歯医者
一軒目 二軒目 停滞期 三軒目 序章 三軒目 終章
その歯医者は極端な商業主義だった。いささか唐突ではあるが、先週の続きである。いつも行っていた歯医者が廃業したため、次に通う歯医者を探していたところ、「知り合いが勤めている」 という理由だけで紹介された歯医者に行くことになった。腕が確かとかいう理由ではないのに少々不安を感じないでもなかったが、せっかく教えてもらったことでもあるので行ってみることにしたのである。
ましてや当時は小学生だったため、自分で歯医者を選別する見識などあるはずもない。親に 「行ってこい」 と言われれば 「は〜い」 と従わざるを得ない。なんとなく嫌な予感もしたのだが、親の命令に従い渋々ながらも通うことになってしまった。小さな町ながらも市の中心部にその歯医者はあった。それまで通っていたところとは異なり、近代的な建物である。
中に入ってみて患者の多さ驚いた。大きな待合室にたくさんの人がいる。歯医者は予約制であるから多くの人が待っているなどとは考えもしなかったし、それまで行っていたところでは他の患者さんに会うことすら少なかった。たまに待合室に座っているのは前の人が精算を待っているくらいのものである。ところが目の前には 10人以上の人が座っている。
呆気に取られながらコソコソと空いている席に座り、目だけ動かして周りを見ていると、次から次に名前が呼ばれて診察室に人が入り、次から次へと治療を終えた人が吐き出されてくる。「なぜだ?」 と考えはしたものの頭の良くない小学生に理解できるはずもなかった。考えるのをやめて足をブラブラしたりしていると名前を呼ばれた。診察室のドアを開け、中を見て驚いてしまった。
そこには数多くのイスが並び、歯医者さんが何人もいる。看護婦さんだか助手さんだかわからないが、医者の数以上の人たちも忙しそうに動き回っている。これだけの人を一度に治療できるのだから患者の回転が速いのも当然だと納得しつつも、その圧倒的な白衣の数にたじろいでしまった。「こちらですよ」 と奥の奥にある席に案内され、座って待っていると先生がやってきた。
メガネをかけた先生は感情を持っていないような冷たい目の持ち主で、子供相手だというのにニコリともせずに 「どうしました?」 と、これまた感情のこもらない冷たい口調で聞いてくる。何となく怖かったので声に出さず、イ〜っとして虫歯になっていた下前歯を指差した。その歯をいろいろな角度から見て何事かを側に立っていた助手さんに告げ、先生は立ち上がって行ってしまった。
どこに行ったのかと思えば今度は違う席で別の人の歯を診ている。なるほど医者の数より治療用のイスが多いわけだ。医者の行き先を見ていると助手さんがニコニコしながら寄ってきた。手に注射器を持ち 「麻酔しますからね〜」 などと言う。突然の出来事に驚き、口を閉じてイスにへばりついたが、そんなささやかな抵抗も空しく、口を開けさせられ歯茎に針を刺されたのだが、どうもおかしい。
その助手さんは新人だったのか、注射がとても下手で針が歯茎を突き抜けている。それに気付かないものだから注射器の液体がチュ〜っと口の中に入って来る。「大変だ〜!」 と叫びたかったが、針が刺さっているので口を動かすこともできない。針が抜かれた後でゲホゲホとむせ返ってしまい、少し薬を飲み込んでしまった。「どうしたの?」 と聞かれ事情を説明すると、「まあ!それじゃあ・・・」 と言う。
あやまってくれるのかと思ったら 「ごめんなさい」 も言わずに、もう一本注射されてしまった。二本目の注射では恐怖のあまりに体がカチカチに硬くなった。それからの治療も大変で、先生の腕はともかく、麻酔薬を飲んでしまったのがいけなかったのか 「うがいしてください」 と言われてもノドに感覚がなく上手にできない。水も口の横からデロリ〜ンとこぼれてしまった。
家に帰り、歯医者での出来事を事細かに親に報告したが、「治療が終わるまで行け」 と言う。子供にとって恐怖でしかない注射を二回もされて悲惨な目に会ったというのに 「何という言い草か!」 と思ったが、親には逆らえなかったため、仕方なく最後まで通院した。そして、その歯医者を最後に、どんなに歯が痛くなっても、どんなに虫歯でボロボロになっても 20年以上もの間、歯医者に行くことがなかった。
20年以上にも及ぶ壮絶な歯との戦いは激烈を極めた・・・が、続きは次週にすることにする。