一気呵成

福島県沖で発生した M7.4の地震。

また福島、なぜまた福島なのかと思いつつテレビ画面に映し出される津波警報の文字に恐怖を覚え、それと同時に福島を中心とした太平洋沿岸の地域の人たちのことを思うと早く避難してほしい、たとえそれが無駄になったとしても命は守ってほしいと、逆にそれが必要のなかったこととなれば良い、津波なんか来なければ良いと願っていた。

結果、津波は到達したものの規模は小さく、人命を危険にさらすようなものではなかったのは幸いだ。

それは自分が起床してすぐのことであり散歩に行く準備はしていたが、津波のことが気になってそのままテレビ放送を見続けていた。

そのテレビ画面を見ていて思ったのは、テレビをデジタル化しておいて良かったということである。

画面には福島の海岸の映像に加え、各地の震度、津波警報・注意報が出されている範囲、津波の到達予想時間、潮位の変化、各交通機関の運行状況など、ありとあらゆる情報が詰め込まれている。

それはデジタル化されたからこそできる技で、アナログ放送では不可能なことだ。

地デジ化に関しては低所得者をどうするのかとか難視地区の対策がどうだとかと反対意見も多かったが、一気に進めて正解だったと言えよう。

政府は、いや、日本人は波風を立てるのを恐れ、どっちつかずの対策を講じたりすることが多いが、やる時には一気にやった方が後々になって良かったと思えることも多い。

その典型的な例がデジタル化だったと思われる。

まだ全体の一割程度の機種でしか受信できないが、気象庁が緊急警報放送の信号を流せば各家庭のテレビやラジオの電源が自動的に ONになって緊急警報を流す仕組みもすでに実用化されている。

それはテレビに限らず携帯電話の電波もそうだ。

アナログのままだったらメールの送受信もネット接続もできないので今のようなスマホ時代が訪れることもなかっただろうし、そうなれば緊急災害通知だって届かない。

家にいても外出先でも災害に関する事細かな情報が手に入るようになったのは信号をデジタル化しておいた恩恵である。

一部に反対があろうと、将来を見据えて一気呵成に物事を進める勇気が必要だ。

政府主導でごちゃごちゃと検討している酒税に関してもそうで、ビール 77円、発泡酒 47円、第三のビール 28円となっている税率を 55円程度に統一するらしいのだが、酒税見直しで商品戦略の大幅な変更を余儀なくされる可能性があるため、業界との一定の調整期間を設けることにしたらしい。

その調整期間というのが月単位ではなく年単位、それも 5~7年で実施するといった内容の案だというのだから何とも気の長い話である。

この調子だと実施したとしてもビールは約 10円ずつ値下げ、発泡酒は約 4円ずつ値上げ、第三のビールは約 9円ずつの値上げを段階的に2-3年をかけてなどと言いだしかねない。

消費税だってそうだ。

本当に必要なのだったら段階的などと恐る恐るではなく一気に 10%にしてしまえば良かったのではなかろうか。

そりゃあ庶民としては辛いものがあるが、消費増税を境にして顕著になった景気悪化、それからの景気持ち直し、浮揚の遅さは増税幅が 3%でも 5%でも同じようなものだったに違いない。

ならば一気呵成に 5%増税して 10%にしてしまえば良かったのである。

それなのに選挙結果を気にしたり世間の風当たりを気にしてビクビクするから後で辛い思いをすることになってしまう。

一刻も早く 10%にしたいのにタイミングがつかめず右往左往するばかりだ。

予防接種もそうである。

以前は義務化されていたが、現在は『国民は予防接種を受けるように努めなければならない』という努力目標に過ぎない。

それは日本人が完璧主義であるがため、たとえ一人たりとも副作用で重篤な症状を発症してはならないと考え、マスコミもギャーギャー騒ぐからだ。

以前の雑感にも書いているので詳述は避けるが、最近では子宮頸がんワクチンが典型例だろう。

確かに今も大変な思いをしている人はいる。

それは確かなことだが、だからと言って積極的な接種の勧奨を中止する必要があるのか。

世界保健機関(WHO)の専門委員会(GACVS)は
「現時点まで、ワクチン接種推奨に変更があるような安全上の問題は確認されていない」
と声明を発表しているし、
「リスクは仮に存在したとしても小さく、長期間続くがん予防の利益を考慮すべき」
として日本を名指しで非難した。

