2016年の終わりに

何と今年の大晦日は土曜日であるため、雑感の更新をしなければならないではないか。

とりあえず簡単に済ませようとは思うが、今年を振り返ると兎にも角にもショウコ一色である。

たぶん故郷で最後の正月になるという予感がしたので 2015年の終わりに帰省し、約20年ぶりに迎えた実家での元旦

その始まりが今年のすべてだったようだ。

一人暮らしを断念したショウコをこの町に迎え入れるべく施設探しを始め、候補が見つかったので申し込むことにした 2月

叔母のレイコの早とちりだった 『ハハキトクスグカエレ事件』 が起きたのは 6月。

その入院でショウコがすっかり一人暮らしを続ける自信を失ってしまったため、急きょ問い合わせた第二候補の施設に空きがあることが判明し、一気に事態が動き出した 8月

施設のことを告げ、ショウコが入所を決意したのはその一週間後となる 08/10。

それからというもの、怒涛のような日々を過ごすこととなる。

約二週間後の 08/23に再び帰省、また約二週間後の 09/06にまたまた帰省

その直後にショウコは町にやって来た

その後も実家の仏壇を処分したため、こちらで新たに小さなものを購入したり、その仏壇に納めるため位牌や遺影をミニサイズにしたり、ショウコの許可を得て父親の遺骨を合祀堂に納めることに決めてお寺さんにお願いしたり何かと忙しい日々を過ごす。

衣類と布団しか持参しなかったショウコのために施設で使う棚やら冷蔵庫やら何やらと買い揃え、あまりにも勢いよく捨ててしまって不足気味になった洋服を買い足したり、金融機関の住所変更やら新規口座開設やらと生活の環境を整えるのにもそれなりの時間を要する。

ショウコが施設での生活にも慣れ、やっと落ち着いたと思ったらもう大晦日だ。

先日、レイコからの届け物があったので礼を言うため昨日の夕方に電話をしたところ、相変わらず元気な声で近況など話し、最後にショウコはどうしているかと聞いてきたので施設にも人にも慣れて達者に暮らしていると告げると安心した様子だった。

それにしても、本当に 2016年はショウコで始まりショウコで終わる。

正月三箇日を放っておく訳にもいかないので、いずれかの日を選んで会って来ようと思っているので 2017年もショウコで始まったりするのではあるが・・・。

そして、毎年同じことを書いてきた、例のホテルでのバイキング形式の昼食である。

なんと、なんと、ついにその昼食を・・・。

食べる前にサービスが終了してしまった。

その事実は事前に知っていたのだが、結局は出かけるのが面倒になってとうとう行かずじまいである。

行ってみようかと言い出したのは北海道に帰って来てすぐの 2008年、グズグズしているうちにサービス自体が終わってしまった。

それから 8年も経過しているのでグズグズするにも程があるというものだが。

仕事に関しては今年も相変わらずである。

少なからずお客さんは増えたが、自分のスキルアップも含めて亀の歩みのようなものだ。

それでも目新しい技術を使ってみたり、以前より難しいプログラムを書いてみたりと超スローペースではあるものの確実に進歩はしているものと思われる。

明日から始まる来年も、少しずつでも良いから歩みを止めないようにしようと思ったりしているところだ。

自分解体新書 - 27 -

自分解体新書 ~目次~

■ 背中

数日前、背中から破滅の音が聞こえた。

何のことはない、仕事中に疲れを感じ、両手を天に突き上げて思いっきり伸びをしただけのことである。

その際に背中からパリパリっと嫌な音が聞こえたのだが、本当にそんなことがあるのかと思って検索してみると、肉離れなどを起こした場合に不快な音がきこえるのは良くある話らしい。

と言うことは、以前から我が家で『破滅の音』と表現していたのもあながち間違いではないらしい。

さらに言うのなら、たまに背中の筋肉が痛くなり、2-3日は寝返りをするのも辛いという経験を過去に何度もしたが、それはつまり背筋の肉離れを起こしていたのだろうかと思い、さらに検索してみるとどうやらその推測は当たっているようだ。

