だと思われる。 絶対的優位を保っていたニフティも時代の変化でその役目を終えたように、mixi のサービスが必要なくなる日は遠からず来るだろう。
コンピュータ業界に身を置く者としては、時代の先端を走ることを夢見ないではないが、やはり
昨年末の雑感に書いたように地道にコツコツと、なすべき事を処理していきたいと考えている。 そして、劇的に楽しいことなどなくても良いから劇的な不幸も来てほしくはないというのも変わらぬ考えだ。
来年も平凡な日常で構わないから、年末には 「良い年だった」 と言える一年であってほしいと願いつつ、今年の雑感を終わろうと思う。
2006 / 12 / 30 (土) ¦ 固定リンク
拒否反応 拒否反応
以前の雑感に嫌いな芸能人を並べ立てたが、『嫌い』 というのではなく、何となく体が受け付けずに拒否反応を示す芸能人も何人かいる。 良く女の人が 「生理的に受け付けない」 と言うが、もしかしたら同じような感覚なのかもしれない。
最近になって拒否反応を示すようになったのは木村拓哉 (きむらたくや) である。 もちろん男の自分から見ても男前であることは重々に承知しているのだが、あまりにも CM 本数が多いので見飽きたのかも知れない。 顔を見飽きたのではなく、彼の演技に飽きたというのが正確なところか。 彼が登場すると、体がムズムズして見ていられなくなる。
同じく男前なのだがオダギリジョーも苦手だ。 一言で言ってしまえば 「汚い!」 という感じなのだが、髪を伸ばしてヒゲを蓄えている芸能人は数あれど、彼だけは似合うどころか完全にマイナス作用しか働いていないような気がする。 それでも多くの CM に出演しているのだから自分の感覚がおかしく、世間的には人気があるのだろう。
山口 智充 (やまぐち ともみつ (DonDokoDon)) もかなり苦手。 こちらも CM 本数が多いが、どれを見てもテンションの高い過剰演技、過剰演出である。 彼が悪いのではなく、そういうイメージで CM を製作したり、テンションの高い演技が必要だから彼が起用されたりするのだろうが、どうも体が受け付けない。 来年は CM が減ってくれるのを願うばかりだ。
絶大な人気を誇る長澤まさみ (ながさわ まさみ) も相当な度合いで苦手だ。 人気があるだけに可愛いのは確かなのだが、どうしても体が受け付けない。 自分に理由を尋ねてみても明確な答えは見つからないのだが、どうしてもダメなのである。 彼女が出演する CM が始まるとチャンネルを変えてしまうほどの拒否反応が現れ、その理由が自分でも分からないので困っている。
世のおじ様達の圧倒的な支持を集めている黒木瞳 (くろき ひとみ) も大の苦手。 こちらも理由が定かではないが、見ていると体がムズムズしてきて正視できなくなってくる。 短い CM でさえそうなのだから、ドラマなど見続けることはできないだろう。 もともとドラマは見ないので生きていく上で支障はないのだが、なぜ綺麗な人を体が受け付けないのか不思議だ。
その他にも吹石一恵 (ふきいし かづえ) という女の子も苦手だったり、天海祐希(あまみゆうき) がダメだったりと、綺麗な女の人が苦手な場合が多いようである。 ブサイクを売り物にしている女性のお笑い芸人には何の抵抗感もなく、むしろ時折見せる表情が可愛らしく思えたりすることすらあるため、もしかしたら自分は 『ブス専』 なのではないかと疑いたくもなる。
少し心配になって 『
お買物日記』 担当者に相談したところ、「一緒にいる私って・・・」 と深く悩ませる結果になってしまったので、これは失敗だったようである。
2006 / 12 / 23 (土) ¦ 固定リンク
教師十色 教師十色
イジメ問題に背を向け、ことなかれ主義に徹する教師やイジメに荷担する教師、生徒を性の対象とする教師に登校拒否になる教師と、何かと問題の多い昨今ではあるが、確かに可哀想な面もないではない。 少しきつめに子供を叱ると鬼のような形相の親が学校に乗り込んでくるし、教育委員会に訴えるなどと脅される。 これでは登校拒否になってしまうのも仕方ないかもしれない。
