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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2004年10月

  「運がいいとか〜悪いとか〜人は時々〜口にするけど〜♪」(by 1975 さだまさし:無縁坂)。 そういう事って確かにあるとテレビを見ててそう思う。 台風 23号による被害、新潟県中越地震による被災と、自然災害の恐ろしさを見せつけられることが多いが、不幸にも被災者になってしまう人、何も被害を受けない人、不幸にも亡くなってしまう人、無事でいられる人。 その分かれ目は何なのだろう。

  もちろん水が流れ込み、溜まりやすい低い土地に住んでいるとか、活断層の上に住んでいるなど地形的リスクを負っている人もいるが、そんな中で命を落としてしまう人までいる。 いつも通る生活道路なのかもしれないが、風の力に負けて倒れる木の下を偶然に通りかかって押しつぶされてしまう人もいる。 なぜ、どうして、その時間にその場所を通ってしまうことになったのか。

  新潟で土砂崩れ現場から奇跡的に救出された優太ちゃんは、九死に一生を得た訳だが、どうして土砂崩れの現場を車で走行していたのか。 新潟からの帰りだったと伝えられているが、出発するのが 5分早くても遅くても土砂崩れに巻き込まれなかったはずである。 現場までの道中、一度でも赤信号で停車していたら、災害に遭わずに済んでいたかもしれない。

  台風のときに落下物に当たって亡くなってしまった人も、なぜ偶然にもその場所を歩いていたのか。 逆に、なぜその時に物が落下したのか。 人間など小さな生き物である。 その小さな対象にピンポイントで狙いすましたように物が落下してくるのはどうしてだろう。 そしてその人は、なぜその時間、その場所に居合わせるように家を出て、そういう歩行速度で歩いたのだろう。

  今回のような天災だけでなく、事故に巻き込まれてしまう人もそうだと思う。 自分に非があって事故を起こしたのであれば仕方ないが、その事故に巻き込まれてしまう人は不運である。 居眠り運転の対向車に突っ込まれて亡くなってしまう人もいるが、車などというのは時速 60km くらいで走っているものである。 1時間あれば 60km も移動可能な速度で走行しているのに、どうしてその地点を走っているのか。

  三菱製のトラックに欠陥がありタイヤが外れ、その外れたタイヤの直撃を受けて亡くなった人も、何故その場所を歩いていたのか。 そして、タイヤは何故そのタイミングで外れたのか。 そのトラックが、あと 1km/h でも速度を落として走っていれば、逆に 1km/h でも速度を上げて走っていれば、タイヤの外れる地点は変わっていたはずである。

  歴史や過去に ”たら” や ”れば” は使えないことは分かっていても、もう少しこうなってい ”たら” とか、あの時 こうであ ”れば” などと思ってしまう。 亡くなってしまう人達がその場所に居合わせたのは必然だと思えないし、思いたくない。 偶然にも事故が発生する場所に居合わせる結果になってしまうのは、やはり運、不運の問題だと思わざるを得ない。

  すぐ隣の兵庫県では台風 23号の影響で 20人以上の方が亡くなり、家屋の倒壊などもあって長期に渡る避難生活を余儀なくされている人が大勢いる。 しかし、世間の目は新潟に向いてしまってることが多い。 1995年 1月 17日に発生した阪神淡路大震災でも、同年 3月 20日に発生した地下鉄サリン事件に世間の関心が向いてしまった過去を持つ。

  ・・・ これもやはり、運が悪いということなのだろうか。

2004 / 10 / 30 (土) ¦ 固定リンク

傷跡 傷跡

  今年 10個目の台風が日本列島を通り過ぎ、各地に大きな爪痕、傷跡を残していった。 自然の驚異の前に人間は無力であることを思い知らされる結果となったが、被災した人達はそんな感慨にふける暇もないことだろう。 それでも命を失わなかっただけでも良しとしなくてはならないのかもしれない。 今回の台風は多くの犠牲者を生み、今日現在になっても行方不明のままの人が大勢いる。

  そんな大自然が残した傷跡とは無関係だが、自分の体のあちらこちらにも傷跡が残っている。 最近の子供達がどうなのか分からないが、昔の子供などは遊んでいて怪我をするなど日常茶飯事だった。 昔の親は、今の親ほど過保護でもなかったので怪我をして泣きながら帰っても 「ツバでもつけておけば治る」 とか 「赤チンでも塗っておけ」 と言われたものである。

