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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

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2006年 1月

真の恐怖 真の恐怖

  かなり以前の雑感で恐怖について書いたが、真の恐怖というものは心霊現象などに感じるだけではなく、もっと身近に存在する場合が多い。 例えば犬嫌いな人にとっては近くに犬が寄ってきただけで恐怖を感じるだろうし、大きな野犬数匹に囲まれでもしたら気絶してしまうに違いない。

  駅のホームで電車が入ってきたときに (もし後ろから突き落とされたら・・・) などと想像すると足元が寒くなってしまうし、エレベーターに乗っていて (もしワイヤーが切れたら・・・) などと想像すると一刻も早く降りたくなってくる。 また、たとえ男であっても夜道を歩いていて後ろからヒタヒタと足音が近づいてくるのは気持ちの良いものではない。

  数年前のことになるが、階下に暮らしていた夫婦には娘さんがいた。 当時は小学校の 5-6年生だったと思うが、確かに顔立ちの綺麗な女の子だった。 その母親と娘さんが外で立ち話をしているところに、ある新聞販売店の配達員が夕刊を届けにきた。 そして、至近距離で話をしている母と娘の間に強引に割って入り、ニタ〜っと笑って娘さんに 「可愛いね〜」 と言ったそうだ。

  そのことは奈良で発生した女児誘拐殺人事件で犯人が元新聞配達員だと分かったときにも思い出したのだが、彼が小児性愛者、いわゆるロリコンで犯罪者予備軍だった場合、自宅まで知られているということは恐怖に値する。 夕刊の配達どき、母親が買い物にでも行っていて娘さん一人が留守番をしていたらどうなることか。

  その後、その家族は仕事の都合で引っ越していったので心配はなくなったが、訳の分からない人間を配達員として雇用しないで頂きたいものである。 もし、万が一でも問題が発生したら販売店の店主にも責任の一端は発生することだろうから、採用には慎重を期していただきたい。

  もうひとつ恐かったのは過去に観たビデオである。 それはオカルト映画でも殺戮シーンの多い残虐な映画のビデオでもなく、小学校の教師をしていた友人から見せられた課外授業のビデオだ。 撮影したものを編集したいということで、ビデオデッキを二台所有していた自分のところにテープを持ってきたわけだ。 最初は興味もないのでぼんやりと画面を見ていたのだが、途中から目が離せなくなった。

  海岸か河原か忘れてしまったが、昼食作りのため子供たちが炊事を始めた。 その手つきたるや危なっかしいのなんの。 包丁を持って野菜の皮をむいたり切ったりするシーンになると恐くて正視していられない。 背中のあたりがゾクゾクし、尻がモゾモゾしてじっとしていられないくらいだ。

  力を入れすぎて一気に包丁が動き、野菜を持つ手のスレスレを通過するシーンなど 「うわぁ〜!」 と声が出てしまった。 そんな自分を見て友人は 「わっはっは」 と笑っている。 「恐くないのか」 と聞くと、「最初は恐かったけど慣れた」 と言う。 そして、「怪我をして経験を積まなくちゃいけない」 などと言う。

  それは正しい意見だと思うが、昔ならいざ知らず現代の親は我が子が包丁で手を切って帰って来ようものなら教師の監督不行き届きなどと騒ぎ出し、学校の責任まで問われるのではないだろうか。 その辺のところを聞いてみると、「確かに一部にはそういう親もいるけど自分で教えないから悪い」 と平然としている。 確かにその通りだと、少し友人のことを尊敬してしまった。

  約 3時間のビデオのうち、調理シーンは 1時間を占めており、それを観ている間はハラハラドキドキのし通しだった。 やっとカレーライスが出来上がり、子供たちがニコニコしながら食べているシーンにはある種の感動すら覚えてしまった。

  それは、もしかすると今まで観たどんな映画よりも恐く、感動的だったかもしれない。

2006 / 01 / 28 (土) ¦ 固定リンク

目的 目的

  今週はライブドア問題に明け暮れた一週間だった。 過去の独り言に書いたように以前からライブドアに対して良い印象を持っていなかったが、まだ不正行為があったと確定していないのに ”悪者” と決めつけた報道はいかがなものか。『時代の寵児』 と持ち上げておきながら、手のひらを返したような姿勢を目のあたりにすると腹立たしいのを超えて寂しささえ覚えてしまう。

  ニッポン放送株の買収さわぎがあった頃、仕事仲間と酒を飲んでいて話したのは、やはり武士道に反する行為は好ましくないということだった。 仕事仲間はライブドアは乗っ取り屋か投資ファンドと呼ぶのがふさわしく、IT 企業と呼んでほしくないと怒っていた。 自分達も IT 産業に身を置くものとして、ひとくくりに扱ってほしくはないと言う思いである。

