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雑感何となく感じたこと雑感何となく感じたこと

外見 Episode I 外見 Episode I

  『人は見かけによらない』 とか 『外見で判断してはいけない』 などと過去の雑感に何度か書いてきたのだが、初めて会った人は内面が分からないものだから第一印象は外見で判断せざるを得ない。一度決定付けられてしまった印象は余程のことがない限りは変わることがない。

  異性に対しては綺麗、可愛い、カッコイイなどの好印象から、不細工、気持ち悪いなどの悪印象まで様々だが、外見が美しくても内面が美しくない人や、外見が美しくなくても内面が美しい人もいるので外見だけで判断してはいけないのである。しかし、人に悪印象を与えない方が良いに決まっているから人は外見に気を使う。

  女性も男性も着飾って美しく見せようとするし、化粧もする。しかし 「どう見てもそれは間違っているだろう」 と言いたくなる人もたまに見かける。本来、化粧というものは美しく見せるためにするものであるはずなのだが、笑いを取ろうとしているとしか思えないような化粧をしている人もいる。

  最近も大阪駅で頬に赤い化粧をしている人がいた。まるでコントに出てくるような感じでクッキリと丸が描かれている。可愛らしい顔立ちの女の子なのに 「なぜ?」 と問いかけたくなってしまった。最近は絶滅したようだが、数年前まで通称 『ヤマンバ』 と言われる化粧が女子高生の間で流行していた。顔を黒くしてマブタや唇が白い ”あれ” である。

  オッサンである自分はその感性について行くことができず、ただ 「なんなのだ、なんなのだ」 と通り行く女子高生を眺めていた。若いうちは何もしなくても可愛らしいのに、何故に不細工に見える化粧をしなければいけないのか不思議でならなかった。しかし、どのような化粧法であれ自分を飾ろうとする意識があるだけ ”マシ” なのかもしれない。

  以前読んだ本には 『どうして女性は何もしなくても可愛い時に化粧をしたり着飾ったりし、少し考えた方が良い年齢になると何もしなくなるのだろう』 と書いてあったが、それには共感をおぼえてしまう。何もしなくたって若さという最強の武器を持っており、肌もツヤツヤな時期に 「これでもか!」 というくらい化粧を塗りたくっている。

  最近の流行なのかもしれないが目の周りを 「どこまでが目なんだぁ!?」 と問い詰めたくなるほど黒々と塗ったりして、顔の原型がまるで想像できない。まるで絵画のように化粧を塗りたくった顔でツンとすまして歩いているのを見ると、「そんなに化粧をしなくても・・・」 とトホホな気分になってしまう。

  ダイエットだってそうである。若い頃は誰だってパンパンに、はち切れんばかりの体をしていて当り前なのだが、食事制限などして無理に痩せようとする。海外から個人輸入したダイエット薬を服用して死亡事故まで発生している。食べすぎが原因で太ってしまったのなら食事制限も必要なのかもしれないが、それほど太っているわけでもなく、細く見える子までダイエットに励んでいる。

  ところが、ある程度の年齢になると努力と無縁になってしまう女性が多い。太ったら太りっぱなし、外出のときも口紅をつけるくらいなもので、髪型も服装にも頓着しない。女性ばかりではなく男性も年齢とともに服装などに無頓着になってくる。すでに欠点をカバーしていた若さがないのにである。

  すべてではないが、これは日本特有の現象のように思う。若い時に親の金でブランド品など身分不相応なものを買い漁り、身奇麗にすべき親には金がない。こんなことで良いのだろうか。繰り返しになるが、若い頃は何もしなくたって美しいのだから、ジーンズに Tシャツ、薄化粧で体が必要とするエネルギー源である食べ物をバクバク食べていれば良いのである。

  親は悲しい格好で我慢するのではなく、自分のために金を使えばよいのである。また、そうしなければ若い頃より確実に見劣りする外見を補うことなどできないではないか。今の日本は何かが間違っているいると思えてならない。

  外見のことを偉そうに書いてはいるが、とやかく言う自分は身なりをあまり気にしない。近所に出かける程度であれば室内着のままで済ませたい。ボッカ〜ンと寝グセが付いたままで外出するのは、はばかられるので髪を撫でつけるくらいのことはするが、短時間の外出でいちいち着替えるのは面倒なのである。

  若い頃も、あまり品の良い格好をしていなかったので人からは外見だけで恐がられたこともある。そんな ”悲しい?” エピソードは次回までにまとめておくことにする。

2002 / 11 / 10 (日) ¦ 固定リンク


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