子供のころ、躾(しつけ)に厳しく手も足も出る教師がいたが、決して嫌いではなかったし今から思えば良い先生だったと思う。 変にやさしくて授業中に笑いをとる教師もいたが、だからと言って教え方が上手な訳でもなく、生徒から信頼がある訳でもなかった。 教師も人間であるから色々な人がいるものである。 それぞれの教育があっても良いのではないだろうか。
中学で国語を教えていた女教師は、まともに授業を受けていないのに良い評価をしてくれた。 かと言って特別に自分が好かれていた訳でもなく、女教師と言っても定年が近そうな、中学生から見ると婆ちゃん先生だったので自分と特別な関係にあった訳でもない。
過去の雑感に何度か書いたように、当時は不良をしていたので授業などまともに受けたことがない。 席に座っていても寝ていることが多く、「眠いなら後ろで寝てなさい!」 と言われ、そんな時だけは ”素直” に 「はーい」 と良いお返事をしてカバンをマクラに横になり、休憩時間になるまでグーグー寝ていたことも一度や二度ではない。
おまけにテストなど白紙で提出するものだから、成績と呼べるような評価なんかもらえるはずがないのは自分でも分かっていた。 もちろん通信簿は最低評価である 1 のオンパレードで、中には手書きで 0 をつける教師までいた。 「なんだこれは」 と文句を言うと、「授業はまともに受けない、テストは白紙、そんな奴を評価できるか!」 と、ついでにゲンコツまで貰ってしまった。
ところが国語の教師だけは、そんな授業態度の自分にも 4 とかを付けてくれる。 不思議に思って理由を聞くと、「理由なんかないけど、本当はやればできるんでしょ?」 と言われた。 すると不思議なもので、授業をしっかり受けなければ申し訳ない気分になり、国語だけは寝るのをやめた。 今から思えば女教師の術中に陥ってしまった感があるが、それも更生させる手段だったのだろう。
後に知ったことだが、高校の校長が実家の斜め前に住んでいた。 そんなこととは知らず、タバコを吸いながらボーッと窓から外を眺めたり、悪友と遊んだりしていたのだが、ある日のこと校内放送で校長室まで来るようにと呼び出された。 友達は 「校長に呼ばれるなんて何をしたんだ?」 と聞いてくるが自分にも心当たりがない。 いや、ありすぎて何の件なのか予想もつかなかった。
校長室に入ると 「昨日お前の部屋から煙が出てたな」 と言う。 何を言っているのか分からず黙っていると、「いや、先生はお前の家の斜め前に住んでいるんだけどな」 などと、とんでもないことをさらっと言いのけるではないか。 それを聞いて慌てふためいた。 前日は悪友数人と遊んでおり、全員がタバコを吸っていたものだから窓からモウモウと煙が出ていたに違いない。
「いえ、あの〜蚊取り線香が、そ、その〜異常に燃えて〜あの〜」 と、しどろもどろに訳の分からないことを言っていると、「まぁ火事には気をつけろよ」 と言って、タバコを吸っているのがバレバレなのに、おとがめなしで開放されたのである。 そのことを悪友に伝えたところ、以降は誰も家に遊びに来なくなってしまった。
それからも、校長と顔を合わせるたびに 「蚊取り線香はどうだ?」 と嫌味を言われ、「いや、あの〜」 と言っていると、すれ違う瞬間に 「体に悪いぞ」 と小さな声で言われたりしていた。 それで改心してタバコを止めるまでには至らなかったが、いつも声をかけてもらったことは今でも心に残っている。
どんな教育が正しいのか分からないが、自分が悪いくせに教師に殴られたことを親に報告する子供も子供なら、学校に文句を言う親も親だ。 自分なんぞは、いったい何発殴られたか分からないほどだが、悪いことをしたという自覚を持っていたので、それは仕方のないことだと思っていたし、そんなことをいちいち親に報告などしなかった。
現代は子供も親に甘えすぎるし、親も子供を甘やかしすぎると思えてならない。
2006 / 12 / 16 (土) ¦ 固定リンク
上下関係 上下関係
最近は年上の人を敬うなどという観念はこの日本から消えつつあり、注意を受けた若者がお年よりに暴行を加えたり、親に危害を加えたりする事件が多い。 一時期は 『オヤジ狩り』 などというのもあったが、それも典型的な風潮であろう。
