デジタル化の波 Signal-11

デジタル化の波 ~目次~

携帯電話やプレーヤーにダウンロードして音楽を楽しむようになったのは最近のことだ。

ドンと花火が上がって実際に普及するまで 5年ほどかかるのが世の常。

Apple社の iPad、amazonの Kindle、その他タブレット型端末の普及によって電子書籍に注目が集まっているが、普及が進んで一般化するには同じように5年ほどの歳月を要するだろう。

しかし、その流れは確実なものであろうから、音楽業界で起こっていることと同じようなことが 5年遅れで出版業界にも起こり得る。

紙媒体はなくならないと言う業界人は多い。

確かにそれは的を得ており、音楽業界と同じ道はたどらないだろう。

第一に文章を快適に読むためには一定以上の大きさを必要とするため端末は携帯性に乏しく、それを万人が持ち歩くかという疑問が残る。

音楽の良いところ、業界にとって不幸だったのはプレーヤーが劇的に小型化されて持ち運びに不便を感じないところであり、今や誰しもが持ち歩く携帯電話への組み込みも容易だ。

ところが現在普及期に入ったスマートフォンでさえ、画面の制約から電子書籍を閲覧するのには不向きで、電子書籍を見るための端末は別に持たなければならない。

逆にタブレット端末に音楽再生、通話機能、カメラ機能を組み込んだとしても、それは極端に使い難くいものになってしまうだろう。

音楽を聞くのを主目的に持ち歩くには大きすぎるし、あんなに大きな物をかざして写真撮影をするのも間が抜けている。

あんなものを耳に当てて通話するのは不恰好なので、いちいちイヤホンやヘッドホンをしなければならないものと思われる。

つまり、電子書籍端末と電話や音楽プレーヤーを一体化するのは難しいということで、さらには持ち運びが容易ではないという点を考え合わせれば、省電力化と軽量化、折りたたみが可能な有機ELの低価格化が進むまで普及期には移行しないのではないだろうか。

しかし、やはり確実に電子化は進むはずなので、出版業界、書店のありかたは今から音楽業界を手本に準備を進めておいたほうが良いだろう。

音楽に続いて映像は完全にデジタル化が進んでいる。

日本のテレビ放送は震災による影響を考慮した一部地域を除いてデジタルに移行した。

デジアナ変換器を利用している人もいるだろうが、多くの家庭ではデジタルテレビを購入したものと思われる。

我が家も家電エコポイント制度の終了間際に慌ててデジタルテレビを買ったが、最近になってやっと使いこなせるようになってきた。

当初から天気予報を表示してみたり、番組情報を閲覧したりしていたが、今は LANケーブルを接続して家庭内ネットワークに組み込み、テレビのリモコンを操作してインターネットに接続したりして楽しんでいる。

とても便利に使っているのはパソコンに保存してある音楽の再生だ。

CSテレビの音楽番組の音だけ聞いていることも多いが、たまには好きな曲を聴きたくなり、そんな時はテレビを操作してネットワーク接続しているパソコンに保存してある音楽を再生し、サラウンド対応のスピーカーから音を出して画面だけ消す。

お買い物日記』 担当者と二人で聴くために自分のパソコンから音を出したのでは音が大きすぎるが、そうすればパソコンのスピーカーから音を出すより高音質であるし、部屋中に音が広がる。

インターネットに接続すれば、オンデマンドでいつでも好きな時間に映画が見られるのも便利だが、レンタルビデオ店より高価格なので利用はしていないし、CSテレビで海外ドラマを見たり映画もたっぷり録画してあるので我が家ではあまり必要性を感じていない。

そして今、スマホを手にしてしまったものだから、天気予報も番組情報も最新ニュースもすべて手元で見られるようになったのでテレビの情報表示は使わなくなってしまった。

家の中で使う際は Wi-Fi経由で光回線を利用するため、圧倒的にスマホのほうが表示速度が速いのである。

つまりテレビは単なるテレビと化してしまい、たまに音楽再生機として使われる程度のものに成り下がってしまっているのだが、それが本来の姿なので元のさやに収まったというだけのことか。

高級官僚

増税の論議は深まり、反対勢力がどんなに声を嗄らそうとも待ったなしで消費税率は引き上げられるに違いない。

財政破綻しかかっているのに予算を削減せず、増える一方なのはどうしてなのか。

ギリシャと比較にならないほど日本の経済規模が大きく、潰すに潰せないと聞く。

メガバンクと呼ばれる銀行、例えばパナソニック、例えばトヨタに何かがあったとしても、関連企業を含めた雇用人数、金融市場に占めるマネー、下請け、取引企業の連鎖倒産などを考慮した場合、あまりに影響が大きすぎて潰すことはできないだろう。