背筋 肉離れ』で検索してみると自分がこれまで経験してきたのと同じような症状、症例が見つかった。

つまり、この痛みのことを『ぎっくり背中』などと間抜けなネーミングで呼称していたが、今後は『背筋断裂』と呼ぶことにしようと思う。

■ 首

11/18(金)に倒れた際に強打した肩から首にかけてがまだ痛い。

後頭部の痛みはなくなり、シャンプーの際にも問題なく頭皮をガシガシできるようになったが、首を左右に倒すとまだ両側の首、そして肩から背中にかけての鈍痛が残っている。

実は単に床に倒れただけではなく、真後ろにある電子レンジやトースターを置いている台に頭から突っ込んでしまい、台の棚にあったものまで破壊する勢いで打ち付けてしまった。

もしその台そのものが壊れて上に乗せている電子レンジが頭の上に落ちていたらと想像すると、脇腹あたりがゾワゾワとしてしまう。

それだけの衝撃を受けたのだから、打ち所が悪ければ頭がい骨骨折や頭蓋内出血を起こしたかも知れず、こんな時は自分の石頭をありがたく思わなければなるまい。

あれから一カ月強、まだ若干の痛みが首などに残ってはいるが、大事に至らなかったことに感謝するとともに今後はクラッとした際の防御姿勢などに磨きをかけようと思っている。

■ 指 その6

今月の初めに再発してしまった指先に集中する手荒れだが、ここのところ快方に向かっている。

あの時、マウスの指を置く部分にマスキングテープを貼るという対策を施したが、それが思ったよりも効果があり、改善に向かわないまでも悪化は食い止めることができた。

それならば、もっと厚みを持たせてみたらどうかとマスキングテープの上からさらにビニールテープを貼ってみたところ、手荒れが大きく改善して皮膚が固くなったり皮がむけたりする症状が消え、今はあと少しで完全治癒という状態だ。

このことからも、やはりマウスに使われている塗料に皮膚が反応したものと思われる。

原因の特定ができず、ずっと悩んできた手荒れから解放される日も間近だ。

ネットで検索すると、同じような悩みを抱える人も多いようだが、こういう対処法もあるということを伝えようにもその手段がないので発表の場をどうしたものかと思ったりしていることろである。

ゲーム

最近、ゲームをしている時間が無駄なんじゃなかろうかと思うようになってきた。

家庭用ゲーム機、パソコン、スマホと様々な機器を通して30年以上もゲームをしてきたが、そろそろ卒業しても良いころだろうか。

思い起こせば1978年に爆発的ブームとなったゲーム、『スペースインベーダー』が発端だった。

いや、その前に温泉旅館などに設置されていたビデオゲームのテニス。

それをエポック社が世界初の家庭用ゲーム機『テレビテニス』として発売したのをちょっと裕福な家庭に生まれた友達が持っていたので、何度も何度も遊ばせてもらったのがゲームの世界への導入口だったかも知れない。

スペースインベーダーを発端としてテレビゲームが世に広まり、町のあちらこちらにゲームセンターができた。

喫茶店にもテーブル型のゲーム機が導入されて飲食代以上の売り上げを誇った時代もあり、その際には店内のテーブルのすべてがゲーム機となった店もあったほどだ。

その頃の自分は御多分にもれずゲーム三昧の毎日を過ごしていて、24時間営業のゲームセンターで夜を明かしたり行きつけの喫茶店が閉店時間になった後も店の鍵を借りて朝までゲームを続けたりしていた。

開催されたゲーム大会で優勝し、賞品として自動車をゲットしたが免許を持っていないので速攻で売却し、得た資金をまたゲームにつぎ込むという訳の分からないことをして中古自動車に乗っていた友達から鬼のような勢いで責められたこともある。

