神の領域

2006年に世界保健機関 (WHO) から発表された世界保健報告によると、日本女性の平均寿命は約 86歳、男性は約 79歳で、ともに世界一となっている。 『人生五十年』 などと言われていた昭和初期から 100年足らずで 1.6倍にもなったことになった訳だ。

不治の病と言われていた結核など薬で治る時代だし、白血病も治療法が確立した。 一番の死亡原因であるガンですら早期発見すれば治療は可能だし、近い将来には療法が確立して薬を飲みさえすれば完治させることが可能になるに違いない。

医学の進歩が寿命を延ばし、社保庁や厚労省には少々問題もあるが、保険制度の恩恵によって日本人は公平な治療を受けられる。 糖尿病や高血圧を代表とする生活習慣病に関しても日本人の健康意識が高まり、今後は減少傾向をたどるのではないかと思われる。

急速に発達しつつある再生医療 (医学) では、アゴの骨から歯を再生したり、骨髄細胞から心臓組織を再生した例も報告されており、それほど遠くない将来にはあらゆる臓器の再生が可能になることだろう。 そうなれば、まるで部品交換をするかのように古くなったり、少しガタのきた臓器を再生した新しい物と交換し、百歳でも二百歳でも生きられる時代が来るかもしれない。

腎臓が悪くなり、膨大な時間を費やし、高額な医療費を負担して人工透析を受けている人や、不幸にして視力を失ってしまった人などの臓器や角膜を再生し、普段の生活に戻れるようにすることは重要なことであり、それ自体が間違っているとは思わないが、臓器を人工的に培養して作り出すということに対しては、少し不気味な感覚を覚えてしまう。

遺伝子を操作したり、臓器を作り出すなどというのは神の領域であり、人間が手を出す範囲を超えているような気がするのは自分の考えが古すぎるからだろうか。 食物にしてもそうだが、様々な組み合わせによる交配を繰り返し、寒さや病気に強い品種を作り出すのではなく、遺伝子を操作して耐性の強化を図るなど、人間は何様のつもりかと思ってしまう。

絶滅の危機に瀕している動植物を人工的な交配によって増やしてみたり、ただ食物連鎖の頂点に君臨しているだけの人間が、神様にでもなったつもりなのだろうか。 人間の手による乱獲や自然破壊によって絶滅の恐れがあるのであれば、それを救うことも必要だろうが、自然淘汰によって絶滅するものまで救う必要があるのか。

過去に何千、何万という動植物が絶滅している地球上で、本来であれば絶滅しなければならない種が、人工的に繁殖させられた場合、未来の生態系や自然はどうなってしまうのか。 だいたい人の手が加わった段階で、もはや自然とは呼べないのではないだろうか。

いろいろと思うことはあるが、自分が大病を患い、臓器の機能が著しく低下して命に関わるような場面に遭遇した場合、そして、その時に再生医療が発達し、一般的に受けられることが可能になっていたならば、本来は終わるはずの寿命を延ばしてもらうことを望むだろう。

結局、人間というのは弱さと利己主義が同居した、地球上で最も情けない生き物なのかも知れない。