それでもビビリな日本政府は現在もなお積極的な接種を再開してないない。

この決断力のなさ、良いと信じたことを一気呵成に進める行動力やリーダーシップの欠如。

それが政治家なのか、それともそれが日本人の DNAなのか。

何にせよ、これだから日本は世界で戦えないのである。

真性雑感 第二十三版

真性雑感 ~目次~

■ 高齢ドライバー

ここのところ高齢者による自動車事故が多発しているのは、単に以前まで報道されていなかっただけなのか、それとも飛行機事故があればなぜか連鎖するように、連鎖が連鎖を呼んでいる状況なのだろうか。

高齢者になれば運転免許証を自主返納すべきだと思うが、確かに過疎地などは買い物をするのにも病院に行くのにも自家用車は必須と言って良い。

しかし、80歳にもなって運転を続けるのはいかがなものか。

ここはやはり運転免許証の所有に定年制を設けるか、免許更新の条件を厳しくすべきだろうと思う。

そんな法案を通せば高齢者の票田を失う危険性が高いので政治家は決断できないだろうが、せめて保険会社だけでも対応できないものか。

70歳を過ぎたら加速度的に保険料を上げるなどすれば、高額な料金を年金からまかなうのが困難になって返納する人が増えたりするものと思われるので、ある程度は効果のあることだと思うだのが。

ニュースでは高齢者ほど運転に自信を持っていると伝えているが、長いこと運転していればそれなりに自信もつくだろうし、それまで大きな事故を起こしたことがない人なら余計に自信を持つだろう。

そして、最も多いのは危ない運転などしない、安全運転を心がけている、そもそもスピードを出さないなど、技術や反射神経、動体視力の過信というよりも、若いころと違って無謀な運転などしないから事故など起こさないと思っている人たちではないだろうか。

問題はそこにあるのではなく、やはり年齢とともに衰える反射神経や動体視力、瞬間的な判断力などだろう。

これだけ技術が発達し、VR(仮想現実)元年と言われるほど画像の処理能力が向上して機器がそろってきたのだから、運転シミュレータで急な飛び出しや早朝や夕方の逢魔時など、対向車や人が見づらい状況を再現し、運転技術やそれに必要な能力などを数値化して免許更新の可否を問えば良いし、前述したように保険料を段階的ではなく一定の年齢以上になったら加速度的に高くすれば、運転に不適格な人や免許保有の必要性が低い人は必然的にふるいにかけられるはずだ。

■ トランプ次期大統領

だったら日本はどうする。

当選し、次期大統領となるのが決定した今でも好き勝手なことを言っているが、彼はどこまで分かっているのだろう。

米軍駐留費を全額負担せよと言われてもお断りだ。

だったら軍を引き上げるというならそうすれば良い。

確かにそうなれば日本は困るが、それよりも困るのはアメリカ自身だろう。

日本は北朝鮮、中国、ロシアと対峙することがあった場合の前線基地なのだから。

日本を守るという名目で 7,000億円以上の資金まで出してもらいながら、アメリカ軍にとって実に有益な場所に基地を構えていられるという現実を国務長官や国防長官から教えてもらった方が良い。

出て行ってくれて一向にかまわないし、自国軍を強化せよというならそうする。

核を持てというなら検討しよう。

日本の技術力をもってすれば一カ月もかからず核爆弾の小型化に成功するだろう。

大気圏外まで飛ばせるロケット技術はすでに持っている。

そうなったら半狂乱になってヒステリックに騒ぎ出すのは中国、韓国、そしてロシアだろうからアメリカからうまく言ってなだめておいてほしい。

そして、それから先は日本の領空も領海も自由に航行できなくなることを肝に銘じておくべきだ。

■ いじめ

いじめ問題に終わりは見えない。

これほど大きな問題にならなかっただけで、いじめはいにしえの頃から存在したであろう人間の醜態に違いないと思われる。

『村八分(むらはちぶ)』とは一定の地域に住む人たちが結束し、特定の人との交際を絶つこと(共同絶交)であり、これは集団行動主義の日本社会における代表的ないじめの代名詞だ。

