雪にまつわるエトセトラ

気象観測が始まって以来の低温、40年ぶりの降雪量などと、雪に慣れた道産子も早すぎる冬に戸惑いの色を隠せないでいるが、この町はたまにチラホラと降る程度で積もることなく解けてしまっている。

そんな我が街にも間もなく雪が積もり、本格的に冬がやって来るが、9月に雪深い街から越してきたショウコは雪の少なさ、冬の短さに驚くことだろう。

何せ故郷の年間降雪量は 884cmで、この町は 100cm以下、一番寒い 2月の平均気温も故郷の -9.4℃に対してこの町は -0.4℃と 10℃近くも暖かい。

故郷が 11月から 4月の終わりまで 5カ月以上も雪に閉ざされるのに対し、この町は 12月の中旬から 3月中旬までの約 3カ月間なので 2カ月以上も短いことになる。

ずっと北海道で暮らし、雪の多い札幌から大阪に転勤した最初の冬、クリスマスに雪がなくてちっともホワイトクリスマスにならなかったのに驚いたし、正月にも雪がないことに違和感を覚えて 2-3年は慣れなかった。

きっとショウコもこれから 2-3年は、冬になるたびに妙な感覚を覚えることだろう。

ショウコが一人暮らしを断念したのも故郷は冬が厳しいからだ。

これで雪がなく温暖な土地であれば、まだまだ一人で生活していたと思われる。

それほど北海道の豪雪地帯、極寒の地の冬は大変であり、ショウコでなくともこの歳になれば自分も暮らすのは躊躇してしまう。

子供のころは夏も冬もなく、その季節ごとの環境で楽しく遊んでいた。

冬はスキーにスケートはもちろん、日暮れが早くあたりが暗くなるまで雪まみれになって遊んでいたものである。

ゴム長靴の中に雪がびっしりと詰まり、脱ごうにも脱げなくなってショウコの手を借りることなど毎度のことだ。

最初は立って片足を上げ、靴を引っ張ってもらうのだがガッチリ固まった雪はびくともしない。

腹ばいになって引っ張ってもらっても、小さな体なのでズリズリと引きずられてしまう。

そこで、柱などに両手で必死につかまり、体が持っていかれないようにしながら引っ張ってもらい、やっとの思いで長靴が脱げるのだが、急にスポッと脱げるものだから体のバランスを崩してショウコがあお向けにひっくりかえり、それに腹を立ててこっぴどく叱られるというのが毎度のオチだ。

そもそも、そんなに靴の中にびっしりと雪が入るのは深く降り積もった雪をかき分けて遊んだり、滑り落ちた雪と家の屋根がつながっているのでよじ登って高い所から飛び降りたりして遊ぶからである。

最初は靴の中に雪が入れば出したりしているが、そのうちに面倒になったり遊びに夢中になって忘れてしまい、気づいた時にはガッチリ固まって脱げなくなってしまう。

そんな状態なのに冷たさを感じなかったのは、暴れまわっているので体がポカポカしていたからなのだろうか。

豪雪地帯の故郷では除雪のブルドーザーが道の両側に雪を積み上げていく。

その高さは大人の背丈をゆうに超えるが、固い圧雪状態になっているので簡単には崩れず、小学校のころなどはその頂上をずっと歩きながら登下校したものだ。

休みの日ともなれば大人が使う大きなスコップを使って穴を掘り、家の前から交差点まで続く長い除雪の山の中を掘り進んでいったこともある。

今から考えると何百キロの重さにもなる圧雪が崩れたら生き埋めになってしまうと想像しただけで背筋がゾワゾワするが、怖いもの知らずの子供は危険など感じることもなく夢中で遊んでいた。

そして、その穴が見つかって再びショウコからこっぴどく叱られる。

親としては子供が危険なことをすれば怒るのも当然だが、子供にすれば何がどう危険なのかもピンときていないので無実の罪で罰せられているような気になり、ふくれっ面をしながら反抗して火に油を注ぐ結果っとなってしまう。

子供だった自分、まだ若い母親だったショウコ。

互いに年を取った親子は雪深い街を出て、今は過ごしやすい土地で暮らしている。

ショウコが来て初めての冬。

年老いた母親は何を想うだろうか。