時代の変化 時代の変化
1990年ごろにバブルが崩壊し、平成大不況の失われた 10年を経て世の中は大きな変化を遂げた。普段の生活でその変化を実感することは少ないが、ゆっくりとではあるが確実に変化の波は訪れている。そして、その波は現在小学生くらいの子供たちが成人する頃には世の中の常識になっていることだろう。
身近に感じられる変化は物価が下がったことである。経済的に言えばデフレ・スパイラルであり、それは ”悪” なのだが、生活する分には衣・食・住の支出が低く抑えられるに越したことはない。ただし、それは 『以前と同じ所得があれば』 という前提があっての話である。人件費削減だのリストラだので所得が減ってしまっては物価が下がっても生活水準は同じになってしまう。
そこで声高に叫ばれるのがデフレ対策への要求なのだが、インフレ誘導すれば本当に経済は活性化するのだろうか。物価が上昇すればそれを製造や販売する会社の収益性が向上し、従業員の雇用も安定する。雇用と賃金が安定すれば消費も活性化するというのが大雑把な ”あらすじ” なのだが、そのような都合の良いシナリオ通りに事は進まないような気がする。
この十数年で雇用体系はすっかり様変わりしてしまった。戦後ずっと守られてきた終身雇用、年功序列は姿を消しつつある。それも皆が安定を望んで就職する大企業から変化が始まったため、今や 『大企業への就職』 → 『一生安泰』 という図式は完全に崩れ去ってしまった。
どのような変化があったのかというと、それは実力主義への移行だろう。就職した日から年を重ねるごとに自動的に基本給が高くなり、年換算で何カ月分というボーナスが支給される。会社に多大な損失を与えるか犯罪でも犯さない限りは職を追われることもない。そんな社員に甘い会社はどんどん少なくなっている。そんなことをしていては会社そのもが生き残れないからだ。
現在主流となりつつあるのは給料が実力に応じた年俸制、ボーナスが業績連動型である。給料は自分自身に高い目標を課すことが義務付けられ、その目標を達成できたか、それ以外にも会社にどのように貢献したのかが厳しく問われる。結果は同期入社でも年収に数百万円の差が出る。ボーナスも業績連動型であるから会社の業績が良く、業績向上に貢献した社員ほど多くの金額を手にすることができる。
すべては実力・成果主義であるため、どの学校を卒業したのかは関係がない。もちろん大前提として優良企業に入社しようと思えば良い学校を卒業するのに越したことはないだろうが、学校のブランドが今後 10年も続くのか疑問である。1929年の映画に 『大学は出たけれど』 というのがあったが、今まさにそういう時代にある。
大学に入って目標もなく遊んでいる奴に未来はない。自分は何がしたいのか、自分の進むべき方向はどちらなのかを真剣に考えなければ社会に出ても捨てられるのがオチである。大学に入ってからでは遅く、高校生、中学生くらいの頃から自分に適した方向を見つける必要がある。
そういう意味では社会の変化に教育システムが追いついていない。今は偏差値によって進むべき大学を振り分け、とにかく進学する、させることにしか主眼が置かれていないが、そういうレールに乗った人材を社会はすでに求めてはいない。不況が続いているから就職難であったりリストラが横行しているのとは少し違う。この 10年の間に雇用のシステム、会社のシステム、社会のシステムが変わってしまったのだ。
これが資本主義の弊害であり、高所得者層と低所得者層の階級が生まれることによってテロが誘発されると指摘する学者もいるが、変わってしまったシステムは後戻りできない。これからの時代を生きていく子供たちにとって厳しい現実かもしれないが、激変の中に身を置く現在の大人も大変なのである。
子を持つ世の親も大変だろうが、社会に順応していくしか方法がないので従来の教育システムに頼るよりも子供の可能性を導き出し、それを伸ばす方法を模索することが今は重要なのかもしれない。
2002 / 09 / 22 (日) ¦ 固定リンク