先週から続きの 『他人の不幸は蜜の味』 である。 あまりにも悲惨な事件や事故であれば ”蜜の味” などと言ってはいられないが、ちょっとしたトラブルは見ていて滑稽でもあるし、野次馬根性がムクムクと頭をもたげ、フラフラと見に行ってしまったりする。 ラジオの交通情報を聞いていても、事故による渋滞や、その事故を見て通る車による ”わき見渋滞” などと伝えられることが多いので、人間はよほど他人の不幸が面白いのだろう。
千里丘駅の周辺でも、たまに放置自転車の強制撤去作業をしていることがあるが、(今、ここで持ち主が現れたら・・・) などと想像すると可笑しくてたまらない。 遠くから駆け寄る持ち主、最後の自転車を搭載して走り去る車、その車に追いすがる持ち主、車が遠ざかりその場に立ち尽くす持ち主、そういう場面が見られるのではないかと、不謹慎にもワクワクし、顔もにやけてしまう。
駐車違反の車がレッカー移動されている時も同様の場面を想像して、持ち主が現れないかと期待してしまう。 車の場合は持ち主が現れて、あるべき所に車がないことに愕然とする姿を見るのも楽しみなので、レッカー移動された後も少しの間はその場で持ち主の登場を待ってみたりする。 しかし、そういう場面にはなかなか出会えず、いまだにタイミングの良い喜劇(悲劇?)を見たことはない。
今は家が建ち並び、見ることができなくなってしまったが、小学生の頃の実家では、ベランダの窓からスピード違反の取締りをしているところを見ることができた。 遠くの丘から下る直線の道路を見ていて、「あ〜あの車はスピードが出ているな〜」 という車が近づいてくるとワクワクしてしまう。 警察の測定器は、その下り坂に仕掛けられているのである。
何も知らずに近づいてくる車、無線で交信しながら止めるべき車を確認し合う警察、建物の陰から姿を現す警官、慌てふためいて急激にスピードを落とす車、しかし、今さらスピード・ダウンしたところで後の祭りである。 警官に誘導されて空き地に車を止め、違反の切符を切られることになる。
ヒマなときなど、父親と二人でその光景を眺め、「あの車はスピードがでているから捕まる」 と話したり、捕まった所を見て 「やーい」 とか言って喜んだりしていたものである。 母親は 「そんな他人の不幸を喜んで・・・」 と渋い顔をしていたが、もの凄いスピードで走ってきた車が止められるのを見て一緒に 「わっはっは」 と笑っていた。 他人から見れば、とっても嫌な親子である。
ある日、家族で父親方の祖父母の家まで行った帰り道、同型の車が我家の車を抜き去っていった。 元 ”族” だった父親の血が騒ぎ、その車と抜きつ抜かれつのデッドヒートとなった。 相手の車が我家の車を抜き、前を走っていたその時、爆走する二台の前に突如として警官が立ちはだかった。 我家としては、当然のことながら前を走っていた車が捕まるものだと思い、車の中で歓声をあげていた。
ところが前の車は警官に 「行ってよし」 と言われ、捕まったのは我家の方だった。 歓喜の顔が一瞬にして凍りつき、ガックリと肩を落として違反切符を切られる羽目になってしまったのだが、そんな時、横を通り過ぎる車の中の人たちは、全員がこちらを見て笑っていた。
・・・ そのときは、やはり 『他人の不幸は蜜の味』 であると思い知らされ、確信できた瞬間だったりしたのであった。