テレビ出演

過去に一度だけテレビに出演したことがある。

とは言ってもテレビで演技した訳でも唄を歌った訳でもない。

実は NHKのニュースに出たのである。

とは言っても別に罪を犯したわけでも被害者になった訳でもない。

若い頃に務めていた会社に NHKのテレビクルーが取材にきた際、そのあちらこちらに映り込んだのであって、決して自分中心に取材を受けた訳でもインタビューされた訳でもない。

その会社はゲーム制作会社で、当時は任天堂のファミコンが発売されて大人気となり、パソコンも少しずつ普及し始め、職種としてはわりと脚光を浴びていたこともあって現場の様子を取材に来たのだった。

それは NHKのローカルニュースで放映される特集だったが、VTRを作成するのに昼から夕方までかかってしまい、ろくに仕事にならなかったことが思い出される。

そして、ニュースだとかドキュメンタリーとは言え、所詮は作り物でしかないという事実を身をもって体験することができた貴重な時間でもあった。

最初は仕事場の風景を撮影していたのだが、この業界の仕事などコンピューターに向かってひたすら入力作業を続けているだけなので何の動きもなく、映像としてはひどくつまらないものにしかならない。

背中越しにコンピュータのディスプレイを撮影したり、一般人とは比較にならないくらい高速な指の動きを撮影したりしていたが、すぐにネタは尽きてしまう。

そこでカメラを止め、
「ゲームの開発はどうやって始まるんですか?」
などと質問される。

そりゃあ勝手に作り始めるのではなく、一応は企画会議などもあるし、そこでまとまった企画をもって上司や営業職の人たちに向けてプレゼンし、実際に商品化に向けて開発を始めるかどうか検討する。

その旨を伝えると
「その会議のシーンがほしいんですけど」
などという無茶を言い出す。

そこで、今はプレゼンする企画もなく、すでに開発が始まっているものに関しては当然のことながら会議が終わっていることを伝える。

すると NHK社員は
「以前にボツになった企画でもう一度会議をしてほしいんですけど」
などとぬかす。

以前にボツになったものをもう一度プレゼンしたところで採用されるはずはなく、結果が分かっているので会議などしても無駄にしかならないではないか。

それでも NHK社員は
「どうしても会議のシーンがほしいんですよね」
と食い下がるので、その粘りに負けて架空ではないものの、撮影のためだけの会議が開催されることになった。

当然のことながら会議は紛糾するはずもなく、さりとて企画が採用されるはずもなく、ただ淡々と始まり粛々とボツにされて終了。

それでも NHK社員は満足そうで、次にパソコン以外の趣味は何ぞやとか、休日は何をして過ごしているのかなという仕事とは何の関係もない話題に移った。

社員の一人が休日は海に行って素潜りをし、貝やウニを獲って食べると話すと、こともあろうか NHK社員は
「今から海に行ってそのシーンを撮影しましょう」
などと言い出す始末。

平常日の、しかも勤務中に、なぜ海に行って貝を獲って食べなければならないのか。

国営放送は何でもありで、一般人はその撮影に協力するのが当たり前だと言わんばかりの態度に腹がたったが、上司が許可をしてしまったので話しをした社員と、それと仲良くしている社員の二人はロケバスに乗せられて海に連れて行かれてしまった。

夕方になってドヤドヤと帰ってきたが、それからは少し真面目にゲームについて話しをする。

地球外生命体やモンスター、ゾンビなどを相手に戦うゲームは多いが、人が人を殺すようなゲームだけは作りたくないと言うと深く納得してテレビクルーたちは引き上げて行った。

数日後、NHKのニュース番組で撮影された特集が放映された。

仕事をしている風景、せわしなく動く指、次々に映し出されるプログラムの文字列。

ナレーションでゲームの製作過程が説明され、プレゼン会議のシーンが 10秒ほど・・・。

社員の生活に話しは移り、海面に顔を出し、手に貝殻を持った社員の姿が 5秒ほど。

あれだけ長々と取材して VTRもさんざん回しておきながら放送時間は 5分程度・・・。

忙しいのに半日も奪われた時間を返せと言いたくなった。

NHKであっても、いくらニュース番組であっても、『ヤラセ』 とまでは言いたくないが、わざわざ撮影のためだけに会議を開いたり、仕事を中断してまで休日のシーンを撮影したりするのである。

