大腸がん検査 その準備

それは昨年11月に受けた健康診断で便潜血が認められたことが発端だ。

どうせ受けなければいけないのであればグズグズしていても仕方がないということで 2/18に予約を入れたのだが、その前の日曜、16日に法事があることをすっかり忘れていた。

検査の 3日前、2月 15日から食事制限しなければならず、法事前の会食でも食べるものが限定されてしまうため、出前をとるにしても外食するにしても検査前に食べても良い食材を選んで注文することが可能か微妙なところではあったが、食べに行くのが消化の良いうどんも出してくれる蕎麦屋になったので、みんなと一緒に食事をすることができる。

その前日の 15日、昼はうどんと同じ成分で太さだけが異なる素麺をふわふわの卵とじにゅう麺にして食べ、夜は指定時間より 2分も長くゆでて柔らかくしたパスタと、これまた長時間炒めて柔らかくした野菜をケチャップで味付けしたナポリタンに目玉焼きを乗せて食べた。

いつもの土曜日は酒を呑み、深夜に夜食を食べたりするのだがアルコールも好ましくないリストに掲載されていたので酒も夜食もなしの土曜の夜。

翌日の昼は予定通りに蕎麦屋で会食となったが、みんなが蕎麦を注文する中、ひとりだけうどんを頼み、斜め切りにされていた長ネギを偏食が直らない子どものように残して食べたが、別注されたエビの天ぷらはできるだけ衣を落として口にした。

その日の夜は法事に来てくれた親戚がみやげにくれた鯖の棒寿司と、塩麹に漬けて柔らかくした脂分の少ない鳥の胸肉だったが、白身魚は食べて良いものの鯖は酢で身がしまっているので普段の倍ほどかんでから飲み込むように気を使う。

翌日の朝はトースト、昼は鶏肉の残りと玉子焼きなどで軽く済ませ、夜は完全に具なしの素うどんを食べ、いよいよ夜の 8時、去年の 11月に 『お買い物日記』 担当者が服用し、とんでもない副作用に襲われたものと同じ下剤を飲む時がきた。

かなりドキドキしながら覚悟をもって服用したが、結果的には何の副作用もなく、いや、副作用がないどころか薬が効いているのかいないのか、腹はコロッともグルッともいわず、さっぱり便意を模様してこない。

前に大腸がん検査を受けた義兄の話しでは薬はすぐに効いて夜中まで何度もトイレ通いすることになったとのことだったが、便秘体質の自分にはさっぱり効果がなく、夜中に腹がグーと鳴ったものの、それは下剤が効いたからではなく空腹によるものだ。

その夜は何事もなく就寝し、夜中に目が覚めたがそれは便意ではなく尿意であり、そのまま朝を迎えることになった。

このまま病院に行くことになるのだろうかと不安と焦りが入り混じった感情のまま刻々と時間は過ぎ、そろそろ家を出る準備をしなければいけないという段階になってやっと便意を模様したが、下剤を飲んだとは思えぬくらい普通の量の便が普通程度の硬さで出ただけだった。

病院に行って下剤が用意された部屋に入ると、そこには他にも三人いて全員が検査を受ける人だった。

テーブルには 1リットル入の下剤がそれぞれ用意され、その前に着席すると看護師さんから下剤の飲み方の説明を受ける。

30分で 500cc、1時間かけて 1リットルを飲み干すようにとのことで、トイレに行きたくなったら我慢せずに行き、排泄したらそれを流さずに見せてほしいとのことだ。

最初に腸の動きを良くする薬を飲み、その場にいる四人が一斉に下剤を飲み始め、それぞれが本を読んだり目を閉じたりしながらひたすらトイレに行きたくなるのを待つ。

最初に 50代前半と思われる女性が席を立ち、続いて同じく 50代前半くらいの男性がトイレに向かうが、自分には一向に薬が効いてくる気配がない。

そして 、ついに 70代後半と思われる女性も立ち上がって残るは自分だけになってしまった。

一度トイレに行くと堰を切ったように何度も行きたくなるようで、50代前半の女性などは腹痛まで伴う下痢状態になっている。

30分して看護師さんが現れ、それぞれ順調に 500ccまで飲んでいることを確認し、トイレに何回行ったか尋ねられたが、みんなが 3回、4回と答える中、自分だけまだ 1回も行っていないと言うと、たまにそういう人もいると慰めとも同情ともつかぬ返事。

