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豪傑列伝 その 3 豪傑列伝 その 3

  豪傑なオッサン達の話ばかり書いてきたが、同世代にも豪傑な奴はいる。 ただし、こちらの場合は 『細事にこだわらない人』 という意味より 『一風変わった人』 という意味の方が近い。

  以前の雑感にも何度か書いたが、若い頃は同じコンピュータ業界でもゲーム製作を手がける会社で働いていた。 今では待遇も改善されているのかもしれないが、当時の業界は締め切り間際になると何日も会社に泊まりこみ、24時間体制で働く割には給料が安く、家に帰らないから着替えもできずに風呂にも入れないという状況だった。

  現在と違って街の中心部にはコンビニもなく、宅配のピザ屋さんもなかったので夜食には買い置きのカップ麺を食べる。 いつ泊り込みになるか分からないので買い置きが底を突いていたりする場合もあるのだが、そんな時に便利なのが 『ナカジマ屋』 だった。 れっきとした店ではなく、社員の一人が多くの種類のカップ麺を仕入れ、机の下に在庫していたのである。

  最初は 「売ってくれ」 と言って本人に金を払っていたのだが、”店主” であるナカジマが面倒になり、ダンボールで手製の料金箱を作って設置していた。 金を入れずにカップ麺を持っていくような不届き者はおらず、逆につり銭を取らずに金を入れるものだから月に \1,000以上の利益を得ていた。 そのうちに朝はパンなどを仕入れてくるなどサービスも充実し、ナカジマ屋は繁栄を極めていた。

  ところが本人は金遣いが荒いのか、いつも金がなく昼食にも事を欠くようになり、会社に米と炊飯器を持ち込んで ”自炊” するようになった。 昼近くになると米を炊く匂いがあたりに漂い、ナカジマの席から湯気が立ち昇るという誠に不思議な光景が展開されていたのである。 さすがに見かねた上司から注意を受けたので長くは続かなかったが、今から考えても彼は変わり者だったと思う。

  24時間体制で仕事をしていると、昼間のポカポカした環境では睡魔に襲われることが多い。 締め切りの時間は容赦なく迫ってくるので、それぞれが眠くならない工夫をしていた。 ある者は眠くなるとウロウロと歩き回り、ある者はコーヒーをガブ飲みし、ある者は 『眠くならないカコナール』 を風邪薬だとも知らずに購入して大笑いされたりしていた。

  カフェイン系のドリンク剤も新製品が出るたびに試し、全員が 「効く」 と認めた ”会社公認ドリンク剤” があった。 ことごとく睡魔に負けていた先輩社員も 「これで大丈夫!」 とドリンク剤を一気飲みして高らかに宣言していたが、3分後には自席で爆睡し、声をかけようがイスを揺すろうが蹴りを入れようが目を覚まさなかった。 あれだけ深く眠れるのも一種の才能であろう。

  暖かい季節は会社に泊まりこんでも問題はないのだが、冬場の泊り込みは寒さとの戦いだった。 当時の職場は暖房をビルが集中管理しており、勝手に暖房の ON / OFF ができなかったのである。 社員が勝手に持ち込んだ仮眠用の布団が一組だけあり、それに 5-6人が足だけを突っ込んで寝るという悲惨極まりない状況だった。 それでも人数には限度があり、布団に足すらも入れられない社員もいる。

  ある朝、つかの間の惰眠を貪り、眠い目をこすりながら起きてきた我々の目に飛び込んできたのは、荷物を梱包するときに使うエアパッキン、通称プチプチに巻かれて寝ている後輩社員の姿だった。 業務用にロール単位で売られているプチプチをぐるぐると体に巻きつけ、机の横に転がっている。

  気配に目覚めてシャワシャワと音を立てながら体を起こし、「おはようございまふ」 と寝ぼけた声で挨拶する後輩に、みんなで 「ミノムシかお前は」 と呆れつつも、「布団に足だけ突っ込んで寝るよりも暖かいかもしれない」 と、そのアイデアに感心したりしていた。

  細事にこだわらない人だったり、変わり者だったりと、いろんな豪傑を見てきたが、実は自分の父親も、どんなに辛いことや嫌なことがあっても表には出さずに飄々(ひょうひょう) としている人だった。 きっと周りからは変わり者という意味で豪傑な人だと思われていたに違いないが、そんな話は家族である自分の耳には入ってこなかった。

  若い頃にはどのような生き方をし、何を考えていたのか、もう少し長生きして聞かせてもらいたかったと少しだけ残念に感じながら、亡き父親のことをたまに思い出したりしている今日この頃である。

2005 / 04 / 23 (土) ¦ 固定リンク


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