楽なほうへ

北海道のテレビに出ている芸人には関西弁を使う人がわりと多い。

大阪帰りの自分としては馴染みのある言葉なので聞いていて違和感はないのだが、よくよく考えてみるとどうして北海道で関西弁なのか。

関西から北海道の大学に入る人は皆無ではないものの、その数は極めて少なく、また、そのまま北海道で芸人を目指すことなど考えにくい。

うがった見方をすれば、お笑いのレベルが高い大阪ではさほど面白なくても、北海道であれば勝負できるかもしれないという安易な考えでやって来る人が多いのではないかという疑問が頭をもたげる。

強豪ひしめく大阪や奈良の高校で野球やっててもレギュラーになれないからと他都道府県に転向する生徒もいるが、それと同じような発想なのではないかと。

昔のスポ根マンガ、巨人の星やアタックNo.1、エースをねらえ!のように努力して、努力して、血のにじむような練習をして・・・などというのは流行らないのか。

楽をして上に行くことばかり覚えると
「社会に出てからどえらい苦労をするんだぞ」
と言ってやりたい。

かく言う自分は学生時代に何のクラブ活動にも参加せず、努力などという言葉とは無縁の生活をしていた。

いや、中学一年生のほんの一時期だけサッカー部に身を置いたことがあるが、2-3回だけ顔を出した後は完全無欠なる幽霊部員と化していた。

それは努力するのが嫌だとか練習が辛いとかいう種のものではなく、単に友達と遊んでいる方が楽しかっただけなので少し違うようにも思えるし、肉体的に自分をいじめ抜いて鍛えるとか快感を覚えるなどというドMな性格ではないこともあり、もともとスポーツにはむいていないのだとも思うが、実際には楽な方へ、楽しい方へと流されただけなのかも知れない。

しかし、今の仕事も日々技術は進化するので、それを追いかけるのもなかなか大変なことであるし、分からないことだらけだったりするのだが、必死に調べて身につけようと努力はしているつもりだし、頭から煙を吹き出しそうになりながら苦しみ、のたうち回って完成させることだってある。

もちろん、放っておいては仕事にならないし、できないことばかりだと生活に支障が出るので背に腹は代えられず仕方なしに頑張っている面も否定はできないが。

そういう点においても最近の若者は楽なほうを選びがちなように思える。

ちょっと調べたら分かるようなことでも聞いてくるので、いちいち手を止めて答えねばならない。

今はネットで検索すれば多くの情報を得られるので減ったかも知れないが、自分が会社組織の中にいた頃はそんなケースが多々あった。

しまいには腹がたって
「自分で調べろ」
と言ってみたり、結論ではなくどの本を見れば答えを得られるか教えたりしていたので、後輩から怖がれたり冷たく思われたりしたものだ。

しかし、自分で調べるクセをつけず、安易に聞いて答えを得るといつまで経っても覚えないし、何度も同じこを教えなければならないこちらも時間の無駄になる。

実は偉そうに言いながらもネット時代の今、自分も楽な方へと流されてしまっている。

日本語にしても英単語にしても分からなければチャチャっと検索すれば解を得られる。

そして、その解を安易にコピペ(コピーして貼り付け)してしまうので、いつまで経っても身につかず、同じ単語を何度も調べては、その都度
「ああ、これか」
と思い出したりするのだが、次に使おうとするとやっぱり漢字やスペルが思い出せない。

昔は何人もの友達の電話番号を記憶していたものだが、今は携帯電話にメモリーしているので自宅の電話番号すらなかなか覚えられない。

炊飯器に洗濯機、食洗機に電子レンジ。

人は楽なほうへ楽なほうへと流されるようである。