年末の 『NHK 紅白歌合戦』 の出場者が発表され、やれ誰が出るだの誰が落選しただのと騒いでいるが、近年の紅白など視聴率は低迷しているわ辞退者が後を絶たないわで過去の威厳など見る影もないのだから、それほど大騒ぎをする必要があるのか疑問を感じてしまう。 自分は過去数年に渡って紅白を最初から最後まで観たことがないので、誰が出場しても誰が出られなくても関係がない。
それでもテレビで多く取り上げられるのは、やはり国民的行事 (番組) というのが根強く残っているのかもしれない。 最近はどれだけ楽しそうかを伝えるのではなく、どれだけ視聴率を稼げるのかに話題が集中しているような気もするが・・・。
広く言われていることではあるが、子供からお年寄りまで知っている歌が皆無に近い状態になってしまったので、家族で楽しんでみる番組ではなくなってしまったのが視聴率低迷の大きな要因であることは事実だろう。 20年前であれば一曲のヒットで一年以上も稼げたのが、今は数週間という早さだ。 ぱっと出て、すぐにすたれてしまう。 日本人が飽きっぽくなったのか、魅力のある歌が減ったのか。
バリバリの昭和の男である自分は確実に現代の歌について行けていない。 ある理由から、次々にリリースされる曲も知っているし、最新の曲も毎日のように耳にしているが記憶に残るような名曲に出会ったことがない。 なんとなく個性がなく、同じような曲調で同じような歌い方をする人やグループばかりである。 可能性を感じるものはあるが、群を抜いて素晴らしいものがない。
それに最近の人の歌には歌唱力というものを感じることが少なくなってしまった。 最近はあまり見なくなった MISIA(ミーシャ) だが、一時期は 『歌姫』 などと祭り上げられていた。 たしかにメロディーを追うのは正確で、そういう意味では ”上手” なのかもしれないが、何か電子楽器が正確な音を発しているだけのような感じで、あまり感情と言うものが伝わってこなかった。
そういう点では現在 CD がバカ売れしている平井堅(ひらいけん) も同様で、悲しい曲でも明るい曲でも歌い方が同じなので悲しさも楽しさも伝わってこない。 いや、むしろ楽しい曲ですら悲しく聞こえてしまう。 よって、これから何年も第一線で活躍するとは思えない。
第一、最近は歌の詞が良くない。 傾向としてメロディー重視であるにせよ、やはり詩がともなっての歌である。 何でもストレートに 「愛してる」 だの 「恋してる」 だの表現すれば良いというものではない。 以前の歌では愛だの恋だのをどうやって詩で表現するか。 悲しさをどうやって描写するかで多彩な表現力を競っていた。 そしてそれが深い味わいとなっていた。
それをいきなり 「愛してる」 だの 「悲しい」 だのとダイレクトに書かれても、それは日記とか作文とか感想文の世界であって決して詩ではないような気がする。 そんなことだから心に突き刺さったり、心の奥から力が溢れるような詩にならず、”共感” だけが頼りになってしまう。 幼い詩に共感できるのは同世代だけなので、おのずから支持層も狭くなってしまう。
幼い詩をボイス・トレーニングも受けずにノドからギャーギャー声を出して怒鳴るように歌っていても広い年代に支持されるはずがない。 したがって、子供から御爺ちゃん御婆ちゃんまで、みんなで楽しめる歌番組など成立するはずがないと思う。 作り手の NHK にも多少の問題はあるにせよ、今は演じ手の側の責任が重いような気がする。 過去に何度か書いた CD の売り上げ減少とて原因に大きな違いはないのではないだろうか。
過ぎ去った過去のアーティストに素晴らしい言葉を残した人がいるので、現在のアーティストは神妙に自分を見つめ直すべきだと思う。
〜 すべての歌はラブソングである。 そして選ばれたものだけが愛について歌い語る資格がある 〜
by BOB MARLEY (ボブ・マーレー)