  ホリエモンこと堀江氏は口癖のように 「株主価値を高め・・・」 と言っていたが、今回の騒ぎでの株価下落は目を覆いたくなるほどである。 しかし、冷静に分析すれば株が下がったのは今回ばかりではなく、大胆な株式分割をした後、企業買収をした後など、株主価値向上のためという名目で行動を起こした後には必ず下げているので、言っていることと裏腹に本当に株主のことを考えた行動とは思えない。

  結果的に何が目的だったのかと言えば 『時価総額一兆円』 ということだけで、本当に株主の方を向いていたわけではなさそうだ。 以前から実体のないライブドアの経営に警鐘を鳴らしていた評論家は少なくなかったが、東京地検の強制捜査にまで及ぶとは予想していなかっただろう。

  同じく株主価値を連呼する人と言えば通称 『村上ファンド』 の村上氏であるが、彼の場合は株の売買で利益を出すことを使命としているので、もの言う株主であってもかまわないが、彼の提案が本当に株主価値、企業価値を高めるものであるのかは疑わしい。 提案を実行すれば一時的に株価は上がるだろうが、それを実行したことによって 20年後、30年後にどうなっているのか分からない。

  彼のように株を取得して 「ギャーギャー」 と文句を言い、株価が上がったところで売ってしまうのが目的なら一時的な株価上昇だけで事足りるだろう。 しかし、そんな株主だけではなく、何十年も株を保有している人、これから何十年も株を持ち続ける人だっている。 そういう人たちは今日、明日の株価よりも、毎年きちんと利益を出してお金が配当されることを望んでいる。

  バブル崩壊以降、株の持合が解消されたのをきっかけに日本の市場はやっと活発になってきたばかりで、まだまだ成熟していないのが現状だ。 派手な買収劇を繰り広げる人や村上ファンドみないたのが登場するのも当然ではあるが、株主至上主義が正しいとは思えない。

  トヨタやキヤノンは 「会社は誰のものか?」 という問いに 「顧客、社員、株主のもの」 と答える。 株主の優先順位は三番目である。 自分の中に確固たる回答を持ってはないが、その答えは正しいように思えるし、そうであってほしいとも思う。

  回答は持たずとも信念くらいはある。 会社は株主 ”だけ” のものではない。 したがって、いくら大株主であろうと決議権を持つほどの株を所有していようとも、会社は株主の方を見るのではなく、顧客を見て商品やサービスを提供し、結果的に株主の利益になることを目的にしていただきたいと思う。

  上場企業の株など一株たりとも持っていないので、偉そうなことは言えないのだが・・・。

2006 / 01 / 21 (土) ¦ 固定リンク

マサルノコト scene 2 マサルノコト scene 2

  今日で元旦から二週間が経過したが、相変わらずマサルからの年賀状は届いていない。 『便りのないのは無事の知らせ』 と言うくらいなので、とくにこちらからも連絡はしていない。 どうせ連絡したところで、くだらない話をダラダラして終わるだけなのは目に見えているからである。 本来なら違うネタで雑感を書こうと思っていたのだが、腹立たしいのでマサルのネタにすることにした。

  マサルは就職して一人暮らしを始めた際、六畳二間の小さなアパート暮らしだったくせに、当時としては最新式のコードレス電話を購入した。 「そんな狭い部屋でコードレスなんぞ必要なかろう」 と言ってやると、それはどれだけ便利なものかとムキになって説明を始めた。 「はいはい」 と適当に返事をしていたが、少なからず興味があったので 「どの程度まで電波が届くのか」 と質問をしてみた。

  「取扱説明書には 50メートルと記載されている」 と答えるので 「やっぱりその部屋には必要ない」 と言ってやった。 すると、「外で洗車しているときだって子機を持って出れば電話を受けられる」 などと訳の分からない理屈をこねる。 「それじゃあ、話したまま外にでてみろ」 ということになり、マサルは子機を持って話をしながら部屋を出た。

  当時住んでいたのは海沿いの田舎町で、障害物となる大きな建物もなく、思いのほか遠くまで通話が可能だった。 普段と変わらない会話をしながら、時折 「今は家から 200メートルくらい」 などという報告をしていたのだが、それが 500メートルになっても 700メートルになっても途切れることがない。 1キロくらいになったときに少し会話にノイズが混ざるようになったくらいのものである。

  電話の性能を試すのにも飽き、会話することもなくなったので 「その電話が凄いのは分かった。じゃあな」 と電話を切った。 すると、すぐに電話が鳴ったので出てみると 「切るな〜!」 とマサルが怒っている。 聞けば 「こんな夜中にパジャマ姿で電話機を握りしめて歩くのは恥ずかしい」 と言う。 確かに当時は携帯電話など普及しておらず、おまけにマサルは寝る準備をしていたところだった。