それを身をもって体験してからというもの、ニュースで会議のシーンなどが放映されると
「このシーンのためだけに会議をやらされているんだろうな」
などと思ってしまい、イマイチ内容を全面的に信じられなくなっているのである。

楽なほうへ

北海道のテレビに出ている芸人には関西弁を使う人がわりと多い。

大阪帰りの自分としては馴染みのある言葉なので聞いていて違和感はないのだが、よくよく考えてみるとどうして北海道で関西弁なのか。

関西から北海道の大学に入る人は皆無ではないものの、その数は極めて少なく、また、そのまま北海道で芸人を目指すことなど考えにくい。

うがった見方をすれば、お笑いのレベルが高い大阪ではさほど面白なくても、北海道であれば勝負できるかもしれないという安易な考えでやって来る人が多いのではないかという疑問が頭をもたげる。

強豪ひしめく大阪や奈良の高校で野球やっててもレギュラーになれないからと他都道府県に転向する生徒もいるが、それと同じような発想なのではないかと。

昔のスポ根マンガ、巨人の星やアタックNo.1、エースをねらえ!のように努力して、努力して、血のにじむような練習をして・・・などというのは流行らないのか。

楽をして上に行くことばかり覚えると
「社会に出てからどえらい苦労をするんだぞ」
と言ってやりたい。

かく言う自分は学生時代に何のクラブ活動にも参加せず、努力などという言葉とは無縁の生活をしていた。

いや、中学一年生のほんの一時期だけサッカー部に身を置いたことがあるが、2-3回だけ顔を出した後は完全無欠なる幽霊部員と化していた。

それは努力するのが嫌だとか練習が辛いとかいう種のものではなく、単に友達と遊んでいる方が楽しかっただけなので少し違うようにも思えるし、肉体的に自分をいじめ抜いて鍛えるとか快感を覚えるなどというドMな性格ではないこともあり、もともとスポーツにはむいていないのだとも思うが、実際には楽な方へ、楽しい方へと流されただけなのかも知れない。

しかし、今の仕事も日々技術は進化するので、それを追いかけるのもなかなか大変なことであるし、分からないことだらけだったりするのだが、必死に調べて身につけようと努力はしているつもりだし、頭から煙を吹き出しそうになりながら苦しみ、のたうち回って完成させることだってある。

もちろん、放っておいては仕事にならないし、できないことばかりだと生活に支障が出るので背に腹は代えられず仕方なしに頑張っている面も否定はできないが。

そういう点においても最近の若者は楽なほうを選びがちなように思える。

ちょっと調べたら分かるようなことでも聞いてくるので、いちいち手を止めて答えねばならない。

今はネットで検索すれば多くの情報を得られるので減ったかも知れないが、自分が会社組織の中にいた頃はそんなケースが多々あった。

しまいには腹がたって
「自分で調べろ」
と言ってみたり、結論ではなくどの本を見れば答えを得られるか教えたりしていたので、後輩から怖がれたり冷たく思われたりしたものだ。

しかし、自分で調べるクセをつけず、安易に聞いて答えを得るといつまで経っても覚えないし、何度も同じこを教えなければならないこちらも時間の無駄になる。

実は偉そうに言いながらもネット時代の今、自分も楽な方へと流されてしまっている。

日本語にしても英単語にしても分からなければチャチャっと検索すれば解を得られる。

そして、その解を安易にコピペ(コピーして貼り付け)してしまうので、いつまで経っても身につかず、同じ単語を何度も調べては、その都度
「ああ、これか」
と思い出したりするのだが、次に使おうとするとやっぱり漢字やスペルが思い出せない。

