歯医者六軒目

過去に通った歯医者

「腕は確かだが先生が怖い。」
「行くたびに先生に叱られる。」
・・・。

とにかく評判を聞くと、十人が十人ともそう答える歯医者だった。

そして、中には
「もの凄く怖いから絶対に行きたくない」
とまでいう人もいるくらいだ。

しかし、前回の歯医者は懲りていたし、その歯医者は我が家から徒歩 3分程度ということもあり、
「怖かろうと何だろうと命までは取られはしまい」
と自分自身に言い聞かせ、思い切って予約を入れてみたのは前回と同様に差し歯が取れてしまったからである。

電話で問い合わせると
「いつでもいいですよ」
との回答。

前回の歯医者は妙に空いており、それは腕が悪いから患者が離れてしまった結果であろうと結論付けたので我が家も通うのを中止したのだが、こちらの歯医者も日時を指定されることなく、電話した当日の何時でも構わないというくらい空いているのは、あまり良くない事情があってのことではなかろうかと一抹の不安が胸をよぎる。

それでも周りの人の 『怖いが腕は確か』 という評判を信じて行ってみた。

確かに院内で待つ人もなく、すぐに治療台に案内される。

そこに現れたのが後に我が家で 『爺ちゃん先生』 と呼ばれるようになる頭髪が白髪で薄い高齢の歯科医だった。

実はこの先生、見かけより若いらしいのだが、ぱっと見は七十後半に見える老け顔に加え、多少は耳が遠くなっているのか声が大きく、行くたびに同じ話を何度も聞かされるという典型的な御老人といった感じの人なのである。

しかし評判通りに腕は良く、新しく作ってもらった差し歯は一度の調整だけでピッタリと馴染み、それから 5年が経過する今となってもまったく問題がない。

そして、これも評判通りに小言が多い。

叱られるとか、怖いと言う人が多いが、実は患者のことを思っての小言や注意が主なので怒りっぽいとか短気とかいう訳ではなさそうだ。

とにかく毎回のように言われるのが自分の歯をどこまで長持ちさせるかということで、若い頃と違って一定の年齢を過ぎたら硬いものをバリバリ食べてはいけないとか、何かをする際にも歯を食いしばってはいけないと言う。

ひと通りの治療が終わると爺ちゃん先生が毎度この話を始める。

何度も聞かされている話なので適当に相槌を打ちながらジワリジワリと出口に移動し、話の切れ間を狙って診察室から脱出するというのが基本パターンだ。

何もなくても半年に一度の割で歯医者に通い、歯周病になっていないか、虫歯はないか診てもらい、歯石を除去して歯をクリーニングしてもらうということを 5年ほど続けていたが、爺ちゃん先生に言われて歯磨きに歯間ブラシや糸ようじも活用するようになってからは除去すべき歯石もつかなくなった。

それでも半年に一度のペースで診てもらうと
「よし、ちゃんと言うことを聞いてみがいているな」
と褒められ、
「歯石も汚れもないから帰ってよろしい」
と言われ、受付の人には
「今日は何もしていないので料金はいりません」
と言われるようになった。

独り言でも爺ちゃん先生のことには何度も触れたが、とにかく患者思いでビジネスライクなところがなく、普通なら治療するような歯も治療してくれない。

お買い物日記』 担当者にも自分にも虫歯があり、黒く変色しているのだが
「まだ大丈夫だな」
などと言って放っておかれる。

爺ちゃん先生のポリシーとしては、ごく小さな虫食いであっても治療するとなれば周りを大きく犠牲にせねばならず、場合によっては歯の 1/3とか半分を削ることになるが、せっかくの自分の歯を大きく削るのは忍びないので限界まで治療せず、丁寧に歯磨きをすることでなるべく長く自分の歯を使わせてあげたいということらしい。

小さな虫歯であれば治療しない、歯周病や虫歯がないか診るだけなら金をとらない、とにかく患者のこと、長く自分の歯を使うことを第一に考えてくれる実に素晴らしい先生だ。

できることであれば今後もずっと診てもらいたかったのだが・・・。

その歯医者が今月末、つまりあと 3日で閉院になってしまうと知ったのは去年の 12月

その時のショックたるや、どんな言葉でも言い尽くすことはできないような、小さな頃に道に迷ってしまった時のような、女高生がスマホを無くしてしまったような、とにかく路頭に迷うとはこのことだと思えるほどの大きさだった。

それからというもの、となりの店、『お買い物日記』 担当者の友人・知人、我が家を担当してくれている生命保険のお姉ちゃんにまで歯医者情報を聞きまくっているが、なかなか 『これはっ!』 と思う情報を得ていない。

というのもヒマそうに見えて実は多くの患者さんを持っていたらしく、聞く人、聞く人、その多くが爺ちゃん先生に診てもらっており、そのほぼ全員が路頭に迷っている状態だったのである。

次に歯を診てもらおうと予定しているは 6月。

それまでに良い情報を得られるのか、我が家にとって最大の問題なのである。