レイコノコト 2

以前にも書いたようにレイコは我が母の二歳違いの妹だ。

いつも帰省するたびに顔をあわせてはいるのだが、今回の帰省ではレイコの他に母親より五歳年下、九人きょうだいの末っ子である叔父のタカノリが遊びに来ていた。

そもそも今回の件に関しては帰省するかなり以前からスッタモンダあり・・・。

現在タカノリは東京に住んでいるが、仕事をとっくの昔にリタイアして自由人となり、日本全国を排気量1200ccの大型バイクにまたがって勝手気ままに旅するということを繰り返している。

数年に一度はフェリーで北海道までやって来て、同窓会に出席するついでに我が母ショウコや叔母のレイコと会い、気ままに北海道内を旅して帰るということを繰り返していたのだが、いよいよみんな高齢となり、タカノリにも次があるのか分からないし、ショウコやレイコが次の機会まで元気でいるとは限らない。

そこでタカノリの奥さんともどもショウコに会いたいと連絡があったものの、ショウコは現在骨折中でまともに歩けず、それが半年も続いているものだから満足に部屋の片付けもできていない状況なので家で会うのは丁重にお断りしたのだが、そこで簡単に折れないのがレイコだ。

今度いつ会えるか分からない、今度まで生きているかも分からない、老人とはいえ可愛い弟が会いたいと言っているのになぜ拒否するとショウコを責めたて、強引にタカノリ夫妻と会う約束をさせてしまった。

以前までの予定であれば、今回の帰省は6月初旬にするつもりだったが、せっかくだからお前たちもタカノリに会っておきなさいという、これまたレイコからの強要で6月後半に日程をずらした経緯もある。

前回の帰省の際に、ショウコがキッチンの換気扇周りの汚れが気になると言っていたので今回は掃除するつもりでおり、それと同時にすでに使わなくなった鍋やフライパン、ヤカンなどをまとめて処分することも決めていたし、その他に洗面所の汚れは自分が気になっていたので洗面台周りの掃除も最初からするつもりでいた。

実家に到着した18日は移動の疲れもあるので19日にすべて終わらせるつもりで朝から気合を入れているとレイコから悪魔のような電話があり、話しを聞くとリビングのレースのカーテンの汚れが目立つので洗濯せよとの指令だ。

こちらにはすでに上述した予定があるし、馬鹿でかい窓にかけられたカーテンをはずしたり洗濯したり、またそれをかけ直すなど面倒だったので忙しいと伝えたのだが、何だかんだと理屈をこねて洗濯せよと迫ってくるわ、門柱の瀬戸物でできた表札が割れているから接着剤で修繕せよとか細かな指示が飛ぶ。

そもそもは・・・、そもそもはである。

部屋が綺麗ではなく、体も調子が悪いので遠慮したいというショウコの申し出を無視してゴリ押しで予定を組み、我が家にタカノリ夫妻を送り込むことを勝手に決めたくせに汚れが目立つから綺麗にせよとは何事か。

あまりにも腹が立ったので不機嫌な声を全面に出して電話を切ってやったところ、数時間後に猫なで声で酒の肴に合う美味しい食べ物をあげるからという連絡があったが、そんな手に乗るかと不機嫌なまま対応してやった。

そして、実際にタカノリと会う話しにしても、連絡を取り合っているうちに状況がコロコロ変わる。

最初は奥さんを連れてくるなどと聞いていなかったし、当日が近づくにつれタカノリとは会わず、その奥さんと昼食を共にして、その後にショウコの待つ実家に出向くなどと言う。

なぜタカノリが同席しないのか、なぜ限りなく初対面に近い奥さんとだけ会食せねばならないのか、また奥さんとショウコも過去に数度しか顔を合せたことがないのに会ったところで何を話せば良いのかなどなど、情報の錯綜と事態の混乱、それに対処できない感情で我が家は混迷を極め、一緒の食事がとてつもなく鬱陶しく思えてきた。

そこで、昼食はタカノリの奥さんとレイコの二人でしてもらい、それが終わったころに合流して一緒にコーヒーでも飲み、その後に実家にお招きしようという作戦を思いついたのでレイコに電話したところ、何が何でも昼食に同席せよとえらい勢いで迫ってくる。

