メガネ生活

唯一他人に誇れることができた視力2004年から若干の衰えを感じ始め、2005年には低下してきたものと思われる。

最初は徐々に進行したのだろうがこのところの変化は著しく、その落差に体と頭がついて行かず、目にゴミが入ったのだと思ってしきりにこすってみたり、疲れ目が原因なのだろうと目薬に頼ったてみたりしていたが、実は激しく視力が落ちていたことを眼鏡屋さんで遊びのつもりで受けた視力検査によって自覚させられた。

そのときの診断では視力が 0.6、近視系の乱視に老眼まじりという結果だったが、おなじ 2008年の末に受けた健康診断での検査結果は 0.5、それから約一年後には 0.3と、急な坂道を転げ落ちるような勢いで悪化を続けていた。

すでにテレビに映し出される文字が見え難くなっていたのは事実で、最初はプロ野球中継を見ていて今が 6回なのか 8回なのか、はたまた 9回なのか、そして 0点なのか 3点なのか、はたまた 6点なのか分からなくなり、それから徐々に 1なのか 7なのかも判別困難、しまいにはある程度の大きさがなければ映し出される文字が読めなくなってしまった。

それでも 『目が悪い』 ということが果たしてどういうことであるのか、『見えない』 とはどういう状態であるのか生まれてこのかた経験したことがないので、それが視力の低下に起因することだと頭でも体でも理解できずにいた。

ずっとパソコンに向かうと夜には著しく視力が低下していたものの、翌朝にはある程度回復していたので加齢による眼精疲労が顕著になってきたのだろうという意識が強かった。

ところが正式な検査の結果は明らかな視力の低下であり、マッサージや目薬で回復できる種のものではないと断定されてしまったのである。

そこで11月 27日、ついにメガネの購入と相成った訳であるが、若い頃に遊びで伊達メガネをかけてみた程度の経験しかなく、自分に似合うメガネ、使いやすいメガネとは何ぞやという基本知識がない。

お買い物日記』 担当者からの情報によるとレンズ部分が大きいほうが視界も広くて不便がないということだったが、メガネにも流行というものがあるらしく、デビューしたての大江千里がしていたような昔で言うところのアラレちゃんメガネは店頭で扱っていなかったのでどうしてもレンズの小さなものになってしまうが、車を運転する訳でもなければ仕事に必要な訳でもなく、ただテレビを見るときにのみ使用するようなものなので大きな問題はないだろうと判断した。

今、この文章を作成するにあたり 『アラレちゃんメガネ』 を検索したところ、人気復活の兆しがあるらしいので少し驚いたが、化粧でもファッションでも数年のサイクルで流行を繰り返したりするものなのでメガネにも同じことが言えるのだろう。

ファイル 3087-1.jpg話を元に戻して結果的に購入したメガネはご覧の通り、とても普通のサラリーマンにはできそうもない代物で、在宅勤務であるがゆえに何の配慮もすることなく即決で購入することが可能というものであるが、これは自分の好みではなく店員さんと 『お買い物日記』 担当者の意見に従った結果なのである。

最初はおとなし目のフレームを手にとって見ていたのだが、実際にかけて 『お買い物日記』 担当者の顔を見るとブンブンと首を横に振る。

黒縁メガネ、縁無しメガネ、銀色メガネに金色メガネ、どれをかけてみても 『お買い物日記』 担当者の表情はイマイチだったが、このメガネをかけると 「うむ」 と首を縦に振り、店員さんも 「こちらが良いですね」 と言うので素直に従ったまでだ。

12月 1日に出来上がったメガネを受け取り、ついにメガネ生活が始まった。

メガネをした顔を見慣れないからか、『お買い物日記』 担当者はじーっとこちらを見てはニヤニヤしている。

まだ慣れない自分はメガネをしたまま立ち上がって歩こうとしてはクラクラしたり、メガネをするのを忘れたままテレビを見てボンヤリした字を眺めたりと何だか生活に溶け込めずにいる。

そして、注がれたコーヒーを飲み干そうとカップを傾けるとメガネにコツンと当たったりして慌てる。

どうやら今までと同じ感覚で飲んではいけないようで、ずっとメガネをかけている人は自然にそういう動作が身についているらしい。

テレビを見ながらの食事に関しては 12/02の独り言に書いた通り、どうも勝手が違って望むような快適さを得られずにいる。

何かと不便なことも多いが、見え難くなってなっていたテレビの文字もクッキリ見えるようになったことだし、視力の低下を招いたのは若い頃からの酷使が原因と思われ、何のケアもしてこなかったがための自業自得でもある訳なので、これから少しずつメガネ生活にも慣れて長く付き合って行こうと思う。