過去にはダイエー、JALが国によって救済されたのと同じことだが、それと似たような理論で世界は日本を潰すことができないのだそうだ。

どうせ潰せないだろうという憶測が容易に成り立つから、円の価値が暴落するとも考え難いゆえに円が安心資産として買われるので円高になる。

円高が常態化してしまったので輸出産業が痛手を受け、収益が減るので税収も落ち込むという悪循環に至っているのは周知の事実だが、それだけにとどまらず日本での製造、輸出が困難となってしまったので電子機器、自動車製造工場が海外移転する結果となり、雇用まで失われて景気が悪化するという負のスパイラルから抜け出せない。

経済がそんな状態であるのに増税などすれば不景気に拍車がかかり、ますます日本経済の沈下は加速するのではないかと思う。

それでも日本は破綻しないという甘えがあるのか、政治家もどこまで無駄を省いて支出を減らし、財政健全化を果たそうとしているのか本気度を測りかねる。

そんな状況で増税などと言い出すので国民の支持を得られない。

政治主導を掲げた民主党も今となっては官僚の言いなりとなっている感が強く、消費税率引き上げに関しても財務省の要求、インチキ試算に振り回され、言いなりになっているだけなのではないだろうか。

新聞を見ても週刊誌を見てもテレビを見ても霞が関にうごめく官僚が日本を危機に追い込み国民のヤル気を奪っているとしか思えない。

予算を削らず保身に努め、自分たちさえ良ければ国民の犠牲をも厭わないと言わんばかりの態度は許しがたいものがある。

政治家、マスコミ、国民を含めて誰もが官僚が悪いと分かっているのに、そしてそれを公然と議論しているのに、どうして官僚たちの身が、利益が、立場が守られているのか不思議でならない。

いったい官僚はどこまでの力を持っているのか。

公務員法に守られ、その法律も自分たちで作っているようなものなので簡単にはシステムを壊すことはできないだろうが、堅牢な牙城をつき崩して既得権益を死守しようとする官僚を駆逐し、税金が本当に国民のために使われるようにしてくれる政治家、政党に政治を任せたいとは思うものの、どこもここも頼りない。

したがって、橋下徹氏が率いる維新の会に注目が集まるのだろう。

ワンマンでも独裁者でも構わない。

とにかく今の日本を何とかしてほしい。

官僚機構を木っ端微塵に吹き飛ばし、日本を再構築してほしい。

そのためであれば痛みがともなっても仕方がない。

とにかく今は大きな地殻変動を望む。

日本のサービス

日本の政治が無策ゆえに官僚が幅を利かせて無駄遣いがなくならず結果的に増税につながり、発送電分離も進まないので世界一高い電気料金を支払い、規制だらけで自由競争することができずに新しい産業も育たず、少子高齢化にも具体策がだせないので労働人口も減り続ける。

企業はそんな日本に居続ける意味を見出せず、海外移転に拍車がかかる。

規制だらけなのと無意味に過保護にしすぎたことで農産業も弱体化が進み、世界と競争できるコスト意識も効率化も生まれていないので品質しか売り物がないが、それも原発事故で安全性が疑問視されて輸出量が激減してしまった。

このままだと日本から世界に売るものがなくなって一方的に輸入するだけになってしまい、ちょっと相手国の機嫌を損ねたら供給がストップされてしまいかねないので、諸外国の顔色を伺いながら弱腰外交を続けなければならなくなるだろう。

今の日本に唯一残されたのはサービス産業である。

日本の接客、おもてなしの心は世界に類を見ないほど優れたもので、顧客満足度を十分に満たすことが可能な世界に誇れるサービスだ。

海外旅行に行った人なら十分に理解できると思うが、日本を出発する際の飛行機、航空会社から違いがはっきりしていて、海外資本の航空機は 15分や 30分の遅れは当たり前、時には数時間の遅れが出ても館内のアナウンスで伝えるだけだ。

飛行機に搭乗すれば中のキャビンアテンダント、いわゆるスチュワーデスも乗客に対する態度が違い、日本の航空会社のようにニコニコしながら親切丁寧に対応などしてくれない。

手荷物を預けたら現地の空港で行方不明になることも日常茶飯事で、見つかっても 「申し訳ありませんでした」 という態度ではなく 「あって良かったね」 というスタンスだ。

中国でも日本のサービスは注目されている。

飲食店で客が来たら 「いらっしゃいませ」 と挨拶し、テーブルまで注文をとりに行ってひざまずくようにして客よりも目線を下げる仕草、間違いのないように注文を復唱する対応、お待たせしましたと料理を運び、グラスの水が減れば注ぎ足し、会計をして店を出る際には 「ありがとうございました」 と感謝されるなどという日本人にとって当たり前のことが中国の文化にはない。

