練習の賜物

自分の場合は仕事とゲームにしか打ち込んだことがないので、スポーツ選手などが軽々とやってのけることを 「お~!」 と感嘆の声をもらしながら見ているしかないのであるが、どうも野球を観戦していて選手が打って欲しいところで三振したり、つまらないエラーをしたりすると 「アホか!」 などと罵倒する言葉がでてしまい、選手の凄さというものを忘れがちになってしまう。

自分には 140km/h 以上もの速度で投げ込まれる球を打てるはずもないし、それ以上の速さで飛んでくる打球を捕れるはずもなく、ブツブツと文句を言える立場にないのは重々承知したりしているのではあるが、誉めることより文句を言っていることの方が多い厳然たる事実がそこにある。

しかし、冷静に考えれば走者となって塁にすべり込むことですら勇気の必要なのではないかと思うこともしばしばで、自分であれば硬い地面の上を滑るなど想像しただけで足がすくんでしまうし、ましてや塁を守る選手と交錯する可能性も高いことを加味すれば、その場に向って走ることにすら腰が引け、さらにはヘッドスライディングなど怖さ倍増であることは想像に難しくない。

サッカーでボールをキープするのも勇気が必要だと思われ、相手の選手が鬼のような形相と勢いで奪いにきても、それを冷静にかわしたり味方選手にパスしたりしなければならない訳であり、自分であればちょっと怖そうな顔の選手が向ってきたら、泣きながら逃げ惑ったりする可能性も否定できないので、試合の中継を観ながら文句など言えないのである。

格闘技を観ていてもそうで、堂々と打ち合わずにクリンチにばかり逃げる選手をみると 「アホか!」 とか 「面白くない試合」 などとブツブツ言っているが、筋肉隆々として体も大きく、人相の悪い暴れ者が向ってきたらシッポを 26周くらい巻いて一目散に逃げてしまうのは明白だ。

バレーボールで凄い勢いのスパイクを打たれてボールに向っていくこともそうだし、ラグビーで相手にタックルしたり、されたりするのも、相撲の立会いでゴツンと頭がぶつかるのも、痛いとか怖いと思ったらできることではなく、いや、実際に痛いのは間違いないことなので、いかにして恐怖心を払拭するかと言うことが重要なのかも知れない。

その恐怖心を乗り越えるため、あるいは技術を磨くため、そして体力を強化するために日々練習を怠らないのがスポーツ選手で、自分にはそんな地道な努力をする自信などあるはずもなく、第一、競技を始める前の準備運動でヘトヘトになってしまうこと必至であり、まずは最低限の体力づくりから始めねばならないだろう。

したがって、どんなスポーツであれ、彼ら、彼女らは自分には到底できないような、とてもレベルの高いことをしているのだという自覚を持ち、すばらしいプレーをしたときこそ心から惜しみない拍手を送るべきだということを心にとどめながら観戦すべきなのではないだろうかと思ったりしているが、そんな見方をしたら疲れてしまうだろうことは容易に想像できる。

色々と考えてみたりはしたが、結局はゴロゴロしながら、画面に向ってブツブツと文句を言ってスポーツを観戦する姿勢は改まりそうにない。