先週は我が父が新しモン好きであったことを書いたが、今も生きていたならどうなっていただろうと思う。 携帯電話の新機種、薄型大画面テレビ、DVD レコーダ、ヘルシオのような調理器具などなど、目新しいものを次々と導入し、操作の複雑さゆえに使いこなすことができず、ただひたすらに部屋が狭くなって 「う〜む」 と困っていたに違いない。
新製品というわけではないが、家庭で握り寿司を簡単に作れるという ”型” を購入してきたこともあった。 型に米を入れ、上から押さえつけると寿司の ”しゃり” ができるもので、家族そろってワイワイ言いながらギュッと米を押してポコポコと取り出し、ネタをのせて寿司をつくったこともあったが、やはり職人さんが握るものとはことなる。
シャリの成型はうまくいくのだが、ネタをのせてもただ乗っているだけなので密着することがなく、すぐにシャリとネタがバラバラになって単なる米団子と刺身状態になってしまう。 しかし、それも話のネタとなって結構楽しく食事をしたように思うのだが、その ”型” が使われたのは後にも先にも一回限りだったように思う。
そんな父親の遺伝子が組み込まれているはずなのに自分は新しいものに飛びついたりしないのが不思議だ。 この部分は母親の遺伝子を色濃く継承したのであろうか。 変化を好まない保守的というより、普段はガサツだったり挑発的であったりするくせに根本的には臆病なのではないかと思う。 新しい店ができても積極的に行ってみようとは思わないし、新製品を買いたいとも思わない。
以前の雑感に何度か書いたとおり、若い頃に友人がコンビニでバイトをしていた。 そいつが無類なる新しモン好きで、新発売になったものは何でも気になるらしく、お菓子や弁当なども真っ先に購入して味見をする。 ジュース、炭酸飲料、乳製品、コーヒー飲料なども出るもの出るものすべて味見しなければ気が済まない。
どこそこに新しい店がオープンしたと聞けば真っ先に行って料理の味や店の雰囲気を確かめてくるような好奇心、開拓精神が旺盛なやつなのである。「本当に新しいものが好きな奴だな〜」 と嫌味半分でからかったりしていたが、実はそういう人間がいて助かっている面が多い。 自分に開拓精神がない以上、新商品の味や店の雰囲気を聞いてから買ったり行ったりするからだ。
今後も新しい分野は他人に任せ、十分にその感想を聞いてからコソコソと行動に移す臆病者の行動パターンは変わりそうにない。