仕方ないので渋々ながら承知し、あまり良い気分ではない時に上述したカーテンやら表札やらの話しがあったので怒りが爆発する寸前のところまでいったという訳だ。

そして会食の当日、それまで同席しないと思っていたタカノリがひょっこり顔を出した。

レイコはそれを素直に喜ばず、四人だから予約もしていなかったのに五人になると座るところがないとブツブツ文句を言う。

何となくそんな気はしていたのだが、タカノリの奥さんから聞いた話しでは北海道に来る直前、タカノリとレイコは電話で大喧嘩したらしい。

気の強いレイコの言葉にタカノリが我慢しきれなくなり、二度と会わないと宣言して絶交状態になったという。

一昔前の平均寿命であれば、とっくにあの世に行っているほど超高齢になってきょうだい喧嘩するなど、いつまでも元気だと褒めるべきか、馬鹿馬鹿しいと呆れるべきか。

そんなこんなでスッタモンダあり過ぎて、その直前まで面倒で鬱陶しくて仕方のなかった会食ではあったが、実際に始まってみると会話も楽しく、充実した時間を過ごすことができたので会っておいて正解だったと今は思う。

食後にタカノリ夫妻と実家に行き、ショウコと再会させることもできた。

自分と 『お買い物日記』 担当者は別室でくつろぎ、ショウコとタカノリ夫妻だけで話していたが、五分だけのはずが一時間以上も会話を楽しんでいたので、それだけ有意義な時間を過ごせたのだろう。

レイコが言うように、これが最後の機会になってしまう可能性も十分にある。

いや、ショウコとレイコというスーパー婆さん、今でも現役ライダーのスーパー爺さんのタカノリのことなので、これから先も十年くらいは元気でいるような気がしないでもないが。

なまけ者 2

自慢ではないが、やっぱり自分はなまけ者だったりする。

人からは合理的と評されることもあるが、実際には面倒なことはやりたくないので極端なまでに効率的に物事を進めたいだけなのであって、いかに楽して最大限の効果を得られるかという点に努力を惜しまないだけだ。

毎日の繰り返しはもちろん、週に一度、月に一度であっても同じことをやらなければならないのであれば自動化するほうが良い。

月に一度、たとえそれが 30分で済む作業であっても、同じことを繰り返すのは無駄であるし面倒で退屈なことなので、なるべくなら自動化したいところだ。

楽をするためなら、たとえ5時間、いや、1日や2日の時間を要しても構わないので自動化のためのプログラムをしたりする。

今のところ、最大の悩みはこのサイトのブログ記事だ。

いつまでも過去の古いシステムを維持していたくないし、やはり一つにまとめておきたい。

これがアメブロやYAHOO!ブログなど外部のシステムを使っていたら新システムへの移行は難しくないのだが、ちょっとした事情があってマイナーなシステムを利用していたばっかりに移行は容易ではなく、ひとつひとつ手作業でコピペしながら投稿し直すことになる。

ところがである。

記事は『管理人の独り言』だけで10000もあり、『お買い物日記』、『雑感』で500ほどあるため、1日 10記事ほど投稿したとしても1000日以上と、終わるまでに3年くらいかかってしまう。

そんな作業はしたくもないし、面倒でたまらない。

そんなこんなで最近になって試しているのは、テキストデータのかたまりとなっている過去ログを新システムに取り込めないかということだ。

新システム側には決まった型のデータを読み込む機能はあるが、問題なのは旧システムからデータを取り出す方法がないことで、格納されたデータを手動で持ってくるしかない。

しかし、それも新システムで決められた形式にはなっていないので加工する必要があるのだが、エクセルなどで読み込んで列を入れ替え、200909302309と数字の羅列になっている日付と時間を2009/09/30 23:09と変換し・・・などなどという作業を手作業でやるのは面倒だ。

そこで格納されているデータを読み込み、決められた形式にすべて変換して出力するプログラムを作ってみた。

まだ試験的に使ってみている段階だが、どうやらうまくいっているらしい。

これで楽して過去ログを新システムに移行できるというものだ。

そう、自分は楽をするための努力は惜しまない、究極のなまけ者なのである。

なまけ者 1

自慢ではないが、自分は相当ななまけ者だったりする。

相手のいることであれば、それなりの責任感もあるし達成するための努力はするが、自分にはとことん甘いので辛いこともしなければ努力もしない。

たとえば仕事であれば夜遅くまで作業することも苦にならないし、お客さんの要求を満たすために努力するのは当然だ。

しかし、中年を過ぎてどんどん膨らむ一方の腹を引っこめようとか、増加した体重を減らすためのダイエットをする気などさらさらない。

食べたいのを我慢するとか、嫌々ながら運動するとか、そういったものには一切の興味がなく、ウザいCMと週刊新潮への厳重抗議で何かと話題の結果をコミットするライザップ(RIZAP)なども興味の対象外である。