1983年に発売されたファミリーコンピュータ、俗称ファミコンを購入してからは、いつでも好きな時に 100円硬貨を投入しなくてもゲームができるので益々没頭した。

そしてついに、ゲーム好きが高じてゲームを開発する会社に勤めることになる。

それがコンピュータ業界に入ったきっかけであり、今もそれを生業としているのだから人生というものは分からないものだ。

過去の雑感に何度か書いたように、当時の業界におけるプログラマーを含む使用人への扱いはひどいもので、低賃金で長時間労働。

今はちょっと待遇が悪いくらいですぐにブラック企業とかブラックバイトなどと言われるが、あの頃は労働基準法もなにもあったものではない過酷な労働環境で月に 100や 200時間の残業など当たり前、それも残業代などまったく支払われず、出勤時のタイムカードは自分で打刻するが退勤はすでに終業時間に限りなく近い時間で打刻されているという、奴隷のような生活を送っていた。

そんな環境について行けずに辞めることになっても退職金など支払われず、ボーナスの基準も当時は花形だったエレクトロニクス産業を参考にするのではなく、すでに斜陽産業だった炭鉱労連を基準にするという実にに不可解な賃金体系。

一発当てれば億の単位の利益が得られるゲーム業界だったため、創業から数年で自社ビルを建てるまでに会社は成長したが社員たちの会社生活は酸鼻を極めた。

完成した自社ビルに初めて足を踏み入れた時、
「この柱は俺たちの血と肉、汗と涙でできている」
などと言ったものだ。

そんなひどい状況の中でも会社を辞めなかったのは、ひとえにゲームが好きだったからだろう。

当時の自分はプログラミンをするのではなく、ゲームに登場するキャラクターをデザインしたりゲームの中の景色や背景を描いたりしていた。

子供のころからずっと絵を描くのが大好きでゲームをするのも作るのも好き。

大好きなことをやりながら給料をもらっているのだから今から思えば理不尽なことも理不尽だと思わず、低賃金なのも長時間労働なのも気にならなかった。

若くて体力もあったので、深夜 23:00くらいに帰宅してもまだ家でゲームをしたりしていたし、人気ゲームの新作が発売になると行列に並んで手に入れ、カフェインなど摂取しながら徹夜で遊んだものである。

任天堂のファミコン、スーパーファミコンに始まりセガサターン、ドリームキャスト、NECのPCエンジンから SONYのプレイステーションまで、ありとあらゆる家庭用ゲーム機を保有していた時期もあったくらいのゲーム好きで、ゲームソフトの保有数も 100を軽く超えていたのではないだろうか。

それほどゲームが好きだった訳で、まさに天職だと思っていたが、年齢とともに徹夜での作業など無理がきかなくなってきたことと、会社への不満、不信感などから転職を決意した。

その後は同じコンピューター業界であるもののゲームとは無関係な道にすすむことになる。

しかし、ゲーム好きは相変わらずで家庭用ゲーム機、パソコンでのゲームなどで遊んでいたが、スマートフォンが近年になって登場すると、その手軽さからゲーム機やパソコンでのゲームをすることはなくなった。

そして現在もスマホでゲームを楽しんでいるが寄る年波には勝てず、1-2時間もやると目は疲れるし腕は痛くなるし、なにより集中力が続かない。

以前のようにどっしり腰を落ち着け、気構えてゲームをすることはなくなったが、簡単に始められるのでついついスマホに手が伸びてしまう。

それでも、冒頭に書いたように最近は時間の無駄だと思えてきた。

今は暇つぶしにゲームをしてると言いたいところだが、そもそも自分には潰さなければならないほどの暇があるのか。

録画している海外ドラマは在庫が積みあがる一方だし、運営している各種Webサイトのスマホ対応だって終わっていない。

そして、ゲームをしているせいで寝るのが遅くなったりするが、睡眠時間を削ってまでやることなのか。

急に止めることはないと思われるが、少しずつ時間を減らそうかという気にはなっている。

いや、ボケ防止のために一定時間のゲームはむしろ続けるべきか。

いやいや、止めることなどできず、死ぬまで遊び続けたりするかもしれない。

果たして 5年後、10年後の自分はどうなっていることだろう。

過剰演出

どうも演出が過剰なものが好きになれない。

テレビや映画を見ていて
「何もそこまでやらんでも」
とつぶやいてしまうこともしばしばだ。

それは特に日本のドラマや映画に多く、別れのシーン、再会のシーンなどで必要以上の時間をかけ、必要以上のセリフを言わせ、必要以上の量の涙を流し、もの悲しい音楽を流し、見ている側を泣かせよう、泣かせようと必死である。

