兵庫県尼崎市の JR 福知山線脱線事故は今日、発生から 2カ月を迎えた。 最近の報道では安全を主張していたとされる労組と会社側の対立に焦点が移り、労組側も正義を振りかざして記者会見など開いているが、事故の本質はそんな所にあるのではなく、ボ〜っとして何百メートルもオーバーランしてしまう運転士がいたり、二日酔いで酒が残ったまま運転する馬鹿がいたりすることが問題だろう。
自分達の主張がいかに正しく、いかに会社側に非があったのかを偉そうに語っても、その声は空々しく響くだけで、亡くなった方々の鎮魂にもならなければ、家族を亡くした人たちへの慰めにもならない。無理のあるダイヤが組まれていた事実はあるにせよ、時間を取り戻すためスピードを出しすぎてしまったのが事実であるにせよ、まずは気の緩みでオーバーランしてしまった事実を詫びるべきである。
あの日、事故が事故だっただけに、自分も衝撃を受けつつニュース番組を観ていたが、不謹慎にも事故とは関係のない部分で少し気になったことがあった。 被害に遭われた高校生が遠足で USJ に行く途中だったとニュースで聞いたとき、「高校生の遠足?」 と違和感を覚え、どうも高校生 → 遠足というのが結びつかず、「高校生が遠足なんかするのか?」 という疑問で頭が一杯になってしまった。
自分の記憶では高校はおろか、中学生の頃ですら遠足と言う名の行事に参加した覚えがない。 『遠足』 という響きから受ける印象は、幼稚園児や小学生が団体で行動している雰囲気で、ニキビ面で反抗期の中学生や高校生が手はつながないまでも団体で歩いているのは修学旅行くらいのものであるという印象が強い。 まして自分は小学校以降は遠足などした記憶がないのである。
その疑問を 『
お買物日記』 担当者に投げかけてみたところ、「高校生のときに遠足に行った記憶がある」 と言う。 そんなはずはなかろうと、e-mail、掲示板など、電子的に繋がっている兄弟に一斉に質問したところ、『高校で遠足に行った』= 2名、『遠足は中学まで』= 2名、『小学校まで』= 1名(自分)という結果が得られた。「少なくとも中学まではあっただろう」 と言われるが、さっぱり記憶はよみがえらない。
そこで、中学時代からの友人の携帯に 「中学、高校時代に遠足はありや?なしや?」 と e-mail を送信した。 その時、友人は夜勤中だったので翌日になって電話がきた。 そこで彼は 「高校ではなかったけど、中学では行ったはずだ」 と言う。 それでも記憶がよみがえらないので 「何月頃の話だ?」 とか 「何処へ行った?」 などと質問すると、友人も 「良く覚えていない」 と言う。
それならばと、「何かの間違いだ」 とか 「それは社会見学じゃないのか?」 とか言いながら、中学には遠足はなかったという説得に努めたが、「不良だったお前がアホらしくて参加しなかったのだろう」 と責めてくる。 そこで少し自信が揺らいだが、同じ不良でも自分の場合は体育祭とか学校際などの行事に参加するのは嫌いではなく、むしろ喜んでいたはずだったので、「そんなことはない!」 と抵抗した。
すると友人は 「お前がお袋さんに 『明日は遠足だから弁当を作って』 なんて言うタマか?」 と反撃してくる。 自分が通っていた中学校は給食だった。 不良で親との仲も最悪の状態だった当時、友人の言うように 「弁当を作ってほしい」 などと口が裂けても言わなかったようにも思う。「じゃあ俺はどうしていたんだろう?」 と聞くと、「知るか!」 と冷たい。
パンや弁当を買って参加した覚えもないし、クラスの奴の弁当を横取りした覚えもない。 ましてやクラス全員を脅して回って少しずつ食べ物を集めた記憶もない。 友人が言うように中学の頃に遠足があったとするならば、自分はどうやって参加していたのだろう。 そして何処に行き、何を見たのだろう。 さらに、その記憶自体はどこに飛んでしまったのだろう。
いや、友人が言うようにアホらしくて参加すらしなかったのだろうか。 だとしたら、一人で何をしていたのだろう。 埋まることのない記憶のかけらを探し、数日間は過去の記憶の中を彷徨っていたが、今は考えるのも面倒になってしまったのでポッカリと穴があいたままである。
きっと普通に親に弁当を頼み、遠足に参加していたに違いない。 そして友人たちと楽しい時間を過ごし、声がかれるほど大声で笑っていたに違いない・・・。 でも・・・いったい・・・何処で・・・?・・・。