中国どころか世界中を見渡しても客を神様のように扱うサービスなど存在しない。

日本の家電メーカー、ラオックスが中国資本の会社に買収されたが、日本の接客システムが中国に導入されて現地の人を驚かせている。

今までの中国の家電量販店はメーカーごとの展示が主で、冷蔵庫なら冷蔵庫が一箇所に固まっている訳ではないので買おうと思うと店内のアチラコチラを移動しなければならず、比較するのが難しかったし、購入を決定しても対象のカードを別のフロアに一箇所しかない場所まで持って行って清算し、そこで受け取るレシートのようなものを持ってもう一度売り場に行って見せ、やっと商品を渡してもらえるという面倒極まりないシステムだった。

そこに分類別展示、店員による接客、同じフロアのレジで精算すれば品物を持ってきてもらえるという日本では当たり前のシステムを導入しただけで中国人が舞い上がるほど喜んでいるらしい。

東京ディズニーランド(TDL)も最初は海外からサービスまで輸入したが、お客さんを大切にして神様のように扱う日本のサービスをミックスして独自の進化を遂げており、その TDL方式は逆に世界で認められ、日本のサービス、接客が世界標準になりつつある。

そんな TDLには実話なのか都市伝説なのか分からない感動的な逸話がある。

ある女性がスプラッシュ・マウンテンに乗り、楽しさのあまりにはしゃいでいると、母親の形見であった指輪が抜けてしまい、あの巨大な池に落ちてしまった。

彼女はキャスト(従業員)にその旨を伝えたが、その場ではどうしようもなく、もし見つかったときのため連絡先を伝えて帰宅した。

後日、どう考えても見つけるのは困難だと諦めかけていた彼女のもとに TDLから連絡があり、なんと指輪が見つかったと言う。

あれだけ広い池の中から小さな指輪を見つけるためには一度すべての水を抜いてしまうか、従業員が総出で池に入り、足の感覚か手を水に入れて探さなければならなかっただろう。

彼女は驚きつつ、
「どうやって見つけてくださったんですか?」
とたずねた。

するとTDLのキャストは静かに答えた・・・
「ここは夢と魔法の国ですから」

カワイイの定義

日本語のカワイイ(可愛い)が世界共通語になりそうな勢いで広まっている。

しかし、日本語の持つ機微、情緒的な意味合い、あいまいなニュアンス、極めて感情的であり非論理的であって実に包括的な表現法を世界の人は理解できるのだろうか。

現在はフリフリのスカートとかを着こなすファッション、日本発のゆるキャラ、アニメキャラなどを 『KAWAII』 と表現しているが、日本語の 『カワイイ』 はもっと広範囲に及ぶ。

赤ちゃんや子犬、子猫のみならず、普段は好かれないオッサンであっても何かに照れたりする姿を見てカワイイと言うし、自分より何倍もの年月を生き抜いているお婆ちゃんでさえ、その仕草や笑顔などを見てカワイイと言う。

それが爬虫類であっても野菜であっても見かけや形状によってはカワイイと言われる。

それは車のデザイン、コロッと小さなものから妙にズングリした軽トラも対象になるし、携帯電話やパソコンにも範囲は広がるだろう。

また、顔立ちが整っているのがカワイイの絶対条件ではなく、多少は造作に難があってもカワイイの対象になることがあり、具体例としては天童よしみ、森三中の村上知子などが挙げられる。

つまり、cute(キュート)とか pretty(プリティー)ではカバーしきれない範囲のものを含め、すべてがカワイイの対象となり得るのだ。

それを使うのは主に女性、それも若い女性であり、感受性が豊であるからこその受け止め方かも知れないが、それはすでに一般化しているようで、自分のようなオッサンでさえ何かを曖昧にカワイイと思うことがある。

それは例えばジャガイモでも良く、何の変哲もない単なるイモではあるのだが、何個かに一個、プクッと丸くて妙に可愛らしい形状をしたものが存在するのは事実だ。

独り言にいつも書いているように朝の散歩で出会う小学生などは文句なくカワイイし、公園に住むスズメも散歩する犬も池で泳ぐカモもみんなカワイイのは当然だが、人間も含めた動植物に限らず、無機物にすら可愛らしさを感じてしまう。

日本には擬音語、擬態語というものがあり、曖昧な表現が可能だった。

心の動き一つをとっても、いらいら、むかむか、どきどき、わくわく、はらはら、ぞくぞく、うきうき、いそいそ、そわそわ、おどおど、びくびく、おろおろ、まごまご、あたふた、くよくよなど多言語では表現が難しい。

そういう微妙な感覚と同様にカワイイは日本人の頭や心の中を漂い、実にゆるやかな状態で流れているように思う。

そのどこまでを海外の人が理解できるのだろうか。

AKB48を代表とする秋元康プロジェクトの面々が身に着けているような制服チックなファッション、メイド服、アニメキャラのコスプレだけを対象にカワイイという言葉が流通した場合、日本人がどいういう目で見られるのか心配だ。

1億総ヲタク文化、ロリコン社会だと受け止められてはたまらない。

しかし、日本人の持つ独特な感覚の表現法を世界に伝えるのは、どんなに努力しても困難極まりなく、カワイイは世界でひとり歩きしてしまうのだろう。