最初にあのCMを見た時から、あれはライザップ側が提示した運動、食事制限などをすべてクリアできたら理想の体型になることをコミット(約束)するのであって、単に痩せることをコミットするのではないと思っていたし、2カ月であんなに体型が変わるにはどれほど辛い運動をし、どれだけ腹をすかせなければならないのだろうかと思っていた。

とにかく好きなことにしか興味がなく、辛いのが嫌な自分であるため、生まれたのが昭和で良かったと心から思っている。

それがなぜかと言えば、今の時代に生まれてきたなら超ダメ人間になる120%の自信があるからだ。

子供の頃に携帯ゲーム機があれば、勉強などそっちのけで遊びに没頭すること間違いなしだと思われるし、中学生にもなれば何だかんだと親を説得したり脅したりしてスマホを手に入れ、通話無料アプリのLINE(ライン)などで悪友と連絡し合い、音楽を聴きまくり、動画を見まくっていると思われ、勉強に必要だと強引にパソコンを買わせ、アダルトなサイトを見まくっているに違いない。

そして、だんだん部屋から出ることがなくなって引きこもり、学校にも行かず友だちの数も減って、ますますネットの世界を徘徊し、学校の勉強どころか人と関わって形成される社会性や協調性なども身につかず、精神が崩壊するところまで行ってしまうに違いないと自信を持って言える。

自分のことは自分でよく分かっているつもりだ。

楽な方へ、楽な方へと進み、興味のあること、楽しいと思えることしかしないという性格の持ち主であれば、面白くもない授業など受けるより、面倒な計算をしたり暗記をしたりするより、つらい思いをして受験勉強するよりパソコンやスマホをいじって遊んでいる方が良い。

そして、そこから抜け出す勇気もなければ、苦しく面倒な生活に戻る意志もなく、いつまでも延々と自堕落な生活を続け、引きこもりのニートとなって親を困らせ、生活態度を注意されようものなら逆ギレして暴れるという落伍者になっていただろうと容易に想像できる。

つまり、自分のようななまけ者は今の時代に生まれなくて良かったのだ。

古い時代に生まれたからこそ、友だちと話すにしても電話機は家に一台しかなく、それがリビングにあるものだから危ない話しなどできないし、長電話すれば親に叱られる。

テレビだって今のように24時間やっている訳ではなく、深夜になればほとんどの局が放送を終了するし、深夜ラジオを聴いていても部屋を暗くして目を閉じていれば眠くなる。

ヒマな時間はレコードを聴いているか、マンガを読んでいるくらいなもので、それだって同じマンガを何度も読んでいると飽きてしまい、とうとうやることがなくなって仕方がないから勉強でもするかという気になった。

ところが今の時代はテレビ局も24時間休まず、無料ゲームはダウンロードし放題、音楽も低額で聴き放題、ネットの世界をのぞけば青少年が興味津々のエロ画像や動画であふれ、掲示板やSNSで悪態をつくなど楽しく、そして忙しすぎて勉強などするヒマがない。

そんな世界にどっぷりと浸かる姿が見えるからこそ、今の時代に生まれてこなくて本当に良かったと、なまけ者を自覚している自分は胸をなでおろしたりしているのである。

ため息

子供のころ、ため息をつくと幸せが逃げると親に叱られたものだ。

それが本当かどうかは分からないが、ため息には良い効果もあると最近になって分かってきた。

  1. 自然と腹式呼吸となる
  2. 体内ホルモン分泌腺を刺激し、正常な分泌促進効果をもたらす
  3. 血流量が増加する
  4. 副交感神経が優位になり、リラックス効果が生まれる
  5. 脳が不安を感じる回数を減らすことができ、ネガティブな感情を軽減できる
  6. 脳と体に新たな酸素を供給してくれ活性酸素を取り去る