  当時、赤チンは万能薬だとでも思われていたのか、擦り傷、切り傷など、怪我をしたときには大活躍だった。 最近は見かけなくなってしまったのでネットで検索してみたところ、正式名称をマーキュロクロム液と言い、「赤色のヨードチンキ」 という意味で「赤チンキ」、略して 「赤チン」 と言うらしい。 そのマーキュロクロム液は、なんと有機水銀化合物であるらしく、製造過程で水銀を出すために規制をうけることになり、昭和 48 年に国内での製造が停止されることになったらしい。

  で、自分の体の傷跡であるが、頭に大きな傷が二箇所ある。 ひとつは 7針、もうひとつは 3針縫った大怪我だ。 さすがにこれだけの怪我ともなると赤チンを塗って放っておくわけにもいかず、病院に直行することになったが、これは子供の怪我ではなく、物事の分別が可能な年齢に達した頃の怪我である。その原因はシャレにならないので伏せておくことにするが・・・。

  何かに 「ゴン!」 と頭が当たり、「いててて・・・」 と押さえていると手に血が付いていたことも一度や二度ではない。 坊主頭にしたことがないので確認してはいないが、あちらこちらにぶつけてできた細かな傷も沢山あるに違いない。 あまり目立たないが、右の頬にも傷跡がある。 これは針金が刺さってできた傷なのだが、あと数センチずれていたら眼球に当たっていたかもしれない。

  今はうっすらとしか残っていないが、右足の裏から甲にクギが貫通した傷跡もある。 これは友人宅の物置小屋の屋根から飛び降りて遊んでいたときに、地面に落ちていた角材から突き出たクギの上に着地して足を突き抜けたものである。 刺さった瞬間は 「ギャッ!」 と叫んだものの、そのままにしておく訳にもいかないので反対の足で角材を踏みしめて無理矢理引き抜いた。

  左手の中指には彫刻刀で ”彫った” 跡がある。 カナヅチとノミで木に彫刻をするのをテレビで観て興味を持ったのだろう。 すぐに角材を拾ってきて、版画を彫るための彫刻刀で ”作品創作” に取りかかった。 しかし、ものの 10分もしないうちに自分の手を彫ることになってしまった訳である。 母親にこっぴどく叱られ、泣きながら自分で赤チンを塗った記憶がある。

  左手首には火傷の跡があるが、これはどうしてできた跡なのかさっぱり記憶がない。 右の手のひらには 3センチくらいの切り傷があるが、この傷が出来た原因もシャレにならないので理由は割愛することにする。 左足太ももに残る傷はかなり前の雑感に書いたように、飼い犬に引きずられてできた傷だ。 そして、体の中でも傷跡が集中しているのはヒザである。 これは走って転んで、自転車で転んで、暴れて擦りむいて、ぶつけて血を流してと、数え切れない ”戦歴” の代償である。

  今思うと背中がゾクゾクしてしまうような危険な遊びをして数多くの傷跡を残したが、子供の頃は恐いもの知らずで、怪我をした翌日には平気な顔をして遊んでいたものである。 最近は怪我をしてまで遊んでいる子供の姿を見かけなくなり、少し寂しい気もしないではないが、それも時代なのかもしれない。

  しかし、あまりにも過保護に育てるのもいかがなものかとも思う。 体で痛みを覚え、自分が怪我をすることによって、相手に怪我をさせたらどれだけ痛いのかも分かってくるのだから。

2004 / 10 / 23 (土) ¦ 固定リンク

嗜好の多様化 3 嗜好の多様化 3

  勢いで題名を前回から引き継いでしまったが、それほど大袈裟な内容ではない。 先々週の雑感ではスポーツに関して。 先週の雑感では音楽に関して偉そうな意見を書いたが、食べ物でも趣味でも、現在はネットやテレビ、雑誌などで情報が溢れているため選択肢が多く、日本人の嗜好も多様化してきているので爆発的に流行するものが少ない。

  現在は韓流 (はんりゅう) ブームとやらで、韓国のテレビドラマや映画、俳優などに人気が集まっており、火付け役となった 『冬のソナタ』 が高視聴率をたたき出したり、DVD が売れまくったり、ドラマのロケ地を巡るツアーが盛況だったり、ヨン様が CM に出まくったりと大騒ぎであるが、この勢いがこれから先、一年も続くとは思えない。 熱しやすく覚めやすい日本人相手の商売は大変だ。

  そして今は、第何次か不明だがお笑いブームでもある。 次から次に見たこともない芸人さんが登場してテレビの画面を賑わしているが、果たして何人 (何組) が生き残れるだろう。 以前の漫才ブームの時は、人気のある芸人さんは限られていた。 数組の芸人さんに人気が集中し、どのテレビ番組を見ても彼らが登場し、漫才で武道館を満杯にしたりもしていた。