それ以外にも終身雇用制や年功序列という日本らしい文化も消失し、年齢に関係なく実力のある者が出世する人事制度や、成果主義による報酬制度が主流となりつつある現在、会社の先輩、後輩という序列や年齢など何の意味ももたなくなってきている。 スポーツの世界は未だ先輩、後輩の序列が厳しいのかも知れないが、特定の環境以外に社会勉強する場がないというのも寂しいような気がしないでもない。
悪友が通う大学は見事なほど序列に厳しい学校だった。 先輩の言うことは絶対であり、後輩は異論を唱える権限を一切持たない。 たとえ理不尽なことであろうとも、先輩の指示には絶対服従なのである。
かなり以前のことになるが、四年となり、その大学における序列の頂点に君臨していた悪友に誘われて学祭に遊びにいったことがある。 様々な学部が企画する催し物を一通り見て周ったあと、悪友が所属する学部が開いている模擬店に腰を落ち着けることになった。
そこはショーパブとも居酒屋とも言えない不思議な空間で、焼き鳥やらフライドポテトやらの臭いがたち込める中、ステージでは女装した男子学生がクネクネしながら歌っている。 そのステージに向って罵声やら喝采が入り乱れるという一種独特の雰囲気だ。 物珍しさもあって最初はキョロキョロしていたが、酒が進むにつれて異空間にも自然に馴染めるものである。
しばし酒を飲み、ステージ上で展開される体を張った芸に大笑いしていたのだが、悪友が 「羊羹 (ようかん) が食べたい」 と言い出した。 後輩たちは 「酒に羊羹ですか?」 とか 「それはちょっと準備していないんですけど」 と困惑していたが、悪友の 「なんとかせいや」 という一言に顔を引きつらせつつも 「分かりました」 と大学を飛び出していった。
少しして近所のコンビニから羊羹を買ってきたのだが、それを切り分けるところを見ていた悪友は 「栗が入ってない」 と言う。 「やっぱり栗羊羹じゃなきゃ」 という一言に後輩たちは 「分かりました」 と大学を飛び出し、栗が入っている羊羹を調達してきた。
それを食べながら酒を飲んでいると、悪友が 「コーラが飲みたい」 と言ったので、後輩たちは 「どうぞ」 と缶入りのコーラを持ってきた。 すると悪友は 「コーラはビン入りに限る。しかもレギュラーサイズの」 などという。 喫茶店で出されるような小さなビン入りのコーラなど市販品で売っているはずもない。 戸惑う後輩たちに向って 「なんとかせいや」 という悪魔の一言。
数時間して戻った後輩たちは見事にレギュラーサイズのビン入りコーラを調達してきた。 数十キロも離れた街にあるボーリング場で買ってきたのだという。 無理難題を言う悪友を呆然としながら見ていたのだが、
以前の雑感にも書いたとおり歯がボロボロだった自分は 「爪楊枝 (つまようじ) がほしい」 と言った。
決して無理難題を言ったつもりはない。 飲食関係の模擬店をするのであれば、爪楊枝くらいあって当然だと思ったのである。 ところが後輩たちは 「すみません。用意していませんでした」 と言う。 「じゃあいいよ」 と答えたのだが、横から悪友の 「なんとかせいや」 という魔の声がした。
慌てふためく後輩たちの姿に申し訳なく思いつつも、爪楊枝程度であれば近くのコンビニに売っているであろうから、それほどの負担ではないだろうと少し安心していたのだが、後輩たちがなかなか帰ってこない。 どうしたのか少し心配になりかけたころ、「で、できました!」 と一本の爪楊枝を持って後輩が姿を現した。
「買ってきました」 ではなく、「できました」 とはどういう意味なのか疑問に思っていると、届けられた爪楊枝は割り箸を包丁で削って作成されたものであり、持つところにある彫刻のような部分まで見事に再現されている。 とっても有りがたく思った反面、彫刻するのに手で触りまくったのだろうと想像すると、なかなか使う気になれず、「記念に持って帰るね」 と胸ポケットに納める自分なのであった。