昔は何人もの友達の電話番号を記憶していたものだが、今は携帯電話にメモリーしているので自宅の電話番号すらなかなか覚えられない。

炊飯器に洗濯機、食洗機に電子レンジ。

人は楽なほうへ楽なほうへと流されるようである。

オプトイン/オプトアウト

オプトインは何もしなければ断る設定で、選ぶ場合は意思表示する必要がある。

オプトアウトは何もしなければ選ぶ設定で、断る時に意思表示する必要がある。

前者であるオプトインのビジネスといえば新聞配達が典型か。

契約期間が終了しそうになると勧誘がやってきて洗剤だの何だので気を引きつつ、さらに一年の契約を得ようと必死にならなければならない。

後者のオプトアウトはライフラインである電気、水道、ガス料金、固定電話に携帯電話、プロバイダなど多岐にわたる。

断らない限りは、たとえ使わなくても延々と基本料金を徴収される。

そして 『ひかりTV』 のお試しもそうだ。

実は今、NTTの勧めで機器を借り、2カ月間の試用をしているところである。

お試し期間の 2カ月を過ぎる前に断らなければ自動的に本契約となってしまう。

接続したのが 12/01なので契約を断る場合は来年 1月末日までに、その旨の連絡をNTTの担当者にしなければならない。

月額 4千円弱の料金で大量のテレビチャンネルを視聴でき、いつでも観られる映画や過去に放映されたドラマなども豊富であり、なかなか便利なので今のところは続けるべきか止めるべきか悩んでいるところである。

このように金額が決して安いとは言えない場合は悩んだりもするが、これが月額数百円程度のサービスであれば迷わず契約し、たとえ使わなかったとしても契約を解除するのが面倒でダラダラと料金を払い続けるに違いない。

例えるなら固定電話のキャッチホンなどがそうで、月額 300円程度ではあるものの、実際には通話中に他の要件の電話がくる確率など極めて低く、年に何度か、いや、数年に一度もあるかないかであるにも関わらず、そして話し中だったからと言って大きな支障などあるはずないのに一度サービスを申し込んでしまうと解約するのも面倒だったり、申し込んでいることすら忘れて放置される結果となる。

少額であれ、サービスを提供している側からするとチリもつもればマウンテン状態であり、あきらかにオプトアウトのモデルのほうがビジネスとして成功しやすいものと思われる。

携帯ビジネスも栄枯盛衰が激しいが、モバゲータウンにしてもグリーにしても、サイト内で何かを購入する意思表示がない限り収益にはならない。

そして、どちらも壁にぶち当たって業績が伸びずにいる。

ここは数百円の料金でも月額固定で徴収できるシステムを構築すべきだろう。

月に数百円であればユーザーの負担も軽く、あまり利用しなくても契約解除するのが面倒で放置される可能性が高い。

そういうユーザーが多ければ多いほど経営は安定する。

500万人も会員がいるのだから、毎月100円を徴収するだけで安定的に月額 5億円を得ることができる計算だ。

今更ビジネスモデルを再構築するのは難しいのかも知れないが、何か対策を講じなければ株価は下がり続けるものと思われる。

何かオプトアウト型のビジネスでも始めてひと儲けできればと思わないでもないが、残念ながら自分にはそのような商才はなく、どうやら他社のビジネスに対してブツブツと文句を言っているのが関の山なようである。

メガネ生活

唯一他人に誇れることができた視力2004年から若干の衰えを感じ始め、2005年には低下してきたものと思われる。

最初は徐々に進行したのだろうがこのところの変化は著しく、その落差に体と頭がついて行かず、目にゴミが入ったのだと思ってしきりにこすってみたり、疲れ目が原因なのだろうと目薬に頼ったてみたりしていたが、実は激しく視力が落ちていたことを眼鏡屋さんで遊びのつもりで受けた視力検査によって自覚させられた。

そのときの診断では視力が 0.6、近視系の乱視に老眼まじりという結果だったが、おなじ 2008年の末に受けた健康診断での検査結果は 0.5、それから約一年後には 0.3と、急な坂道を転げ落ちるような勢いで悪化を続けていた。