そんな過剰な演出を見せられた時、ひねくれ者の自分などは興ざめしてしまって感情移入もできず、感動の度合いも半減してしまう。

その点、海外のドラマは実にあっさりしたものだ。

しかし、あっさりとしているのに十分に悲しかったり寂しかったり、逆に再会のシーンでは嬉しかったりするので演出のテクニック、シナリオが優れているのだろう。

テレビCMでたまに見かけるのが細菌などを可視化した映像だ。

食器用洗剤の CMでは除菌効果を謳うため、CGで可視化した菌が汚れた食器からスポンジへ、そのスポンジから別の食器へと移動し、菌が付着したコップで水を飲む笑顔の子供が映し出されたりする。

浴槽洗剤では浴槽の汚れからお湯に菌が浮かび、そのお湯で顔を洗う子供に菌が移る様を映し出す。

空気洗浄機では部屋の空気中に菌がウヨウヨしている様子が映し出され、これまた子供がそれに襲われているシーンが強調される。

布団用掃除機では繊維の奥にひそむダニの死骸や卵などを映し、またまた子供が登場して布団で寝ている様子を映す。

菌が付着したりするのは何も子供だけではなく、おっさんにだって菌は寄って来るのに子を思う親心を突き、消費者心理に恐怖を植え付ける過剰な演出がそこかしこに見られる。

世の中には意図して人工的に作り出した密閉空間でもない限りは無菌状態などあり得ず、ごく一般的に菌は付着していたり浮遊していたりするもので、それを目の敵にしたところで意味はない。

それなのに CGを駆使して気持ちの悪い映像を作成し、恐怖心をあおるような CMを流す企業の方を菌よりも嫌悪してしまう。

そのような CMを見せられると、むしろその製品は買いたいとは思えなくなる自分はやはりひねくれているのだろうか。

過剰演出とは異なるかもしれないが、無添加、オーガニック食品の安全性の主張の仕方にも疑問が残る。

確かに発がん性が認められた物質が入っていたら危険だろうが、その他の一般的な添加物が入っていたら、その食品は危険なのか。

合成甘味料、合成着色料など入っているのが当たり前で、それを口にしたからと言って死ぬわけでも病気になる訳でもない。

農薬にしても添加物にしても世界一厳しい安全基準の範囲内で使用していて、検査体制だって世界一厳しく、完全に機能しているのだから人体に影響があるはずがなかろう。

ここでもまた、だしにされるのは子供で、
「将来のある子供たちに安全、安心な食品を」
などと訴えているケースを多く見かけるが、もう爺さんになりかけている自分にだって子供の頃はあったし、その頃は今よりもはるかにゆるい規制で製造された製品を思いっきり食べてきた。

体の 1/3は添加物でできているのではないかと思われるが、今のところ大病はしていないし訳の分からない牙も角も生えたりしてきていない。

売り文句として安心、安全は訴求力があるのだろうが、普通に売られている食品が不安、危険であるかのような過剰な宣伝はやめていただきたいものである。

とにかく、大げさな表現、大げさな宣伝文句、過剰な演出は好きになれない。

世の中で過剰なくらいで丁度良いのは演劇やミュージカルの舞台とプロレスくらいなものだろう。

昨日という一日

12月02日の昨日は本当に色々なことがあり、ついに仕事をすることができなかった。

できなかったというより、前の日から明日は仕事にならないと諦めたりしていたが・・・。

まずは朝イチで定期通院のため病院に行ってきた。

診てもらっている担当医は、やさしいと言うか、威厳に欠けると言うべきか、これはこうすべきであるとか、ここはこの方針で進めるといった感じで断言してくれることがない。

今年の 6月、腎臓の数値が急激に悪化した。

ずっと処方されていて問題のなかった薬の副作用かも知れないと、その時に処方薬を変えたのだが、今度はその薬の効きが今ひとつで別の数値を抑えきれていないことが発覚。

以前の薬で腎臓の数値が悪化したのは一度だけであるし、その 6月といえば叔母のレイコを震源とする『ハハキトク事件』が発生した月であり、体力的にズタボロ状態だったため、どこの数値が異常であってもおかしくない状況だったので、あの時の腎臓の数値のことは忘れて薬を元に戻そうかという話になった。

