嗚呼日本人 5

嗚呼日本人 ~目次~

  まだまだ続くと覚悟していた暑さも一段落したようで、ここのところ涼しい日が多くなってきた。ここで油断していると急に気温が上がってグッタリしてしまうのだろうが、失いかけていた食欲も復活しつつあるようで、なんでも美味しく食べられるようになってきた。

  ただし、問題なのは調子にのって食べ過ぎてしまうことである。三度の食事はもちろんなのだが、昼食から夕食までの間や夕食から就寝までの間にも何かを口にしたくなってしまう。もともと間食をする方ではないのだが、この季節はどうしても口が卑しくなってしまうようだ。この夏の間に 2kgほど落ちた体重も復活していくのであろうが、体形を気にする年齢でもないので自然にまかせることにしている。

  何を食べても美味しい季節にはなったものの、日本国内は相変わらず食の安全に対する信頼が崩壊したままである。雪印の食中毒事件に始まり、BSE(狂牛病)問題、鶏肉問題、無認可の添加物問題、残留農薬問題などなど挙げればきりがない。生産段階や製造段階でのトラブルだけではなく流通や小売の段階でもラベルの偽装などがあるため、何を信じて購入すればよいのか解らなくなってしまった。

  それにしても、いつから日本人はこうなってしまったのだろう。以前の雑感にも書いたとおり昔の日本社会は性善説で成り立っていたはずである。悪いことやズルイことをするはずがないという信頼関係があり、売っているものの賞味期限がごまかされているとか、産地が偽装されているなどと考えたことすらなかった。何の疑いもなく売っているものを購入し、口に入れていたのは間違いだったのだろうか。

  造ったり売ったりする側のモラルが低下しているのと同時に消費者側の考えにも変化が現れはじめた。以前であれば消費者の立場が弱く、購入した商品にトラブルがあっても泣き寝入りすることが多かったが、最近では使ってみて気に入らなければ返品したり、その商品が原因で事故が起こった場合はメーカを訴えたりしている。それは当然のことなのだが消費者が保護されるようになったのは最近のことである。

  そして、もうひとつの変化は不祥事を起したメーカの商品が一斉に撤去されることだと思う。毒性のあるものが混入していたのであれば商品撤去は当然だが、雪印や日本ハムが輸入肉を国産とごまかしていた事件のように食品の安全性とは直接的に関係のない場合でも商品は撤去される。主体となっているのが販売店ではあるが、店頭に商品が並んでいても購入しない消費者は多いと思われる。これは ”不買運動” に近いもので、以前の日本では考えられないことだった。

  アメリカとかであれば商品そのものに問題はなくてもメーカの不祥事や体質までも問題視して不買運動が起こることがある。日本では人気の衰えないメーカのひとつにスポーツ用品などを販売する NIKE(ナイキ)があるが、1997年にナイキが委託するベトナムなど東南アジアの下請工場で、強制労働、児童労働、セクハラなどの問題があることが暴露されたとたんに、アメリカでは反対キャンペーンが起きて、ナイキ製品の不買運動、訴訟問題にまで発展した。

  それに比べると日本人は 「まあまあ」 と言ってウヤムヤにしてしまうことが多かったのだが最近は様子が違う。不祥事を起す会社のものは安心して消費者に提供できないという考えから取引を中止するところが多い。今回の日本ハムの件で、身近なところでは 『ケンタッキー・フライド・チキン』 や 『牛角』 が仕入先の変更を検討しているし、学校給食からも外されそうな勢いだ。

  日本ハムが食肉流通の営業を再開できたとしても以前のような売上げは不可能だと思われる。雪印が消費者離れを食い止められずに解体に追い込まれたのと同様に日本ハムも無傷ではいられないだろう。最近になって ”顧客重視” や ”消費者重視” の目標を掲げる企業が増えてきたのは、消費者が怒るとどれだけ大変な目にあうかということが身にしみて実感した結果だと思う。

  「最近の日本人(消費者)は強くなったんだな〜」 と思う反面、不祥事を起してしまう企業を見ても 「やっぱり日本人なんだな〜」 と思ってしまう。BSEでは先進国であるイギリスでも国による買取り制度がある。そして、やはりインチキをして金を騙し取る事件も発生している。しかし、日本と決定的に違うのは事件を起すのが企業ではなく個人だということだ。

  個人の利益のために個人が犯罪を犯すのは許されない事ではあるものの、ある程度は理解することができるらしいのだが、個人には何の利益もないのに会社のために犯罪を犯す日本人をイギリスでは理解できないらしい。アメリカにしてもヨーロッパにしても個人主義であるわけだから 「そんなことをして何の得があるんだ?」 ということが先にきてしまうのだろう。

  いままでの日本は終身雇用、年功序列が前提となっており、経営者を頂点に擬似的な家族関係が形成されることが多かった。会社を守ることが生涯に渡って自分の身を守ることにも繋がった。会社(家族)を守るためなら犯罪にも手を染め、身代わりに逮捕されるのも厭わなかったのだろう。しかし、終身雇用制や年功序列が前提ではなくなってきた今、そしてこれからは会社を命がけで守ろうとする日本人は確実に減っていくことであろう。