すでにテレビに映し出される文字が見え難くなっていたのは事実で、最初はプロ野球中継を見ていて今が 6回なのか 8回なのか、はたまた 9回なのか、そして 0点なのか 3点なのか、はたまた 6点なのか分からなくなり、それから徐々に 1なのか 7なのかも判別困難、しまいにはある程度の大きさがなければ映し出される文字が読めなくなってしまった。

それでも 『目が悪い』 ということが果たしてどういうことであるのか、『見えない』 とはどういう状態であるのか生まれてこのかた経験したことがないので、それが視力の低下に起因することだと頭でも体でも理解できずにいた。

ずっとパソコンに向かうと夜には著しく視力が低下していたものの、翌朝にはある程度回復していたので加齢による眼精疲労が顕著になってきたのだろうという意識が強かった。

ところが正式な検査の結果は明らかな視力の低下であり、マッサージや目薬で回復できる種のものではないと断定されてしまったのである。

そこで11月 27日、ついにメガネの購入と相成った訳であるが、若い頃に遊びで伊達メガネをかけてみた程度の経験しかなく、自分に似合うメガネ、使いやすいメガネとは何ぞやという基本知識がない。

お買い物日記』 担当者からの情報によるとレンズ部分が大きいほうが視界も広くて不便がないということだったが、メガネにも流行というものがあるらしく、デビューしたての大江千里がしていたような昔で言うところのアラレちゃんメガネは店頭で扱っていなかったのでどうしてもレンズの小さなものになってしまうが、車を運転する訳でもなければ仕事に必要な訳でもなく、ただテレビを見るときにのみ使用するようなものなので大きな問題はないだろうと判断した。

今、この文章を作成するにあたり 『アラレちゃんメガネ』 を検索したところ、人気復活の兆しがあるらしいので少し驚いたが、化粧でもファッションでも数年のサイクルで流行を繰り返したりするものなのでメガネにも同じことが言えるのだろう。

ファイル 3087-1.jpg話を元に戻して結果的に購入したメガネはご覧の通り、とても普通のサラリーマンにはできそうもない代物で、在宅勤務であるがゆえに何の配慮もすることなく即決で購入することが可能というものであるが、これは自分の好みではなく店員さんと 『お買い物日記』 担当者の意見に従った結果なのである。

最初はおとなし目のフレームを手にとって見ていたのだが、実際にかけて 『お買い物日記』 担当者の顔を見るとブンブンと首を横に振る。

黒縁メガネ、縁無しメガネ、銀色メガネに金色メガネ、どれをかけてみても 『お買い物日記』 担当者の表情はイマイチだったが、このメガネをかけると 「うむ」 と首を縦に振り、店員さんも 「こちらが良いですね」 と言うので素直に従ったまでだ。

12月 1日に出来上がったメガネを受け取り、ついにメガネ生活が始まった。

メガネをした顔を見慣れないからか、『お買い物日記』 担当者はじーっとこちらを見てはニヤニヤしている。

まだ慣れない自分はメガネをしたまま立ち上がって歩こうとしてはクラクラしたり、メガネをするのを忘れたままテレビを見てボンヤリした字を眺めたりと何だか生活に溶け込めずにいる。

そして、注がれたコーヒーを飲み干そうとカップを傾けるとメガネにコツンと当たったりして慌てる。

どうやら今までと同じ感覚で飲んではいけないようで、ずっとメガネをかけている人は自然にそういう動作が身についているらしい。

テレビを見ながらの食事に関しては 12/02の独り言に書いた通り、どうも勝手が違って望むような快適さを得られずにいる。

何かと不便なことも多いが、見え難くなってなっていたテレビの文字もクッキリ見えるようになったことだし、視力の低下を招いたのは若い頃からの酷使が原因と思われ、何のケアもしてこなかったがための自業自得でもある訳なので、これから少しずつメガネ生活にも慣れて長く付き合って行こうと思う。