みんなが頻繁に席を立ち、5回、6回と回を重ねたころ、やっと自分にも便意が。

確かに一度便意に襲われると短い間隔で何度もトイレに行きたくなる。

その下剤は腸内をきれいにし、カメラで見やすくするために飲むものなので、便に不純物がなくなるまで何度もトイレに行き、看護師さんに確認してもらう必要があるのだが、同じ量の下剤と水を飲んで出しているのに人によって明らかな差があるようだ。

腹痛までおこして辛そうに何度もトイレに行く女性と 50代前半の男性は 7-8回目でも不純物があったのに自分は 3回目で不純物がなくなり、念のため 4回目を出した時点で検査室への移動が許可された。

その後すぐに腹痛の女性、70代後半の女性が下剤から開放されたが、50代前半の男性は
「まだ黒いものが混じっていますね~」
と言われ、
「ゴマとか貝類とか食べませんでしたか?」
「薬の他にサプリメントとか飲んでませんか?」
など聞かれていたが、食べていないとか飲んでいないとか言い張る。

結果、いつまで経っても不純物が消えないので腸洗浄することになってしまい、別室に連れられていく男性を見ながら、色々と面倒だったがやはり病院からの指示に従って食べ物に気をつけておいて良かったと胸をなでおろしつつ内視鏡検査室に向かったのであった。

次週へ続く

真性雑感 第七版

真性雑感 ~目次~

■ ソチオリンピック

ソチオリンピックも折り返し地点で、これから後半戦に突入する。

それにしても高梨沙羅選手が可哀想だ。

メダルを取れなかったこともあるが、その要因は過剰なマスコミ取材、過剰な期待が彼女を押し潰してしまったのではないかという気がするからであり、少なからず自分も彼女ならやってくれるという根拠の無い期待を抱き、ワールドカップで手にしたメダルの色が金だろうと銀だろうと表情を変えずにインタビューに答える姿を見て、勝手にプレッシャーに強そうだとか精神力が強そうだとか、まだ子どもだから怖いもの知らずだとか思っていたことを反省せざるを得ない。

日本人は、特にマスコミ関係者は、まだあどけなさが残る 17歳を相手にプレッシャーのかけ過ぎで、もう少し伸び伸びと、いつもの大会と変わらぬ状況を作ってやることはできなかったのか。

■ 東京都知事選

後出しジャンケンみたいなので今さら言うのも気が引けるが、東京都知事選は舛添氏が圧勝するだろうという気がしていた。

総理経験者とは言え、今さら小泉氏が細川護煕氏を担いだところで都民は笛吹けど踊らずといった感じだろうし、神輿に華々しさがないので担ぎ手も力が入らなかったことだろう。

さらに、節電疲れ、電気料金値上げによる経済負担などから脱原発というスローガンは都民の耳に大きく響かなかったものと思われ、震災時の原発事故で今も苦しんでおられる方々や、子どもの健康被害に対して極度に神経質な親などを除けば論点の中心にはならなかったに違いない。

ただし、自分は原発を廃止することには賛成だ。

■ 経常赤字

前から何度も書いているが、梅雨がある日本で太陽光発電を進めるより地震大国、火山大国、温泉大国なのだから地熱発電が適していると思う。

発電のためのエネルギー輸入で経常赤字国になったと言うが、今は様々な産業が海外生産を推し進めているのだから輸出するものを日本国内で生産していないし、日本には資源がないのだから今後も輸入が増える一方だと思われる。

