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私的漫遊記 その二 私的漫遊記 その二

  先週の旅疲れからか、だる〜い一週間を過ごしてしまった。旅といっても現代社会は交通機関が発達しており、乗り物の中では座っているだけだからそんなに疲ないはずなのに何故か疲れがド〜っと出てしまった。その疲れが一週間も残るとは完全に ”年” である。

  今は完璧なインドア派になってしまっているが、これでも若いころは休みのたびに遠出をしていた。その時の遠出は ”旅” などと呼べるものではなく ”トライアスロン” のようなものが多かった。行った先で宿泊施設に泊まることもなく、車の中で寝てはまた走り出す。

  若さに任せて無謀なことや数々の悪行もはたらいたものである。ある時、目的地も決めずにとにかく車に乗り込んで走り出した。走り出してから 「どこに行く?」 と話し合っていたのだが、なかなか決まらない。話し合うのも面倒になったので、このまま走って最初に見える標識に出ているところに行くことにした。

  ところが最初に見えたのは 120km 先の地名だった。それでも皆で決めたことなので 「行かねば、行かねばならぬ」 などと三波春夫みたいな台詞を口にしながら走りつづけた。そうしているうちに 「その街に着いたら次はどうする?」 という話になったので、その街で最初に見た標識に出ているとこに行くことにする。

  そうこうしているうちに着いた街で最初に見た標識には 80km 先の地名が書かれていた・・・。そのルールに則って走り続けたところ、出発してから二日後にやっと地元に戻ることができたのである。その走行距離は実に 800 数十キロ、車の中で仮眠をとりながらの ”旅” だったため帰ってきた時はボロボロである。

  車の中で寝るのは辛いということになり、テントを購入して出かけたこともあるが、だいたい疲れ果てるのは深夜になり、真っ暗な中でテントを張るため周りの状況がよく分かっていない。海辺の砂浜にテントを張って寝たときは妙な音で目が覚めた。潮が満ちてきてテントのすぐそばまで波が迫ってきている。「どっひゃ〜」 とあわてて飛び出し、テントを引きずって避難する始末だった。

  そしてある時は広い駐車場にテントを張って寝ていた。昼近くになって、のそのそとテントから這い出すと周りには観光バスが止まっている。バスの中から指をさされて笑われてしまった。朝早くから観光コースを回って昼食にするため止まった駐車場にテントが張ってあり、そのなかから寝グセで頭が 『ぼか〜ん』 となった男が這い出してきたのだからさぞかし面白かったことだろう。

  あの頃は相当な無茶もした。その頃の友人が乗っていた車は製造から 10年も経過している古い中古車で、今では信じられないだろうがスピード・メーターは 240km まで表示されていた。「いったいこの車は何キロまでだせるのだろう」 ということになり、直線が何キロも続く道で試したことがある。

  スタートしてから 140km までは順調に加速したのだが、それから先がなかなか上がらない。少しでもエンジンの助けになればと、車の中で体を揺すって 「ガンバレ、ガンバレ」 と励ましてみた。やっと 150km に達し、それからも少しずつ、そしてゆっくりと加速していく。

  156km、157、158・・・もう少しで 160km に達しようとするその時!車のボンネットがバ〜ンと開き、前が何も見えなくなってしまった。「おわぁ〜」 と大声を出したものの、パニックにはならなかった。パニックになるよりも運転席と助手席の二人はだまってボンネットを見つめている。『目が点になる』 とは正にあのことなのだろう。幸いに対向車も来ていなかったため、少しずつ減速して車は止まった。

  車から降りてボンネットを閉めようとしても、とてつもない風圧で開いたものは簡単に閉まらない。車の屋根に登って足でガンガン蹴ってやっと閉まったのだが、二度と開く事がなくなってしまった。その後、その車を修理に出したのか廃車にしたのか今となっては記憶がない。

  そんな無茶をしながらも翌週にはまた出かけたりしてあの頃は、体力もあり本当に若かったんだな〜と、心底実感してしまったほど疲れの取れない一週間だったのである。

2002 / 10 / 20 (日) ¦ 固定リンク


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