時事ネタ 2010/09/25

なんにも書く事が思いつかないときは時事ネタに限る。

日本の弱気、腰抜け外交が歴然となった尖閣諸島沖での衝突事件。

これでは完全に中国の思うつぼだ。

毅然とした態度を貫けず、あいまいなまま釈放、開放したのでは、
「ほら見たことか、尖閣諸島は我が国の領土だからだ」
という中国の主張を強める結果にしかならないだろう。

善い悪いは別として、中国が強硬に領土権を主張する気持ちも理解できないではない。

バカでかい国土を持つ中国だが、意外にも海に面した土地は少なく、ぐるりと海に囲まれた小さな島国である日本より海岸線は短い。

これから爆発的に増えるであろう中間層、巨大化し、増え続ける胃袋を満たすだけの海洋資源、水産資源を確保するのは極めて困難だと思われる。

少しでも領土を広げて排他的経済水域を確保しておきたいのだろう。

また、尖閣諸島近辺には海洋エネルギー資源が眠っていることから、ますます手に入れておきたいところなのは間違いない。

しかし、中国が何を言おうと、何を主張しようと何をゴネまくろうと尖閣諸島は日本の領土だ。

それだけに衝突事件の船長を処分保留のまま釈放したのはマズすぎる。

相手の強行な手段、態度に屈してしまうなど、誇りというものはないのか。

そんな中、日本に誇りを感じさせ、優越感を与えてくれたのはイチロー。

10年連続200本安打という大記録を打ち立ててくれた。

昨年の9年連続がすでにメジャー新記録なので、文字通りの前人未踏、イチローの前には誰も踏み入れたことのない世界しかない。

ウィリー・キーラーという選手が持っていた8年連続の記録は 108年前に樹立されたものらしいが、今後 100年間はイチローを超える選手は出ないだろう。

イチローは 84年間やぶられることのなかったジョージ・シスラーという選手のシーズン最多安打記録、257本も超えて 2004年に 262安打を放ち、世界記録保持者となっている。

この際なのでピートローズが持つ 4256本という生涯安打数のメジャー記録も塗り替えていただきたいと思うところだが、日米通算であと 750本くらいなので、今の年200本ペースを維持したとしてもあと 3年くらいかかるし、メジャー成績だけだとまだ 2000本以上も打たなければいけないので約 10年は必要になる。

イチローは今年で37歳になるので達成するには 47歳まで年間 200本を打ち続けなければいけない計算だ。

そのピートローズも 45歳まで現役を続けたらしいので決して無理なことではないだろうが、何とかならないものだろうか。

閉塞感が漂いまくり、政治にも社会にも希望の持てない日本で暮らす中、先ごろ行われた世界柔道で日本は金10、銀4、銅9の計23個のメダルで世界を圧倒したとかイチローが世界記録を更新したなどというニュースは嬉しい限りだ。

経済でも政治でも、もっと世界で存在感を示していただきたいものである。

記憶 Memory-05

過去の記憶

あれは何歳のことだろう。

まだ幼稚園に入る前、確か三年保育だったはずなので、その前ということは 3歳か 4歳のはじめごろのことだろうか。

たった数日間のことだと思うが、入院をした記憶がある。

幼少の頃は小児喘息を患っており、それが悪化したか発作を起こしたために入院する事態になったものと思われる。

自宅にも吸入器があったが、それでは治まらないほどだったのだろう。

もちろん人生初の入院、見知らぬところで寝起きするのも初めてのことだったはずだが、両親共稼ぎで一人にされることには慣れていたので、入院を嫌がって泣くこともなかったはずだ。