などが挙げられるが、やはり

  1. 副交感神経が優位になりすぎ自律神経が正常に機能しなくなってしまう
  2. 周囲にいる人を不快にさせてしまう場合がある

などのマイナス効果もあるので注意が必要だ。

かなり以前に勤めていた会社の上司は日に何度もため息をつく人だった。

仕事中はもちろんのこと、雑談をしている時、昼食の時間、宴会の席と、まさに所かまわずといった感じで、正確に数えたことなどないが出社してから退社するまでの間に 30回以上はため息をついていたのではないだろうか。

最初は体調が優れないのか、仕事に行き詰まっているのか、家庭でトラブルでもあったのかと心配したりもしたが、あまりにも数が多く、それも年がら年中とあっては単なる迷惑行為でしかない。

人のため息を聞くとこちらまで気分が暗くなり、それが異常に多いと不快以外の何ものでもないので、昔親に言われたように
「ため息ばかりついてると幸せが逃げますよ」
と言ってやったが
「ふんっ」
と鼻で笑ったかと思うと横を向いて
「はぁ~」
とため息をついたりしていた。

その上司のため息は有名で誰もがそれを鬱陶しく思っていたのは、ネガティブな要素が強くて聞くと士気の低下が著しく、仕事に力が入らなくなってしまうからだ。

本人は無意識にやっている癖なのだろうが、周りまで暗くなるような行為は避けていただきたい。

ため息の中にはポジティブ要素の強いものもある。

根を詰めてやっていた仕事や作業が一段落した時、何らかの達成感が得られた時などはため息が出るし、緊張状態から開放された時や心配事が解消した時は安堵のため息をつく。

そしてもう一つ、とても美味しい物を味わった時にでるため息だ。

少し前に世界中でブームになっている和食に関するテレビ番組を見たのだが、そこでは日本独特の出汁(だし)について語られていた。

和食には出汁を使う料理が多く、このうま味なしでは日本食は考えられないと言っても過言ではないという内容だ。

しかし、このうま味と言うのは微妙なもので、味の基本 5要素である甘味・塩味・酸味・苦味・うま味のうち、『うま味』を感じ取れるのは東洋人、それも敏感に感じ取れるのは日本人だけだという。

うま味物質のグルタミン酸ナトリウムは 1908年に池田菊苗が昆布から発見した。

それは甘味・塩味・酸味・苦味のどれにも属さないことから、日本では古くからうま味を基本味に加えて認識していたが、欧米ではうま味を味わう料理が発展していなかったので長らくうま味を除く 4基本味が支持され続けたらしい。

うま味の存在が認められたのはつい最近のことで、世界がやっと気付いた味ということになる。

それに加えてこのうま味、人類共通のリアクションを引き出す物質でもあるらしい。

テレビを見ているとヨーロッパの人たちが昆布と鰹でとった出汁に少し塩と醤油を加えたものを味わった時、多くの人の口から
「はぁ~」
とため息がもれる。

どんなに美味しいイタリア料理を食べてもため息はでないだろう。

世界三大料理である中華料理、フランス料理、トルコ料理を食べたところで
「うまいっ!」
とは言っても、心の奥底から湧き出るようなため息にはならないものと思われる。

和食だけが持つ、あの不思議で独特な味はなんだろう。

フランス料理にもフォン・ド・ヴォーやブイヨンなどという和食でいうところの出汁は存在するものの、基本は肉や魚と野菜を長時間煮込んで味を抽出するものだが、日本のかつお節、味噌、醤油などは発酵が基本で、それを作るまでに気の遠くなるような手間ひまがかけられている。

これまたヨーロッパで大人気、品薄になるほど売れに売れている『スリミ』、いわゆるカニカマにしても、魚をすり身にして調味料を加えて練り上げ、それを蒸して特別な製法でカニの身のような食感を作り出すという手間のかかった食べ物だ。

豆腐にしてもコンニャクにしても、かまぼこ、竹輪などの練り物にしても日本には手の込んだ食材が多い。

海外では肉や野菜などを切って調理するだけだし、葉や実を乾燥させた調味料を加えて味付けするだけの料理が圧倒的だが、日本の場合は使う食材、調味料そのものがすでに手間ひまがかけられている。

そんな和食を口にして出るため息は、安堵のものか、感動からか。

どうやら日本人の DNAが反応して美味しい日本の味にため息をつくのではなく、全人類共通の何かに訴えかける力がうま味にはあるらしい。