  しかし、今回のお笑いブームでは状況が少し異なり、人気が分散しているような気がする。 良く解釈すれば芸人さん達のレベルが高く、どの組も笑いをとることができるからなのかもしれないが、悪く解釈すると、どんぐりの背比べ状態で突出した実力の持ち主が不在なのかもしれない。 はたまた日本人の嗜好が多様化したから、特定の人だけに人気が集中することがなくなってしまったのか。

  北野(ビート)たけし氏や明石家さんま氏、島田紳助氏のように過去のブームの時から今も活躍している人がいたり、ダウンタウンやナインティナインのように長く人気を継続している人達もいる。 お笑いブームで脚光を浴びている人たちの中で、それらの人達のように長く活躍できる人が何人 (何組) いるだろう。 実力や人気が拮抗しているので、そこから頭一つ抜け出すことが必要だろう。

  しかし、現在はテレビに出まくっている若手芸人さん達の中で、10年後、20年後も活躍している姿を想像できる人がいない。 賞という賞を総ナメにしてきたフットボールアワーでさえ、彼らがメインのテレビ番組を持ち、それが 10年後も続いているところをイメージすることができない。

  本当に、何に関しても何に対しても多様化が進んでしまい、大きな流れや爆発的ヒットが生まれ難い世の中になってしまった。 皆が同じである必要はなく、日本人としても、社会としても成熟期に入り、それはむしろ健全なことなのかもしれないが、大量生産、大量消費という、日本が必勝パターンとしてきた手法は通用しないということである。

  人気商品やブームを創りだし、それをビジネスとしている人や会社は大変だろう。 かと言って安定路線ばかりを狙い、過去の曲の焼き直しや定番商品、映画の続編などチャレンジ精神が欠如したものばかりになってしまうのはつまらない。 何か良い方法はないのだろうかと考えないこともないが、残念ながら自分には考えが及ぶはずもなく、ここは才能のある人にまかせることにしようと思う。

2004 / 10 / 16 (土) ¦ 固定リンク

嗜好の多様化 2 嗜好の多様化 2

  各レコード会社が CCCD (Copy Control CD : コピー制限 CD) を採用していたが、ソニーはそれを全廃し、先陣を切っていたエイベックスも 「アーティストや作家、ディレクターなどの意向を尊重する」 と表明して CCCD は短い使命を終えようとしている。

  CD の音楽を PC に取り込み、CD-R (書き込み可能な CD) へ複製したり、音楽データそのものをインターネットで無断で配信したりする行為を防止するために導入されたのだが、この技術は評判が悪すぎた。 音にこだわる人に言わせると、明らかに音質が低下 (劣化?) しているらしい。 CCCD は、本来の CD の規格から外れているため、再生する機器よっては音飛びがおこったり機器を故障させたりしている。 PC では CD を挿入しただけで勝手にプログラムをインストールする。

  ユーザの承認もなく訳の分からないプログラムを PC に入れたり、機器を故障させるなど、まるでウィルスではないか。 CD の売り上げが減少しているのは不正コピーが主因として講じた対策だったが、かえってユーザ離れを引き起こし、売り上げの減少に歯止めがかからなかったという説もある。

  各レコード会社は CCCD を廃止する理由として 「著作権侵害に対するユーザの認識が高まり、一定の成果が上がったため」 と説明しているが、とてもそうは思えない。 事実、CCCD でも複製できるプログラムは存在するし、著作権の侵害は今でも行われている。 ここは素直に 「評判が悪かったから」 と認めた方が良いのではないか。

  iPod を代表とするような、PC を経由して音源を取り込んで楽しむ新型携帯音楽プレーヤーが急速に普及し、大きな市場を形成しつつある。 そんな時代に PC に取り込めない技術を採用した業界は時代に逆行したと言わざるを得ないのではないだろうか。 新市場を無視できなくなったことと、評判が悪かったことが CCCD を廃止する大きな理由であろう。

  第一、売り上げ減少の原因が不正コピーであると本気で思っているのだろうか。 もしそうであれば嘆かわしい限りである。 今でも本当に良い作品は 300万枚も 400万枚も売れている。 売り上げが減少しているのは魅力のある作品が少なくなったことに他ならないと思う。

  ある曲がヒットすると、それと似たような曲が次々に発売される。 ブラック・ミュージックが売れればそればかり、ヒップホップが売れたらそればかり、以前の雑感にも書いたが、『イエモン』 や 『奥田民生』、『スピッツ』、『JUDY AND MARY』 などのコピーバンドみたいなものまで CD として発売される。 ドジョウが何匹もいるわけがなかろう。