それは江戸時代からあるものだが、単に『村八分』と命名されたのが江戸時代なだけで、それよりも遥か昔から脈々と続く陰湿な行為なのではないだろうか。

親だって知らず知らずのうちに我が子に対して概念を植え付けている場合もある。

その子の素行やできが良くないという理由で
「〇〇ちゃんと遊んじゃいけません」
などと言ってはいないだろうか。

親きょうだいの素行がよろしくないという理由だけで
「〇〇ちゃんと遊んじゃいけません」
などと言ってはいないだろうか。

我が範疇に納まりきらなかったり、価値観や思想が違うというだけで人を嫌ったり見下したりし、それを子供の前で口にしてはいないだろうか。

親がそうなら子供だって同じだ。

些細なことで嫌ったり見下したりして人を無視したり暴力によって奴隷のようにあつかう。

こんな時、今のような暴力団ではなく、昔気質の任侠道を極めた極道に金銭授受をしてでも我が子を守ってもらえたら良いのだが。

極道が学校に乗り込んでいって加害者側を徹底的にビビらせれば良い。

加害者の自宅に乗り込んで和解金を支払わせれば良い。

そして、手数料として 20%でも 30%でもピンハネすれば良い。

もちろん、反社会的勢力と関わるべきではないが、そうでもしなければこの問題を根絶やしにするのは不可能だと思われる。

自分解体新書 - 26 -

自分解体新書 ~目次~

■ 頭

ここのところ、珍しく頭痛が頻発している。

ひどい肩こりをしていたころは何度か頭痛になったが、それでも数年に一度という程度だった。

そして、我流の柔軟体操をするようになってからは重い肩こりから解放され、それ以降は頭痛などとは縁がなくなっていた。

ところが、最近になって立て続けに頭痛を発症している。

多くは買い物の途中、側頭部から後頭部にかけて締め付けられるような痛みに襲われるのだが、もしかすると急に寒くなったこともあり、外気温と暖かすぎる北海道の建物内の温度差が大きいため血管拡張剤が発生しているのではないかと思ったのだが、去年まではこんなこともなかったのでやはり体に何らかの変化があるのだろうか。

そして先週末、起床すると右目奥から後頭部にかけて鈍痛があり、すぐに治ると思っていたが痛みは夜まで続いた。

そんな時に飲酒などどうかとも思ったが、アルコールでマヒして頭痛も気にならなくなるのではないかと、いつも通りに酒を呑んでいるといつしか痛みは気にならなくなり、翌日には治っていたので荒療治が効いたということだろうか。

不整脈が原因で血栓が脳で詰まるリスクを指摘されている身なので、あまりにも頭痛が頻発するようなら病院で診てもらおうかと思っているが、もし血栓が脳に飛んだのなら頭痛どころの騒ぎではないだろうから、きっと無関係だと言われるだろう。

■ 爪

左手親指の爪が割れた。

ひどい割れ方ではないものの、微妙に欠けていて繊維などに引っかかるのが困りものだ。

軽く引っかける程度なら問題ないが、強めに引っかけてしまうとさらに欠けた部分が大きくなってひび割れも深く大きくなってくる。

それがどんどん広がって、伸びている部分より深くなってきた。

少しでも爪の補強になればと水性絆創膏を塗ってみたがすぐに剥がれてしまう。

仕方がないので普通の絆創膏、サージカルテープを貼り、ハサミで爪の形に切っていたところ、『お買い物日記』 担当者が
「マニキュアを塗るとイイんだよ」
というので、使わせてほしいと頼むと
「ところが持ってないの」
と言われてしまった。

今のところは早く爪が伸びて、ひび割れている部分がなくなってほしいと願っているが、寒くなって圧倒的に伸びが遅くなっている。

毎年のことだが、暖かい時期と比較して 2/3くらいしか伸びないのではないだろうか。

気のせいかもしれないと調べてみると、やはり現実として冬は遅いらしい。

理由は単純、

  1. 気温が高いと新陳代謝も高く、爪や、髪などの部分も早く生まれ変わる(冬は逆)。
  2. 冬は摂取した栄養の多くが体温を維持するために使われるため、爪や髪まで栄養がまわらない。
  3. 爪や髪にも水分は必要だが冬場は乾燥しているので発育が遅れる。

ということだった。

このひび割れがなくなるのはいつのことだろう。

■ すね毛

毛が濃い方ではないが、男なのでそれなりに体毛はある。

すね毛だってあったはずなのに、肝心のすねの部分の毛がなくなってツルンとしている。

自分のすねなどマジマジと見たことなどないので気づかなかったのだが、綺麗さっぱりと毛がなくなり、ツルンツルンのすねになっていることが最近になって判明した。

若いころは間違いなくすね毛があり、手のひらでグリグリしてアリンコを作ったりして遊んだし、シャワーを浴びた際に体をつたって流れる湯に沿って毛も蛇行する様を観察していたことだってある。

ところがである、そのあるはずの物がなくなってしまったのである。

『お買い物日記』 担当者に
「俺のすね毛知らない?」
と聞いてみたが、そんなものを知っているはずがない。

そして、マジマジと見てみると無くなっているのは見事にすね毛だけであり、横からふくらはぎにかけては普通に毛が生えている。

毎日正座しているとか、意味もなく正座したままズリズリと移動しているのなら擦り切れて無くなるかもしれないが、パソコンに向かっている間はイスに座り、テレビを見るときはゴロゴロしているのだから足のすねを酷使したことはない。

