本義

どうも最近は 『叱る』 と 『怒る』 を混同している人が多いような気がする。 『叱る』 とは 『たしなめる』 とか 『とがめる』 の最上級形であり、相手のことを思えばこそ、言動について良くない点をつい強い口調で指摘したり、大声になってしまったりするのであって、そこには正しい方向に導こうとする善意だったり親心が含まれるものである。

翻って 『怒る』 とは、自分が不満であったり不快なことがあって我慢できず、腹を立てて相手に文句を言ったり大声で怒鳴ったりすることであり、そこには相手に対する不満とか不快感しか存在せず、立場や将来を思いやる感情など皆無である。

よく 「上司に怒られた」 というビジネスマンがいるが、上司は部下に対して社会人としての正しい行いを強い口調で言い聞かせているのであり、間違った言動を、つい強い口調で指摘しているのだから、「叱られた」 というのが正しい表現である。

上司の言葉に 『叱る』 という本義がなく、単に会社に対する自分の立場が不利になるとか、部下の話し方、行動が気に入らないというだけで相手を思いやる気持もなく、感情に任せてグチグチ言ったり怒鳴ったりしているのであれば、そういう時にこそ 「怒られた」 と使うべきなのだが、最近はそんな馬鹿な上司も多いので、「怒られた」 と表現するのが正しかったりするのかもしれない。

「お母さんに怒られた」 という子供がいるが、親は子に対して社会人としての正しい行いを強い口調で言い聞かせているのであり、間違った言動を、ついつい強い口調で指摘しているのだから、「叱られた」 というのが正しい表現である。

親の言葉に 『叱る』 という本義がなく、単に世間体を気にして自分が恥ずかしい思いをするからとか、自分がイライラしているからとか、洗濯をするのが面倒だから服を汚すなとか、夫が気に入らないから八つ当たりしているだけで、子を思いやる気持もなく、感情に任せてグチグチ言ったり怒鳴ったりしているのであれば、そういう時にこそ 「怒られた」 と使うべきなのだが、最近はそんな馬鹿な親も多いので、「怒られた」 と表現するのが正しかったりするのかもしれない。

『叱る』 と 『怒る』 を混同しているのは、それを受ける部下や子ではなく、それをする側の上司や親なのかもしれない。 部下や子はそれを敏感に感じ取り、これは自分のためを思っているのではなく、単に感情論でしかないと察しているのかも知れない。 そして、そういう事例が多いのであれば、優秀なビジネスマンも立派な子も育ち難くなっているのかもしれない。

先週の雑感の続きになるが、「育つのを邪魔しない」 程度に、人間として、社会人として間違った言動には躾 (しつけ) という本義を忘れずに厳しく叱って、正しい方向に導く毅然とした態度が上司や親に求められているのではないだろうか。