むしろ周りに同じような歳の子どもがいるので嬉しかったように記憶している。

やはり子供用のベッドに寝かされていたのだろうか、記憶している映像には目の前に必ず檻のような柵がある。

その映像だと6人部屋の病室で、自分のベッドは入り口から見て右列の中央だ。

左隣り、入口に近いベッドに寝ている子は重い病気なのか、何人もの大人が周りを取り囲んで深刻な顔をしている。

看護師さんが何度も出入りして慌ただしく、容態も良くないのかも知れない。

そこに年配の医師が姿を現し、やはり深刻な表情で何かを告げると大人たちはゾロゾロと医師の後に続いて部屋を出て行った。

場所を移して病気についての説明を受けているのかも知れない。

大人が周りから居なくなり、ベッドが良く見渡せるようになると、そこには自分よりも小さく、まだ赤ちゃんと呼ぶにふさわしいのではないかと思われるほどの子供が寝かされていた。

その子の肌が異常な色をしていたのを今でもはっきり記憶している。

黒と表現すべきか赤と表現すべきか、とても濃い紫色と表現すべきか。

驚いて目が釘付けになり、ベッドの鉄柵を両手で持ってしばし固まっていたように思う。

左列の入口近くに居る子は濃いピンクか赤のパジャマを着ていたので女の子だったのだろう。

ベッドの上に立ち上がり、柵の上から覗くようにこちらを見ている。

6人部屋だったはずだが、自分を含めてその三人の記憶しかなく、残りのベッドにどんな子どもがいたのか、何色のパジャマを着ていたのか何も覚えていない。

もしかすると、その3人しか入院していなかったのかも知れない。

次の日なのか、数日後なのか退院することとなった。

入院して両親が病室を出る時には泣きもしなかったのに、退院の日には家に帰りたくないと大泣きし、また母親の逆鱗に触れて頭をペチンと叩かれながら病室を後にした記憶も脳の片隅に残ったりしているのであった。

The 10th anniversary

すっかり忘れていたが、この Webページ、正式名称 『大阪府摂津市JR千里丘駅周辺密着情報!!』 を開設して 10年が経過した。

2000年9月1日に公開してから丸10年、雨の日も晴れの日も台風直撃の日も寒波で大雪の日も更新し続けて 10年、今は更新不可能となってしまった新聞折込チラシの情報を 『お買い物日記』 担当者は早朝の 5時に起きて入力していたこともあった。

JRの線路の西側、東側のチラシを網羅するため新聞 2紙を定期購読するという、なぜ個人運営のサイトでそこまでしなければならないのか今から思えば疑問に思うようなことまでしながら、それがまるで責務であるかのように更新し続けた。

更新作業を休めるのは新聞休刊日のみだったがその多くは月曜日であり、祭日でもない限りは寝坊することもできず、たまたま振替休日などで休みだったとしても、月曜日はごみ収集日だったので寝ていられる時間は限られた。

つまり、このサイトを公開してからずっと、文字通り寝る間も惜しんで更新作業を続けてきたと言っても過言ではなく、どんなに寒い日も、猛暑日で熱帯夜の暑い日も、いつもの片頭痛で寝込んでいる時も 『お買い物日記』 担当者は布団から這い出してパソコンに向かっていた。

サイト開設から 7年と 5カ月目の 2008年2月、望むと望まざるとに関わらず、その生活に終止符を打つ日がやってきた。

以前の雑感にまとめたように 『お買い物日記』 担当者の兄に重篤な肝機能障害が発生し、それにまつわる様々な事情で大阪を離れることになり、それから様々な思いがあってこの町に住み着くことにしたので千里丘の住人ではなくなり、サイトの運営は困難になるものと思われた。

継続か廃止か迷ったが、とりあえず senrioka-info.net というドメインが使える 2009年1月までは存続させながら様子を見て、その時期に再度検討することにした。

いよいよ廃止か存続かを考える時、どの程度の人に閲覧してもらっているのかを解析したところ、閲覧数はまったく落ちておらず、驚くようなアクセス数を維持したままだった。

もう千里丘で暮らしていないので駅周辺のお店の情報など伝わってこず、出店や閉店があっても迅速に更新することなどできないし、このサイトが必要とされるのか分からなかった。