  「電話していても一人で歩いているから一緒じゃ!」 と切ると、すぐにかけてきて 「お願いだから切らないで」 と懇願してくる。 それでも話をすることがなくなっていたので 「もう遅いから気をつけて帰るんだよ」 と切ると、再びかけてきて 「たのむ〜!きらないでくれ〜!」 と騒いでいる。 可哀想になったので仕方なく話しに付き合うのだが、少し話すと会話が途切れる。

  その度に 「きるぞ!」 と脅かしてやると 「ちょ、ちょとまて!」 と必死に会話を続けようとするのだが、話のネタも尽きて新しい話題がない。 そうこうしているうちに家の近くになったらしく、急に態度が大きくなって 「お前なんかに二度と電話してやるもんか!」 など言いだす憎らしい奴なのである。

  この電話機に関しても様々な逸話があるのだが、それも次の機会に譲ることにする。

2006 / 01 / 14 (土) ¦ 固定リンク

マサルノコト scene 1 マサルノコト scene 1

  元旦から一週間が経過して年賀状も届き渡ったようだが、古くからの友人であるマサルからの年賀状は届かない。 最近になって聞かれる親友という定義、『メールは 15分以内に返す』 などという薄っぺらな付き合いではないので気にはならない。 去年、久々に電話をすると移転案内が流れてきて初めて引っ越したことを知った。 その電話ですら一年ぶりくらいにかけたものだ。

  現代っ子からすると、そんなのが友人関係と呼べるのか不思議に思うだろうが、真の友人というものはベタベタとしていなくても互いが必要とするときに力になれば良いものであって、毎日のように話したり相手の機嫌を伺うようなことをする必要はないのである。 どんなに時間が経過しようが、何カ月、何年も顔を見なくても実際に会えばその時間が一瞬にして埋まり、何ら変わりなく付き合えるものだ。

  移転案内で変更になった電話番号を知ることができ、話をしたのだが住所などは聞いておらず、ただ東京に住むことになったということだけ確認し、一応は E-mail アドレスだけ控えておいた。 そして昨年末、「年賀状を出してやるから住所を教えなさい」 と一行だけのメールを送信した。 するとマサルから 「なんという高圧的な言い方だ!むかつくが教えてやる」 と住所が返信されてきた。 そして文末には 「以上だ!悔しかったら出してみやがれ」 と書き添えてある。

  むかっ腹が立ったが一応は元旦に間に合うように出してやった。 しかしマサルからの年賀状は今現在も届いていない。 現代のような希薄な友人関係であれば、それで壊れてしまうところだろうが、何十年も続く関係はその程度のことで崩壊することはないのである。 自分も変な奴だと自覚しているが、マサルも相当に変な奴なので妙に気が合うのかもしれない。

  以前、何かで一万円を貸したことがあったのだが、いつまで経っても返金してくれる気配がない。 それでも信用しているので何の催促もせずに放っておいた。 若い頃はキャッシュカードでお金を引き出してばかりで銀行の通帳に記帳などすることがなかったのだが、あまりに出し入れが続くと銀行から明細が送られてくる。 普段はそれすら見ないのだが、たまたま中を確認して驚いた。

  ミヤザワリエ様 入金 ¥2,000、コイズミキョウコ様・・・など、有名芸能人5人から ¥2,000 が振り込まれている。 そんなヒマなことをする奴はマサルしかいない。 ふざけ半分で借金を返してきたらしい。 すぐに電話して 「くだらないことをするな!」 と大笑いしながら言ってやった。 すると、「俺だって恥ずかしかったんだ!」 と言う 「『ミヤザワリエ様』 って呼ばれて立ち上がる身にもなってろ!どれだけの人に見られるか!」 と、自業自得のくせに怒っている。

  おまけに 「手数料だって 5回分もかかったんだぞ!」 と完全に逆ギレ状態だ。 いつまでも話に付き合っていられないので 「アホ〜」 と言って電話を切ってやった。 そして、それから何カ月も音信不通状態が続く。 実家は互いに同じ町にあるので帰省した際に会って酒を酌み交わす程度である。

  真の友人、とくに男同士の場合はそれで良い。 深く悩んだとき、本心から困ったとき、重大な決断を迫られたときに曜日や時間を問わずに相談できる相手。 損得抜きで付き合うことができ、時間や距離に間があっても心が通い合う仲間。 自分にとっての心のよりどころでもある。

  変な奴であるのが困りもので、逸話は数え切れないくらいあるのだが、それは次の機会に譲ることにしようと思う。

2006 / 01 / 07 (土) ¦ 固定リンク

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