しかし、担当医は自分で薬を決めてくれず、
「どうしましょうかねぇ」
などと言う。

たぶん腎臓の数値に関してはあの時だけのような気がするし、薬を変えて別の数値をもっと抑えた方が良いのであればそうした方が良いのではないかと進言すると、
「そうですよね、そうしましょうか」
と、患者に決めさせるのである。

ちょっと頼りないような気がしないでもないが、自分の性格だと頭ごなしに言われると反発したくなるので、こういう医師に診てもらうのが良いのかも知れない。

病院を出て薬局に行き、処方薬が出されるのを待っていると隣の人の会話が耳に入ってきた。

それは 70代と 80代の女性なのだが、70代の女性が病院まで自転車で来ていると言うと、80代の女性が
「あんな遠くから?」
と言い、〇〇町からだとずいぶん時間がかかるだろうと驚いている。

70代の女性が
「違う、私の家はびっくりドンキーの近くだから」
と、病院からそれほど遠くない店の名前を教えた。

80代の女性が
「びっくりドンキー、びっくりドンキー」
と連呼し、
「歳だから何の店かパッと浮かばない」
と言うと、70代の女性が
「ならナイジェリアに行ったらいい」
と言い出す。
「どうして?」
と、80代の女性。
「パッとナイジェリアっていうから」

・・・。

・・・それは『さいでりあ』だ。

すでに倒産した新興産業の外壁材のCMソングで、小林亜星氏が手掛けた『パッ!とさいでりあ』を勘違いして覚えているのだろう。

その時点で可笑しくて可笑しくてたまらず、自分は笑いをこらえていた。

70代女性が処方薬を受け取り、帰ろうとすると自転車の鍵がないことに気づき、バッグの中をゴソゴソ探し始めたが見つからず、受け取った処方薬の袋の中もガサゴソと探し始める。

80代女性がそれを見かね、自分のポケットに手を入れてジェスチャーしながら
「ポケットにあるんじゃないの?」
と言ったと思ったら、
「あっ!あった!」
と、自分で探していたメモを見つけたその直後、70代女性も
「あった!」
と、座っていたイスの上に置いてあった鍵を見つけた。

その訳の分からないやりとりを見せられ、ついに耐え切れなくなった自分はトイレに駆け込み
「どわっはっは」
と一人で大笑いしてしまったのは言うまでもない。

午後からはショウコが暮らす施設に行き、小一時間ほど過ごした後に買い物などして帰宅。

その足でとなりの店に行って髪を切ってもらったのだが、店に通い始めて約 9年、初めて美容室に男のお客さんが来ているのを見た。

その男性はそこそこ髪が長く伸びており、邪魔になるのか後ろで束ねた状態で来店。

その長さは芥川賞作家でもあるお笑い芸人、ピースの又吉氏ほどあり、かなりの毛量なので毛先がぼわっと広がっている。

束ねた髪をほどき、どっかとイスに座った男性は
「かりあげにして」
と言い放つ。

そんなに思い切るのかと驚いたのだが、美容室担当の妹ちゃんはそれほどのリアクションを示さず、
「バッサリやるね」
などと言っている。
「いっそのこと坊主の五厘刈りでもいいんだけど」
「最後に切ったのいつだっけ?」
「えーとね、一昨年の4月くらい」

・・・。

どうやら1年8カ月ぶりの来店らしい。

思い切り短くして、また髪が邪魔になたら束ね、我慢できなくなったら切りに来るのだろう。

2016年12月02日、本当に色々なことがあった。

そして、なんだかとっても疲れてしまった昨日という一日だったのである。