  インディーズと呼ばれるマイナーなレコード会社では個性の強い元気な作品を提供していたアーティストもメジャー・デビューしたとたんに歩行者天国の BGM のような皿(CD)になってしまう。 万人が好む音楽など存在するはずがないのに万人受けしようとするから画一的な、つまらない作品になってしまう。 嗜好が多様化し、情報が溢れている時代なのだから自分好みの音楽を見つけて楽しむ人も多い。

  それであれば、画一的な曲ばかりを発売するのを止め、様々な分野の個性溢れる作品を供給すべきであろう。 大量生産、大量消費してもらわなければコストがかさむのは分かる。 しかしそれは、どの産業も同じである。 現在は大量に物が売れる時代ではないので、どの産業も低コストで少量生産できるように努力している。 レコード業界だけがこのままで良いはずがない。

  業界全体が消費者に迷惑をかけ、消費者を振り回した責任をとるためにも、CCCD の成果を正確に検証して公表し、今後はより良い作品を供給していただきたいものである。

2004 / 10 / 09 (土) ¦ 固定リンク

嗜好の多様化 1 嗜好の多様化 1

  今日はイチローが MLB(Major League Baseball)の年間ヒット数で新記録を樹立した記念すべき日である。 その偉業を称え、夜まで各マスコミを賑わすのであろう。 日本のプロ野球も発展させる方向で調整が進み、近くライブドアと楽天に対する審査も終了するはずである。 いろいろと問題もあったが、プロ野球から離れていたファンを引き戻し、話題にもなったのだから関係者は喜ばしいに違いない。

  その意味からすると、古田選手会長が苦渋の決断をしたストライキにも意味があったと思うし、賛否両論あったが、プロ野球の歴史からみてもあのストライキは将来的に評価されるだろう。 プロ野球の灯を消さないための議論が盛んになり、四国には独立リーグまで設立されるという。

  一試合 800人程度の観客を動員できればビジネスとして成り立ち、プロ野球選手への足がかりにもなるのであれば、九州、東北、北海道などにも独立リーグが立ち上がるかもしれない。 将来的にいろんな地区にリーグができて、各地区の優勝チームが集まって日本一決定戦など実施することができるならば、地域に根ざしたプロスポーツが活性化するかもしれない。

  プロ野球人気に陰りが出始めたのは数年前からだと思われる。 テレビ局にとってドル箱だったジャイアンツ戦の視聴率が低迷をはじめ、今シーズンは 10%を割り込む試合が多くなってきた。 以前は放送権がほしくて料金も高止まりしていたが、視聴率が 10%を下回るのであれば高い放送権料を支払ってまで中継する必要はない。 ジャイアンツも、いつまでも天狗のままではいられないだろう。

  人気がなくなってきた要因として戦力の一極集中が取りざたされることが多いが、先週の雑感にも書いたように、選手の年俸が高騰すれば赤字球団は支払いが困難になってくる。 所属選手の年俸を引き上げようとすれば、3億の選手を放出して 6人に五千万円を分配するのが効率的である。 有名であり、一流である選手を FA なりドラフトなりで他球団に移籍させるとなると、先はジャイアンツしかない。

  そこでジャイアンツに一流選手が集まり・・・。が繰り返されるのだから一極集中してしまうのは避けようがない。 「金で選手を集めて」 と悪口を言われるジャイアンツだが、他球団が選手を抱え切れず、ジャイアンツに 「貰って」 と頼むのだから仕方ないだろう。 選手側も年俸に関して交渉に応じる姿勢を示しているので、来期から改善されることを期待したい。

  いろいろと問題の多いプロ野球だが、人気低迷はそれだけが原因ではないと思う。 人気が低迷したというよりも、そんなに野球だけに人気が集中していたことが異常であり、様々なスポーツ、その他の分野へと日本人の嗜好が多様化してきたのは、むしろ正常なのではないだろうか。

  J リーグの創立からワールドカップを経てサッカーの人気も高まっている。 K-1、プライドを代表とする格闘技の人気も高い。 数十年前のボウリングやバレーボール、近年の大相撲やプロ野球など人気が低迷するものもあるが、それはそれで仕方のないことだと思う。 日本人の全員が右を向いたり左を見たりする時代は当の昔に終っている。

  少しでも人気が出るように知恵を絞り、ファン獲得のために努力していかなければ、あっと言う間に見向きもされなくなってしまうだろう。 ジャイアンツもタイガースも、そしてプロ野球全体も心を入れ替えて努力していただきたいものである。

2004 / 10 / 02 (土) ¦ 固定リンク

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