トラウマ

様々なことがトラウマ、すなわち心的外傷として残ってしまうことがある。

耐え難き体験が引き金となって何かと関連付けられ、当分の間は克服できていない苦い思い出として残ってしまったり、似たような状況に遭遇した際に極端な拒否反応を示してしまう。

おぼれた経験から川や海に近づけなくなったり、水に顔をつけられなくなったりするのが一般的な事例だろう。

お買い物日記』 担当者は歩道橋の手すり近くや川にかかる橋の欄干のそばのように下が見える場所を歩くのを嫌がるし、高さに関係なく、深さ 5センチ程度の小川の対面に渡るように設置された敷石ですら渡るのを躊躇する。

以前まで住んでいた実家の裏に小川が流れていたのだが、子供の頃その川に何度か落ちたことがあるらしいので、それがトラウマとなって今でも克服できずにいるのだろう。

何かをきっかけに、それまで好物だったものが食べられなくなったりすることもある。

近年ずっと健康食ブームは続いており、米に雑穀などを混ぜて食べる家庭も多くなってきているだろうし、我が家でも米に様々なものが配合され、いったい何穀米なのか分からない状態になっているが、祖母はその雑穀などを口にすることはなかった。

雑穀ではなくても、蕎麦屋のメニューにある麦とろですら麦飯が嫌だといって食べないし、その麦を混ぜたご飯も嫌がった。

戦時中、終戦直後の日本は食糧難で一般市民は米を調達することが困難となり、ヒエやアワ、麦などを混ぜて食べていた記憶がトラウマとなって匂いをかぐだけで吐き気がするのだそうである。

同じ理由から、いも団子、かぼちゃ団子も食べなかったし、鍋のあとの雑炊も口にしなかった。

それぞれ戦争当時によく食べさせられたもので、雑炊などは雑穀ばかりで米が 10粒くらいしか入っていなかったという思い出ばなしを耳にタコが 26個ほどできるくらい聞かされ、こっちまでトラウマになってしまいそうな気分になったものだ。

『お買い物日記』 担当者は数年間ほどバター醤油味の和風パスタが食べられなかった。

大阪に暮らしていたある日の午後、持病とも言える偏頭痛の症状が現れたのだが、まだ悪化していなからと普通に食べた晩御飯が和風パスタだった。

今は少し症状が軽減しているが当時の偏頭痛はひどいもので、発症すると起きてはいられないほどの激痛と嘔吐感で三日間はまともな生活ができずに寝込んでしまうほどであり、完全に回復するまでに 4-5日の期間を要したのである。

そして、その日は和風パスタを食べ終わった直後に嘔吐感に襲われ、トイレに駆け込んで戻してしまい、その時の経験がトラウマとなって口にすることができなくなってしまっていた。

それを克服して美味しく食べられるようになったは北海道に戻ってきてからのことで、時に 2009/04/25のことである。

そして自分はソース焼きそばがダメだった。

若いころに入りびたっていた喫茶店は国道沿いにあり、変則的な信号機が設置されている交差点のすぐそばであったこともあって店の前の道路では頻繁に交通事故が発生していた。

それは年に 3-4回は発生するというほどの危険地帯であり、車の接触事故など日常茶飯事、死亡事故も毎年のように起きるような劣悪な環境だったのである。

ある日の夜、店のカウンターで焼きそばを食べていると外から激しいブレーキ音とドスンという鈍い音が聞こえてきたので、また例によって交通事故だと店を飛び出してみると、すぐ目の前に作業着姿の男性が倒れていた。

大丈夫かと駆け寄って顔を見ると、頭がパックリ割れて脳が飛びてているという悲惨極まりない状況で、それを見た瞬間に胃の中にあった焼きそばをすべて吐きだし、それがトラウマとなって焼きそばの匂いをかぐだけで嘔吐感に襲われるなってしまったのは言うまでもない。

そのトラウマは長く続き、再び食べられるまで 10年以上の期間を要したと記憶している。

色々な事情はあれど、何らかのトラウマで特定のものが食べられないという人もいるだろうし、それを無理して口にする必要などないとも思うが、以前は好きだったものが食べられないのは不幸なことだ。

しかし、そんなことでも時は解決してくれる。

いつか必ず美味しく食べられる日が訪れるに違いない。