いよいよ 12月に入ってしまった。何度も書いているが 1年など「あ!」っという間に過ぎてしまう。また一つ歳を重ね、どんどん”おっさん化”していくのであろう。おっさん化が進んでいるせいなのか最近は「なっとらん!」と思うことが多くなってきた。
先週の雑感で、「子供なぞは基本的な躾(しつけ)や基礎学力が身についていれば良い」と書いたが、その基本的な躾がされていないでのではないかと疑いたくなるような立ち振る舞いをよく見る。というよりも、おっさん化の影響でついつい気になってしまうのかもしれない。
基本的な躾が身に付いているかが表に出てしまうのは食事の時だと思う。フランス料理などの高級店に行って、フォークとナイフを使う順などのテーブル・マナーは知らなくてもよいし、分からなければ聞けば済む話である。しかし、せめて居酒屋などで箸を使って食べることくらいは、まともにできないものだろうか。
知り合いではないが、以前見かけた若者は片ヒザを立て、そのヒザにヒジをついて料理を食べていた。酒も進み、すっかりできあがった状態なら「しょうがないな〜」で済むが、店に入ってきてすぐからその姿勢で食べている。きっと家でもそうやっているのだろうが、家族は注意しないのだろうかと不思議に思ってしまった。
それは極端な例だが、食事の席では細かなことも気になってしまう。最近は TVでも多く見るのだが、箸の持ち方が”変”な人が多い。持ち方が悪く上手につまめないものだから皿の上で料理をこねくりまわし、やっとつまめたと思ったら口に到達する前に落としてしまう。小さなものをつまもうと必死になっているのだが、上手くいかずにイライラして「ふんっ」と食べるのをやめたりもしている。
そういう人たちの多くは魚が嫌いだと言っている。よくよく話を聞いてみると、小骨などを上手に取ることができないため「食べるのが面倒だ」と言うのである。箸を使ってイライラしたり、美味しいものを食べられないくらいなら持ち方を直せば良いのに、「これでいいの!」と相変わらず箸をバッテンにしたり手首をグルグルしたりして奇妙な食べ方をしている。
いい歳をして好き嫌いが激しいのもどうかと思う。嫌いなものをあえて食べろとは言わないが、人と食事をする時は少しくらい我慢できないものだろうか。例えば人参が嫌いな場合、ゴロンとしたものは食べなくても良いが、料理の中に入っている細かいものまで丁寧に取り出す人がいる。
別にそれがメインの料理ではないのだから、他の食材といっしょにガーっと口に入れてしまえばいいようなものを、時間をかけてひとつ、またひとつと取り出している。「そこまでするなら食うなー!」と言いたくなるが家族でもなければ、ましてや自分の子でもないので心の中で「みっともないな〜」と思っている。
中にはアレルギー反応を起こすものもあるわけだから、そういうものまで食べろとは言わないが、あれもダメ、これもダメと言って好き嫌いが激しい人を見ると甘やかされて育ったんだろうな〜などと思ってしまう。躾とは別に、栄養のバランスなどを考えると子供のうちに好き嫌いを少なくしておくのが本当の愛情だと思うのだが、今の親は「嫌い!」「食べたくない!」と言われると子供が好きなものばかり作ってあげているのだろう。
個人的に一番嫌いなのは、食べ物の”におい”を嗅ぐ人である。「香い」「匂い」という意味で香りを楽しむのならば良い。松茸を代表とするキノコや香りを楽しむ料理の器から立ち上る”におい”を「あ〜いい香りだね〜」と分かち合い、口に入れて「美味しいね〜」というのは分かるし、当然のことでもある。
ところが、そういう種の料理ではなくても”におい”を嗅ぐ人がいる。箸でつまみ、口に入れる前に嗅ぐのである。それも出てくる料理すべてそうするのだから「おまえは犬か!」と言いたくなってしまう。そういう嗅ぎかたをすると「香い」や「匂い」ではなく、「臭い」という意味に思えてくる。料理が腐っていないか、悪臭を放っていないか確認しているようだ。
それは料理を作った人にも失礼だし、周りで見ている人にとっても気分の良いものではない。本人はそういうクセがあることを自覚していないのかもしれないが、あれはかなり”みっともない”ので子供がそうだった場合、早めに直すことをお勧めしたい。
躾という字のとおり、身のこなしを美しく。美しくないまでも人に不快感を与えない程度の躾は親の責任において子供に教育しておいた方がよろしいですよー。と、少しだけ声を大きめに言ってみたりしたいと思っている。のである。