あれだけあったすね毛はどこに行ってしまったのだろう。

雪にまつわるエトセトラ

気象観測が始まって以来の低温、40年ぶりの降雪量などと、雪に慣れた道産子も早すぎる冬に戸惑いの色を隠せないでいるが、この町はたまにチラホラと降る程度で積もることなく解けてしまっている。

そんな我が街にも間もなく雪が積もり、本格的に冬がやって来るが、9月に雪深い街から越してきたショウコは雪の少なさ、冬の短さに驚くことだろう。

何せ故郷の年間降雪量は 884cmで、この町は 100cm以下、一番寒い 2月の平均気温も故郷の -9.4℃に対してこの町は -0.4℃と 10℃近くも暖かい。

故郷が 11月から 4月の終わりまで 5カ月以上も雪に閉ざされるのに対し、この町は 12月の中旬から 3月中旬までの約 3カ月間なので 2カ月以上も短いことになる。

ずっと北海道で暮らし、雪の多い札幌から大阪に転勤した最初の冬、クリスマスに雪がなくてちっともホワイトクリスマスにならなかったのに驚いたし、正月にも雪がないことに違和感を覚えて 2-3年は慣れなかった。

きっとショウコもこれから 2-3年は、冬になるたびに妙な感覚を覚えることだろう。

ショウコが一人暮らしを断念したのも故郷は冬が厳しいからだ。

これで雪がなく温暖な土地であれば、まだまだ一人で生活していたと思われる。

それほど北海道の豪雪地帯、極寒の地の冬は大変であり、ショウコでなくともこの歳になれば自分も暮らすのは躊躇してしまう。

子供のころは夏も冬もなく、その季節ごとの環境で楽しく遊んでいた。

冬はスキーにスケートはもちろん、日暮れが早くあたりが暗くなるまで雪まみれになって遊んでいたものである。

ゴム長靴の中に雪がびっしりと詰まり、脱ごうにも脱げなくなってショウコの手を借りることなど毎度のことだ。

最初は立って片足を上げ、靴を引っ張ってもらうのだがガッチリ固まった雪はびくともしない。

腹ばいになって引っ張ってもらっても、小さな体なのでズリズリと引きずられてしまう。

そこで、柱などに両手で必死につかまり、体が持っていかれないようにしながら引っ張ってもらい、やっとの思いで長靴が脱げるのだが、急にスポッと脱げるものだから体のバランスを崩してショウコがあお向けにひっくりかえり、それに腹を立ててこっぴどく叱られるというのが毎度のオチだ。

そもそも、そんなに靴の中にびっしりと雪が入るのは深く降り積もった雪をかき分けて遊んだり、滑り落ちた雪と家の屋根がつながっているのでよじ登って高い所から飛び降りたりして遊ぶからである。

最初は靴の中に雪が入れば出したりしているが、そのうちに面倒になったり遊びに夢中になって忘れてしまい、気づいた時にはガッチリ固まって脱げなくなってしまう。

そんな状態なのに冷たさを感じなかったのは、暴れまわっているので体がポカポカしていたからなのだろうか。

豪雪地帯の故郷では除雪のブルドーザーが道の両側に雪を積み上げていく。

その高さは大人の背丈をゆうに超えるが、固い圧雪状態になっているので簡単には崩れず、小学校のころなどはその頂上をずっと歩きながら登下校したものだ。

休みの日ともなれば大人が使う大きなスコップを使って穴を掘り、家の前から交差点まで続く長い除雪の山の中を掘り進んでいったこともある。

今から考えると何百キロの重さにもなる圧雪が崩れたら生き埋めになってしまうと想像しただけで背筋がゾワゾワするが、怖いもの知らずの子供は危険など感じることもなく夢中で遊んでいた。

そして、その穴が見つかって再びショウコからこっぴどく叱られる。

親としては子供が危険なことをすれば怒るのも当然だが、子供にすれば何がどう危険なのかもピンときていないので無実の罪で罰せられているような気になり、ふくれっ面をしながら反抗して火に油を注ぐ結果っとなってしまう。

子供だった自分、まだ若い母親だったショウコ。

互いに年を取った親子は雪深い街を出て、今は過ごしやすい土地で暮らしている。

ショウコが来て初めての冬。

年老いた母親は何を想うだろうか。