若気のいたり

水曜日の独り言にも書いたが、今週の北海道は日本ハムファイターズからメジャーに移籍するダルビッシュの話題で持ちきりになっており、新聞の一面を飾るわ、テレビのトップニュースになるわ、北海道ローカル番組の時間を独占するわの大騒ぎだ。

全国放送のワイドショー系番組でも多くの時間を割いて扱われていたのでダルビッシュが並大抵の投手ではないということなのだろう。

そして、その番組でも新聞紙面でも記者会見の内容を好意的に扱っているし、コメンテーターの中には会見を見てファンになったという人までいた。

しかし、彼の発言内容を冷静に分析すると、ともすれば周りに多くの敵を作ってしまうような危険性をはらんでいるように思う。

「他のチームがダルビッシュ相手だと最初からあきらめムードで真剣勝負にならず、野球をやる上でモチベーションを保つのが難しかった。」 という内容の発言を乱暴に短く直訳すれば、「俺って凄すぎるからもう日本に敵はいないし相手はカスばっかりだもんね」 と言っているに等しいのではないだろうか。

「日本人選手の評価が低くなったことについて日本の野球が下に見られているのも嫌だった」 との発言も 「最近はろくな奴がメジャーに行ってないし、ぜんぜん活躍できてないから日本人がナメられるんだよね」 と訳せる。

この二つの発言を踏まえ、「だから日本のチームを相手にしててもしゃーないし、ちょっくらメジャー行って俺が実力見せつけてやるからさっ」 というのが移籍の理由というように解釈できるなどと考えてしまう自分はひねくれ者なのだろか。

血気盛んな若者が一応は考えて発した言葉なのだろうし、それが移籍を決めた本当の理由なのかもしれないが、日本で活躍している選手、すでにメジャーに移籍し、なかなか結果は残せなくてマイナー落ちしても歯を食いしばって頑張っている選手への配慮が足りないように思う。

こんなことを思うのは自分がすっかり歳をとってしまったからだろうが。

自分も 25-6歳の頃は生意気盛りであり、仕事の先輩、上司に平気で噛み付いていたし、言いたいことを一枚のオブラートにも包まずダイレクトにぶつけていた。

当時の諸先輩方は自分を扱いにくかっただろうし、上司にも迷惑をかけていたことだろうと今になって深く反省する次第である。

トラウマ

様々なことがトラウマ、すなわち心的外傷として残ってしまうことがある。

耐え難き体験が引き金となって何かと関連付けられ、当分の間は克服できていない苦い思い出として残ってしまったり、似たような状況に遭遇した際に極端な拒否反応を示してしまう。

おぼれた経験から川や海に近づけなくなったり、水に顔をつけられなくなったりするのが一般的な事例だろう。

お買い物日記』 担当者は歩道橋の手すり近くや川にかかる橋の欄干のそばのように下が見える場所を歩くのを嫌がるし、高さに関係なく、深さ 5センチ程度の小川の対面に渡るように設置された敷石ですら渡るのを躊躇する。

以前まで住んでいた実家の裏に小川が流れていたのだが、子供の頃その川に何度か落ちたことがあるらしいので、それがトラウマとなって今でも克服できずにいるのだろう。

何かをきっかけに、それまで好物だったものが食べられなくなったりすることもある。

近年ずっと健康食ブームは続いており、米に雑穀などを混ぜて食べる家庭も多くなってきているだろうし、我が家でも米に様々なものが配合され、いったい何穀米なのか分からない状態になっているが、祖母はその雑穀などを口にすることはなかった。

雑穀ではなくても、蕎麦屋のメニューにある麦とろですら麦飯が嫌だといって食べないし、その麦を混ぜたご飯も嫌がった。

戦時中、終戦直後の日本は食糧難で一般市民は米を調達することが困難となり、ヒエやアワ、麦などを混ぜて食べていた記憶がトラウマとなって匂いをかぐだけで吐き気がするのだそうである。

同じ理由から、いも団子、かぼちゃ団子も食べなかったし、鍋のあとの雑炊も口にしなかった。

それぞれ戦争当時によく食べさせられたもので、雑炊などは雑穀ばかりで米が 10粒くらいしか入っていなかったという思い出ばなしを耳にタコが 26個ほどできるくらい聞かされ、こっちまでトラウマになってしまいそうな気分になったものだ。

『お買い物日記』 担当者は数年間ほどバター醤油味の和風パスタが食べられなかった。

大阪に暮らしていたある日の午後、持病とも言える偏頭痛の症状が現れたのだが、まだ悪化していなからと普通に食べた晩御飯が和風パスタだった。

今は少し症状が軽減しているが当時の偏頭痛はひどいもので、発症すると起きてはいられないほどの激痛と嘔吐感で三日間はまともな生活ができずに寝込んでしまうほどであり、完全に回復するまでに 4-5日の期間を要したのである。

そして、その日は和風パスタを食べ終わった直後に嘔吐感に襲われ、トイレに駆け込んで戻してしまい、その時の経験がトラウマとなって口にすることができなくなってしまっていた。

それを克服して美味しく食べられるようになったは北海道に戻ってきてからのことで、時に 2009/04/25のことである。

そして自分はソース焼きそばがダメだった。

若いころに入りびたっていた喫茶店は国道沿いにあり、変則的な信号機が設置されている交差点のすぐそばであったこともあって店の前の道路では頻繁に交通事故が発生していた。

