真の恐怖 第二夜

一年以上も前に真の恐怖について書いたが、その時の話しとは別件で怖い思いをしたことを思い出した。 それは 10年以上も前、ラスベガスで開催されたコンピュータ関係の展示会に会社命令で行かされたときのことだ。 会場はカジノやホテルが立ち並ぶ場所から遠く離れており、通常は送迎バスに乗って移動するのだが、ホテルまでの帰りのバスに乗り遅れてしまった。

同行していたK氏と二人で、次のバスを待つべきか、歩き疲れたのでタクシーに乗って帰るべきか相談していたところ、遠くからバンバンいう音と共に 「Hey!○×△◎?♂」 という怒鳴り声が聞こえてくる。 何ごとかと驚いて目をやると、イエローキャプの運転席から身を乗り出してドアを平手でバンバン叩き、運転手である兄ちゃんがこちらに向って 「乗れ!」 と叫んでいる。

K氏に (どうする?) とアイコンタクトで問いかけると、何だか分からないけど疲れたので乗って帰ろうということになり、二人でタクシーに乗り込んだ。 行き先であるホテルの名を告げると、「ずいぶん良いホテルに泊まっている」 などと言ってくるので 「会社経費で泊まっているんだよ」 などと返事をし、「あのホテルのスロットは揃いやすいから今夜は儲けてね」 などと労いの言葉をもらったりしていた。

もちろん、英語で交わされるその会話はK氏に任せ、自分はニコニコしているだけだ。 その後も何だかんだと話し、妙に明るくてテンションの高い兄ちゃんだと思っていたのだが、少し車が渋滞してくると急にイライラしてきたようで、クラクションを激しく鳴らし始めた。 車の列が先に進まなくなるとクラクションの鳴らし方に激しさが増し、窓を開けて何かを怒鳴り始める。

そして、信号待ちの列があると対抗車線を暴走し、無理矢理に列の前に進むようなことまで始めた。 信号が青に変わると制限速度など無視して爆走し、曲がり角ではタイヤが 「キキキー!」 と軋み音を発する。 何が何だか分からず、K氏と必至になって前のシートにしがみつき、「どうしたのだ」 「何があったのだ」 と運転手に聞いても返事はなく、無謀な運転が繰り広げられる。

赤信号でやっと車が停まると、運転手の兄ちゃんがブツブツと独り言をしゃべり、「げふっ」 とが 「んげげ~」 とゲップを連発し始めた。 アメリカではオナラよりゲップの方が失礼だとされているが、そんなことはお構いなしに 「んごふっ」 と続けている。 そして、助手席にマクドナルドの食べ残しがあり、そこからポテトをとって口に入れ、クチャクチャと音を立て食べながら 「げふ~」 と再びのゲップだ。

兄ちゃんは振り返って呆気に取られているこちらを向き、「食べるか?」 と勧めてくる。 「いらない」 と断わると、再び助手席に手を伸ばし、怪しげなタバコを勧めてきた。 「それは何か」 と尋ねると、なんとそれは 「マリファナ」 だと言う。 もちろん 「いらない」 と答えると、「そうか」 と少し残念そうな顔をしていたが、急にニヤ~っと笑い、何とマリファナを口に入れてムシャムシャと食べだした。

あまりのことにK氏と二人で 「あわわわ」 と声にならない声をだし、ただ驚いていると車はタイヤの音と共に急発進し、もの凄いスピードで爆走し始めた。 マリファナを食べた兄ちゃんは、すっかりテンションが上がってしまい、「ひゃっほ~!」 などと奇声をあげなら蛇行運転まで始める。 いつ他の車と接触して事故を起こしてもおかしくない状況だ。

「ああ、自分はアメリカで死ぬんだ」 とか、「これで死んだら労災あつかいになるだろうか」 などと様々な思いが頭をよぎる。 そんな不安にかられながらK氏を見ると、顔面蒼白になりながら、じっと目を閉じており、何か覚悟を決めたようだ。 このまま事故を起こさないまでも、どこか遠くに連れ去られ、無事に日本に帰れないのではないかなどと考えているうちに車はホテルに到着した。

とりあえず無事に帰れた喜びと、安堵の気持がゴチャゴチャになり、ヨロヨロと車を降りる。 兄ちゃんは 「Good luck!(幸運を)」 と言い残し、タイヤの音をたてて急発進しながら走り去っていく。 遠ざかる黄色い車体に向って 「あんたもな」 と小声でささやきながら、ホテルに入り、K氏とヒシと抱き合いながら、「怖かったよ~」 「日本に帰りたいよ~」 と涙に暮れたのであった。