そんな後輩たちも翌年には新入生がきて先輩へと昇格する。 そして、自分たちがされてきたように後輩たちに無理難題を押し付けては 「なんとかせいや」 と言うのだろう。 その絶対的な上下関係は現在においても見事に継承されているに違いない。
2006 / 12 / 09 (土) ¦ 固定リンク
致死量 致死量
これから忘年会やら新年会で酒を飲むことが多くなる時期だ。 自分も酒を飲むが、急性アルコール中毒になったことはない。 毎年のように救急車で運ばれる人がおり、中には命を落とす人まで出てしまうことがあるが、どの程度が酒の致死量なのか気になって調べてみた。
普通にアルコールを摂取すると徐々に血中アルコール濃度が上がるので、『ほろ酔い期』 『めいてい期』 『泥酔期』 と酔いの段階が進むが、大量のアルコールを急激に摂取すると、血中アルコール濃度が急激に高くなり、各段階を飛ばして一気に 『こん睡期』 まで進んでしまうのが急性アルコール中毒で、時には呼吸困難など危険な状態にもなったりするらしい。
血中アルコール濃度が 0.4%以上になると、飲酒後 1、2時間でその半数が死亡するといわれてるので怖い中毒だ。 量にするとアルコール (エタノール) の致死量は、378〜456ml ということだからビール大瓶だと 20本、ウィスキーのダブルだと 20杯、日本酒であれば 20合といったところか。飲み過ぎ注意である。 『駆けつけ 30杯』 だの 『30本一気飲み』 などするべきではないということだ。
在宅勤務になってタバコの量が減ったとはいえ、今でも 1日に 10本くらいは吸うので気になってタバコの致死量も調べてみた。 普通にタバコを吸って死に至ることはないようだが、乳幼児が誤って口に入れてしまったり、成人でも灰皿代わりに使ったジュースやビールの空き缶に残っていた液を飲んでしまう事故が多いのだそうだ。
水に浸っていたタバコやその液にはニコチンが溶け出していて、吸収されやすく、少量でも非常に危険だという、その致死量は乳幼児ではタバコ 1本に含まれるニコチンが致死量、成人の致死量はタバコ 2本分らしい。 過去にタバコを捨てたビールを口にして慌てて吐き出した経験があるので気をつけなければならない。 大人数で飲んでいた場合など、誰かが空き缶を灰皿代わりにしている可能性もあるので要注意である。
ますます致死量のことが気になったので色々と調べてみた。 カフェインの致死量は 3〜10g。 これは、コーヒーだと 75杯、紅茶であれば 125杯、コーラは 200本に相当する。 いくらコーヒー好きでも 75杯を一気飲みすることはないだろうし、コーラ 200本を一気飲みするバカもいないだろうから、これに関しては心配の必要がなさそうだ。
塩の致死量は30〜300g。 ずいぶん幅があり、30g 程度であれば塩辛い料理を罰ゲーム的に食べたら摂取してしまいそうで恐い。 やはり塩分は控え目にしなければいけないのかとも思うが、一気に 30g 以上の塩を使う料理なんて存在しないのかもしれない。
醤油の致死量は 168〜1500ml。 これも意外に少なく、ちょっと頑張れば飲めそうな量だ。 別に頑張る必要はないのだが、何らかの罰ゲームで醤油を飲ませるのは止めておいた方が良さそうだ。 罰ゲームと言えば、テレビなどで激辛の料理を食べさせたりしている。 それも気になって調べてみると、唐辛子に含まれるカプサイシンの致死量は体重 1キロあたり 60〜75mg だった。
体重 60kg の人であれば 3,600mg ということになり、唐辛子 1,200g ということになる。 いくら過酷な罰ゲームでも 1kg 以上の唐辛子を食べることはないと思われるので、余計な心配だったかもしれない。 もうひとつ、ワサビの致死量も調べたのだが、残念ながら答えにたどり着くことはできなかった。
こうして調べてみると、人が口にするもので死の危険性が高いのは酒とタバコということになる。 これからのシーズン、一気飲みしてベロベロに酔い、誰かが灰皿代わりにした空き缶の中の液体を飲んで死んでしまうことがないよう、十分に気を付けていただきたいものである。
2006 / 12 / 02 (土) ¦ 固定リンク