すでに国内には輸出するものがなく、今後も輸入すべきものが増える一方なのだから経常収支は赤字となり、その額は年々増加の一途をたどるのは間違いない。

だとすれば地熱など自然エネルギー発電を推進してエネルギーの輸入を減らす努力をすべきなのに加え、最初は国営でも何でも良いからメタンハイドレートの掘削技術を一刻も早く確立して天然ガスを国内調達できるようにし、日本近海に埋蔵されている可能性が高いレアアースも掘削して国内自動車メーカー、精密機器・電機産業に対して優先的に販売してコスト削減を後押しするなりしてメーカーの国際競争力強化を図るべきだろう。

掘削、生成の基礎技術が確立した段階で民営化し、天然ガスもレアアースも諸外国に高値で売りつけてやれば収支のバランスも調整しやすいだろうし、日本が資源国になることだって不可能ではない。

■ 大阪市長選

また橋下徹大阪市長が物議を醸しているが、外野から見ているとなぜこのタイミングなのか不思議に思う。

市議会で自分の思い通りに事が運ばなくなったからヒステリーを起こしているのであれば、それはあまりにも大人げない行動だし、もっと時間をかけて大阪府民や他の政党に大阪都構想の実現の必要性、そのメリットを説くことが必要なのではないだろうか。

その努力もせずに民意を問うなどと言われても説得力がない。

では、なぜこのタイミンだったのだろう。

彼の良き理解者であり関西で絶大な人気を誇っていた、やしきたかじん氏が亡くなったことは北海道に住んでいながらも大きなショックを受けたし、とても残念でとても寂しく、そしてとても悲しい出来事だった。

その悲しみが癒えぬ今、くれぐれも橋下氏にはやしきたかじんの名を出してほしくないし、選挙演説でやしきたかじんとの約束を持ちださないでほしい。

もし、そんなことをしたら絶対に許すことはできない。

適材適所

ある会社で疎ましがれていた男性社員が退職することになった。

彼は社内で浮いた存在で、周囲からの風当たりもきつい。

悪い人ではないのだが、どうにも要領が悪く、言われたことすら完全にはこなすことができないという、典型的なダメ社員であったのは事実だ。

社会人たるもの言われなくても自分で仕事を見つけたり、何かを指示されたら自分なりに工夫をして要求以上の成果を上げるなり結果を残すよう努めなければならず、時には先回りして準備を整えたりするものである。

ところが彼はまったく気が回らず、言われたこともできないのだから風当たりがきつくなるのも浮いた存在になるのも当然で、しだいに疎ましがられるようになって最後には誰からも相手にされなくなるのも仕方ないだろう。

第一印象は物腰も柔らかく、決して悪い人ではないので仕事ができない人だとは思わなかったし、Web管理法を説明した時の飲み込みも悪くなく、何度も同じ説明を繰り返さなければならないとか、物覚えが悪くて何度も問い合わせを受けたということもない。

最初にざっと説明し、取り扱い説明のWebページを用意したので分からないことがあればそちらを見るなり、電話や E-mailで問い合わせてほしいと伝えたが、それほど簡単ではない作業も問題なくこなして面倒な質問を受けたこともないのである。

とろこが何度も会社を訪問し、ネットワークの構築やパソコンの入れ替えなどで長い時間の作業をしていると、女性社員から小言を言われたり、きつく叱られる場面をよく見るようになった。

最初の頃は、自分のように社外の人間がいるところでは揉め事を見せないようにすべきであろうと、女性社員のほうに良い印象を持っていなかったのだが、何度もそんな場面に立ち会い、その内容を耳にしていると男性社員側に多くの問題があり、それがあまりにも頻繁であるため、その度毎に注意しなければ仕事がはかどらないほどの影響が出ているのだと悟った。

どうやら口で言っただけでは分からないらしく、彼の机に敷かれている透明デスクマットの下には、様々な注意書きが入れられており、その内容は
「何度注意しても分からないようなので書いておきます」
とか、
「何度もお願いしていますが、客先から帰ったら・・・」
などという書き出しで、その数も尋常ではない。

女子社員も最初は自分に遠慮、配慮していたのだろうが、日を追うごとに遠慮などしていられないと思ったのか、男性社員に注意する声が大きくなって口調もどんどんきつくなってきた。

