本末転倒

ニート (NEET(若年無業者)) という言葉が 2004年に日本に上陸してから早や 3年、バブル崩壊の後遺症から抜け出したと言われる現在も、その数は 20万人程度しか減少しておらず、相変わらず社会問題として取り上げられることが多い。

最新の調査で若者がニート化する大きな要因として、親が 「自分の好きな道を進めば良い」 とか 「自分のことは自分で決めろ」 などと言い放ち、子供の将来に対して真剣に取組まないことが挙げられているが、それを見て 「何を甘ったれたことを言っているのか!」 と腹立たしくすら思った一方で、確かに子供の教育に対して自己矛盾を抱えている親が多いことに思いが巡る。

子が生まれ、幼い間は何をしても我が子は天才ではないかと喜ぶ親。 絵を描いていても親バカ丸出しで上手だと誉め、音楽に合わせて踊っていても、歌っていても、それは才能であると信じて目を細める。 子供は親に誉められるのが一番嬉しい訳であるから、ますます喜んで上達しようとする。

ところが、そんな微笑ましい光景も幼少期の終わりと共に姿を消していく。 早くは幼稚園の頃から、遅くても小学校の中学年にさしかかると絵を描いていても、歌っても踊っても、ましてや外を駆け回っていようものなら、「そんなことしていないで勉強しなさい」 と言われてしまう。

犯罪以外は何をしても悪いということはなく、むしろ人生に何らかの影響を与え、将来的にその才能が開花する可能性があるというのに、その芽は親の手によってことごとく摘み取られてしまう。 「あれをしてはいけない」 「これをしてはいけない」 と、子供を八方塞 (ふさがり) の状態に追い込んでおきながら、いざ人生を決める大学への進学とか就職の際になって 「何をしたいか自分で決めろ」 とは・・・。

才能とか可能性という翼をもがれ、「さあ、飛び立ちなさい」 と言われる子の気持はどうなのだろう。 泳ぎ方を教えられないまま、「大人になったのだから海に潜って自分で餌を探しなさい」 と突き放されたら、ペンギンだって生きて行けないだろうし、他の鳥だって巣立てない。

勉強という意味だけではなく、生き方に関する教育も含め、最近は何かが狂っているとしか思えないが、給食費を払わない親がいたり、ちょっとしたことで学校にクレームを入れるバカ親が子を育てているのだからそれも当然なのか。 中には 『義務教育』 という言葉の意味も分からず、一定水準の教育を受けさせるのは国や教師の義務だと思っているバカもいる。

確かにその一面もあることはあるが正確には、すべての親は子供に一定水準の教育を受けさせる義務を負っているのであり、そのためには給食費を払わなければならず、人の道から逸れたときは教師から殴られても仕方ないのである。

親ももう少し賢くなり、子供の可能性を信じてはいかがだろうか。

「人を育てる」 などおこがましい。
「育つのを邪魔しない」 というくらいの認識でちょうど良い。

by 岡田武史(元サッカー日本代表監督(岡ちゃん))