流通業の台頭

大型スーパー、コンビニを代表とする流通業が販売力にモノを言わせて川上である卸売業者、その上流である製造業、メーカーの体力を奪い続けている。

最近ではテレビやネットの通販も力を持ち、価格競争は激化するばかりだ。

消費者としては安く変えるのは嬉しい限りだが、このデフレスパイラルをどこかで断ち切らない限り、最終的には国力を弱めて日本全体が沈んでしまう。

かつての日本では定価販売が常識であり、開発費、宣伝費、人件費、利益などを考慮して発売する側が価格を決定していたが、価格破壊のパイオニア的存在で全国を席巻したダイエーの創業者である中内功氏が 「価格の決定権は消費者にある」 と定価販売をやめて安売りを始めた。

物に対してお金を出すのではなく、物の価値、その物によって与えられた利益に対して支払う報酬、つまり定価ではなく対価ということであり、それ自体は評価、賞賛すべき考え方である。

しかし、ビジネス規模が拡大し、他店を凌ぐ販売数を誇るようになると庶民の味方という当初の理念を見失い、流通業自身が価格決定権を持っていると錯覚し始める。

卸売業者やメーカーにぞんざいな態度をとり、商品の展示から棚卸まで手伝わせてみたり、商品販売までさせて自社では人件費を使うことなく利益を得ようとする始末だ。

そして、最近になって強く危惧しているのは、以前の雑感にも書いたことのあるプライベートブランドと言われる自社製品の商品化があまりにも早まってきていることである。

消費者にとって同じ機能であれば価格が安い商品が売られるのは嬉しいことではあるが、それはメーカーの体力や活力をジワジワと奪っていることであるとその雑感に書いたが、その後もプライベートブランドは増え続け、その商品投入のスピードは早まり続けている。

少し前に電子レンジで魚が焼けるという使い捨てのパックが発売され、その利便性と話題性から大ヒット商品となったが、それほどの間を置かずして大手スーパーのプライベートブランドで全く同じような商品が発売された。

最近ではジュレ(ゼリー状)タイプのポン酢が人気になったが、もうすでにプライベートブランドで商品化されている。

先の雑感で書いたように研究開発に膨大な時間を要し、企業や社員の努力の結晶で商品化されたものが、その人件費などを含めた費用を回収する前に価格競争に巻き込まれ、先行者利益を享受する前に薄利多売せざるを得なくなるのは健全なことではない。

繰り返しになるが、消費者としては良いものが安く手に入るのは嬉しいことだ。

しかし、それに慣れてしまって値上げ許すまじという考えから抜けだせずにいると、卸売を含めた中間業者、製造業、メーカーの利益ややる気を奪い、画期的な良い商品が生み出されなくなってしまう。

そして各業種の経営を圧迫し、労働賃金の低下、人員整理、企業倒産、失業率の悪化、雇用不安、就職難が延々と続く負のスパイラルにおちいる。

消費者、庶民の味方という名目で台頭している流通業だけ利益を得られれば良いというものではなく、適正な量を適正な価格で販売し、経済を活性化しなければ日本という国は悲惨な末路をたどり、最悪の結末が待っているのではないかと思う。