女子社員からどんなにきつく言われても、男性社員は黙って聞いていて最後には
「すみません」
とか
「今後は気をつけます」
などと平謝りに謝っている。

自分なりの意見があって言い返すわけでもなく、ふて腐れるでもなく、逆に明るく
「すみませ~ん」
と言ってデヘヘと笑うわけでもなく、じっと耐えて聞いている感じだ。

あまり言いすぎると彼が逆上して社内が血の海になるような事件に発展しないかと心配になるほど叱られ続け、それでも仕事ができるようにならず、いつまでも同じ失敗をくり返していた彼がついに会社を去ることとなった。

ギクシャクした職場で周りから相手にされず、日に何度も叱られる環境に耐えられず辞職を願い出たのか詳しい事情は聞いていないが、仮にそうだとしても経営陣を含めて誰も引き止めることのない事実上の解雇に近い退職だと思われる。

前述したように自分は彼を迷惑とも面倒とも思っておらず、こと Web系の仕事に関しては問題なく処理してくれていたので辞められることに少なからず戸惑いを感じていた。

後任が誰になるか分からないし、パソコンのスキルがどんなものか、Web、ネットに関する知識がどの程度なのかも分からないので、今までの彼のように手放しで更新作業やデータ入力ができるのかという不安が胸をよぎる。

一昨日の木曜日、新しく入った社員に 更新の重要性、Webで稼働している簡易データベースの使い方やその他のシステムの操作法などを説明しに行ってきたが、新任は若い男の子で実にハキハキした好青年だ。

彼は外見もシュッとしており、女性社員たちもアイドルの出現が嬉しいらしく、いままでドヨ~ンと暗かった事務所もパッと明るくなって今までは聞かれなかった笑い声も響くようになった。

そして、その彼は若いだけに頭も柔らかくて物覚えも早く、こちらの説明に対して的確な質問も積極的にしてくるので後任としても実に頼もしい。

しかし、説明が順調に進み、後任の彼が事前に質問すべき点をまとめておくことができたのには大きな理由がある。

会社を去る前任が、後任のために残したシステムの取り扱い説明書は見事な出来栄えであり、そこには何十ページもの資料が用意され、その内容は実に分かりやすく、それさえ読めば自分が説明する必要がないくらい丁寧に解説されており、説明書、手引書として一級品だ。

彼に適した仕事というのは確実にある。

たまたま会社にとって彼は適材ではなく、彼にとってもその会社が適所ではなかった。

人と接したり事務処理をしたりする仕事は合わなく、パソコンに向かってデータを入力したり処理したり、文章や図によって物事を伝えたりする能力は決して人より劣ることはなく、むしろ優っているのではないかと思われる。

ただし、その会社にそういうことを専門とする部署はないし、そのような人材が求められている訳ではないので今回の退職も仕方ない。

やはり適材適所というものがあり、適した人材を適した場所で使いたいのが会社であり、適した人材ではなく適した場所もないのであれば、これこそ正に雇用のミスマッチの典型だったに違いなく、彼が職場を去るのは互いのためだろう。

しかし、彼のような人材を求めている会社は必ずある。

今は辛いかもしれないが、彼の将来に幸多からん事を願ってやまない。

気候変動

この冬は雪が少なくて助かっている。

除雪する回数も少ないし、一度に降る量も少なく除雪したところで簡単に終わる。

例年だと運んだ雪を窓際にうず高く積み上げているのだが、今年は一度も運んでいないので昨年末から自然に降り積もった雪のみで、しかもその量は10センチにも満たないだろう。

ここに住んで以来、最も少ない積雪量なのだが、『お買い物日記』 担当者が暮らしていた子供の頃はこんなものだったらしく、ここ数年の雪の量が異常なのであって今季くらいの量が普通だったとのことだ。