それは年に 3-4回は発生するというほどの危険地帯であり、車の接触事故など日常茶飯事、死亡事故も毎年のように起きるような劣悪な環境だったのである。

ある日の夜、店のカウンターで焼きそばを食べていると外から激しいブレーキ音とドスンという鈍い音が聞こえてきたので、また例によって交通事故だと店を飛び出してみると、すぐ目の前に作業着姿の男性が倒れていた。

大丈夫かと駆け寄って顔を見ると、頭がパックリ割れて脳が飛びてているという悲惨極まりない状況で、それを見た瞬間に胃の中にあった焼きそばをすべて吐きだし、それがトラウマとなって焼きそばの匂いをかぐだけで嘔吐感に襲われるなってしまったのは言うまでもない。

そのトラウマは長く続き、再び食べられるまで 10年以上の期間を要したと記憶している。

色々な事情はあれど、何らかのトラウマで特定のものが食べられないという人もいるだろうし、それを無理して口にする必要などないとも思うが、以前は好きだったものが食べられないのは不幸なことだ。

しかし、そんなことでも時は解決してくれる。

いつか必ず美味しく食べられる日が訪れるに違いない。

自分解体新書 - 8 -

自分解体新書 ~目次~

■ 舌 -その 2-

以前にも触れたことがあったと思うが、バリバリの猫舌である。

今は少しだけ慣れ、ある程度の熱さのものは口に入れられるようになったが、以前は本当に苦手で酒の燗のように何でも人肌が一番旨いと思っていた。

冷たい食べ物は別だが、熱いものを口に入れても噛むことと呑み込むことに必死で味わってなんかいられない。

その食材、料理を存分に味わうためには無抵抗で食べることができる人肌の温度くらいが良いのである。

今はあえてゆっくり食べるようにしているが若い頃は早食いで、食事など10分程度で終わっていたが、これが熱々の料理だとそうはいかない。

ラーメンなど食べるときは必死にふーふーしすぎてクラクラすることもある。

一人で食べたり友人、家族との食事であれば時間がかかろうがふーふーしすぎで酸欠になろうが大きな問題はないが、仕事関係の人との食事であればそうはいかない。

熱さを必死に我慢し、相手のペースに合わせて食べることになるので口の中はボロボロになる。

猫舌の場合は普通の人が何ともない温度の食べ物であっても舌や口の中を火傷し、ベロベロと皮がむけてきたりするのが不思議だ。

■ のど

年齢のせいなのか酒焼けしたのか、声が出ずに音域が狭まった。

もう10年以上もカラオケをしていないが、以前は歌えていた曲も声が出ないと容易に想像がつく。

やはり声帯も鍛錬が必要なのか、声を出さずにいるとどんどん弱くなるようで、独り言にも何度か書いたように仕事の打ち合わせで 1-2時間ほど話し合うと声がガッサガサに枯れてしまう。

逆にまったく声を出さずに過ごすと声が出なくなることも経験済みだ。

お買い物日記』 担当者の病気治療中、家に一人でいることが多かったが、その間は誰と話すこともない。

『お買い物日記』 担当者との連絡はメールのやり取りだったので声を出す必要がない。

朝起きてから就寝まで一言の声も発しないことなどザラだったが、荷物の配達だったり隣家の人が回覧板を持ってきたりしたときに返事をしようとすると、声がかすれまくって 30メール先で森進一がささやいているような状態になってしまう。

やはり人というのは適度に話しをしなければいけないのである。

■ 肩

ここ一カ月間ほどずっと右肩が痛い。

ただし、四十肩とか五十肩のたぐいではないようだ。

なぜなら鎖骨の延長上にある骨の一部が痛いだけで、関節というのでも筋肉というのでもないピンポイント的な一箇所だけなのである。

湿布してみても改善しないので神経系のものかも知れない。

普段の生活に支障はなく、ずっと動かさずにいた起床時とか、その部分を押したときに痛みが走る程度だ。

それゆえに病院にも行っていないが、あまりにも長引くようであれば一度は医者に診てもらうことにしようと思っている。

今年最初の・・・

今年最初の雑感である。

昨年末に 『今年最後の・・・』 というタイトルの雑感を書いたが、新年が明ければ当然のことながら新しく始まることばかりであり、そう考えれば極めて日常的なことであっても新鮮に思えたりするものである。

1月 1日の朝に目を覚まして起床するのは 2012年初のことであるし、歯磨き、洗顔、入浴、朝食、昼食、夕食に至るまですべて 『初』 という文字が付く。

独り言に書いたように、初外出で初散歩しながら初詣、家族以外の他人を見るのも初めてならば、外の空気を吸うのも初めて、もっと言えば外出着に袖を通すのも靴をはくのも初めてだ。

三箇日が終わって普通の食事に戻り、味噌汁を飲むのも白米を食べるのも初、これから毎日食べる料理は今年初めてのものばかり。

今年初のコンビニにも行ったし昨日はスーパーで初めての買い物もした。

今年初めてのジャンクフードも食べたし昨日の昼は初のケンタッキー・フライドチキンをテイクアウトしたし、今日の昼は焼きそば、今夜は初のパスタを食べた。

ずっとダラダラしていたが昨日は今年初めての仕事。

テレビを見ながら初笑いもしたし、『お買い物日記』 担当者はテレビにつられて初泣きもしていたし、増税関連の報道を見て初怒りもした。

酒は昨年末から呑み続け、きっと 9日の夜まで呑むので 10日が今年初の休肝日となるだろう。

2008年7月28日から始めた禁煙はまだ続いているので、今年最初の喫煙となってしまうことだけは避けなければならない。

いや、それだけではなく、今年初めての病気とか怪我とか事故なども避けたいものであり、願わくば何事も無く一年を過ごしたいものである。