今は千里丘の駅から直線距離で約 1000キロも離れた遥か北の大地から、何ら代わり映えのしないダラダラとした生活ぶりを毎日お伝えするという、世にも珍しい 『密着情報』 となってしまっているが、変わらぬ数の人がサイトを訪れ、何かしらの情報を得てくれているようなので、この不思議な状態は今後も続けることにした。

今後、5年も 10年も続けられるものではないとは思うが、ここを訪れてくれる人がいる限り、ダラダラと、そしてボンヤリと維持していこうと思ったりしている 11年目の初秋なのであった。

日本の明日

いろいろと迷走し、暴走し、国民を置き去りにしながらの内部抗争勃発で、すでに表舞台から去ったはずなのにチョロチョロと動きまわり、やっぱり何の役にも立たなかった鳩山元首相の不恰好さだけが目立つ民主党だが、結果的には菅直人、小沢一郎による激突は避けられず、代表選挙が行われることになった。

確かに菅首相が主張したとおり、密室で政治決定されるより透明性の高い表舞台で正々堂々と戦ってくれたほうが見ている側もスッキリするので良かったとは思うが、どうも置き去りにされた感は払拭できず、何のために民主党に政治を託したのか、その意味をあらためて考えさせられたりしている。

党内での権力抗争、政治決定プロセスの不透明化、意思決定の曖昧さなどに嫌気がさして政権交代したはずなのに、党が変わっても同じような場面を見せられるのでは意味が無い。

そして、官僚主導を打破して政治主導を標榜した民主党に日本を任せたはずなのに、菅直人政権では歯車が逆に回り始めたのがハッキリと目に見える。

確かに人気もあり、調整力もあったのかも知れないが、日本のリーダーを務めるには調整力よりも強制力、傲慢なほどのリーダーシップが必要なのかもしれない。

民主党の掲げた未来像が事実上の骨抜きになり、形骸化してしまったのは官僚のしたたかな工作、地ならしによるものだと容易に想像がつくが、それを最終決定したは総理大臣、つまりは鳩山前総理であり菅現総理だ。

何となくあやふやで内容はどうにでも解釈でき、官僚の都合の良いようにまとめられた文章や案を承諾した首相が悪いのであり、そこには確固たる信念、国家ビジョンというものが感じられない。

小沢一郎という政治家を嫌う人は多いし、自分も好きではなく、積極的に応援したいとは思わないが、国が危機的状況にある今、多少は独裁的であったり強引であったとしても力強く日本を明日に向かって誘導してくれる政治家が必要なのではないかと思う。

小泉純一郎という圧倒的人気を誇った政治家も、やったことのすべてが評価されている訳ではなく、むしろ悪く言う評論家やマスコミは多い。

それでも国民は支持し、今でも高い人気があるのは、力強く一定の方向に導く力を持っていたからだろう。

小沢一郎にはどうしてもダーティでグレーな印象がつきまとうが、意志の強さと指導力は小泉純一郎と同等のものを兼ね備えているのではないかと思う。

マスコミ嫌いで話しも上手ではないが、小泉純一郎よりも明確な国家ビジョンを描いているような気もする。

影の総理と揶揄され、裏からゴソゴソと手を回したり地下でモゾモゾと動いて影響力を発揮するよりも、一度は前面に出て表舞台で実力を発揮してみてはどうか。

小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」のを興味津々でながめていたように、小沢一郎が全てを破壊し、新しい政治、日本をつくるところを眺めるのも悪くはない。

なぜなら、どうせこのままだと日本は崩壊し、外圧によって再生するしかないのだから。

それくらいなら日本人の手によってスクラップ・アンド・ビルドされるのを眺めるか、そのプロセスに参加して再生の道を自分の手で築いたほうが楽しくて希望がもてるに違いない。