この街はそれが売りで、夏は涼しく冬も厳しくないので老後に住むのに最適と言われていたし、穏やかな気候が魅力的だったのである。

ところが最近では大阪の足元にも及ばないにせよ夏は夏で暑くなり、以前は北海道の住宅に設置されていることが稀だったエアコンも少しずつ普及が進んでいるし、冬は捨て場所に困るほど雪が降るのが常態化してしまった。

しかし、これはこの町に限ったことではない。

自分が子供の頃に住んでいた町は 『極寒の地』 というキャッチコピーが相応しい所で、この冬は北海道の陸別(りくべつ)という町でマイナス 26度になったとかニュースで伝えられていたが、そんな生やさしいものではなかった。

マイナス 20度程度など当たり前で、マイナス 30度、35度などというのもひと冬に一度や二度のことではなく、連日の寒さであらゆるものが凍りつくような世界だったのである。

寒い中を登校するのも寒い教室で勉強するのも大変だろうと、マイナス 25度になると学校は一時間遅れ、30度になると二時間遅れ、35度を超えると休校というシステムが確立されていた。

どんなに寒かろうと子どもは元気で、外がマイナス何度であろうと関係なく休みなのをいいことに雪の中を遊びまわっていたので、実は子どもを案じてではなく単に教師が寒いのを嫌ってのことだったのではないだろうか。

通学途中は顔が痛くなるほど空気は冷たく、思いっきり息を吸い込むと鼻の穴が凍って塞がってしまったり、まばたきをした瞬間に上まつ毛と下まつ毛が凍って目が開かなくなったりすることがあり、指で溶かして目を開けることも珍しくなかったほどの寒さだった。

ところが最近はマイナス 30度になることなど滅多になく、25度をこえるのもひと冬に何度かある程度になったと今もその町で暮らす母親が言う。

豪雪地帯で今も雪はどっさり降るが、寒さだけはマシになったらしい。

これはやはり地球温暖化の影響だと思われ、捕れるはずのない魚が水揚げされたり、以前は育たなかった植物が自生したりするようになった。

そもそも、北海道の米の評価がこれほど高くなったのも素直に喜んで良いのか。

北海道の米は冷害との闘いで生産が不安定な上、品質、食味ともに評価が低く、人が食べるより家畜の飼料米として流通していた。

重ねに重ねた品種改良と努力で寒さに強くなって品質も食味も向上したのは確かだろうが、最近は冷害と呼ぶほどの冷夏もなく、どんどん暖かくなって来ているので今の北海道は 20年前の新潟や秋田など、米処と呼ばれた地方と変わらない気候になりつつあるのではないだろうか。

江戸時代、米栽培の北限は津軽藩だったというから北海道では稲作が行われていなかったと思われるが、明治になって北海道に渡り、それがどんどん北に上がって昭和の半ばには旭川市近郊、最近では遠別町というところまで行ったので、数年後、数十年後には最北の地である稚内でも米が収穫できるようになるかもしれない。

そして日本の南から順に暑すぎて稲作に向かなくなり、マンゴーやバナナといった暖かい環境で育つ果物がビニールハウスなど使わなくても収穫できるようになり、訳の分からない見たこともないような魚が網にかかって漁師さんが腰を抜かしたりするのだろうか。

温暖化によって北極や南極の棚氷が溶けて冷たい水が海に流れ込み、海水の温度が10度以上も下がるわ、塩分濃度が下がるわで海流も変わり、寒流がやってきて寒くなってしまい、ついには氷河期へ突入という最悪のシナリオになりつつあるのかも知れない。

事実、北極の氷はどんどん溶けて 2012年夏に観測史上最小を記録更新し、海が開けて航路が誕生したなどと騒がれて 2013年の夏には北極の氷が姿を消すとまで言われていたが、なんと最近になって 60%も増加していることが判明し、ドイツのキール大学ライプニッツ研究所は 「地球はミニ氷河期に突入した」 との研究結果を発表した。

まさに映画 『デイ・アフター・トゥモロー』 を地で行くようである。

中国を代表とする途上国での大気汚染が止まらない。

原発停止によって日本は CO2削減目標に届かない。

10年後、20年後の地球はどうなっていることだろう。